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16.一緒に夜更かししましょう
しおりを挟む大聖女マイアが訪ねてきた日から程なくして、リズベットはレオナルドの魔法の訓練を開始した。
最初から魔法を使わせるのは精神的な負担が大きいので、まずは体内に流れる魔力を感じ取るところから始めた。
それに慣れたら、次は防御魔法や支援魔法などの非攻撃系の魔法を、初歩的なところから。その次は攻撃系魔法の初歩を、というように、段階を踏んで進めていった。
一ヶ月が経った頃には、初歩的な魔法までは再び扱えるようになったものの、威力の高い魔法は恐怖心が勝るのか、まだまだ難しそうだった。
そして、使える魔法が増えるにつれて、調子が優れない日も増えていった。改善傾向にあった不眠が再発し、食欲不振も見られる。酷い日は、食べたものを全て吐いてしまう事もあった。
体調が悪い日は訓練を中止し、回復したらまた再開する。そんな日々を繰り返していた、ある日のこと。
自室で眠っていたリズベットは、レオナルドの叫び声で目が覚めた。急いで隣の部屋に飛び込むと、寝台の上で錯乱しているレオナルドの姿があった。
「レオ様!」
レオナルドの元に近寄って声をかけるも、彼は両手で頭を抱えながらうわ言をつぶやいていた。
「すまない、許してくれ……! 許してくれ……!」
「レオ様! 私です、わかりますか? リズベットです!」
何度か肩を叩くと、レオナルドはゆっくりと顔を上げてこちらに視線を向けた。彼をよく見ると、前髪が額に張り付くほど汗だくになっている。
「……リ、ズ……」
「大丈夫ですよ。ゆっくり深呼吸しましょう」
呼吸が安定してから水を飲ませると、彼はようやく落ち着きを取り戻した。
「すまない、リズ。取り乱してしまって」
そう言うレオナルドの顔は、血の気が引いたように青白い。ここ数日は不眠が悪化し、度々悪夢にうなされているようだったが、ここまで酷いのは初めてだ。
「夢見が悪かったのですね」
「ああ……。リズはもう休んでくれ。俺はこのまま、少し起きておく」
再び眠るのが怖いのだろう。
彼の悪夢はいつも、魔力暴走を起こしてしまった時のものだ。
吹き飛んだ山。跡形もなく消し飛んだ人々。何もない荒野に、ひとり残された自分。そして、亡霊たちに責められ、追いかけられる夢。
度重なる悪夢に、彼の身も心も疲弊しきっていた。
「では、私もご一緒しても? 今日は少しだけ、夜更かししましょう」
リズベットがにこりと笑いかけると、レオナルドは少し驚いたように目を丸くした。そして、しばらく迷った素振りを見せた後、遠慮がちに尋ねてくる。
「……いいのか?」
彼としても、本当は誰かにそばにいて欲しかったのだろう。悪夢を見た後は、誰だって心細くなる。
「はい。気分が落ち着く作用のあるお茶を淹れてきます。少し待っていてください」
そう言って一旦立ち去ろうとすると、袖が何かに引っかかったような感覚があった。振り返ると、レオナルドが袖を掴んでいるのが目に入る。
「俺もついて行ってもいいか?」
リズベットは意外な言葉に驚いた。
レオナルドは基本的に、弱音を吐いたり弱みを見せたりすることがない。心や体に不調があっても何でも無いふりをするので、彼の本音を引き出すのにいつも苦労しているのだ。
しかし、今日は珍しく自分から弱っているところを見せてくれた。
余程悲惨な夢だったのだろうか。今は一人になりたくないのかもしれない。
「もちろんです。一緒に行きましょう」
そうしてリズベットは、レオナルドとともに深夜の厨房へと向かった。
いつもキーツの手伝いをしているので、どこに何があるのか、勝手はよくわかっている。
小鍋で湯を沸かしたり茶葉を調合したり、テキパキと準備を進めていると、そばで様子を見ていたレオナルドが突然尋ねてきた。
「リズには、どうして護衛が付いているんだ?」
その言葉に、リズベットはビクリと肩を跳ね上げた。
護衛とは、言わずもがなグレイのことだろう。王子殿下に挨拶は済ませているとグレイは言っていたが、こんなタイミングで尋ねられたということは、あの男が何かやらかしたのか。
そこまで思考が回ったところで、リズベットは慌ててレオナルドに謝罪した。
「も、申し訳ございません! 近々きちんとご説明しようと思っていたのですが……! その、あの、ええと、グレイという人物が以前、レオ様に挨拶してきました……よね?」
しどろもどろになっているリズベットを落ち着かせるように、レオナルドは優しく言葉をかけてくる。
「責めているわけではないから、安心してくれ。君の護衛には一度だけ会ったよ。かなりの手練れで驚いた」
護衛が勝手に屋敷に侵入していたとあらば、責め立てられてもおかしくない。それなのに許してくれるとは、彼はとても寛容だ。
しかし、こちらを咎める気がないのに、どうして今その話題を持ち出したのか。
そんな疑問が頭によぎったが、今はただただ謝ることしか出来なかった。
「何か粗相をしませんでしたか? 付いてくるなとは言ったんですが……ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「大丈夫だ。迷惑は何もかけられていない。それで、リズは命を狙われているのか?」
どうやらレオナルドの目的は、その答えを聞くことらしい。
過去を隠している身としては、答えたくない内容だ。リズベットはこの話題からどう逃れようかと考えながら、慎重に会話を進めようとした。
「……私のことは、どこまでご存知ですか?」
恐る恐る尋ねると、レオナルドはこちらをしっかりと見据えながら答えてくる。
「エインズリー侯爵家の長女である、というところまでは。すまない、少し調べさせてもらった」
「…………!」
彼の回答に、リズベットは全身から血の気が引いていった。
過去は完璧に隠蔽していたつもりだった。少し調べたくらいではわからないはずだ。王族の情報網を駆使すれば、ただの子爵令嬢の経歴を調べ上げることなど容易いのだろうか。
(どうしよう。どうしよう。自分の正体が広まったら、また命を狙われるかもしれない。また私のせいで、誰かが死ぬかもしれない。どうしよう。どうしよう)
リズベットが何も言えずに顔を真っ青にしていると、レオナルドが心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「誰にも言わないから安心してくれ。リズにそんな顔をさせたくて言ったんじゃないんだ。今でも命を狙われているのなら、何か力になれないかと思ってな」
彼の言葉に、リズベットは心の底から安堵した。ひとまず自分の正体が他人にバレる心配はなさそうだ。
そして、レオナルドの優しさと心遣いに感謝する。
「ありがとうございます。でも、多分もう大丈夫だと思います。グレイが心配性なだけで」
「そうか。もし俺にできることがあれば何でも言ってくれ。いつでも力になるから」
彼はそれだけ言うと、それ以上何かを尋ねてくることはしなかった。
一家惨殺事件について少しくらい聞かれるかと思い身構えていたのだが、こちらを気遣ってか、レオナルドはそのことには触れないでいてくれた。リズベットとしてもあまり語りたくはない過去だったので、非常にありがたい。
「しかし、あの護衛は只者ではないな。俺が本調子だったとしても、あれに勝つのは骨が折れそうだ」
レオナルドがしみじみとそう言うので、リズベットは思わず顔を綻ばせた。
グレイはその瞳の色のせいもあって、普段は人前に出ない。そのため、必然的に彼を知る人物は少なく、彼が誰かに褒められているところなど滅多に見ないのだ。
あんなに強いのに、その存在が知られていないなんて悔しい。リズベットは常日頃からそう思っていた。
だから、そんなグレイが褒められて、嬉しくないわけがなかった。それが英雄からの賛辞ならなおさらだ。
「レオ様から見てもそう思いますか!? そうなんです、グレイはすごく強いんです!」
リズベットが嬉々としてそう言うと、レオナルドは少し間を置いてから尋ねてきた。
「……好いているのか? そのグレイという男のこと」
思っても見ない質問に、リズベットは目を丸くした。この場合の「好き」は、異性としての「好き」だろう。
レオナルドの勘違いが少し可笑しくて、リズベットは思わず笑みをこぼした。
「フフッ。グレイは兄みたいなもので、そういうのじゃありません。でも、そうですね……」
リズベットはグレイのことを思い浮かべる。
いつも気だるげで、ちょっと意地悪で、でも何があっても絶対に守ってくれる、誰よりも頼りになる人。
「この世で一番大切な家族……でしょうか。もしいなくなったらと考えると、結構怖いです。私の護衛なんか辞めて自由に生きて欲しいと思っているんですが、なかなか聞き入れてくれなくて。こんな私をずっと守ってくれて、感謝しかありません」
グレイは今もどこかでこちらを見守っているのだろうか。もし聞かれていたら、少し恥ずかしい。でも、これが正直な気持ちだった。
「妬けるな」
レオナルドがボソリとつぶやいたが、その声が小さすぎてリズベットには聞き取ることが出来なかった。
「え? すみません、聞こえなくて」
「なんでもない」
彼は微笑みながらそう言って、なぜかこちらの頭をポンポンと撫でてきた。
リズベットは不思議に思いながらも、ちょうどお湯が沸いたので、お茶の準備を終え、二人で部屋へと戻るのだった。
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