ある日、5億を渡された。

ザクロ

文字の大きさ
上 下
13 / 38
第一章~人生のズレに気づきました~

器と欲

しおりを挟む
……帰り道、俺はただ、何も考えずに歩いていた。考えてしまえば、きっと俺は、俺自身に負ける。
 どれだけ母さんが過去を閉ざしたとしても、俺は人間だ、意思を持っていたはずだ。だが俺には、過去を知る意思を持たなかった。それはなぜか、今ならわかる。

「最初から俺に「人間の心」なんてなかったんだ」

 自分を知るという意思を持たない、他人を知るという意思を持たない。どれだけ知ったふりをしていても、結局は、何も知らない。
────例えるならば、ロボットだろうか。最近のロボットは、たくさんの知識を持っている。だが、心を  持っているかといえば、そうではない。俺には、様々な仕事をこなせるスキルがあった。しかし俺に、人間としての心はあったか。そう聞かれれば、そうではないと答えよう。
 考えたくなんてない。でも、昨日と今日の、様々な人物の言葉を思い返してしまう。すべて、俺の「異常性」を証明する言葉だ。

「あんたが不幸になった原因なんだ。全部あんたのせいじゃない! 感情のない、ロボットの癖に!」

 真希に殴られ、言われた言葉。俺はこの時まだ、自分に感情がないことを実感できていなかった。

「誰かのために、そうじゃないと成り立たないお前の正義。悪いがそりゃ、正義でもねぇし、理性でもねぇ! 操り人形の糸探しだわ!」

 優斗に怒鳴られ、言われた言葉。俺の行動原理はすべて「誰かのために」で動いていた。それが、いつの間にか自分を縛っているとも知らずに。

「あなたには、幸せになってほしいの。欲を持ちなさい。じゃないとあなたは……」

 空っぽだ、心の中でそう言い返した母さんの言葉。誰かのために、そのために生きてきた俺は、自分自身の欲望なんて持っていなかった。

「でもね、我慢するのは良くないんだ。現状に甘え、精進を怠ったものに、成功も未来もないんだよ」

 明に優しく言われた言葉。それは一見励ましだが、俺にとっては叱られたも同然だ。欲のない俺は精進しない。心のない俺は現状に甘える。俺には成功も未来もない。

「あなたは職業を変えただけで、満たされてしまっている。ほんの少しの自由だけで、ほんの少しの余裕だけで、あなたは他に何もいらないっていうのね」

 母さんの言葉で、結論に達した。俺には心がない、だからこそ欲がない。変化を望まず、ただ誰かのために生きる。自分という人間は、生きていなかった。
────俺は人間じゃない、ただ誰かの、社会の、操り人形だった。

「……無理だ、今更人間になるのなんて……」

 空っぽなその器は、万人を受け付けるようで、まったくの真逆。コンクリートの壁で囲われた、空っぽの器。そんな器に、5億なんてものは入らない。
……歩みが止まった。これ以上進んだって、これ以上何かを見たって、辛いだけだ、苦しいだけだ。死んでしまえばいい。俺はきっと、そうあるべきだったんだ。落石に遭ってまでも生き残った、それこそが間違いだったんだ。

「あれー、歩くのやめちまったか? すすむん」

 後ろから、気の抜けたような声が聞こえる。振り返るとそこには、昨日と同じような姿で、ヘラヘラ笑った優斗がいた。

「……どうしてお前が、俺の後ろに……」
「忘れちまったか、昨日のこと。アカリしゃちょーが、すすむんに協力しろって言ってな。まぁ、病院にいるだろうと思って後をつければこんなもんだ」

 今の俺には、何も返す言葉がない。誰かのために生きていたはずなのに、結局自分を殺し続けてたと分かった今、誰かと話す気力もない。
 そんな俺を知ってか知らずか、優斗は馬鹿にしたように指を指して言う。

「ひっでぇツラだぜ、すすむん」

 そうか、俺、今……どんな顔してるんだろう。

「俺の顔は……今、どんな顔だ?」
「なんつーか、絶望、苦しみ、地獄の中って感じ? ってか────」

 次の言葉に、俺は心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を覚えた。

「すすむんにも感情があったんだな」

────俺には感情がないように見えていた。ほかの人だって、俺が普通じゃないことくらいわかってたんだ。でも、それ以上に……

「なぁ、優斗。今の俺は、人間っぽいか?」
「あぁ、自分の顔に疑問持つとか、苦しむとか、悩むとか、それって人間の持つ感情だろ。いつもより人間味があるわな」

 今、悩み続ける、今、死のうと考える、今の俺が、人間らしい俺。

「まぁ、言ってみりゃあ、お前って人間としてはどこか異端だよな。欲もねぇし、感情も薄い。誰かのために生き続けて自分を殺す。これっぽいことは昨日言ったよな」
「……ぽいことは」
「でも「完全な無欲」なんてやつは存在しねぇ。お腹すいたとか、楽したいとか、そういうのは普通にある。それがある限り「最低限人間である」って言えるだろ」
「……確かに」
「何ならお前は、昨日涙を流した。欲を持っても、その欲がうまく制御できないってな。涙を流すのは人間の心があるからだろ」

 誰かが隣にいないと、幸せになりたくない。誰かと一緒、誰かのために生きた、俺らしい欲望。そこに自分が主体でないという、異常な欲望。

「お前は、欲も心もある。すすむんは人間だよ。ただ、ちょいとばかし歪んで、異端な人間。自分を考えられない、人間味がちょっと足りない、ね」

 優斗は俺の肩をポンッとたたき、隣で笑顔を見せる。その笑顔は、周りまでも元気にするような力を持っていた。

「まぁ、今からでも遅くはねぇよ。ちょっとずつ、進めばいいの、すすむんは!」

 無理に進まなくてもいい。自分自身のペースで、自分自身を作り出せばいい。そう考えたら、少しだけ気分が明るくなってきた。どうやら俺は、人間として最低限は保証されているようだ。

「じゃ、一緒に家にでも帰ろうぜ、昔みたいにな!」
「あぁ、くれぐれも寄り道はしないでくれよ」
「あったりまえだぜぇ! ヒャッハー!」

 夕暮れの道を、肩を並べ、共に帰る友人がいる。誰かと一緒に幸せを共有することは、決して悪いことじゃない。だって俺は今、こうして、小さな幸せをかみしめているのだから。
 二人なら、秋風も寒くない。誰かと一緒ならきっと、自分と誰かを見比べることで、自分自身が、見えてくる、そう思っておこう、今は。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...