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第2章 辺境伯領平定戦

第85.5話 過保護な守役は湊町を守る

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「――――ネッカー川を渡る敵に手出しは無用……でござりますか?」

 鉄砲奉行の雑賀孫三郎殿が目を丸くする。

 一方、若の御下知をお伝えになったカヤノ様は仏頂面で「そうよ」と頷かれた。

「シンクローはね、ミドリに全てを任せるつもりよ。そう言えば察するであろうって言ってたわ」

「お、お方様ですと!?」

「じゃあもう行くから。早くミドリに会わなきゃ」

 告げるや否や、カヤノ様は大樹へと消えてしまわれた。

 姿をお見せになった時も唐突ならば、姿をお隠しになる時も唐突だ。

 我らと言葉を交わしたのは、「シンクローが河を渡る敵に手出し無用って言ってるわ」と先の二言を加え、たった三言みことのみ。

「小便をする間もなくお発ちになりましたな……」

 雑賀殿が呆れ交じりに呟くと、クリス殿とハンナ殿が「うげっ」とおかしな顔をした。

「サイカ様って下品よねぇ」

「ですね。うら若き乙女がいるってのに」

「おおっ。これは失敬。他に良い言葉が思い付きませんでな」

 悪びれる様子もない雑賀殿。

 娘御むすめご二人の手厳しい視線に動じる気配もない。

「加治田様っ!」

 手前を呼ぶ声に振り返ると、雑賀殿の甥御おいごである根来杉ノ介がビーナウの商人衆を連れてこちらへ駆けて来る所だった。

 クリス殿の御両親であるマルティン殿とカサンドラ殿を始め、町に大店おおだなを構えるケーラー商会とモール商会の当主の姿もある。

「カ、カヤノ様がお越しとだと伺いましたが!?」

 マルティンが息を弾ませて尋ねるも、私は「残念ですが……」と首を振った。

「既におちです」

「何ですって!? 先程到着されたばかりでしょう!?」

 商人達は一人の例外も無く肩を落とした。

 カヤノ様の大樹が姿を現して以来、肩こり、腰痛、便秘、水虫に痔……。

 長年の持病が鳴りを潜め、感謝する事限りないのだと聞く。

 姿を現された時には是非とも礼の一つでも、と意気込んでおられたのだ。

「こんな事なら手前共も店から本陣へ居を移した方が良いのかもしれませんね……」

 本陣は大樹の周囲を取り囲むように敷かれている。

 ビーナウの町の東端、ネッカー川をのぞむ丘の上だ。

 平屋の家屋を三、四軒程度重ねた程度の低い丘だが、ビーナウの町は元より、町の周囲を見渡す事の出来る高所。

 当然ながら、敵陣や河を渡る敵の姿も手に取るように見渡す事が出来る。

 その光景を見ながら、カヤノ様が伝えた若の御下知を皆に伝えた。

 当然、誰もが驚きを露わにした。

「こ、攻撃しないので?」

「河を渡る敵は無防備だと思いますが……」

「ご意見はごもっとも。なれど若がお方様に任せると申されたのです」

「そ、その……シンクロー様のお母上はそれほどに名将でいらっしゃるので?」

「名将? ふむ……まあ、左様ですな……左様なものかと……」

 雑賀殿と杉ノ介がおかしな顔をした。

 まあ、お方様を多少なりとも存じておれば斯様な顔にもなろう。

 クリス殿とハンナ殿も同じだ。

 二人して「魔物殺し……」とか、「『おうく』も跨いで通る……」などと申しておる。

 東の荒れ地でお方様と何があったのか……。

 聞かずとも大凡の見当はつくが、今は別の話だな。

 商人衆は我らの反応を目にして訝し気な顔をしていたが、カサンドラ殿が「この話題はここまでにしましょう」と、「パンッ!」と手を打った。

「古来より母は強しと言うでしょう? シンクロー様がそこまで頼りにしておられるなら、そのご判断を信じましょう。それに――――」

 チラリとクリス殿に目を向けた。

「――――クリスがこんなに恐がるなんて普通じゃないわ。この私にすら喧嘩を売る私の娘が……」

 ケーラー商会とモール商会の当主が「ビーナウの災厄の娘が恐れる――」と口にしかけ、マルティン殿が慌てて二人の口を塞いだ。

 カサンドラ殿が「聞こえていますからね?」と薄笑いを浮かべた。

「しかし困りましたわね? 船でミノへ逃げるつもりでしたのに……」

 我らがビーナウに着陣したのは一昨日の事。

 一方、敵の先備さきぞなえがビーナウ近くに姿を現したのは昨日の昼。

 全軍の陣取じんどりが終わったのは日暮れが迫った頃の事。

 この間、ビーナウの防備を固めると同時に、いざと言う時は町の衆を逃がす算段を整えていた。

 ビーナウは湊町。

 大小の船があり、水夫かこもいる。

 船を使って三野へ向かわせようと考えていたのだ。

「敵がおる内は使えぬ手です」

「あら……。その言い方だと、敵がいなくなれば使えると仰っているように聞こえますわ?」

「左様。三野へ向かった敵はお方様が打ち払いましょうぞ。いや、もしかしたら撫で斬りにしてしまうやも……」

「ナデギリ? 聞いた事のない言葉ですね? どんな意味ですか?」

 カサンドラ殿は「ニヤリ」と笑みを浮かべて尋ねた。

 意味を察しておられるようだ。

 クリス殿とハンナ殿も「ナデ……」と口を強張らせている。

 不思議そうに首を捻るのは商人衆のみ。

 ここはハッキリと申しておくか……。

鏖殺みなごろし――――にござります」

 商人衆が「は?」と口を大きく開けた。

 斯程かほどなまでに、女子おなごに似つかわしくない言葉もあるまい。

 だが、カサンドラ殿は口の端を怪しく上げた。

「うふふっ……。そうですか。鏖殺おうさつですか……。オカタ様とは気が合いそう……」

「でしょうな。手前も左様に思います……」

 お方様とカサンドラ殿は間違いなく肝胆かんたん相照あいてらす仲となろう。

 決して会わせてはならない。

 決して――――!

「――――お方様のお話はさて置き、こちらの敵もいつ何時なんどき攻め寄せて来るか分からぬ。備えをさらに固めねばなりませぬ」

 ビーナウには斎藤家の兵が五百、クリス殿やハンナ殿を含め冒険者が百、合わせて六百だ。

 この他に町の男衆が五百余り、陣の普請ふしんを手伝っている。

 大半が湊で働く屈強の水夫かこ人夫にんぷであり、下手な冒険者より余程頼りになる。

 ――――が、戦の経験はない。

 兵として戦えるかと申せば、期待せぬがきちであろうな。

 期待するとすれば――――。

「――――カサンドラ殿」

「分かっています。我が魔法であの愚かしい連中を――――」

「しばらく大人しくしていて下され」

「――――木端微塵に……はい? 今何と?」

「大人しくしていて下さい。絶対に存在を気取られぬように」

「……………………どうして?」

 スッと目を細めるカサンドラ殿。

 視線だけで刺し殺されそうだ。

「……カサンドラ殿は我らの切り札。使うならば敵にトドメを刺すその時。故にこそ、敵に気取られてはならんのでござります」

「…………いいでしょう。最初から大暴れ出来ないのはしゃくですけど、切り札とまで言われては、ね?」

 引き下がって下さったようだ。

 いくつか町の備えに関して評定ひょうじょうを行い、カサンドラ殿や商人衆は本陣を後にした。

「はあぁぁぁ……。ママを不機嫌にさせないでよぉ……」

 カサンドラ殿の姿が見えなくなると、クリス殿は疲れ切った顔をして座り込んだ。

「ママのあの目ぇ……下手な答え方をすればぁ、魔法をぶっ放されていたわよぉ?」

「分かっております。殺意が浮かんでおりましたから」

「えぇ……? も、もしかして恐くなかったのぉ?」

「恐い? これは異な事を。クリス殿はカサンドラ殿と壮絶な親子喧嘩を繰り広げたと伺いましたが?」

「そりゃ親子喧嘩で殺しまではしないわよぉ! ちょぉっと派手だったかもしれないけどぉ、魔法師同士のじゃれ合いみたいなものだったしぃ……」

 ハンナ殿が「魔法の撃ち合いのどこが『ちょっと』なんですか?」と呆れ顔で呟く。

「でもカジタ様ってすごい度胸ですよね。あたしなんて漏らしちゃうかと思いました……」

「ハンナ殿だけではござらぬぞ」

「手前共もです」

「サイカ様達も? ですよね!? そうですよね!?」

「うむ。敵に首を取られそうになった時よりも余程恐怖を感じましたぞ」

「叔父上に同じく」

「なんだかさぁ、ピンチの時の落ち着き方がハンパなかったよねぇ?」

「それあたしも思いました」

「意外だったよねぇ?」

「カジタ様と言えばやたらとシンクロー様に過保護な印象が強過ぎて……」

「シンクローと再会した時なんて泣き付いて離れなかったくらいだもんねぇ」

「えっ!? そうなんですか!?」

 クリス殿とハンナ殿は何やら同調しておるが『ぴんち』なる言葉の意味が分からない。

 手前が尋ねると、二人は「危地きち」や「危機」と言う意味だと口にした。

 これを耳にした雑賀殿は「合点がいった!」と大笑した。

「加治田様の肝の据わり方は家中随一でござるからな! 若にはお甘いようでござりますが……」

「オホンっ! 甘いのではござりませぬ。主君の御身を案じておるだけにござります!」

「はっはっは。何はともあれ大船に乗ったつもりおられよお二方。若が加治田様に一軍の大将を任せたは、故無き事ではありませぬからな」

 手前に代わって、雑賀殿が「ドンっ」と胸を叩いた。
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