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第2章 辺境伯領平定戦

第85話 驕慢

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「――――しこうして敵勢数多討ち取り、名の有る首級しるしは三十一、生け捕り六百余りに及びましてござります」

 公事くじ奉行の伊勢いせ兵庫助ひょうごのすけ言上ごんじょうを終える。

 伊勢の背後には、名の有る者共の首級が収められた首桶が整然と並べられていた。

いくさ目付めつけの役目、大儀であった」

「恐れ入りまする。されど、竹腰殿にはとても敵いませぬ」

「いや、慣れぬ役目にも関わらず見事であった」

「有難き御言葉、感じ入りてござります。それではこちらを――――」

 伊勢が首注文を差し出し、近習の春日源五郎の手を経て俺の元にもたらされた。

 その場で広げて目を通す。

 見覚えのある名があった。

 アロイス・フォン・ブルームハルト――――。

 あのれ者めは死んだか。

 勢威せいいを誇った者があっさりと死ぬ。

 真にこの世は無常よな。

 天道は驕奢きょうしゃなる振舞を見逃さぬらしい――――。

 黙ったまま首注文を見つめていると、横で椅子に掛けていたミナが気にする素振りを見せた。

 ヨハンやクリストフもだ。

「心配するな。其方そなたらから聞かされた者の名は入っておらぬ」

「そうか……良かった……」

 ミナは「ほう……」と溜息をついた。

 ヨハンとクリストフは胸を撫で下ろし、一安心と言った様子。

 此度の戦、心ならずも敵方てきがたへ参陣せざるを得なかった者がいるらしい。

 辺境伯への出仕を願いながらもネッカーへ馳せ参じる前に戦となってしまい、敵方への参陣を強いられたのだと言う。

 左様な者共の親類縁者から、早くも助命嘆願の書状が届き始めている。

 中には寝返りを申し出る書状さえあった。

 助命と知行ちぎょう安堵あんどの確約が得られれば、一命を賭して参陣した者共を説き伏せるとな。

 敵は内部から崩れかかっておる。

 とは申せ我が方に三倍する軍勢だ。

 滅多めったな真似は出来ぬと考えておったが、三倍の敵はたった二日で二倍に減ってしまった――――。

「母上め……。やってくれたな……」

「お方様より若へ御言伝おことづてが……」

「……申せ」

「『母を超えるべし』との仰せにござります」

「またぞろ容易く無き事を……」

 頬杖を突くてぼやくと、集まった者共はもありなんと苦笑した。

「二千の敵勢を撫で斬りとは、さすがはお方様にござります」

「然り。望むべくもない大勝利にて」

「娘御の大功たいこうにござる。佐藤様もさぞかしお喜びでござりましょう?」

「いやいや……。無事で帰っただけでも有難い事で……」

「親の心にござるなぁ」

「此度の一番手柄はお方様で決まりでござるな。二番手柄は……」

「望月信濃守殿では?」

「然り。飛騨路を駆け抜け戦を前に着到し、あさけの御活躍じゃ」

「左馬助殿もうかうかしておられませんぞ? 家督を返せと申されかねん」

「肝が冷えますな。我が祖父だけにやりかねませぬ。精々大手柄を狙うとしましょうぞ」

「その意気でござる!」

「「「「わはははははは!」」」」

 家老重臣の面々が大笑する。

 もっとも、目はまったく笑っておらんがな。

 まだまだ殺意さつい横溢おういつ、戦意旺盛と言った所だ。

 何かを感じ取ったのか、ミナ達異界の面々は共に笑いつつも口元が引きっておるわ。

「……勝って兜の緒を締めよ。お歴々は重々承知のご様子でござりますな?」

 伊勢兵庫が頼もしそうに笑う面々を見つめる。

「北條殿の御遺言、話したのは其方そなた北條ほうじょう常陸ひたちであったな。忘れはせんぞ」

 北條殿と申しても、先年病に倒れた氏直殿ではない。

 曾祖父たる左京さきょうの大夫だいぶ氏綱うじつな殿だ。

 左京大夫殿は死に際して五ヶ条の御遺言を嫡男・相模守氏康殿に残した。

 その五ヶ条目に曰く――――、


 手際てぎわなる合戦にておびただしき勝利を得て後、おごりのこころ出来しゅったいし、敵を侮り、あるいは不行儀なる事、必ずある事也。

 慎むべし慎むべし。

 斯くの如く候いて滅亡の家、古より多し。

 此の心万事にわたるぞ。

 勝って兜の緒を締めよという事、忘れたまうべからず。


――――とな。

 アロイスめの末路を見る時、より一層身に染みる御遺言である。

「良き教えよな。忘れるものかよ。まったく北條と申す家は習うところの多き家だ」

「有難く存じます……」

「それはそうと、斯くも仔細に渡る首注文、当家の者だけでは作れまい? 敵方の名の有る者から寝返りでも出たか?」

「いえ、寝返りではござりませぬ。お方様が心得良く、才覚にも申し分なき者をお見付けになり、我が方に降るよう説き伏せたのでござります――――」

 伊勢が事の次第を説き起こした。

「か、金砕棒かなさいぼうを担いで落人の追い討ちだと!?」

「はっ。我らも必死にお止めしましたが……」

「……よいよい。左様な母上を誰が止められようか」

 いつの間にやら笑い声は収まり、一人残らず呆れるやら驚くやら……。

 お? 佐藤の爺は恥ずかしそうに赤面しておるな。

 得物えものを手にするならば、せめて鉄砲か槍にしてくれと言った所か。

 金砕棒なぞ、むくつけき大男でもあるまいに。

 まあ、母上らしいと言えばらしいがの。

「仔細は承知した。で? 当家に降った者の名は?」

「はっ。エトガル・ブルームハルトと名乗っております」

「エトガル!?」

「ほ、本当なのですか!?」

 ヨハンとクリストフが転がるようにして伊勢の元に駆け寄る。

 対する伊勢は二人の反応を予想していたのか、驚くことなく笑顔で頷いた。

「間違いござらぬかと。貴公らへの書状も預かっておりますぞ」

「書状!?」

 伊勢から書状を受け取った二人は食い入るように読み進め、

「間違いない。エトガルの字に間違いありません!」

「良かった……。無事だったか……」

「エトガルなる者、お主らの縁者か?」

「ヨハンの従兄弟です。義兄上あにうえ

「従兄弟? ほう? 従兄弟そろって首実検か。お主らの一族、とことん首取りに縁有りと見える」

「ご、御勘弁ください……!」

 ヨハンがブンブンと千切れそうなほどに首を横に振る一方、クリストフは「次は私が――」が言いかけて、ミナから「悪い事は言わないから止めておけ」と腕を掴まれていた。

「伊勢、重ねて大儀であった。其方そなたは三野へ戻って――――」

「お待ち下さい。今一つ申し上げるべき事が」

「何? まだあるのか?」

「はっ! 丹波様から今後のてだてにつきまして……」

「何ぃ? あの爺から?」

 伊勢が新たな書状を取り出した。

 気は進まないが読み進める。

 はあ……。

 はかりごとを考えさせれば天下一だな、あの爺は。

 俺は丹波の策に乗る事に決めた。
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