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第2章 辺境伯領平定戦

ある一騎士の敗走 帝国歴402年11月17日・未明

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「――――長……! 小隊長……!」

 誰かが私の身体を小刻みに揺らした。

 怯えた声で、何度も私を呼んでいる。

「む…………うむ…………ティモか? 何事だ?」

 目を開けると、従卒のティモが私の顔を覗き込んでいる。

 ひどく慌てている様子だ。まさか――――っ!

「――――敵襲かっ!?」

「しっ! し――――っ! お静かにっ!」

 ティモは口元に人差し指を立て、懇願するように声を潜めた。

 尋常ではない様子に私は口を噤み、彼に言い聞かせるように何度も頷いた。

 ようやく納得したのか、ティモはようやく息をつく。

 周囲に目をやると、室内は灯油の灯りが室内を照らすのみで薄暗い。

 戸も窓も閉め切ってはいるが、日の出前の薄明りすら差し込んでおらず、明らかに真夜中だ。

 しかし、屋内の部下達は半分ほどが既に目を覚まして身体を起こし、不安そうな顔付きで壁に耳を当て、外の様子を窺っている。

 外で何かが起こっているに違いない。

 だが、私の耳にはこれと言った音は聞こえなかった。

 敵襲と言うには静か過ぎる。

 ティモにグッと顔をよせ、小声で尋ねた。

「何が起こった? 敵襲ではないのか?」

「それが……全然分からないんです……」

「分からない? 要領の得ない説明だな」

「でも、それ以外に言いようが……」

「落ち着け。君は従卒だろう? 報告は完結明瞭に。いつも教えているじゃないか。君が見聞きした事を、順番に話してみるんだ」

「は、はい……」

 ティモは胸に手を当て、何度か大きく息をついた後、静かに語り始めた。

「い、異変を感じたのは二時間ほど前です……」

「ああ」

「その……僕は目が覚めて、用を足しに外へ出たんです。それで目がえてしまって……見張りに立っていたバルトルト軍曹や他の者と……せ、世間話を……」

 世間話か……。

 きっと、不安な心持ちを軍曹に打ち明けていたのかもしれないな。

 もしかすると、軍曹や他の兵もティモが来たことをキッカケに不安を吐露とろしていたのかも……。

 ティモは「それから……えっと……」と記憶を手繰り寄せるように続けた。

「ど、どんどん静かになっていったんです」

「静か? 皆が寝てしまったのか?」

「ち、違います。周囲の様子がです……。真夜中ですが、見張りに立っている者も多いので、あちこちで人の動く音や話し声なんかが聞こえていたんです。篝火かがりびに照らされて、動く人影も見えていました、最初の頃は……」

「それが静かになり、聞こえなくなった……と?」

「そ、そうです……! それから、隣の民家に泊っている小隊の兵士がやって来て、様子がおかしくないかって……。バルトルト軍曹が念のために見回りに行って来ると、二人連れて村の東側に向かいました……。隣の小隊も人を出して、そっちは西側の方へ……」

「状況は分かった。軍曹は戻ったか」

「いえ……戻りません……。こんな小さな村、端から端まで行って帰って来ても大した時間は掛からないはずなのに……!」

「……分かった。さぞかし心細い思いをしただろう? ご苦労だったな」

「はい……」

 何とか気力を振り絞って騎士らしく振る舞う。

「全員起こせ。完全武装だ。急げ……!」

 命じると、壁に耳を当てていた者達が寝ている者を起こし始めた。

 ティモは私の鎧を準備し、装着を手伝う。

 ――――よく出来た部下達だ。

 ずっと不安の中にあっても一度動き始めれば早い。

 私を含め、屋内にいた十五人が装備を整えたことを確認し、灯りを消して静かに、ゆっくりと戸を開けた。

 庭先の焚火の周りでは、残された二人の見張りが闇に向かって槍を構えていた。

 戸が開く気配を感じたのだろう。

 こちらを振り返り、引きった笑顔を浮かべる。

 屋内の部下達が彼らを囲むように展開し、周囲に槍の穂先を向けた。

「ご苦労だった。状況はどうなっている?」

「バ、バルトルト軍曹がまだ戻りません……!」

「隣の小隊からも音沙汰がありません……!」

「分かった。全員そのままで聞いて――――」

「しょ、小隊長……」

「軍曹……!」

 闇の中から、バルトルト軍曹が弱々しい足取りで姿を見せた。

 二の腕に深手を負っているらしく、指先から血がポタポタと落ちている。

「いかん! 無理に歩くな! おいっ! 軍曹を支えろっ!」

 二人の部下が急いで軍曹を支え、焚火の傍まで運んだ。

「急げっ! 回復魔法で傷を塞ぐんだっ!」

「は、はいっ!」

 小隊付きの魔法師が慌てて回復魔法を発動する。

「軍曹、傷は痛むだろうが話を聞かせてくれ。何があった?」

「む、村の東で、野営している部隊の所へ、状況を確かめに行きました……。その途中で……お、襲われました……」

 部下達が息を飲む。

 答えは分かり切っていたが、報告は最後まで正確に聞き取らねばならない。

 荒い呼吸の軍曹に、「襲われた? 誰にだ?」と問うた。

「サ、サイトーの……兵です……。暗がりの中から……奴ら突然現れて……」

「分かった。もう十分だ。しばらく休め」

「そ、それよりっ……! 気を付けて下さいっ……! 奴ら、ネッカーで戦った時とは、まるで違う装備で……」

「何? どういう――――」

「――――がはっ!」

 問い返そうとした瞬間、魔法師が後ろにどっと倒れた。

 額の真ん中に、我が軍のものではない矢が深々と刺さっている。

 即座に全てを理解した。

「た、焚火を消せ! 火から離れ――――」

「ぐっ!」

「あっ!」

 暗闇の中から次々と矢が飛来し、部下達に突き立って行く。

 こんな暗い中で焚火の灯りだけを頼りに矢を射ているのだ。

 暗闇の向こう側から弦音つるねらしき音が微かに聞こえたが、方向も距離もまるで見当が付かない。

 瞬く間に五人がやられた。

「小隊長――――!」

 ティモが叫ぶ。

 いつの間に近付かれたのだろう?

 サイトーの兵がカタナや短い槍を手に、次々と姿を現した。

 連中の姿を見て、軍曹の言葉の意味を理解した。

 どの兵もあの特徴的な赤い鎧を身に付けておらず、目立った防具は手甲程度。

 兜も無く、代わりに白いバンダナを巻いていた。

 足元を見れば、草で編んだと思しきスリッパを履いている。

 目立つ要素や音が鳴る要素を徹底的に削ぎ落した出で立ちだ。

 カタナと短い槍も、暗闇の中で取り回しが容易な武器だけを選んだのだろう。

 私達は赤い鎧兜の軍勢が、狂ったような喊声かんせいを上げ、テッポーの轟音と共に襲い掛かって来るものと思い込んでいた。

 それがサイトーの兵の戦い方なのだと思い込んでいた。

 だが、思い込みは見事に打ち砕かれたのだ。

 この場には、赤い鎧兜の兵はおらず、あの凄まじく長い槍も無く、もちろんテッポーの音も聞こえない。

 音も無く忍び寄り、一言も発する事無く攻め寄せて来た。

 同じ人間とは思えない、不気味な姿だ。

 想像もしなかった事態に、兵の動きを止められてしまった。
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