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第2章 辺境伯領平定戦

第72話 曲者

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「ク、クリストフ様!?」

 ヨハンが驚きを露わにする。

 クリストフ・フォン・ブルームハルトと名乗った黒頭巾が本物か否か確かめるために呼び寄せたのだが、どうやら本物のようだのう。

 一方のクリストフは黙り込んではいるものの、ヨハンの姿を目にしてあからさまに安堵の表情を浮かべていた。

「ヨハンよ。この者はクリストフ・フォン・ブルームハルトで間違いないのだな?」

「は、はい……。ですが、クリストフ様は帝都に遊学ゆうがくされていたはず。どうしてこちらにいらっしゃるのか……」

「……地震の話を聞いて戻って来たんだ」

 ヨハンの疑問に応じるように、クリストフはポツリポツリと話し始めた。

「アルテンブルクで地震が頻発しているって話は帝都にも届いていたんだ。だから心配で……」

「そ、それでお戻りになったと!? まさかお一人で!?」

「うん。供の者達には帝都の方が安全だって止められてしまったから、振り切って戻ることにしたんだ」

「たったお一人で……! なんて危険な事を! 道中で盗賊や魔物に遭うかもしれないんですよ!? それに帝都からアルテンブルクまで馬を使っても一月近くは……!」

「だからずいぶん無理をして馬を飛ばしたんだ。誰も追い付けないように、早く到着するようにね。おかげで何頭も乗り潰してしまったよ。可哀想な事をしてしまった……」

「無茶をなさらないでください……。お身体に大事はありませんか?」

「実家に辿り着いてから三日ばかり寝込んだけど、もう心配ないよ。ありがとう」

 女子おなごと見紛うばかりに線が細く優し気な顔をしているが、クリストフとやら、中々骨のある男児だんじかもしれん。

「さて、そろそろ良いかのう?」

 二人の会話に割って入ると、クリストフは表情を硬くし、ヨハンは慌てた様子でクリストフを背に庇った。

「おいおいヨハン。何のつもりだ?」

「あ……いえ……その……」

「案ずる事はない。取って喰いはせんわ」

「若、お待ちください。それも事の次第に依りますぞ?」

「うふふ……。成り行き次第では…………でございますね?」

 左馬助と八千代は警戒を解くべきではないと考えたのか、得物えものは納めたものの眼光は鋭いままだ。

 ヨハンを安心させたかったのだが、これではより心配させるだけだ。

 二人は俺の意図を理解していようが、万が一にも俺に害が及ぶ事は許さぬ、と言いたげだ。

 すると、そんな二人をミナがたしなめた。

「モチヅキ殿、ヤチヨ殿、そこまで怖がらせるものではない。これでは事情も聞けない。そうではないか?」

「ミナ様……」

「しかし……」

「シンクローに手出ししようとしても、私が必ず止めて見せよう。あなた達もいるんだ。害意を抱く者がいてもシンクローには指一本触れる事は出来まい。部屋の外にはクリスやハンナもいるし、シンクローの家臣達にもいる。ネズミ一匹逃げ出る余地もない」

 開けたままの扉から、クリスとハンナが顔を覗かせ「任せろ!」とばかりに拳を握り締めた。

 ミナが重ねて「頼む」と申した。

 左馬助と八千代は顔を見合わせ「……ミナ様がそこまで仰るなら」と一歩後ろに下がった。

 ただそれだけで、室内を満たしていた張り詰めた雰囲気は和らぐ。

 クリストフとヨハンもその事を感じ取ったのだろう。

 僅かに表情を緩めた。

 ミナは床に尻餅をついたままだったクリストフを立たせると、穏やかな声で話し掛けた。

「クリストフ殿、卿とお会いするのは初めてだったな? 挨拶が遅れて失礼した。ヴィルヘルミナ・フォン・アルテンブルクだ」

「こ、こちらこそ失礼致しました……。クリストフ・フォン・ブルームハルトです……」

 異界の作法は分からんが、軽く腰を折って挨拶するクリストフの所作は、素人目にも優雅に見える。

 ヨハンは「さすが」と言いたげに頷き、左馬助と八千代は目を見張った。

 ミナも「ほう……」と感心した様子で呟いた後、話を続けた。

「ブルームハルト子爵の嫡男たる卿が、何故なにゆえたった一人でネッカーへ参られた? それも供を連れずに、たった一人で」

「父は皆様を良く思っておりません。特にサイトー殿を毛嫌いしております。僕がネッカーに行くなどと言えば、烈火の如く怒って止めたでしょう」

 俺の様子を窺いつつも、クリストフは言葉を濁すことはない。

 ただし、クリストフ自身に含むところはなさそうだ。

 率直にものを語っているだけで、俺に対する嫌悪は感じられない。

「どうしてそんな相手の元に来られたのだ? 御父上も快くは思うまい」

「分かっています。ですが……ヨハンの事が気掛かりだったのです。戦で捕虜となり、しかも負けた相手に仕える事になったと聞いて……。心配で心配で……」

「え? わ、私ですか?」

 唐突に話を向けられたヨハンは驚く。

 だが、クリストフは「当然じゃないか!」と心外だとばかりに答えた。

「ブルームハルトの親族は、僕を次代の当主と見て阿諛あゆ追従ついしょうし取り入ろうとする者ばかり……。しかも互いに嫉妬の念を強くして足を引っ張り合っている。特にアロイスなんて最悪だ。父上や僕にこびを売り、他人を貶める事ばかりしている。自分の能力を磨く事は脇に置いてね」

 喜べアロイス。

 他でもない跡継ぎ殿から名が出たぞ?

 もっとも、毛嫌いされておるようだがな。

「父上も自分にへつらう者しか側に置こうとしない。それでいて弱い立場の者には威丈高に振る舞うんだ。家臣や領民へ辛く当たる姿を知っているだろう?」

「それは……」

「格好が悪過ぎると思わないか? あんなの最悪だ。吐き気がする」

「クリストフ様……」

「でもヨハンは違った。君は決して媚びへつらったりしない人だった。親族の中で、唯一君だけが心置きなく話が出来る人だったんだ。信頼できる人だったんだ」

「ありがとうございます……。そのようにお考え下さっていたとは……」

「でも、僕が懐いたせいで父上から遠ざけられてしまっただろう? 僕のせいで君が不遇な目に遭っているのに僕は何も出来なかった。とことん自分が嫌になったよ。だから、帝都へ遊学する話が出た時には逃げてしまいたい一心で……」

「クリストフ様はご自分を卑下し過ぎです。信頼できると仰っていただいただけでも私は……」

「いや、謝らせてくれ。本当に申し訳ないことをしてしまった。僕も父上と一緒だ。結局は自身の事しか考えていなかったんだ。君への配慮がまるで出来ちゃいなかった……」

「ど、どうか頭をお上げください! 私が不遇をかこったのは私自身の責任です!」

「ヨハン……でも……」

「どうかお聞きください。確かに不遇だった頃もありましたが、それも過去の事。今はサイトー様の元で存分に働くことが出来ていますから」

「本当に? 不遇ではないの?」

「とんでもありません! どうしてそのようにお思いに?」

「君は戦で負けた相手に仕えているんだぞ? 敗者は厳しい境遇に置かれるのが常。だから心配でならなかった……」

「サイトー様は情けの深いお方です。敵であった私を朋輩ほうばいとお呼び下さったのですよ?」

 ヨハンはアロイスとの一件を語って聞かせた。

 それだけではない。

 俺がゲルトとカスパルを討ち取った話、首実検を経て俺に仕えるに至った話、税の免除や村々へ書状を出した話などなど……。

 新たな話を聞かされる度、クリストフの目は大きく見開かれていった。

「分かった……。君の話はよく分かったよ、ヨハン。僕の心配は全て取り越し苦労だったみたいだ……」

「ご安心いただけましたか?」

「うん」

「では急ぎ領地へお戻りください。お姿が見えぬと騒ぎになっているはずです」

「そうだね……。でも、それは出来ない相談だ」

「は? それはどういう……」

「ヨハン……僕も、サイトー殿にお仕えする……!」

「なっ……! 何を仰います!?」

「サイトー殿は僕より年上だ。でも、たかだか数歳の違いでしかない。なのに僕なんかとは比べ物にならない立派なお方だ。僕はこの人の元で学びたい!」

「ちょ、ちょっとお待ちを! 学ぶと仰るなら帝都で――――」

「帝都なんてブルームハルト以上に阿諛追従と嫉妬の巣窟だったよ。学問は出来るかもしれないが、心が捻じ曲がってしまう気がする。僕はブルームハルトにも帝都にも戻らない」

 クリストフはヨハンが止めるのも聞かず、俺の前に膝を着いた。

 その所作は、やはり優雅なものであった。

「アルテンブルグ辺境伯家陣代サイトー・シンクロー殿、何卒なにとぞお仕えする事をお許しください……」

「お主、分かっておるのか? 俺に仕えれば父親と敵対する事になるぞ?」

「……僕は領民を苦しめる領主にはなりたくありません」

「左様か。覚悟の上か」

「はい」

 淀みなく返事をするクリストフ。

 さて、これはとんでもない曲者が手元に転がり込んできたかもしれんな。

 こ奴の真意、ただしておかねばなるまい。
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