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第2章 辺境伯領平定戦
第68話 異界の商人
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「しかし、こんなに早くお越しになるとは思いませんでした」
クリスの父、マルティンは不敵な笑みを浮かべたままだ。
店に着くまでに見せていた、やたらと腰の低い態度は何処に行ってしまったのか。
まるで別人のようだのう……。
ミナを見遣ると、小さく首を振った。
こんな姿は見たことがないらしい。
クリスにも尋ねてみたいところだが、あ奴は母親と一緒に仲良く伸びておるしな。
仕方がない。
考えながら相手をするか――――。
「俺達が今日来ることは意外であったか? 何故だ?」
「昨日、貴族や家臣の皆様を集めた会議を開かれたばかりでしょう? 本日は何かとお忙しいかと思いまして……」
「ほう……。よう知っておるのう。外へ向けて触れ回ったつもりはないのだが」
「アルテンブルク辺境伯領を代表する御歴々が大挙としてネッカーに集まったのです。気が付かない方が無理と言うものです」
「左様か。ところでお主、先程は首を長くして待っていた、と申したな。俺がビーナウへ来ることも存じておったのか?」
「存じてはおりません。ただ、予想はしておりました。サイトー様のご領地――ミノ領は色々とご入用のご様子でしたので……」
「わざわざ三野と言い直しおって。食えぬ奴よ」
「恐れ入ります」
「謙遜など不要。分かっておるならば話は早い。早速商いの話を始めようではないか」
左様に申すと、マルティンは眉を動かし訝し気な顔をした。
「あの……よろしいのですか?」
「何がだ?」
「ご領地の話をどこで聞き付けたのかと、お尋ねにならなかったものですから。貴族や役人の方々は、ご自分がお話しにならない内にこちらが内情を口にすると、眉を顰める方々も多くいらっしゃいますので……」
「俺は気にせん。どころか、流石は商人とさえ思ったぞ。そもそも耳聡くなければ商いでは勝ち抜けまい。ビーナウにて大店を開くだけの事はある。衰え行く港を生き永らえさせる手並みは見事であるな」
「……御見逸れいたしました。そのようにお考えとは」
「それにだ。何処から話が漏れたか、大凡の見当はついておる」
「は?」
「冒険者の娘達だ。年老いた父母や幼い弟妹のいる者達には、ネッカーでの戦の後、数日の暇をやった。中にはビーナウや周辺の村々が出身の者もいたはず。その者達から聞き出したのであろう?」
「まさか……情報が漏れる事を予見しておられたので?」
「人の口に戸は立てられん」
「彼女達をどうなさいます? 罰しますか?」
「馬鹿を申すな。人の口に戸は立てられんと申したであろうが」
「お許しになると?」
「許すも何もない。あの者達は罰されるべきことをしておらん。そもそも俺は口止めも何もしなかった。非があるとすれば俺自身よ」
「……そうですか。聞きしに勝るお方のようですね……」
マルティンは不敵な笑みを消し、姿勢を正して座り直した。
「彼女達の名誉の為に申し上げます。彼女達は家族や友人から求められるままに新たな主人について話しただけなのです。決して他意はございません」
「左様か。まあ、あの者達に他意などなかろう。不義理を働くとは思えん者達だからな」
「雇ってから日の無い冒険者をお信じに? 裏切られるとはお思いにならないので?」
「俺の見る目がないだけだ」
「ますます以って御見逸れ致しました。あなた様とは良い商いが出来そうです」
「よろしく頼む――――」
「失礼致します」
静かな声が話を遮る。
店の外で見張りに立たせていた源五郎だ。
「如何した?」
「店の前に大変な人だかりが出来ております」
「何だと?」
マルティンに目を向けると、心当たりがある様子で「もしや……」と口にした。
「すみません。その集まった方々は妻と娘の事を仰ってはいませんでしたか?」
「はい。皆、クリス殿とその御母君が負かされたのは本当かと申しております」
「やはりそうですか……」
「どういうことだ? 話が見えんぞ?」
「妻と娘がケンカを始めますと……その……」
「とうに騒ぎになっておるのだ。はっきり申せ」
「はい……。妻と娘がケンカを始めますと、大概の場合は町の街区が一つばかり消滅する事態になりますので……」
「消滅だと? 穏やかではないのう」
「恥ずかしながら仰る通りで……。本気のケンカを始めた妻と娘を止められる者はおりません。特に妻は……。取り押さえようとしましても、屈強な船乗りさえも敵わぬ剛力を発揮して投げ飛ばされてしまいますから。かく言う私も、一度も妻に勝てたことは無く……」
「……ほう」
「我々に出来る事はただ一つ。ケンカを始めた二人を町の外か、空き家の並ぶ街区へ誘導する事のみ……。それだけでも命懸けでございます。魔物と相対する方がマシと思えるほどでして……」
「ほうほう」
「その妻と娘を皆様方はいとも容易く取り押さえ、あまつさえ気絶させてしまったのです。騒ぎが大きくなる前に急いでその場を離れましたが、これほどまでに早く噂が広まるとは思いもしませんでした……」
「ほうほうほう」
マルティンの言い分を聞き終えてミナを見遣ると、実にバツの悪そうな顔をしている。
「ミナよ。聞きしに勝る危ない連中ではないか。前もって教えてくれねば困る」
「だ、だからそれはすまなかった! いや、シンクローに危ないと言われても釈然としないが……」
「まあ良い。ところで源五郎。集まった者達はクリス達の敗北を尋ねに来ただけか? それとも他に用があるのか?」
「只今店の者が応対しております。間もなく分かるかと――――」
「だ、旦那様!」
店の者が血相を変えて駆け込んで来た。
俺達に向かって慌てて一礼すると、早口で話し始める。
「ケーラー商会とモール商会の御当主様がお越しになりました! 町を壊滅の危機から救った英雄に是非ともお礼がしたいと仰せです!」
「何だって!?」
名前の出た二つの商会は、ビーナウに港が開かれた時から店を開く老舗らしい。
マルティンのシュライヤー商会を含め、ビーナウ三大商会と呼ばれる大店なのだと言う。
左様な大商人が礼を言いたいと向こうから参上するとは都合が良い。
都合は良いが、英雄などと申すとはな。
それほどまでに、クリス達の喧嘩が凄まじかったのであろうが……。
とりあえず両商会の主を通すようマルティンに頼んだ。
相手が恩義を感じているなら今こそ好機。
主だった商人を集める手間も省ける。
間もなくやって来たケーラー商会とモール商会の当主は、涙を流し、首が抜け落ちんばかりに何度も頭を下げた。
「何度お礼を申し上げても足りません! ねえ? モールさん!?」
「全くですねケーラーさん! 二年振りにあの災厄が襲来したかと一同怯えておりました!」
「シュライヤーさんもご無事でなによりです! 何せクリスティーネさんも二年を経て成長しているでしょうから!」
「次こそは命を落とすのではないかと心配していましたよ!」
「ありがとうございます……」
妻子を『災厄』とまで評されたマルティンだったが、相手方から真剣に命の心配をされて恐縮するしかない。
「それはそうと、辺境伯家の陣代となられたサイトー様が町を救った英雄とは思いもしませんでしたね。ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん。先の戦では見事な指揮ぶりだったと聞きましたが、個人の武勇も相当でいらっしゃる!」
「褒め過ぎだ。俺が取り押さえたのはクリスのみ。母親は我が家臣が押さえたのだ」
「御謙遜を! 片方を押さえただけでも我らには驚きなのです! 実に頼もしいお方が辺境伯家の陣代となられたものだ! ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん! あのゲルトなんぞとは――――おっと……」
モールがおどけた様子で口元を手で覆う。
マルティンやケーラーには、それを責める様子はない。
「ふむ? お主ら、ゲルトに良い感情を抱いておらぬようだな?」
「……あのお方に良い感情を持てと言う方が無理な話なのです」
マルティンが申すと、モールとケーラーも「うんうん」と頷く。
「ゲルト様にしても、あのお方に連なる方々にしても、商いの事を全く分かっておられない。商人は税を搾り取る対象としか思っておられぬでしょう」
「商人だけではありませんよ。下々の者は全てです。ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん。あの方々がおられる限り、商売あがったりですな!」
モールとケーラーは冗談半分に好き勝手な愚痴を述べ立てているように見えるが、目の奥は笑っていない。
どうやら値踏みされておるようだ。
戦と武勇は分かったが、政の方はどうなのか、とな?
「まあまま、お二人共。サイトー様は中々のお方だと思いますよ?」
助け舟を出したのはマルティンだ。
冒険者の娘達から集めた話や、先程の俺とのやり取りを披露すると、モールとケーラーは「ほほう……」と興味ありげに目を細めた。
良し。今この時を逃してはならんな。
「左馬助」
「はっ」
「書状をこれに」
「ははっ」
ヨハン達に用意させた書状を卓の上に置く。
商人達は身を乗り出した。
クリスの父、マルティンは不敵な笑みを浮かべたままだ。
店に着くまでに見せていた、やたらと腰の低い態度は何処に行ってしまったのか。
まるで別人のようだのう……。
ミナを見遣ると、小さく首を振った。
こんな姿は見たことがないらしい。
クリスにも尋ねてみたいところだが、あ奴は母親と一緒に仲良く伸びておるしな。
仕方がない。
考えながら相手をするか――――。
「俺達が今日来ることは意外であったか? 何故だ?」
「昨日、貴族や家臣の皆様を集めた会議を開かれたばかりでしょう? 本日は何かとお忙しいかと思いまして……」
「ほう……。よう知っておるのう。外へ向けて触れ回ったつもりはないのだが」
「アルテンブルク辺境伯領を代表する御歴々が大挙としてネッカーに集まったのです。気が付かない方が無理と言うものです」
「左様か。ところでお主、先程は首を長くして待っていた、と申したな。俺がビーナウへ来ることも存じておったのか?」
「存じてはおりません。ただ、予想はしておりました。サイトー様のご領地――ミノ領は色々とご入用のご様子でしたので……」
「わざわざ三野と言い直しおって。食えぬ奴よ」
「恐れ入ります」
「謙遜など不要。分かっておるならば話は早い。早速商いの話を始めようではないか」
左様に申すと、マルティンは眉を動かし訝し気な顔をした。
「あの……よろしいのですか?」
「何がだ?」
「ご領地の話をどこで聞き付けたのかと、お尋ねにならなかったものですから。貴族や役人の方々は、ご自分がお話しにならない内にこちらが内情を口にすると、眉を顰める方々も多くいらっしゃいますので……」
「俺は気にせん。どころか、流石は商人とさえ思ったぞ。そもそも耳聡くなければ商いでは勝ち抜けまい。ビーナウにて大店を開くだけの事はある。衰え行く港を生き永らえさせる手並みは見事であるな」
「……御見逸れいたしました。そのようにお考えとは」
「それにだ。何処から話が漏れたか、大凡の見当はついておる」
「は?」
「冒険者の娘達だ。年老いた父母や幼い弟妹のいる者達には、ネッカーでの戦の後、数日の暇をやった。中にはビーナウや周辺の村々が出身の者もいたはず。その者達から聞き出したのであろう?」
「まさか……情報が漏れる事を予見しておられたので?」
「人の口に戸は立てられん」
「彼女達をどうなさいます? 罰しますか?」
「馬鹿を申すな。人の口に戸は立てられんと申したであろうが」
「お許しになると?」
「許すも何もない。あの者達は罰されるべきことをしておらん。そもそも俺は口止めも何もしなかった。非があるとすれば俺自身よ」
「……そうですか。聞きしに勝るお方のようですね……」
マルティンは不敵な笑みを消し、姿勢を正して座り直した。
「彼女達の名誉の為に申し上げます。彼女達は家族や友人から求められるままに新たな主人について話しただけなのです。決して他意はございません」
「左様か。まあ、あの者達に他意などなかろう。不義理を働くとは思えん者達だからな」
「雇ってから日の無い冒険者をお信じに? 裏切られるとはお思いにならないので?」
「俺の見る目がないだけだ」
「ますます以って御見逸れ致しました。あなた様とは良い商いが出来そうです」
「よろしく頼む――――」
「失礼致します」
静かな声が話を遮る。
店の外で見張りに立たせていた源五郎だ。
「如何した?」
「店の前に大変な人だかりが出来ております」
「何だと?」
マルティンに目を向けると、心当たりがある様子で「もしや……」と口にした。
「すみません。その集まった方々は妻と娘の事を仰ってはいませんでしたか?」
「はい。皆、クリス殿とその御母君が負かされたのは本当かと申しております」
「やはりそうですか……」
「どういうことだ? 話が見えんぞ?」
「妻と娘がケンカを始めますと……その……」
「とうに騒ぎになっておるのだ。はっきり申せ」
「はい……。妻と娘がケンカを始めますと、大概の場合は町の街区が一つばかり消滅する事態になりますので……」
「消滅だと? 穏やかではないのう」
「恥ずかしながら仰る通りで……。本気のケンカを始めた妻と娘を止められる者はおりません。特に妻は……。取り押さえようとしましても、屈強な船乗りさえも敵わぬ剛力を発揮して投げ飛ばされてしまいますから。かく言う私も、一度も妻に勝てたことは無く……」
「……ほう」
「我々に出来る事はただ一つ。ケンカを始めた二人を町の外か、空き家の並ぶ街区へ誘導する事のみ……。それだけでも命懸けでございます。魔物と相対する方がマシと思えるほどでして……」
「ほうほう」
「その妻と娘を皆様方はいとも容易く取り押さえ、あまつさえ気絶させてしまったのです。騒ぎが大きくなる前に急いでその場を離れましたが、これほどまでに早く噂が広まるとは思いもしませんでした……」
「ほうほうほう」
マルティンの言い分を聞き終えてミナを見遣ると、実にバツの悪そうな顔をしている。
「ミナよ。聞きしに勝る危ない連中ではないか。前もって教えてくれねば困る」
「だ、だからそれはすまなかった! いや、シンクローに危ないと言われても釈然としないが……」
「まあ良い。ところで源五郎。集まった者達はクリス達の敗北を尋ねに来ただけか? それとも他に用があるのか?」
「只今店の者が応対しております。間もなく分かるかと――――」
「だ、旦那様!」
店の者が血相を変えて駆け込んで来た。
俺達に向かって慌てて一礼すると、早口で話し始める。
「ケーラー商会とモール商会の御当主様がお越しになりました! 町を壊滅の危機から救った英雄に是非ともお礼がしたいと仰せです!」
「何だって!?」
名前の出た二つの商会は、ビーナウに港が開かれた時から店を開く老舗らしい。
マルティンのシュライヤー商会を含め、ビーナウ三大商会と呼ばれる大店なのだと言う。
左様な大商人が礼を言いたいと向こうから参上するとは都合が良い。
都合は良いが、英雄などと申すとはな。
それほどまでに、クリス達の喧嘩が凄まじかったのであろうが……。
とりあえず両商会の主を通すようマルティンに頼んだ。
相手が恩義を感じているなら今こそ好機。
主だった商人を集める手間も省ける。
間もなくやって来たケーラー商会とモール商会の当主は、涙を流し、首が抜け落ちんばかりに何度も頭を下げた。
「何度お礼を申し上げても足りません! ねえ? モールさん!?」
「全くですねケーラーさん! 二年振りにあの災厄が襲来したかと一同怯えておりました!」
「シュライヤーさんもご無事でなによりです! 何せクリスティーネさんも二年を経て成長しているでしょうから!」
「次こそは命を落とすのではないかと心配していましたよ!」
「ありがとうございます……」
妻子を『災厄』とまで評されたマルティンだったが、相手方から真剣に命の心配をされて恐縮するしかない。
「それはそうと、辺境伯家の陣代となられたサイトー様が町を救った英雄とは思いもしませんでしたね。ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん。先の戦では見事な指揮ぶりだったと聞きましたが、個人の武勇も相当でいらっしゃる!」
「褒め過ぎだ。俺が取り押さえたのはクリスのみ。母親は我が家臣が押さえたのだ」
「御謙遜を! 片方を押さえただけでも我らには驚きなのです! 実に頼もしいお方が辺境伯家の陣代となられたものだ! ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん! あのゲルトなんぞとは――――おっと……」
モールがおどけた様子で口元を手で覆う。
マルティンやケーラーには、それを責める様子はない。
「ふむ? お主ら、ゲルトに良い感情を抱いておらぬようだな?」
「……あのお方に良い感情を持てと言う方が無理な話なのです」
マルティンが申すと、モールとケーラーも「うんうん」と頷く。
「ゲルト様にしても、あのお方に連なる方々にしても、商いの事を全く分かっておられない。商人は税を搾り取る対象としか思っておられぬでしょう」
「商人だけではありませんよ。下々の者は全てです。ねえ? モールさん?」
「全くですねケーラーさん。あの方々がおられる限り、商売あがったりですな!」
モールとケーラーは冗談半分に好き勝手な愚痴を述べ立てているように見えるが、目の奥は笑っていない。
どうやら値踏みされておるようだ。
戦と武勇は分かったが、政の方はどうなのか、とな?
「まあまま、お二人共。サイトー様は中々のお方だと思いますよ?」
助け舟を出したのはマルティンだ。
冒険者の娘達から集めた話や、先程の俺とのやり取りを披露すると、モールとケーラーは「ほほう……」と興味ありげに目を細めた。
良し。今この時を逃してはならんな。
「左馬助」
「はっ」
「書状をこれに」
「ははっ」
ヨハン達に用意させた書状を卓の上に置く。
商人達は身を乗り出した。
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