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第2章 辺境伯領平定戦

第58話 慮外者

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「おや? これはこれは! ヴィルヘルミナ様ではありませんか!?」

 横柄そうな男は大仰な手振り身振りでミナに礼を取る。

 男の連衆つれしゅう共もこれに続くが、慇懃無礼いんぎんぶれいとはこの事なよ。

 ミナを侮っておる事が丸見えだ。

 斯様に無礼極まる有様であったが、ミナは平然と返答した。

「貴殿とは随分前にお会いしたな。確か……アロイス・フォン・ブルームハルト騎士爵。ブルームハルト子爵の御親類では?」

「御親類などとんでもない! 私なぞ栄えあるブルームハルト家の末席を汚す者に過ぎず――――」

 アロイスとやらはそれを切っ掛けに、ヨハンを放っておいて長広舌ちょうこうぜつを打ち始めた。

 自家の発祥から説き起こし、己が上げた勲功に至るまで、やたらめったら言葉を飾り立て、聞く者を辟易とさせること甚だしい。

 しかも、何かにつけて他人を貶めた上で自家や己を引き立てようとする。

 アロイスめに貶められた者が何処の何者かは知らぬが、聞かされて心地良きものではない。

 むしろ、貶められた者に対する同情の念すら湧いて来た。

 それはそうとして、いい加減に俺を無視するのはやめてもらえんかのう?

 目の前に立っておるというのに、アロイスめは俺を眼中にも入れようとせぬ。

 顔を合わせておきながら挨拶の一つも寄越そうとせんとは…………武士に対する明らかな恥辱ぞ?

 それなりに辛抱強く、忍耐の効いた俺であっても――――何? お前のどこが辛抱強いのか、だと? どの口が忍耐なぞと口にするか、だと? 得心がいかぬ言い分だと? 

 何を申すか! 斯様な時は「うんうん」と黙って頷き受け流すのがしきたりぞ!

 ……オホン。それはともかく。

 忍耐強い俺でさえ辛抱が効かなくなりそうだ。

 では、後ろの者共は如何であろうか?

 …………ふむ。殺気が殺意に変わったな。

 ヨハンに対する所業への腹立ちはどうにか内々に抑えていたようだが、俺に対して恥辱を与えたとあってはもう許せん! と言う事か。

 もはや殺意を隠すことなく発散しておるわ。

 このままだと刀を抜くな。

 ミナも只ならぬ気配に気付き、アロイスの口上など耳に入らぬ様子。

 顔面蒼白で俺を見た。

 良かったな、ミナ! お主が活躍する好機ぞ! 見事この場を納めてみせよ! ――――との思いを込めて小さく頷いた。

 とてつもなく嫌そうな顔のミナであったが、流血の惨事を嫌ったのかアロイスの口上に口を挟んだ。

「ブ、ブルームハルト騎士爵!」

「であるからして――――何でしょう?」

 口上を中断されたのが気に食わなかったらしく、アロイスは辺境伯家惣領娘たるミナに向かって憮然とした顔付きと口調で反応した。

「紹介したい者がいるのだ!」

「はあ? ああ……そこの……」

 何処いずこ下賤げせんかと言わんばかりに俺を睨みつけるアロイス。

 他の者もアロイスに倣う。

 背後の殺意は一段と高まった。

 このあからさまな殺意に気付かぬとは……こ奴らの頭はどうなっているのか?

 ミナもそうだが、ヨハンなど、お主らに取り囲まれていた時より苦しい顔をして、脂汗を滝の如く流しておると言うのに……。

 背後の気配を察したミナは早口で捲し立てた。

「こ、こちらはサイトー・シンクロー殿! 先のゲルト討伐にて大功があり我が父アルバンがアルテンブルク辺境伯家陣代の役目を任せた者だ!」

「お初にお目にかかる。斎藤さいとう新九郎しんくろう利興としおきと申す。以後よしな――――」

「ああそうですか。よろしくサイトー殿。ところでヴィルヘルミナ様――――」

「お待ち下され、ブルームハルト騎士爵」

 ぞんざいな挨拶もそこそこに、さっさとミナとの話を再開しようとするアロイスであったが、ミナとの間に身体を割り込ませて話を止める。

 当然ながら、アロイスめは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 アロイスの連衆共も「黙っていろ」とでも言わんばかりの目で俺を睨みつけた。

「……何か? 私はヴィルヘルミナ様とお話があるのだが?」

「時間は取らせぬ。たった一つ、お尋ねしたき儀がござってな」

 左様に申すと、腕を組み不遜な態度で「どうぞ」と先を促した。

しからば申し上げる。貴公ら、我が朋輩ほうばいに如何なる仕打ちをなされたのか?」

「朋輩ぃ? 知らんな。何の事だ?」

「とぼけてもらっては困る。其処そこなヨハン・ブルームハルトの事だ」

 俺の言葉にアロイス達は怪訝な顔になり、ミナやヨハンまでも戸惑った様子を見せる。

「おや? 何かおかしな事を申したかな?」

「いいや。ヨハンなどを朋輩と口にするとは……。くくく……。やはり流民の類か」

 アロイスも連衆も嫌らしい笑い方で、口々に侮蔑の言葉を吐いた。

「ブルームハルトの家名を名乗ってこそいるが、ヨハンは領地を持たず、家臣もいない。分家の分家、そのまた分家の分家の出身だ。貴族の称号たるフォンを名乗る事すら許されていない。それを朋輩とは……傑作だ!」

「全くもってアロイス殿の仰る通り! これだから下賤の連中は……」

「仲間意識だけは強くて始末に負えん。冒険者共と何ら変わらんな!」

「栄えある辺境伯家の陣代が、ヨハンのような身分低き者を朋輩とは恐れ入った!」

「身分と立場のある我々がヨハンを教え導いてやっていたに過ぎぬと言うのに、それを仕打ちとはな!」

「人臣の序列を理解せぬ者が陣代とは笑える!」

「これでは先が思い遣られるな!」

「「「ははははははははは!!!!」」」

「ふむ……。これは異な事を申される。お主らは左様に思わんか?」

 大笑いする連中を尻目に背後に問うと、「「「然り」」」と左馬助、藤佐、弾正の三人が声を重ねて返答した。

 丹波の奴は「ほっほっほ」と笑っておるが、いつもより声が低い。

 アロイス達が「何だと!?」と息巻く。

「成程。よく分かった。お主らと我ら、身内に対する情の違いがよう分かった。異界の武家は無礼と薄情の巣窟だとな」

「何をほざくか! 我々は身分に応じて――――」

「この慮外者りょがいものめっ!」

「ひっ……!」

 大喝一声だいかついっせいするや、アロイス共は肩をすぼめて動きを止めた。

「俺は辺境伯家の陣代、ヨハンは一介の騎士、確かに上下の別はある。だがしかし、それは役目をいただく以上は詮無き事。共に辺境伯へお仕えする直臣であることに変わりはない。朋輩として心を寄せるが道理ぞ!」

「う、うるさい! これがシュヴァーベン帝国の常識なのだ! 貴様ら流民の常識など知ったことではない!」

「ほう……。ならば流民の道理を教えてやろう。面白き話がござってな――――」

 時は今から五年前――天文二十年四月の事。

 唐入りの為に肥前国ひぜんのくに名護屋なごやへと向かう諸大名の間である事件が起こった。

 信濃国しなののくに伊奈いなを領する毛利もうり侍従じじゅう秀頼ひでより殿が、道中の宿借りの順を巡って常陸国ひたちのくに佐竹さたけ右京大夫うきょうのだいぶ義宣よしのぶ殿の御家来衆と口論となり、槍や棒の類で突き倒され、手傷を負った。

 この仕打ちに毛利殿は報復を決意。

 真田さなだ安房守あわのかみ昌幸まさゆき殿、石川いしかわ出雲守いずものかみ吉輝よしてる殿、仙石せんごく越前守えちぜんのかみ秀久ひでひさ殿を始めとする信州勢は報復に同心し、佐竹殿を待ち伏せし、攻め立てる算段を立てた。

 この一件、佐竹殿の軍勢の多さに信州勢は勝ち目無きを悟って引いたものの、名護屋着陣後、毛利殿の縁者が不満を訴え再燃。

 あわや大名間の戦に発展するところ、今度は佐竹殿の危急を知った上杉うえすぎ弾正少弼だんじょうしょうひつ景勝かげかつ殿、会津あいづ宰相さいしょう――蒲生がもう氏郷うじさと殿、伊達だて左京大夫さきょうのだいぶ政宗まさむね殿ら東国勢が佐竹殿にお味方した。

 信州勢は合わせても三、四十万石。

 一方、東国勢は合わせて三百万石にはなろうか。

 とても勝負にはならなず、これまた信州勢に勝ち目無しとしてようやく終息した。

 さらに翌月五月には、徳川家と前田家の間で水場を巡って争いが勃発。

 家臣同士の口論に加勢する者が相次ぎ、数十人だった人数が、ついには二、三千人にもなり、鉄砲まで持ち出して一戦に及ばんとする気配。

 かの本多ほんだ平八郎へいはちろう忠勝ただかつ殿が間に入ろうとするも誰も言う事を聞かない。

 最後は伊達家が仲裁に入り、双方を取りなし宥めて事なきを得た。

 侍たる者、斯程かほどに面目を重んじ、一度ひとたびこれが毀損されたと思えば一命を投げ打っても報復に及ぶ。

 縁者朋輩が左様な目に遭ったならば、侍の面目に掛けて報復に同心する。

 これに同心せざれば、縁者朋輩を蔑ろにすると同じ。

 名誉は地に落ち、面目は失うであろう。

 侍として立つ瀬はなくなるのだ。

 これが鎌倉の昔より――――いや、平将門の昔より変わらぬ道理である。

 まったく、斯様かような有り様では喧嘩両成敗けんかりょうせいばい法度はっとも形無しよな。

「お分かりかな? ブルームハルト騎士爵? たとえ恥辱を受けた者が名も無き下臣かしんであろうと、我らは放っておかぬ。それが朋輩ならばなおのこと。我らは一身一命を賭し、領地をも失う覚悟」

「うっ……」

 左馬助、藤佐、弾正が刀の柄に手を掛け、大きく一歩踏み出した。

「我が朋輩に対する手出し口出しは一切御無用に願おう!」

 アロイスは腰を抜かし、連衆に抱えられ、逃げるようにその場から立ち去った。
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