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第2章 辺境伯領平定戦
第49話 徳政
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「ま、待ってくれ。シンクロー」
ミナが気遣うように口を開いた。
「シンクローとサイトー家の勲功に異議を差し挟める者などいない。遠慮なくもらって欲しい。その……シンクローが――サイトー家も困っているようだし……」
「弾正が首実検の折に申したこと、気に留めてくれていたか?」
「せ、世話になったからな! 気に掛けるのは当然だろう?」
「そうか。お主は辺境伯に口添えしてくれたのだな? 礼を申す」
「あっ! いや……その……」
話すつもりはなかったのだろう。
言い当てられたミナは上手く言葉が出ない。
嬉しい事をしてくれる。
だが――――、
「――――気持ちだけ受け取っておこう」
「シンクロー!」
「他に成すべきことがあるのだ。辺境伯、進言申し上げたき儀がござります」
辺境伯は戸惑いつつも頷いた。
「ゲルトめが如何にして蓄財に励んだのか、詳しくは分かりませぬ。ただし、斯様な蓄財をしたからには、民百姓を苦しめたことに疑いはござらん。ゲルトめの悪政に、民百姓の鬱憤は大いに溜まっておりましょう」
ゲルトの財物には、大量の銀貨や銅貨が含まれていた。
木箱や革袋に雑然と詰め込まれ、まるで何処から、手当たり次第に掻き集めて来たかのようだ。
誰かの財布と思しき布包みが、中身もそのままに放り込まれたものさえある。
民百姓から微に入り細を穿って毟り取った銭を、そのまま横領して溜め込んだのではないか?
俺は左様に疑っている。
事の仔細は、左馬助率いる忍衆と、弾正率いる倉方の者達が細大漏らさず調べ上げるであろうが、行儀の良い税の取り立てが行われたとは、到底考えられぬ。
民百姓は悪政に見舞われたに相違あるまい。
悪政の根源はもちろんゲルトであろう。が、しかし――――、
「――――悪政の責めはゲルト一人に帰するものではありませぬ。致し方無き事とは申せ、辺境伯ご自身にもゲルトの専横を許した責めがござります」
ミナが何かを言おうとしたが、辺境伯が止める。
「ゲルトの蓄財は周知の話。ゲルトが排されたとあらば、奴めが溜め込んだ財物の行方に、否が応でも衆目は集まりましょう。始末の如何によっては、ゲルトに向かっていた鬱憤が辺境伯へ向かいかねませぬ」
そして、ゲルトの財物を恩賞として受け取れば、斎藤家にも鬱憤が向きかねぬ。
俺が言わんとしていることを悟られたのか、辺境伯は厳しい顔付きになられた。
「では、如何にすべきとお考えですか?」
「辺境伯はゲルトの悪政を正し、天道に悖らぬ徳ある政を成すお方であると、民百姓に知らしめるのでござります。財物はその為にこそ、お遣いになられるべきと存じまする」
父上が「徳政じゃな……」と呟いた。
日ノ本では、天変地異や飢饉によって民百姓が甚だしい害が被った時は、年貢の減免、借銭や借米の棒引き――『徳政』が行われる。
時には大名の当主が一切の責めを負い、家督を譲って隠居する事すらある。
こうして鬱憤が溜まった民の心を慰撫するのだ。
ゲルトの悪政も、民百姓が害を被った点において天変地異や飢饉と変わるまい。
辺境伯は小さく頷き「続けて下さい」と申された。
「民百姓より奪い過ぎたのならば、民百姓に戻してやるのが道理にござります。ただし、誰から如何程奪ったか、正確に知る事は出来ませぬ。ならば、領民が等しく恩恵を受けるようにしてやればよろしいかと」
「なるほど。具体的な方策は?」
「ネッカーの町や領都で目に致しましたが、ご領内におかれては、町の門や主要な街道に関所が設けられ、人や馬、荷を対象に関銭を取り立てておられるようにござりますな?」
「『セキセン』? ああ、通行税のことですね。主要な税の一つです」
「関銭は関所を設けるだけで取り立てることが出来申す。諸役の内、最も手間を要さず、しかも人や荷の通りが絶えぬ限りは確実に手に入りまする。取り立てる側にとっては実に都合がよろしゅうござる。然り乍ら、関所を通る度に関銭を取り立てては、物の値は上がり、人や荷の行き来は滞り、民百姓を大いに苦しめまする」
「その通りです。故に財政に窮した領主は言うまでもなく、人材や経験……徴税能力の欠如した領主ほど、これに頼ろうとします。ゲルトのように蓄財に励もうとする者にとっても、大いに利用しがいのある税でしょうね……」
苦々しい顔の辺境伯。
調べは済んでおらぬが、ゲルトが関銭を厳しく取り立てていたことに疑いはない。
銭が唸る程に蓄財したのだ。
関銭以外も大いに取り立てておろうがな。
民百姓の鬱憤のいくらかは、関銭に根差すものに相違あるまい。
政が辺境伯の手へ戻るに当たり、斯様に都合良きものは他にない。
「辺境伯はゲルトと逆の行いをなさればよろしゅうござります。領内の関所は全て開け放ち、期日を定めて関銭を免除するのでござります。さすれば商いは盛んとなり、物の値は下がり、領民は上下悉く恩恵を被りましょう」
「そうしてゲルトの悪政を正すことを民に知らしめるのですね? 確かに効果がありそうです。分かりました。やりましょう」
強く頷く辺境伯。
さらに、「他には何かありますか?」と俺を促された。
「此度の戦では、ネッカーの町と周辺の村々が甚だしき迷惑を被りました。迷惑料代わりとして、今年の年貢を免除しては如何かと」
戦で村々が荒れ果てたにも関わらず税を取り立てたとあっては、民百姓の欠落や逃散を招きかねぬ。
村々は荒廃に任せるままとなろう。
領主自身の行いが、領主自身の懐を痛める結果を招くのだ。
だが、民百姓に心を致してやれば――――、
「――――さすれば民百姓は辺境伯に感謝申し上げ、元いた土地に戻って生業に就き、働く気力を漲らせ、やがてはこれまで以上の利を産むようになりましょう」
「……よく、分かりました」
辺境伯は何度も頷いた後、「サコン殿」と父上に視線を向けた。
「返す返すも、良き御子息をお持ちになりましたな」
「不甲斐ない親でも子は育つ者でござりますな」
「真に」
辺境伯は笑みを浮かべた後、俺に向き直った。
「良いご助言をいただきました。感謝致します」
「考えを申し上げたのみにて、大した事はしておりませぬ」
「そうですか。ならば、戦に続いてその『大した事』を引き受けてはもらえませんか?」
「は?」
辺境伯は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ミナが気遣うように口を開いた。
「シンクローとサイトー家の勲功に異議を差し挟める者などいない。遠慮なくもらって欲しい。その……シンクローが――サイトー家も困っているようだし……」
「弾正が首実検の折に申したこと、気に留めてくれていたか?」
「せ、世話になったからな! 気に掛けるのは当然だろう?」
「そうか。お主は辺境伯に口添えしてくれたのだな? 礼を申す」
「あっ! いや……その……」
話すつもりはなかったのだろう。
言い当てられたミナは上手く言葉が出ない。
嬉しい事をしてくれる。
だが――――、
「――――気持ちだけ受け取っておこう」
「シンクロー!」
「他に成すべきことがあるのだ。辺境伯、進言申し上げたき儀がござります」
辺境伯は戸惑いつつも頷いた。
「ゲルトめが如何にして蓄財に励んだのか、詳しくは分かりませぬ。ただし、斯様な蓄財をしたからには、民百姓を苦しめたことに疑いはござらん。ゲルトめの悪政に、民百姓の鬱憤は大いに溜まっておりましょう」
ゲルトの財物には、大量の銀貨や銅貨が含まれていた。
木箱や革袋に雑然と詰め込まれ、まるで何処から、手当たり次第に掻き集めて来たかのようだ。
誰かの財布と思しき布包みが、中身もそのままに放り込まれたものさえある。
民百姓から微に入り細を穿って毟り取った銭を、そのまま横領して溜め込んだのではないか?
俺は左様に疑っている。
事の仔細は、左馬助率いる忍衆と、弾正率いる倉方の者達が細大漏らさず調べ上げるであろうが、行儀の良い税の取り立てが行われたとは、到底考えられぬ。
民百姓は悪政に見舞われたに相違あるまい。
悪政の根源はもちろんゲルトであろう。が、しかし――――、
「――――悪政の責めはゲルト一人に帰するものではありませぬ。致し方無き事とは申せ、辺境伯ご自身にもゲルトの専横を許した責めがござります」
ミナが何かを言おうとしたが、辺境伯が止める。
「ゲルトの蓄財は周知の話。ゲルトが排されたとあらば、奴めが溜め込んだ財物の行方に、否が応でも衆目は集まりましょう。始末の如何によっては、ゲルトに向かっていた鬱憤が辺境伯へ向かいかねませぬ」
そして、ゲルトの財物を恩賞として受け取れば、斎藤家にも鬱憤が向きかねぬ。
俺が言わんとしていることを悟られたのか、辺境伯は厳しい顔付きになられた。
「では、如何にすべきとお考えですか?」
「辺境伯はゲルトの悪政を正し、天道に悖らぬ徳ある政を成すお方であると、民百姓に知らしめるのでござります。財物はその為にこそ、お遣いになられるべきと存じまする」
父上が「徳政じゃな……」と呟いた。
日ノ本では、天変地異や飢饉によって民百姓が甚だしい害が被った時は、年貢の減免、借銭や借米の棒引き――『徳政』が行われる。
時には大名の当主が一切の責めを負い、家督を譲って隠居する事すらある。
こうして鬱憤が溜まった民の心を慰撫するのだ。
ゲルトの悪政も、民百姓が害を被った点において天変地異や飢饉と変わるまい。
辺境伯は小さく頷き「続けて下さい」と申された。
「民百姓より奪い過ぎたのならば、民百姓に戻してやるのが道理にござります。ただし、誰から如何程奪ったか、正確に知る事は出来ませぬ。ならば、領民が等しく恩恵を受けるようにしてやればよろしいかと」
「なるほど。具体的な方策は?」
「ネッカーの町や領都で目に致しましたが、ご領内におかれては、町の門や主要な街道に関所が設けられ、人や馬、荷を対象に関銭を取り立てておられるようにござりますな?」
「『セキセン』? ああ、通行税のことですね。主要な税の一つです」
「関銭は関所を設けるだけで取り立てることが出来申す。諸役の内、最も手間を要さず、しかも人や荷の通りが絶えぬ限りは確実に手に入りまする。取り立てる側にとっては実に都合がよろしゅうござる。然り乍ら、関所を通る度に関銭を取り立てては、物の値は上がり、人や荷の行き来は滞り、民百姓を大いに苦しめまする」
「その通りです。故に財政に窮した領主は言うまでもなく、人材や経験……徴税能力の欠如した領主ほど、これに頼ろうとします。ゲルトのように蓄財に励もうとする者にとっても、大いに利用しがいのある税でしょうね……」
苦々しい顔の辺境伯。
調べは済んでおらぬが、ゲルトが関銭を厳しく取り立てていたことに疑いはない。
銭が唸る程に蓄財したのだ。
関銭以外も大いに取り立てておろうがな。
民百姓の鬱憤のいくらかは、関銭に根差すものに相違あるまい。
政が辺境伯の手へ戻るに当たり、斯様に都合良きものは他にない。
「辺境伯はゲルトと逆の行いをなさればよろしゅうござります。領内の関所は全て開け放ち、期日を定めて関銭を免除するのでござります。さすれば商いは盛んとなり、物の値は下がり、領民は上下悉く恩恵を被りましょう」
「そうしてゲルトの悪政を正すことを民に知らしめるのですね? 確かに効果がありそうです。分かりました。やりましょう」
強く頷く辺境伯。
さらに、「他には何かありますか?」と俺を促された。
「此度の戦では、ネッカーの町と周辺の村々が甚だしき迷惑を被りました。迷惑料代わりとして、今年の年貢を免除しては如何かと」
戦で村々が荒れ果てたにも関わらず税を取り立てたとあっては、民百姓の欠落や逃散を招きかねぬ。
村々は荒廃に任せるままとなろう。
領主自身の行いが、領主自身の懐を痛める結果を招くのだ。
だが、民百姓に心を致してやれば――――、
「――――さすれば民百姓は辺境伯に感謝申し上げ、元いた土地に戻って生業に就き、働く気力を漲らせ、やがてはこれまで以上の利を産むようになりましょう」
「……よく、分かりました」
辺境伯は何度も頷いた後、「サコン殿」と父上に視線を向けた。
「返す返すも、良き御子息をお持ちになりましたな」
「不甲斐ない親でも子は育つ者でござりますな」
「真に」
辺境伯は笑みを浮かべた後、俺に向き直った。
「良いご助言をいただきました。感謝致します」
「考えを申し上げたのみにて、大した事はしておりませぬ」
「そうですか。ならば、戦に続いてその『大した事』を引き受けてはもらえませんか?」
「は?」
辺境伯は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
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