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第1章 国盗り始め

第34話 不忠者共

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「申し訳ございません……」

 ベンノ殿が床に崩れ落ち、力なく呟く。

 辺境伯は吐血とけつしてお倒れになり、屋敷の女中が一人、姿を消した。

 辺境伯は毒を盛られ、下手人げしゅにんが逃亡したのだと、誰の目にも明らかだった。

 そして、くだんの女中を雇い入れたのは他ならぬベンノ殿なのだ。

「どのような罰でも受ける覚悟です……」

「馬鹿なことを言ってはなりません! 家臣筆頭のあなたがこの体たらくでどうします!?」

 奥方に叱咤され、ベンノ殿はようやく立ち上がった。

 一方、ミナは寝台に寝かされた辺境伯の手を握り続けていた。

 傍らでは、急を知らされ駆け付けたクリスが医者代わりに辺境伯の容態を診ている。

 魔法師や魔道具師は医術にも多少の知識を持つことが多いらしい。

 誰が信用できるか分からない今、クリスくらいしか辺境伯を診せられる者がいないのだ。

 とりあえず、胃の中のものを吐かせることには成功したのだが……。

 辺境伯の診察を終えたクリスは首を横に振った。

「……アタシに出来るのはここまでよ」

 いつもと違って語尾が間延びしない。

 事態の深刻さを感じさせる口調だった。

「ごめんなさい、ヴィルヘルミナ。症状に特徴が出る毒ならアタシでも分かったんだけど……」

「辺境伯はどれほど持つと思うか?」

 質問すると、室内の視線が一斉に俺を向いた。

 クリスがあからさまにムッとした表情を浮かべた。

「……答え辛い質問を堂々とするのね?」

「俺も尋ね辛かった。だが、訊かぬ訳にはいかん」

「シンクローは――――」

「いいんだ、クリス」

 言い募るクリスを止めたのはミナだった。

「私もお前の答えを聞きたい。話してくれ」

「でもヴィルヘルミナ……」

「私はアルデンブルク辺境伯アルバンの娘だ。厳しい話でも、聞かねばならない」

 辺境伯の手を握るミナの手は震えていた。

 だが、目には力がこもり、口は引き結び、どんな話でも聞いてやるのだと、強い決意を感じさせた。

 しばし目を合わる二人だったが、根負けしたのかクリスが溜息を一つし、俺に向き直った。

「……聞いてどうするの?」

「知れた事よ。辺境伯に成り代わり、俺がこの家を守る」

「そんな勝手な事を――――」

「勝手ではない。辺境伯と取り結んだ約定があるのでな」

「約定?」

 クリスがミナや奥方、ベンノに目をやるが、誰も心当たりがない。

 当然だ。

 昨夜、俺と辺境伯の二人だけで秘かに結んだものだからな。

 例の巻物を懐から取り出そうと――――。

「し、失礼いたします。ご来客が……」

 シュテファンが駆け込んで来た。

 馬丁頭が女中の真似事をせざるを得ないこの状況、辺境伯邸の混乱ぶりが伺える。

 時ならぬ来客の知らせに、奥方が眉をひそめた。

「こんな時にどなたです? 失礼ですがお帰りを――――」

「そんな訳には参りませんな!」

 荒々しい足音を立てて二人の男が部屋に入って来た。

 一人は五、六十代と見える不健康そうな顔色の太った男。

 陰険と陰湿が同居したような顔付きで、特に目元の嫌らしさが不快感を抱かせる。

 もう一人は十代後半と見える優男だ。

 こちらはこちらで軽薄さが滲み出たような薄笑いを浮かべている。

 恐らくこの二人は――――。

「ゲルト殿とカスパル殿!? どうしてここに!?」

 奥方が驚きも露わに二人の名を呼んだ。

 当たって欲しくはなかったが、やはりそうだった。

 こ奴らが辺境伯家混乱の元凶、ゲルトとカスパルの親子だ。

 問われた二人は奥方を見て下品に笑った。

「どうしても何もありません。辺境伯が倒れたと聞き及び、こうして取るものもとりあえずに駆け付けたのですぞ」

「父上の仰る通りですよゾフィー殿。我々の忠心に礼の一つもないのですか?」

「……あなた方は領都におられたはず。ネッカーの町から徒歩で片道四、五時間は掛かります。馬を飛ばしたにしても、お越しになるのが早過ぎるのでは?」

 奥方が警戒心を一杯に溜めた目で二人をにらみ付け、問い質した。

 夫が毒を盛られて倒れたにも関わらず、口から出る言葉は冷静だ。

 まったく女子おなごと言う者は……。

 母上と言い、八千代と言い、この奥方もクリスも、そしてミナも、男よりも余程肝が据わっておる。

 危地にあってもビクともしない奥方に圧されたのか、二人の男は面食らったように表情を歪めた。

「きょ、今日は辺境伯と大切な話があったのです」

「大切な話?」

「そうです! そのためにネッカーに向かっていたのです! そんな折り、辺境伯がお倒れになったと耳にし……。いや、偶然とは恐ろしい。こんな日に、こんな出来事が起こるとは……。家臣としても、叔父としても胸が痛みます……」

 偶然……か。

 ゲルトの言い分など、誰も信じてはおるまい。

 ミナが小声で「白々しい……」と舌打ちした。

 奥方は唾を吐きかけんばかりの形相ぎょうそうだ。

「見舞いの言葉は結構です。それで? 大切な話とは何ですか?」

「決まっておるではないですか。我が息子カスパルと、ヴィルヘルミナ様の婚儀についてでございます」

「……お断りしたはずです」

「ええ、ええ。確かに一度は断られました。ですが、他家からは婚儀に応ずる旨の返答はないのでしょう?」

「あなた方には関係ありません」

「とんでもない! 関係は大有りです! 世襲の許された貴族の家督は男子が継ぐしきたり! 辺境伯がこのままお亡くなりになれば、歴史あるアルデンブルク辺境伯家は断絶するかもしれぬ! 我ら家臣は路頭に迷ってしまうではありませんか!」

「それは……」

「ゾフィー様は家臣がどうなっても知らぬと仰せになるのですか!?」

「そんな事は申していません!」

「では、是非とも応じていただきたい。カスパル」

「はい、父上」

 息子の方が軽薄な笑みを浮かべたままでミナに近寄った。

「さあ、行こうじゃないかヴィルヘルミナ。領都で婚儀の準備だよ」

「……」

「まさか嫌とは言わないよね? 辺境伯は家臣を見捨てる暗愚あんぐな君主と言われてしまうよ? それでもいいのかい?」

 俺は人の評価を誤っていた。

 こ奴は軽薄な上に、陰険の塊のような男だ。

 ミナの心に突き刺さる言葉を的確に選んでいるのだ。

 だが、言われたミナの表情は揺るがない。

 辺境伯の病状を聞かねばならんと言い切った時と同じ、凛々しい顔つきのままだ。

「断る」

「……僕の聞き間違いかな? もう一度――――」

「断ると言ったんだ! 貴様のような男と結婚するくらいなら、如何なるそしりも甘んじて受ける!」

「お前……! 優しくすれば付け上がって――――痛たたたたたたた! わあっ!」

 カスパルがミナに伸ばしかけた腕を捻り上げ、床に突き倒してやった。

「シンクロー!?」

「よく言ったミナ。お主らの意思はよう分かったぞ」

 ミナの啖呵たんかで胸がすいた。

 さて、この不忠者共をやり込めるとしようか。
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