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第1章 国盗り始め
第5話 判官の太刀
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「私がアルテンブルグ辺境伯アルバン、こちらは妻のゾフィー――――ごほごほごほっ!」
「お父様!」
「旦那様!」
「お館様!」
ミナと奥方、それに居合わせた家臣達も辺境伯の寝台へ駆け寄る。
だが、辺境伯は片手を上げて制すると、呼吸を整えて俺に向き直る。
「失礼した。少し身体を壊していましてな……」
「いえ、お気になさらず」
少し、とは思えない程に顔色は悪い。
頬はこけ、身体全体の肉も削ぎ落ちてしまったように見える。
奥方が「旦那様、ご無理はいけません……」と心配そうに辺境伯へ寄り添った。
「日を改めた方がよろしいのでは?」
「それには及びません。異変の手掛かりを掴めるかもしれないのです」
辺境伯が居住まいを正した。
さて、俺達がいるのはアルテンブルグ辺境伯の屋敷――――辺境伯の寝室だ。
森から出た直後、遠目に霞んで見えていた町へと到着した俺達は兵士達に出迎えられ、そのまま屋敷へと案内されたのだ。
屋敷に到着した後は、まずミナが辺境伯へ報告に向かい、次いで、俺も寝室へと通された。
いかなる人物かと思ってみれば、領主とは思えぬほどに物腰は柔らかい。
寝台の上にいる非礼を詫び、年少である俺に丁寧な言葉遣いと態度で接している。
なんとも良く出来た御仁と言えよう。
だが、それだけではない。
優れぬ体調を押して話を続ける辺境伯からは、どこか凄みを感じるのだ。
頬のこけた容貌も相まって、一層強く、そう感じる。
是が非でも異変の原因を掴みたいと、執念めいた強い意思だ。
領主として、領内での出来事に責めを負う覚悟なのかもしれん。
…………嫌いにはなれぬお人だ。
辺境伯の意思を汲み、これまでの成り行きを一から話す。
「事の経緯がよく分かりました。我が娘が大変なご無礼を……」
辺境伯と奥方がそろって頭を下げる。
二人の姿を前に、ミナはバツが悪そうな顔をして、借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「ヴィルヘルミナは親思い、領民思いの娘に育ってくれました。貴族の令嬢が騎士などとは滅多に聞かぬ話ですが……不甲斐ない私の力になりたいと……。親の欲目を差し引いても良い娘なのです。しかし――――」
「この子はいつも頭で考えるより先に身体が動いてしまうんですから! 今日も家臣を一人も連れずに飛び出してしまって……。ヴィルヘルミナ! 私達がどれほど心配したと思っているのです!?」
「も、申し訳ありません……」
奥方の怒りを前にして、ミナはすっかり小さくなってしまった。
やれやれ……少し助け舟を出すか。話題を逸らすとしよう。
「ところで辺境伯。不甲斐ない、と申されましたが、俺はそのように思いません」
「サイトー殿?」
「我が父も病を得て、病床で政務を執っておりました」
「貴殿のお父上も?」
「はい。ですから、病の苦しみは分かっておるつもりです。病の身を押して政務を執る者の意思が如何に強いものであるかもです」
「……そのお言葉、ありがたくいただきましょう」
辺境伯が軽く頭を下げた。
「分かることは全てお話しいたしましたが、何かお心当たりはござりましたか?」
「うむ……貴殿の剣を拝見したのだが……」
老年の家臣が俺の刀を捧げ持ち、寝台に近付いた。
屋敷に入った時に預けておいたものだ。
「ミナよりホーガン様の伝説はお聞きでしょう?」
「はい」
「以前、宮廷の宝物殿でホーガン様が使われていた剣を目にした事があります。大きさは多少異なるようだが、この独特の反りと言い、柄や鞘の造りと言い、引き写してきたかのように、よく似ている……」
「お待ちくださいお父様。ホーガン様の剣を元に似たようなものを作らせたという可能性があるのではないでしょうか?」
納得がいかないのか、ミナが口を挟んだ。
「ヴィルヘルミナの疑問はもっともだ。だが、真偽を確かめる方法はある」
辺境伯は柄を握り、ゆっくりと刀を引き抜く。
刀身があらわになると、寝室のあちこちから息を飲む音が聞こえた。
「このように美しい刃を見たことがないだろう? 我らは作ることが出来ない代物だ……」
辺境伯は目を細めて刀身を見つめながら続ける。
「ホーガン様の剣を再現しようと、幾人もの鍛冶師が挑戦し、挫折したと聞きます。他国にも使者を放って製法を探らせたものの、わずかな手掛かりさえも見つけることは出来なかったとか。ホーガン様が、異世界の出身だと言われる理由の一つです」
抜いた時と同様に、ゆっくりと刀身を鞘に戻す。
今度は名残惜しそうなため息が寝室のあちこちから漏れた。
「サイトー殿、貴殿もまた、異世界より渡り来たお方なのかもしれませんね」
「辺境伯はお信じ下さるので?」
「剣だけで断定は出来ません。しかし、この剣がある以上、あなたの言い分を否定することもまた同じです」
「ならば伺いたい。俺は一刻も早く日ノ本へ帰らねばならぬのです。その方法にお心当たりはござらぬか?」
辺境伯は躊躇いがちに首を横に振った。
「申し訳ない。お力になれそうもない」
「ではホーガンは……」
「この世界でお亡くなりになったと伝わります」
「左様か……」
奥歯を強く噛む。
手掛かりが一つ、途絶えてしまった。
辺境伯が慰めるように声をかけた。
「気を落とされるのは早い。私の知識などタカが知れています。調べを続ければ何か分かるかもしれません。それに――――」
辺境伯は窓の外へ目をやった。
珍しいことに透明なガラスがはめ込まれた大きな窓で、外の景色がよく見える
よくは見えるが、窓に浮かぶ光景は、とても良いとは言い難く浮世離れしたものだ。
ミナと出会った森、その方角には天高くそびえる霧の塊が連なっている。
見渡す限り延々と続く霧の塊は、端がどこにあるかも分からない。
「――――地震にせよ、あの霧にせよ、当家の古文書や古老の言い伝えにも残らぬ大異変。その最中、異変が起こったその地にあなたは現れた。偶然とは思えません。この大異変の原因を突き止め、解決すれば、あるいは元の世界へ戻ることができるのかもしれません」
「何をどうすればよいのか、皆目見当も付きませぬが……」
「ご安心を。当家が後ろ盾となりましょう」
「よろしいので? 貴殿らにとって俺は何処の誰とも知れぬ者。何故にお助け下さるのか?」
「伝説によれば、異世界より渡り来た者は、世に安寧秩序をもたらすとされています。ホーガン様のように、あなたもまたそうであって欲しい」
「過分なお言葉と存ずるが?」
「我々は大異変に襲われているのです。しかも原因は不明。解決の糸口すら掴めておりません。藁をも掴む思いなのだと、お考え下さい」
辺境伯は青白い顔に微笑を浮かべて答える。
柔らかな微笑に誤魔化されそうだが、こちらの反論や逡巡を許してくれそうにない。
「はい」と言え。
そう促されているように思えてならない。
…………良く出来た御仁と思うたが、それだけでもなさそうだ。
俺を是が非でも手放さぬおつもりらしい。
青白い顔をして病床にあるくせに、よい性格、よい度胸をしている。
だが、領主たる者こうでなくてはいかん。
善人は好ましくあるものの、ただそれだけでは心許ない。頼みにはならん。
しばらく世話になるには申し分なき御仁であろう。
「では、しばしの間ご厄介になりましょう」
俺は軽く頭を下げた。
「お父様!」
「旦那様!」
「お館様!」
ミナと奥方、それに居合わせた家臣達も辺境伯の寝台へ駆け寄る。
だが、辺境伯は片手を上げて制すると、呼吸を整えて俺に向き直る。
「失礼した。少し身体を壊していましてな……」
「いえ、お気になさらず」
少し、とは思えない程に顔色は悪い。
頬はこけ、身体全体の肉も削ぎ落ちてしまったように見える。
奥方が「旦那様、ご無理はいけません……」と心配そうに辺境伯へ寄り添った。
「日を改めた方がよろしいのでは?」
「それには及びません。異変の手掛かりを掴めるかもしれないのです」
辺境伯が居住まいを正した。
さて、俺達がいるのはアルテンブルグ辺境伯の屋敷――――辺境伯の寝室だ。
森から出た直後、遠目に霞んで見えていた町へと到着した俺達は兵士達に出迎えられ、そのまま屋敷へと案内されたのだ。
屋敷に到着した後は、まずミナが辺境伯へ報告に向かい、次いで、俺も寝室へと通された。
いかなる人物かと思ってみれば、領主とは思えぬほどに物腰は柔らかい。
寝台の上にいる非礼を詫び、年少である俺に丁寧な言葉遣いと態度で接している。
なんとも良く出来た御仁と言えよう。
だが、それだけではない。
優れぬ体調を押して話を続ける辺境伯からは、どこか凄みを感じるのだ。
頬のこけた容貌も相まって、一層強く、そう感じる。
是が非でも異変の原因を掴みたいと、執念めいた強い意思だ。
領主として、領内での出来事に責めを負う覚悟なのかもしれん。
…………嫌いにはなれぬお人だ。
辺境伯の意思を汲み、これまでの成り行きを一から話す。
「事の経緯がよく分かりました。我が娘が大変なご無礼を……」
辺境伯と奥方がそろって頭を下げる。
二人の姿を前に、ミナはバツが悪そうな顔をして、借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「ヴィルヘルミナは親思い、領民思いの娘に育ってくれました。貴族の令嬢が騎士などとは滅多に聞かぬ話ですが……不甲斐ない私の力になりたいと……。親の欲目を差し引いても良い娘なのです。しかし――――」
「この子はいつも頭で考えるより先に身体が動いてしまうんですから! 今日も家臣を一人も連れずに飛び出してしまって……。ヴィルヘルミナ! 私達がどれほど心配したと思っているのです!?」
「も、申し訳ありません……」
奥方の怒りを前にして、ミナはすっかり小さくなってしまった。
やれやれ……少し助け舟を出すか。話題を逸らすとしよう。
「ところで辺境伯。不甲斐ない、と申されましたが、俺はそのように思いません」
「サイトー殿?」
「我が父も病を得て、病床で政務を執っておりました」
「貴殿のお父上も?」
「はい。ですから、病の苦しみは分かっておるつもりです。病の身を押して政務を執る者の意思が如何に強いものであるかもです」
「……そのお言葉、ありがたくいただきましょう」
辺境伯が軽く頭を下げた。
「分かることは全てお話しいたしましたが、何かお心当たりはござりましたか?」
「うむ……貴殿の剣を拝見したのだが……」
老年の家臣が俺の刀を捧げ持ち、寝台に近付いた。
屋敷に入った時に預けておいたものだ。
「ミナよりホーガン様の伝説はお聞きでしょう?」
「はい」
「以前、宮廷の宝物殿でホーガン様が使われていた剣を目にした事があります。大きさは多少異なるようだが、この独特の反りと言い、柄や鞘の造りと言い、引き写してきたかのように、よく似ている……」
「お待ちくださいお父様。ホーガン様の剣を元に似たようなものを作らせたという可能性があるのではないでしょうか?」
納得がいかないのか、ミナが口を挟んだ。
「ヴィルヘルミナの疑問はもっともだ。だが、真偽を確かめる方法はある」
辺境伯は柄を握り、ゆっくりと刀を引き抜く。
刀身があらわになると、寝室のあちこちから息を飲む音が聞こえた。
「このように美しい刃を見たことがないだろう? 我らは作ることが出来ない代物だ……」
辺境伯は目を細めて刀身を見つめながら続ける。
「ホーガン様の剣を再現しようと、幾人もの鍛冶師が挑戦し、挫折したと聞きます。他国にも使者を放って製法を探らせたものの、わずかな手掛かりさえも見つけることは出来なかったとか。ホーガン様が、異世界の出身だと言われる理由の一つです」
抜いた時と同様に、ゆっくりと刀身を鞘に戻す。
今度は名残惜しそうなため息が寝室のあちこちから漏れた。
「サイトー殿、貴殿もまた、異世界より渡り来たお方なのかもしれませんね」
「辺境伯はお信じ下さるので?」
「剣だけで断定は出来ません。しかし、この剣がある以上、あなたの言い分を否定することもまた同じです」
「ならば伺いたい。俺は一刻も早く日ノ本へ帰らねばならぬのです。その方法にお心当たりはござらぬか?」
辺境伯は躊躇いがちに首を横に振った。
「申し訳ない。お力になれそうもない」
「ではホーガンは……」
「この世界でお亡くなりになったと伝わります」
「左様か……」
奥歯を強く噛む。
手掛かりが一つ、途絶えてしまった。
辺境伯が慰めるように声をかけた。
「気を落とされるのは早い。私の知識などタカが知れています。調べを続ければ何か分かるかもしれません。それに――――」
辺境伯は窓の外へ目をやった。
珍しいことに透明なガラスがはめ込まれた大きな窓で、外の景色がよく見える
よくは見えるが、窓に浮かぶ光景は、とても良いとは言い難く浮世離れしたものだ。
ミナと出会った森、その方角には天高くそびえる霧の塊が連なっている。
見渡す限り延々と続く霧の塊は、端がどこにあるかも分からない。
「――――地震にせよ、あの霧にせよ、当家の古文書や古老の言い伝えにも残らぬ大異変。その最中、異変が起こったその地にあなたは現れた。偶然とは思えません。この大異変の原因を突き止め、解決すれば、あるいは元の世界へ戻ることができるのかもしれません」
「何をどうすればよいのか、皆目見当も付きませぬが……」
「ご安心を。当家が後ろ盾となりましょう」
「よろしいので? 貴殿らにとって俺は何処の誰とも知れぬ者。何故にお助け下さるのか?」
「伝説によれば、異世界より渡り来た者は、世に安寧秩序をもたらすとされています。ホーガン様のように、あなたもまたそうであって欲しい」
「過分なお言葉と存ずるが?」
「我々は大異変に襲われているのです。しかも原因は不明。解決の糸口すら掴めておりません。藁をも掴む思いなのだと、お考え下さい」
辺境伯は青白い顔に微笑を浮かべて答える。
柔らかな微笑に誤魔化されそうだが、こちらの反論や逡巡を許してくれそうにない。
「はい」と言え。
そう促されているように思えてならない。
…………良く出来た御仁と思うたが、それだけでもなさそうだ。
俺を是が非でも手放さぬおつもりらしい。
青白い顔をして病床にあるくせに、よい性格、よい度胸をしている。
だが、領主たる者こうでなくてはいかん。
善人は好ましくあるものの、ただそれだけでは心許ない。頼みにはならん。
しばらく世話になるには申し分なき御仁であろう。
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