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かたちだけの恋人
第48話1.この想いをあなたに
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あなたに伝えたい想いを……。
私はあなたにこの想いを伝えたい。でも、今はその時ではない事は、この僕が一番よく知っている。
絡みゆく人の想いそして自分のこの想い。
赤い糸で結ばれる想いは本当にあるのか?
怖い、その糸が切れることが。僕はそれを一番恐れている。だから、今は僕は本当の気持ちを、僕のこの想いを彼女には伝える事が出ない。
人はただ遠くでその想い人の事を黄昏、そして愛し、想う。
僕は臆病だ。その想いをただ大切にしたいだけだった。でも……。
でも、その僕の想いを彼女に今はどうしても伝えたい。いや、伝えなければいけない。
そして、彼女をあの氷の様に冷たい、閉ざした心に光を灯させたい。
これから彼女が向かおうとしている、その場所に行けるように……。
目覚めると、もう陽はその力を徐々に強めようとしている。でも今はまだ本当のその陽の力を見せつける時期ではない。優しくそして、柔らかいその陽が僕の躰を包み込む。
冬の房総半島の日差しは、眩しく輝く。
「おはよう結城」
ダイニングで朝食を作っている幸子さんのその姿を僕は、また母さんと双覚させる。
まるであの頃の、僕の日常がいつものと変わらない日々を送っていたあの日に戻ったかの様だ。
「よく眠れた?」
「ええ、ぐっすりと」
「それは良かった」幸子さんの顔がほころぶ。
「僕コーヒー淹れます」
「うん、お願い」
壁のない会話。本当の親子ではない古くからの知人でもない。でも僕らはまるでずっと共にお互いの時間を大切に培ってきた想いを感じさせる。
ゆっくりと、コーヒー豆にお湯を注ぐと、次第に甘い香りがこの部屋中を駆け巡る。
僕ら二人はその香りの中でお互いの気持の慈しみを感じる。
コーヒーの香りは僕にとって、もしかしたら僕だけではないかもしれない。その甘い香りは夢をも見させてくれる感覚を引き寄せる。
「母さん、今日の珈琲はちょっと濃いめだよ。母さん、なんか眠そうにしているからね」
「あら、そう響音だって夜遅くまで起きていたじゃない」
「まぁね、暗譜に時間がかかったんだよ。どうしても楽譜に届かないところがあってね」
「あんまり無理しちゃだめよ」
「分かってるよ。母さん」
一瞬僕の中にその光景が飛び込む。
響音さんがまだ元気だったころの幸子さんとの何気ない会話。本当の親子の会話。
「ねぇ、結城。今日のコーヒーはちょっと濃いめの様ね」
「わかりますか?」
「ええ、なんとなくね」
「そうですか」
僕はここで彼女の言葉を止めさせた。その先は、その先の言葉は僕に向ける言葉ではない事を覚ったからだ。
幻覚にとらわれるその感情に支配されることを恐れた。幸子さんが僕を響音さんと感じる事に。そして僕が幸子さんを母さんと思う事に。
一つの線を引かなければいけない事も僕はその時感じた。それはお互いに入り込むと、その想いに責任を取らなければいけないからだ。
僕も幸子さんも、それは知っている。そして正さんも。
そう、僕は北城響音ではなく笹崎結城であるから。
陽の光に輝くシルバーバリトン。昨日僕は初めてこのバリトンに触れる事が出来た。そのバリトンの音は僕に語り掛ける。
「誰の為にあなたはこの音を届けたいの?」と
誰の為に? 僕が届けたい音。このバリトンは僕に問いかけたのは、僕の、そう心の奥底で眠っている思っている事を掘り上げてくれたのかもしれない。
目の前にあるこのバリトンをまた僕は手にとる。
棚からマウスピースを取り出し、バリトンに付けそっと口にそのマウスピースをあてがう。
軽く息を吹き込む。ただ息を吹き込むだけ。ふうぅ―と管の中を息が吹き抜ける。
「ド」の音、「ド#」頭の中に楽譜がよみがえる。
あの低音パートの、低音記号の楽譜が目の奥に焼き付くように覚えた楽譜が浮かび上がる。
僕はこの曲がきっかけで中学の時、吹奏楽部を、大好きだったユーフォニアムと別れを告げた。
嫌いになったわけじゃない。大好きだった。別れたくはなかった。でも僕は別れた。そしてその想いを捨てた。
捨てなければいけなかった。
捨て去って残った物、それは憎しみや怒りではなかった。悲しみと自分への疑心感から生まれる恐れだった。
あの時から僕の心はこの恐怖に捕らわれていたのかもしれない。
だが、その恐怖から僕を一つの事に導いてくれた人との出会いがあったから今、僕はまだここに、この世界に存在出来ていられるのかもしれない。
蘇る楽譜を僕はこのバリトンで奏でる。
自然と指が、ブレスが……心が……。
ふと思った。この姿は、いま、僕が奏でる音色は、恵美の奏でる音色と同じなのかもしれないと。
自分の心を想いを楽器に託す。託すことによって心が……救われる。
戻りたいと言う想いが徐々に湧き上がる。そしてこの想いを届けたい。
僕の想う人へ。
僕のこの想いをこの音色に乗せて、届けたい。彼女のもとへ。
音は澄みきった冬の青い空にめがけ、飛んでいく。
飛んでいけ、そしてとどけ。この想い。
夕焼けの空が次第に暗がりへと変わっていく。
いつもの河川敷にその姿はあった。
陽がかげる。風がざわめき、冷たさを増す。
「寒くないのか?」
その声に振り向く彼女。
「ユーキ? どこ行っていたの夜も帰らないで」
「どこでもいいだろ。それよりほら風邪ひくぞ!」
来ていたダウンジャケットを恵美の肩からかける。
少し遠慮気味に、それでも僕の着ていたジャケットをその身にまとい
「暖かい。……なんだか、もの凄く懐かしい感じがする」
彼女の瞼から滲み出る様に涙が溢れてくる。
「どうした?」
「ううん……ただ」
「ただ……」
下を俯き、堪えている涙を軽くぬぐい。ゆっくりと顔を上げ、僕に彼女はこう言った。
「少しの間だけ、甘えさせて……ユーキ」
溜めていた。溜め過ぎていた涙が僕の胸を濡らす。恵美の涙が、僕のこの胸を濡らした。
泣くことさえ、想う事だけで、泣く事が出来なかった恵美の涙。
僕と同じだ。僕も泣くことを拒んでいたんだ。いや、恐れていた。でも、僕は泣くことが出来た。
恵美もようやく泣くことが出来たんだ。
耐える事が、いいや、違う。耐えてたんじゃない。出来なかったんだ。その想いを自分の外に出したくなかったんだ。
出せないくらい大切なこの想い。それでもその想いは自分の中に閉まっていては行けなかったんだ。外に出す怖さを僕は知っている。だからこの恵美の涙は尊いものだと思う。
今まで、今まで出せなかった想いが、彼女の中で少しずつ溶け出していく。
嗚咽が彼女を苦しめた。
涙と共に次第に張り裂けるような声を上げ、その苦しみから逃れようとしている。逃れたくとも逃れる事が出来ないこの想いから……。
ゆっくりとあたりは薄暗くなる。冬の夜空が空一面に広がり始めた。
「ひどい顔だな」
「……馬鹿」
「馬鹿って……」
「ユーキなんか大っ嫌い」
プンと頬を膨らませ、アルトサックスのケースを手に取り、もう一度大きな声で言いながら恵美は走るように帰って行った。
「ユーキなんか……大っ嫌い」と
「ああ、俺もそんな泣き虫な恵美なんか……大っ嫌いだ」
去り行く彼女に僕も叫ぶように返してやった。
でも、なんだか心が暖かい。
同じ悲しみと苦しみを僕らは背負っていた。
その苦しさは本人でなければ分からない。同情と言う言葉はかえって重荷になる。だから、僕は恵美には同情はしない。
彼女の心の痛みを知るものとして、そしてこれから変わろうとしている彼女のその姿に同情と言う言葉は存在しない。
「またふり出しかぁ」呟く様に言った。
いいんじゃないか。ふり出しに戻っても……。あの時僕は恵美に告白した。何ともハチャメチャな告白だけど。
「僕は君の事を知っている」
「あなたは私の何を知っているの?」
そう僕はあの時、何も君の事を知らなかった。
そして君も、僕の事を何も知らない。
運命の風に吹かれ、僕らは一つ屋根の下で暮らす事になった。
今はそれが事実として僕が君に言えるただ一つの事だ。
澄みきった冬の夜空に星が輝き始める。
何時の日か、この僕の想いを君にすべて捧げたい。
その日が来るまでに……。
私はあなたにこの想いを伝えたい。でも、今はその時ではない事は、この僕が一番よく知っている。
絡みゆく人の想いそして自分のこの想い。
赤い糸で結ばれる想いは本当にあるのか?
怖い、その糸が切れることが。僕はそれを一番恐れている。だから、今は僕は本当の気持ちを、僕のこの想いを彼女には伝える事が出ない。
人はただ遠くでその想い人の事を黄昏、そして愛し、想う。
僕は臆病だ。その想いをただ大切にしたいだけだった。でも……。
でも、その僕の想いを彼女に今はどうしても伝えたい。いや、伝えなければいけない。
そして、彼女をあの氷の様に冷たい、閉ざした心に光を灯させたい。
これから彼女が向かおうとしている、その場所に行けるように……。
目覚めると、もう陽はその力を徐々に強めようとしている。でも今はまだ本当のその陽の力を見せつける時期ではない。優しくそして、柔らかいその陽が僕の躰を包み込む。
冬の房総半島の日差しは、眩しく輝く。
「おはよう結城」
ダイニングで朝食を作っている幸子さんのその姿を僕は、また母さんと双覚させる。
まるであの頃の、僕の日常がいつものと変わらない日々を送っていたあの日に戻ったかの様だ。
「よく眠れた?」
「ええ、ぐっすりと」
「それは良かった」幸子さんの顔がほころぶ。
「僕コーヒー淹れます」
「うん、お願い」
壁のない会話。本当の親子ではない古くからの知人でもない。でも僕らはまるでずっと共にお互いの時間を大切に培ってきた想いを感じさせる。
ゆっくりと、コーヒー豆にお湯を注ぐと、次第に甘い香りがこの部屋中を駆け巡る。
僕ら二人はその香りの中でお互いの気持の慈しみを感じる。
コーヒーの香りは僕にとって、もしかしたら僕だけではないかもしれない。その甘い香りは夢をも見させてくれる感覚を引き寄せる。
「母さん、今日の珈琲はちょっと濃いめだよ。母さん、なんか眠そうにしているからね」
「あら、そう響音だって夜遅くまで起きていたじゃない」
「まぁね、暗譜に時間がかかったんだよ。どうしても楽譜に届かないところがあってね」
「あんまり無理しちゃだめよ」
「分かってるよ。母さん」
一瞬僕の中にその光景が飛び込む。
響音さんがまだ元気だったころの幸子さんとの何気ない会話。本当の親子の会話。
「ねぇ、結城。今日のコーヒーはちょっと濃いめの様ね」
「わかりますか?」
「ええ、なんとなくね」
「そうですか」
僕はここで彼女の言葉を止めさせた。その先は、その先の言葉は僕に向ける言葉ではない事を覚ったからだ。
幻覚にとらわれるその感情に支配されることを恐れた。幸子さんが僕を響音さんと感じる事に。そして僕が幸子さんを母さんと思う事に。
一つの線を引かなければいけない事も僕はその時感じた。それはお互いに入り込むと、その想いに責任を取らなければいけないからだ。
僕も幸子さんも、それは知っている。そして正さんも。
そう、僕は北城響音ではなく笹崎結城であるから。
陽の光に輝くシルバーバリトン。昨日僕は初めてこのバリトンに触れる事が出来た。そのバリトンの音は僕に語り掛ける。
「誰の為にあなたはこの音を届けたいの?」と
誰の為に? 僕が届けたい音。このバリトンは僕に問いかけたのは、僕の、そう心の奥底で眠っている思っている事を掘り上げてくれたのかもしれない。
目の前にあるこのバリトンをまた僕は手にとる。
棚からマウスピースを取り出し、バリトンに付けそっと口にそのマウスピースをあてがう。
軽く息を吹き込む。ただ息を吹き込むだけ。ふうぅ―と管の中を息が吹き抜ける。
「ド」の音、「ド#」頭の中に楽譜がよみがえる。
あの低音パートの、低音記号の楽譜が目の奥に焼き付くように覚えた楽譜が浮かび上がる。
僕はこの曲がきっかけで中学の時、吹奏楽部を、大好きだったユーフォニアムと別れを告げた。
嫌いになったわけじゃない。大好きだった。別れたくはなかった。でも僕は別れた。そしてその想いを捨てた。
捨てなければいけなかった。
捨て去って残った物、それは憎しみや怒りではなかった。悲しみと自分への疑心感から生まれる恐れだった。
あの時から僕の心はこの恐怖に捕らわれていたのかもしれない。
だが、その恐怖から僕を一つの事に導いてくれた人との出会いがあったから今、僕はまだここに、この世界に存在出来ていられるのかもしれない。
蘇る楽譜を僕はこのバリトンで奏でる。
自然と指が、ブレスが……心が……。
ふと思った。この姿は、いま、僕が奏でる音色は、恵美の奏でる音色と同じなのかもしれないと。
自分の心を想いを楽器に託す。託すことによって心が……救われる。
戻りたいと言う想いが徐々に湧き上がる。そしてこの想いを届けたい。
僕の想う人へ。
僕のこの想いをこの音色に乗せて、届けたい。彼女のもとへ。
音は澄みきった冬の青い空にめがけ、飛んでいく。
飛んでいけ、そしてとどけ。この想い。
夕焼けの空が次第に暗がりへと変わっていく。
いつもの河川敷にその姿はあった。
陽がかげる。風がざわめき、冷たさを増す。
「寒くないのか?」
その声に振り向く彼女。
「ユーキ? どこ行っていたの夜も帰らないで」
「どこでもいいだろ。それよりほら風邪ひくぞ!」
来ていたダウンジャケットを恵美の肩からかける。
少し遠慮気味に、それでも僕の着ていたジャケットをその身にまとい
「暖かい。……なんだか、もの凄く懐かしい感じがする」
彼女の瞼から滲み出る様に涙が溢れてくる。
「どうした?」
「ううん……ただ」
「ただ……」
下を俯き、堪えている涙を軽くぬぐい。ゆっくりと顔を上げ、僕に彼女はこう言った。
「少しの間だけ、甘えさせて……ユーキ」
溜めていた。溜め過ぎていた涙が僕の胸を濡らす。恵美の涙が、僕のこの胸を濡らした。
泣くことさえ、想う事だけで、泣く事が出来なかった恵美の涙。
僕と同じだ。僕も泣くことを拒んでいたんだ。いや、恐れていた。でも、僕は泣くことが出来た。
恵美もようやく泣くことが出来たんだ。
耐える事が、いいや、違う。耐えてたんじゃない。出来なかったんだ。その想いを自分の外に出したくなかったんだ。
出せないくらい大切なこの想い。それでもその想いは自分の中に閉まっていては行けなかったんだ。外に出す怖さを僕は知っている。だからこの恵美の涙は尊いものだと思う。
今まで、今まで出せなかった想いが、彼女の中で少しずつ溶け出していく。
嗚咽が彼女を苦しめた。
涙と共に次第に張り裂けるような声を上げ、その苦しみから逃れようとしている。逃れたくとも逃れる事が出来ないこの想いから……。
ゆっくりとあたりは薄暗くなる。冬の夜空が空一面に広がり始めた。
「ひどい顔だな」
「……馬鹿」
「馬鹿って……」
「ユーキなんか大っ嫌い」
プンと頬を膨らませ、アルトサックスのケースを手に取り、もう一度大きな声で言いながら恵美は走るように帰って行った。
「ユーキなんか……大っ嫌い」と
「ああ、俺もそんな泣き虫な恵美なんか……大っ嫌いだ」
去り行く彼女に僕も叫ぶように返してやった。
でも、なんだか心が暖かい。
同じ悲しみと苦しみを僕らは背負っていた。
その苦しさは本人でなければ分からない。同情と言う言葉はかえって重荷になる。だから、僕は恵美には同情はしない。
彼女の心の痛みを知るものとして、そしてこれから変わろうとしている彼女のその姿に同情と言う言葉は存在しない。
「またふり出しかぁ」呟く様に言った。
いいんじゃないか。ふり出しに戻っても……。あの時僕は恵美に告白した。何ともハチャメチャな告白だけど。
「僕は君の事を知っている」
「あなたは私の何を知っているの?」
そう僕はあの時、何も君の事を知らなかった。
そして君も、僕の事を何も知らない。
運命の風に吹かれ、僕らは一つ屋根の下で暮らす事になった。
今はそれが事実として僕が君に言えるただ一つの事だ。
澄みきった冬の夜空に星が輝き始める。
何時の日か、この僕の想いを君にすべて捧げたい。
その日が来るまでに……。
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