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かたちだけの恋人
第46話5.求める人に
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人の涙は綺麗だ。穢れた涙なんてありえないと思う。
泣くことで、人は泣くことで一つ強くなれる。
涙を流す事はいけない事じゃない。恥ずかしい事じゃない。
涙は心から溢れて出てくる人の想いなのだから……。
傷つき失い。そしてまた傷つく。
報われる事のない人生だと僕は思っていた。両親を突如に亡くし、いつもの平凡な、いやその日常といえる幸せである日々を失い。引き寄せられるように僕の心に入り込んだあのアルトサックスの音色。
そしてその音色を奏でる僕の妖精、恵美。
恵美への想いは、そんなに軽いものではないはずだった。彼女を僕は、例え僕の想いが彼女に届かなくてもその心を支えていくつもりだった。
例え、どんなに苦しくても……。
幸子さんも正さんも、僕が巻き起こした事には一切触れなかった。
わざと触れない様に気遣いを使っている様にも感じられない。
その事実を知っていても、僕のその傷口に触れる事を拒んでいるのではなく、僕がその傷口を自分で治す事が出来るように支えてくれているような感じがする。
正さんはあのバリトンを吹き終わった後に言った。
「このバリトンはようやくもう一人の主を見つけたようだ。まだ、粗削りで技術もない。使いこなすのにはほど遠いが、このバリトンに宿す魂は君を受け入れた。後は君がその想いを受け入れるかどうかだけだ」
その言葉は今の僕には荷が重すぎるような気がした。しかし、あのバリトンは僕に何かを語り掛けているのを僕は感じた。
そう、恵美が奏でるあのアルトサックスの音色から語り掛けてくる声の様に。
頼斗さんの実の母親が吹き込んだ魂の声。その声を僕は聞いたような気がする。
「結城今日は泊っていけるんでしょ。だったら夕食の準備もしないと、あ、そうだった。お茶冷めちゃったわよ」
「あ、そうだった。済みません」
僕と幸子さんはその後噴き出す様に笑った。
何だろう、意味なんてない。その時、自然と笑った。
気持ちが和らぐ。
この人たちの暖かさが僕の心の中に沁み込むような感じがする。
房総半島に吹き抜ける冬の風は、柔らかくそして暖かかった。
夕食の材料を買いに幸子さんが運転する車でスーパーに出かけた。その帰り道、幸子さんが何気なく僕に言った。
「結城、あなたは、貴方が傷つけた彼女の事愛していたの?」
その言葉にドキッと心臓がまた高鳴った。
すぐには言葉が出ない。
ただ僕の目に茫漠に広がる海が、目にずっと流れ込むように入る。来た時とは違う海の色。薄暗く、光り輝きを次第に失う海の色。
そんな海を目にしながら。
「多分……僕は戸鞠のことを愛していたんじゃなくて、戸鞠に甘えていたんだと思います。だから今僕は後悔と言う気持ちで包まれているんだと思います」
「後悔? どうしてあなたはそんな言葉を簡単に出せるの。後悔て今のあなたには出ない言葉だと思うんだけどなぁ」
「どうしてですか?」
「もし、あなたがその彼女と付き合わなかったら良かったと言う意味の後悔なら、あなたはその罪を全て償なわなければいけない。でも私が見る限り、結城は軽い遊びでその子と付き合う様な人じゃないと思う。少なくともあなたはその子を自分から求めて、そして真剣に付き合ったんじゃないの。あなたは甘えていたと言ったけど、それは甘えじゃないと思う。あなたは多分真剣にその時その彼女に向き合っていたんだと思うわ。でも、自分に、結城自身がそれを許さなかった。それは恵美ちゃんへの想いもあるから、そしてその想いを背負う自分にまけないと意地張るあなたがいたから」
幸子さんに言われた言葉は僕の、自分自身が見る事が出来ない部分を、いや、僕が言いたくても言えない、この口から言う事を自分自身が禁じている事を代わりに言ってくれた様だった。
知らぬ間に僕の心は僕自身で鎖で縛り付けていた事を。
「ごめんね。勝手にこんなこと言って。でもね、結城はもっと自分に素直になるべきだと思う。今のあなたにはとても難しい事だと思うけど。今のあなたを見ていると、どうしても響音のあの時の姿を思い浮かべてしまうの。響音が亡くなる少し前のあの姿を……」
響音さんがなくなる少し前の姿。僕にはそれは想像すらできない。
でも、その時響音さんは、恵美を遠ざけた。わざと自分から遠ざけた。もうじき自分はこの世にいられない事を自ら覚ったからだ。
響音さんは後悔しているのだろうか? その時、恵美を自分から遠ざけた事に。だから、彼は恵美が奏でるアルトサックスの音色に溶け込んでいるのか?
頼斗さんから聞いた話だった。
恵美の辛い過去。そしてその想いを今も尚、自分に課せている恵美。恵美にとって響音さんは恵美のすべてだった。響音さんが亡くなったことで恵美は自分を失った。
自分自身の道を失い、そして自らの心を閉ざした。
そんな恵美も、今、自分でその過去の鎖を解き放とうとしている。
恵美は今、一歩前に自ら歩みを進めようとしている。
「幸子さん、ありがとう。僕は自分に嘘をついていたのかもしれない。今回戸鞠の事でその事が僕自身に降りかかった。自業自得と言えばその通りかもしれないけど、でも、僕は……やっぱり、後悔と言う言葉を使うには早すぎたと思います。だってまだ僕は何も行動を起こしていないんだから」
「……うん、そっかぁ。君はそう感じたんだんだ。ならそう思う様に動けばいい。迷った時はあなたの周りにいる人たちに素直に頼ればいい。それは決して甘えなんかじゃない。頼ると言う事は信頼して寄り添う事だから」
また僕は海に目を向けた。
大きくどこまでも広がる海の景色。この地の海は広い、そして柔らかく優しい。そしてその優しさの中に潜む厳しさをも感じさせるこの海。
陽が陰り、輝きを失ったこの海が何かを訴えているような気さえ感じる。そう、光は自分で導くものだと言う事を。遠くに光る漁火が淡く輝いていた。その淡さはまるで僕自身の光を見ているようだった。
「夕食、作るの僕も手伝いますよ」
「うん、頼んだよ。今日はとびっきり美味しいものお腹一杯食べようね」
にっこりと微笑む幸子さんのその横顔を見ていると懐かしさを隠せないでいる自分にまた巡り合う。あの微笑みは親としての母親としての微笑みだから。母さんのあの微笑みが僕の中から湧き出てくる。
「結城、ものを見定めるのには経験が必要なの。そしてそれを最高の状態に仕上げるのには常に向き合わなければいけない」
幼い頃、母さんと買いもの行くと、母さんはいつもそんな事を買い物をしながら、僕に言っていた。
その意味が今になって少し理解できるような気がする。
いま、僕がなさなければいけない事、それは戸鞠に頭を下げる事じゃない。謝る事じゃない。
僕の本当の気持ちを彼女に伝える事だ。
あの公園で孝義に言われた言葉。
「お前は本当に戸鞠の事を大切にしてあげる事が出来るのかよ。俺には今のお前を見ている限りそうとは思えねぇ。ただ戸鞠を傷つけことしかお前は今していなんじゃないのか?」
孝義は全てを見抜いていたんだ。僕があまりにも中途半端な事しかしていないから。自分に素直に向き合う事をしていなかった事を孝義は見抜いていたんだ。
だから……やっぱり孝義は僕の幼馴染であって親友である事に胸が痛む。
戸鞠だけじゃない、孝義の心にも僕は傷をつけていたんだ。孝義だから僕に言えた言葉だった。
孝義はずっと戸鞠の事を想っていた。それでもじっと我慢んをしていたんだ。頭を下げるべき人は孝義だ。
戸鞠には僕の本当のこの心の想いすべてを伝える。彼女がそれをどう思うかは分からない。でも……僕は戸鞠と向き合わなければいけない。
学校に呼び出された時頼斗さんから最後に付け加えられた言葉。戸鞠かの母親からの伝言だった。
「真純にはもう会う事を……逢わせないでください」と
もうすでに戸鞠との連絡は出来なくなっていた。携帯の電話番号も、そしてメールアドレスも繋がらない。全て僕から遠ざけるために変えたのかもしれない。それでも僕は戸鞠と向き合わないといけない。
一つの鎖を断ち切る時。その痛みは僕を襲う。
その痛みから、僕は逃げてはいけないんだ。
それは僕の為だけじゃなく。
僕に関わる全ての人の為に……。
泣くことで、人は泣くことで一つ強くなれる。
涙を流す事はいけない事じゃない。恥ずかしい事じゃない。
涙は心から溢れて出てくる人の想いなのだから……。
傷つき失い。そしてまた傷つく。
報われる事のない人生だと僕は思っていた。両親を突如に亡くし、いつもの平凡な、いやその日常といえる幸せである日々を失い。引き寄せられるように僕の心に入り込んだあのアルトサックスの音色。
そしてその音色を奏でる僕の妖精、恵美。
恵美への想いは、そんなに軽いものではないはずだった。彼女を僕は、例え僕の想いが彼女に届かなくてもその心を支えていくつもりだった。
例え、どんなに苦しくても……。
幸子さんも正さんも、僕が巻き起こした事には一切触れなかった。
わざと触れない様に気遣いを使っている様にも感じられない。
その事実を知っていても、僕のその傷口に触れる事を拒んでいるのではなく、僕がその傷口を自分で治す事が出来るように支えてくれているような感じがする。
正さんはあのバリトンを吹き終わった後に言った。
「このバリトンはようやくもう一人の主を見つけたようだ。まだ、粗削りで技術もない。使いこなすのにはほど遠いが、このバリトンに宿す魂は君を受け入れた。後は君がその想いを受け入れるかどうかだけだ」
その言葉は今の僕には荷が重すぎるような気がした。しかし、あのバリトンは僕に何かを語り掛けているのを僕は感じた。
そう、恵美が奏でるあのアルトサックスの音色から語り掛けてくる声の様に。
頼斗さんの実の母親が吹き込んだ魂の声。その声を僕は聞いたような気がする。
「結城今日は泊っていけるんでしょ。だったら夕食の準備もしないと、あ、そうだった。お茶冷めちゃったわよ」
「あ、そうだった。済みません」
僕と幸子さんはその後噴き出す様に笑った。
何だろう、意味なんてない。その時、自然と笑った。
気持ちが和らぐ。
この人たちの暖かさが僕の心の中に沁み込むような感じがする。
房総半島に吹き抜ける冬の風は、柔らかくそして暖かかった。
夕食の材料を買いに幸子さんが運転する車でスーパーに出かけた。その帰り道、幸子さんが何気なく僕に言った。
「結城、あなたは、貴方が傷つけた彼女の事愛していたの?」
その言葉にドキッと心臓がまた高鳴った。
すぐには言葉が出ない。
ただ僕の目に茫漠に広がる海が、目にずっと流れ込むように入る。来た時とは違う海の色。薄暗く、光り輝きを次第に失う海の色。
そんな海を目にしながら。
「多分……僕は戸鞠のことを愛していたんじゃなくて、戸鞠に甘えていたんだと思います。だから今僕は後悔と言う気持ちで包まれているんだと思います」
「後悔? どうしてあなたはそんな言葉を簡単に出せるの。後悔て今のあなたには出ない言葉だと思うんだけどなぁ」
「どうしてですか?」
「もし、あなたがその彼女と付き合わなかったら良かったと言う意味の後悔なら、あなたはその罪を全て償なわなければいけない。でも私が見る限り、結城は軽い遊びでその子と付き合う様な人じゃないと思う。少なくともあなたはその子を自分から求めて、そして真剣に付き合ったんじゃないの。あなたは甘えていたと言ったけど、それは甘えじゃないと思う。あなたは多分真剣にその時その彼女に向き合っていたんだと思うわ。でも、自分に、結城自身がそれを許さなかった。それは恵美ちゃんへの想いもあるから、そしてその想いを背負う自分にまけないと意地張るあなたがいたから」
幸子さんに言われた言葉は僕の、自分自身が見る事が出来ない部分を、いや、僕が言いたくても言えない、この口から言う事を自分自身が禁じている事を代わりに言ってくれた様だった。
知らぬ間に僕の心は僕自身で鎖で縛り付けていた事を。
「ごめんね。勝手にこんなこと言って。でもね、結城はもっと自分に素直になるべきだと思う。今のあなたにはとても難しい事だと思うけど。今のあなたを見ていると、どうしても響音のあの時の姿を思い浮かべてしまうの。響音が亡くなる少し前のあの姿を……」
響音さんがなくなる少し前の姿。僕にはそれは想像すらできない。
でも、その時響音さんは、恵美を遠ざけた。わざと自分から遠ざけた。もうじき自分はこの世にいられない事を自ら覚ったからだ。
響音さんは後悔しているのだろうか? その時、恵美を自分から遠ざけた事に。だから、彼は恵美が奏でるアルトサックスの音色に溶け込んでいるのか?
頼斗さんから聞いた話だった。
恵美の辛い過去。そしてその想いを今も尚、自分に課せている恵美。恵美にとって響音さんは恵美のすべてだった。響音さんが亡くなったことで恵美は自分を失った。
自分自身の道を失い、そして自らの心を閉ざした。
そんな恵美も、今、自分でその過去の鎖を解き放とうとしている。
恵美は今、一歩前に自ら歩みを進めようとしている。
「幸子さん、ありがとう。僕は自分に嘘をついていたのかもしれない。今回戸鞠の事でその事が僕自身に降りかかった。自業自得と言えばその通りかもしれないけど、でも、僕は……やっぱり、後悔と言う言葉を使うには早すぎたと思います。だってまだ僕は何も行動を起こしていないんだから」
「……うん、そっかぁ。君はそう感じたんだんだ。ならそう思う様に動けばいい。迷った時はあなたの周りにいる人たちに素直に頼ればいい。それは決して甘えなんかじゃない。頼ると言う事は信頼して寄り添う事だから」
また僕は海に目を向けた。
大きくどこまでも広がる海の景色。この地の海は広い、そして柔らかく優しい。そしてその優しさの中に潜む厳しさをも感じさせるこの海。
陽が陰り、輝きを失ったこの海が何かを訴えているような気さえ感じる。そう、光は自分で導くものだと言う事を。遠くに光る漁火が淡く輝いていた。その淡さはまるで僕自身の光を見ているようだった。
「夕食、作るの僕も手伝いますよ」
「うん、頼んだよ。今日はとびっきり美味しいものお腹一杯食べようね」
にっこりと微笑む幸子さんのその横顔を見ていると懐かしさを隠せないでいる自分にまた巡り合う。あの微笑みは親としての母親としての微笑みだから。母さんのあの微笑みが僕の中から湧き出てくる。
「結城、ものを見定めるのには経験が必要なの。そしてそれを最高の状態に仕上げるのには常に向き合わなければいけない」
幼い頃、母さんと買いもの行くと、母さんはいつもそんな事を買い物をしながら、僕に言っていた。
その意味が今になって少し理解できるような気がする。
いま、僕がなさなければいけない事、それは戸鞠に頭を下げる事じゃない。謝る事じゃない。
僕の本当の気持ちを彼女に伝える事だ。
あの公園で孝義に言われた言葉。
「お前は本当に戸鞠の事を大切にしてあげる事が出来るのかよ。俺には今のお前を見ている限りそうとは思えねぇ。ただ戸鞠を傷つけことしかお前は今していなんじゃないのか?」
孝義は全てを見抜いていたんだ。僕があまりにも中途半端な事しかしていないから。自分に素直に向き合う事をしていなかった事を孝義は見抜いていたんだ。
だから……やっぱり孝義は僕の幼馴染であって親友である事に胸が痛む。
戸鞠だけじゃない、孝義の心にも僕は傷をつけていたんだ。孝義だから僕に言えた言葉だった。
孝義はずっと戸鞠の事を想っていた。それでもじっと我慢んをしていたんだ。頭を下げるべき人は孝義だ。
戸鞠には僕の本当のこの心の想いすべてを伝える。彼女がそれをどう思うかは分からない。でも……僕は戸鞠と向き合わなければいけない。
学校に呼び出された時頼斗さんから最後に付け加えられた言葉。戸鞠かの母親からの伝言だった。
「真純にはもう会う事を……逢わせないでください」と
もうすでに戸鞠との連絡は出来なくなっていた。携帯の電話番号も、そしてメールアドレスも繋がらない。全て僕から遠ざけるために変えたのかもしれない。それでも僕は戸鞠と向き合わないといけない。
一つの鎖を断ち切る時。その痛みは僕を襲う。
その痛みから、僕は逃げてはいけないんだ。
それは僕の為だけじゃなく。
僕に関わる全ての人の為に……。
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