高度救命救急センターの憂鬱 Spinoff

さかき原枝都は

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第8話2.家畜ども餌を欲するなら自ら探せ

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あの二人が物静かに、ディスプレイに映るカルテを向かい合わせに観ている。
はたから見る俺らには、そのディスプレイから火花が飛び散っている様にも見えた。

午後5時を過ぎた。
二人はもうそろそろ上がりの時間のはずなんだが、ピクリとも動こうともしない。

そんな時エマージェンシーコールが鳴り響く。
「こちら北部レスキューです。36歳男性、自宅の屋根から転落。その際全身の打撲及び右大腿部裂傷、大量出血しています。現在男性の意識はあります。受け入れ要請いたします」
コールを受け取った僕は、あの二人の方をちらっと見て、笹山先生がコクンと頷くのを見てから。
「了解しました受け入れます」受諾した。
搬入口に向かおうとした時、再びエマージェンシーコールが鳴った。
歩佳先生がそのコールを取ったのを見て、僕は搬入口へ駆け足で向かった。
少しして救急車のサイレンの音が聞こえ、搬入口の前で止まった。
ストレッチャーを引きだし、処置室に向かおうとした時もう一台の救急車が止まる。
まずは先に来た患者を搬送して処置台に移動させた。次に来た急患には歩佳先生が向かっていた。

笹山先生がグローブをパチンと音をたてはめて診察する。
右側の大腿部に大きな裂け目がある。股の付け根からベルトで圧迫止血をしているが出血量は多い。

「輸液全開」
痛みを必死にこらえる患者に。
「あなた血液型は?」と訊く。かろうじてO型と答える患者。
「一応血性しらべて、それから輸血2パック」
看護師に指示する。

僕がベルトに触れようとした時。
「触るな! 今そのベルト緩めたら出血量がまた増える。まずは傷口の洗浄、生食水!」
傷口を洗浄し、作業しやすいようにか、患者の痛みを和らげるためか、判断に今日は苦しむが局部麻酔を打つ。

「鑷子《せっし》」ピンセットで傷口に残っている異物を丁寧に取り除く。
「静脈破けている。動脈でなくでよかったな。まずは術野を広げる、メス、クーパー」ハサミでそぎ落ちそうになっている肉片を切り取り
一番大きく損傷している静脈を浮かせ
「ペアン、ポリプロ」
結紮をして止血をする。

「輸血入ります」看護師の声に「解った」と端的に答えた。
「バイタルは?」と、笹山先生が訊く。
「安定しています」
「そうか、解った。後は上原先生出来るだろ。任せた」
そう言って処置台から離れた。

「任せたって……確かにあとは破けた血管を縫合で修復して、閉じるだけなんだが……」

その頃隣の処置台では、急性アルコール中毒の患者が搬送されていた。そのせいだったのか、さっきからやたらと酒臭かったのは。

奥村先生が「ここどこだかわかります?」
マスク越しにしてもこの酒の匂いは強烈だ。患者はただ「うううううっ」とうなるだけ
「意識はあるわね。とりあえず輸液だけしておきましょう。気が付いて具合悪いのを訴えて来たら教えて頂戴……お灸をすえてあげるから」

「お灸をすえてあげるから??」

奥村先生の凄みのある声が私を震え上がらせた。
「後嘔吐には気をつけて、解っていると思うけど……」
「はい……わかりました」
冷や汗が出るのはこっちの方だ

カラン、大腿部裂傷の修復術終了。
取り敢えず、出血部は何とかできた。後は打撲による損傷がないかをCTをかけ検査をする。その結果を笹山先生に診てもらい、指示を受け患者に対応する。それでこの患者の処置はいったん終わる。
幸い、送られて来たCT画像には内臓などの打撲損傷はなかった。ただ。肋骨が2本折れていたので処置をしてICUに移動となった。

急性アルコール中毒で搬送されてきた患者さん。ようやく気が付いたようで物凄く具合悪そうに。
「あんた医者だろ。何か無いのか薬は、気持ち悪くて仕方がねぇんだ」
そう私に訴えるくらい意識がはっきりしてきたようだ。
ちょっと怖いので、恐る恐る奥村先生に。
「先程のアルコール中毒の患者さん意識だいぶハッキリしてきました」
と、告げると……。
「そう」と小さくつぶやき椅子を立つ。
そして患者の所に行って。

「あ、別な先生来てくれたんだ。何とかしてくれよ気持ちわり―し、頭がいて―んだ。あるんだろ二日酔い治す薬とかさぁ」
患者が奥村先生を見るなり訴えた。

「ないわ」

「はっ?」
「だからそんな薬なんてないって言ってんのよ」
「なんだよ、ここ病院だろ。苦しんでいるんだから直すのがあんたらの仕事なんだろ」
今日の奥村先生にそこまで食い下がるのか! ……この患者は。

「だから自分の歩《ぶ》も知らず、迷惑をかけるような人にやる薬はないって言っているのよ。あなた、あなたがこんな状態になるまで飲んで、何人の人が動いていると思っているの? それに急性アルコール中毒は死に至る場合もあるのよ。死ななくて良かったわね。その苦しみ生きている証拠だからちゃんと味わいなさい」

表情を一つも変えずに、そしてあの冷たいトーンで言われると、さすがにあの患者さんも何も言えなそうにしていた。そして一言。
「済みませんでした」
「そう、あとは落ち着いたら帰ってもいいわよ。でも時間外緊急診療処置代、高くてよ。あなたの懐にもちゃんと言い聞かせなさい」
この患者にとって今日は厄日だったのかもしれない。でも生きていられることには違いはない。奥村先生が言ったように、急性アルコール中毒は死に至るケースもあるのだから。

もうすでに7時を過ぎていた。
あれから4人、重い空気に包まれながら各自のディスクから動こうともしない。
そこへひょっこりとER執務部長、笹西直人ささにし なおと医師がやって来た。
「なんだ笹山先生と奥村先生、まだいらっしゃったんですか。フェローの指導ですか? 熱心ですね。君たちもしっかり指導を受けてくださいよ」
そう言いながら。

「そういえば、あのプリン美味しかったな。賞味期限今日だったんで僕が頂いちゃいましたけど」

のほほんと言う笹西部長に、二人が一斉に顔を向けた。

「部長だったんですか。プリン食べたの」
笹山先生がぼっそりと言う。
「あれ、私のプリンだったんです。今日食べようと思って楽しみにしていたんです」
奥村先生がすごい目力で訴えた。

それを聞いて部長がすまなそうに
「あれ、そうだったの……ごめんね」
バツが悪そうに病棟へと足早に体を向かわせた。

「ほら、私じゃない。食べたの」
「ごめんなさい。そうみたいね。でも、あなたいつも私の保存食勝手に食べちゃうじゃない。疑われて当然よ」
「あ、優華ちゃん、そんな事言うんだ。それなら優華ちゃんだって言えないじゃん。私のチョコとか食べてるし」

「……お互い様よ」

「あのう……。お二人が今日機嫌が悪かったのは、そのプリンが原因で?」
奥村先生が。

「それがなにか?」

おい、俺たちは今日そんな事で振り回されていたんだ。

「今日僕、笹山先生から本当に食われるかと思いましたよ」
「馬鹿言うな、まだ成長しきっていないうまみのない家畜を今食うか。もっと餌を食ってからだ」

「あら、うちの家畜たちは、エサは自ら獲ないと。なんで私たちが与えないといけないの。面白味がないでしょ」


やばい、この二人は……。

ほんとに食べられちゃうかもしれない。
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