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第6章 想愛
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しおりを挟む悔しいことに藍と触れ合うと、コンディションがよくなる。
悔しいという言い方は悪いかもしれないけれど、肌艶がいいだとか、輝いて見えるだとか、そう言われるのは自分の力で努力した時に言ってもらいたい言葉なのだ。まあ、プライベートが充実しているのはいいことなので、それもまた複雑な心境の原因の一つである。
「すみません、機材の不調で一旦休憩入れます。30分後に再開でお願いします。再開が無理そうならまたお伝えしますので」
撮影機材の不調により撮影が一時中断され、由利は一旦控え室で待機することにした。タイミングがよかったので次の仕事の確認をしていたとき、控え室のドアがノックされる。マネージャーの萩尾がコーヒーを買ってきてくれたか、スタイリストの楪だろう。どうぞ、と声をかけるとドアの隙間からひょこっと顔を出した予想外の人物に驚いた。
「由利さん、ちょっとだけお話してもいいですか……?」
「椿さん!どうぞどうぞ、いいですよ」
「すみません、お邪魔します!あ、スムージーどうですか?」
「わ、ありがとう」
まさか麗が控え室を訪ねてくるとは思わなかったが、断る理由もないしわざわざ差し入れも持参してくれたのでそのまま中に通した。控え室で二人きりでいるのを見られたらあらぬ噂が立ちそうだが、由利のマネージャーにも自分のマネージャーやスタッフにもきちんと話してから来てくれたらしい。外堀を埋めてくるのは藍と同じだなと、小さく笑った。
「えっと、実は聞きたいことがあったんです」
「聞きたいこと?」
そういえば、藍は由利が麗の正体を知っていると話しているのだろうか?
麗はもしかしたら藍に由利のことを聞いているかもしれないが、いかんせん複雑な関係すぎてこちらから話すのもどうなのだろうと思ってしまう。わざわざ控え室に話に来たのは藍とのことを話すためかもしれない。でもさすがに、藍と恋人同士になったなんて話はできないので、口を滑らせないように注意しないと――
「由利さん……」
「う、うん?」
「どこの美容室に行ってるんですか?」
「えっ?」
真剣な顔をした麗がずいっと顔を近づけてきて驚いた。てっきり藍との関係を暴露されるかと思っていたのに、彼女の口からなんて言葉が出た?
「美容室?」
「そうです!めちゃくちゃいい美容室に行ってるんですか?それともヘッドスパ?マッサージとか?整体ですか!?」
「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いて椿さん!」
なんの話なのかさっぱり分からなくて興奮気味の麗を止めると、彼女はハッと我に返って縮こまる。そして頬を真っ赤に染めて「最近由利さんが綺麗だから、つい……」と小さな声が宙に溶けた。
麗のほうが美しさの塊のように完璧な女性なのに、周りの人が言っているように由利のことを彼女も綺麗だと思ってくれていたらしい。綺麗だと言われるのは男からしてみれば癪だが、最近の由利は気に入っている褒め言葉だ。
だから、麗はモデルとして今よりもっともっと輝きたいと思っているからこそ、由利の美容法について聞きたかったのだろう。
「あのさ、二人の時は麗さんって呼んでもいい?」
「え?」
「藍の実の妹さんだってこの前初めて知ったんだけどさ。ダメかな?」
「ももももちろんダメじゃないです!なんだ、藍ってば由利さんに私のこと話してなかったんだ……!」
「そう。意地悪だよね、あいつ。てっきり藍の彼女だと思っちゃってさ、俺」
「ないないない、私がたとえ妹じゃなくても藍は選ばないです」
「なんで?」
「だって藍の好きな人を昔から知っ…や、すみません……」
由利の顔を見て麗は目を逸らしたので、藍はきっとそこまで話しているのだろう。普通実の妹に義兄を好きになったと話すバカがいるか?と少し呆れながら笑うと、麗は何かを察したように由利を見つめた。
「もしかして、藍と付き合うことになりましたか?」
「え゛!?」
「なんとなく、女の勘?藍も最近すごく楽しそうなので」
こんな反応をしたら『付き合ってます』と白状しているようなものだ。そんな由利の反応に麗も二人の関係が本物だと分かったのか、由利が想像していた嫌悪感のような表情ではなく安堵の表情を浮かべた。
「よかった……藍のこと、受け入れてくれたんですね」
「……よかったって、どうして?普通実の兄が、義理の兄となんて気持ち悪くない…?しかも俺たち、二人ともアルファなのに……」
「でも、藍は"由利"さんをずっと好きだったから」
藍にも言われたことがあるのだが、アルファとかオメガとか、男とか女ではなく『由利』が好きなのだと。
つくづく思ったことだが、彼は本当に一途に重すぎるほどの愛で由利のことを好きでいてくれている。そんな人、一生に一度会えるかどうか分からないくらいの奇跡だろう。
義理でも兄弟だというのが悔やまれるけれど、それでも好きなのだと真っ直ぐ言ってくれる藍のことを由利も愛してしまったのだ。今更もう、引き返せないくらいには。
「由利さんに絶対そんな気はないと思ってました、私」
「あー…うん、普通はそうだよね」
「どうせ藍がこっぴどく振られて終わる恋だろうなって」
「あはっ、なかなか辛辣なことを言うんだね、麗さんも」
「だって私、由利さんに憧れてたんです」
「え?」
「あ!あくまでモデルとしてですっ、ご安心ください。それに藍から"兄さんの足元にも及ばない"って言われましたから、高校生の時」
「なにそれ?」
「由利さんみたいなモデルになりたい!って藍に言ったら、お前じゃ無理って!ひどくないですか?」
「へぇ、藍でもそんなこと言うんだ……」
藍がそんなふうに言うのは少し意外だった。
麗に対するような口調で話されたことがないからかもしれない。それに、麗が高校生だった時ということは、由利が本格的にモデルを仕事にし始めた頃の話だ。
その時はまだ今のように垢抜けていなかったしモデルとしてはまだまだ底辺だったのに、藍が由利をかっこいいとか綺麗だとかその頃から思ってくれていたのかと思うと、きゅうっと胸が締め付けられた。
「だから、そんな完璧な由利さんに振られちゃえ!って思ってたんですよ、正直。でも藍の恋が叶ったなら叶ったで、やっぱりちょっと嬉しい」
この関係はたとえ親しい友人にも話せないことなのに、藍と血が繋がっている妹の麗には全てお見通しで始めこそ由利は焦っていたが、藍がそれだけ麗を人として信頼しているということだろう。
由利がそうだったように藍も誰にも相談できなかったのだろうし、麗のような妹がいてくれてよかったと心からそう思うと同時に、この関係を初めて祝福されたことが嬉しくて、思わず熱いものが込み上げてきた。
「パパには悪いけど、愛なら仕方ないって思うんです、私。運命の番とかそういうのじゃなくても、自分たちがそれを愛だって思うなら、運命でもあるんです。だって子供ができないアルファ同士で惹かれ合うなんて運命以外のなにものでもないですよ!」
思わず泣いてしまった由利を励ますように麗がそんなことを言ってくれて、その優しさにまた涙が滲む。藍と付き合うことになってもどこかやっぱり罪悪感があって、本当にこれでいいのかと迷っていた。でも、麗と話したおかげでスッキリしたように思う。
「ありがとう、麗さん。祝福してくれて嬉しかった」
「私にはなんでも話してくださいね、由利さん!藍の弱点とかなーんでも知ってますから♪私は断然由利さん味方派!」
――俺は、藍が好きだ。性別なんて関係なくて、ただ『藍』だから、好きだ。
機材トラブルで得られた思わぬ味方。由利や藍にはお互いしかいないかと思っていたが、麗のおかげでなんとなく心が軽くなったように思う。人に言えない関係なのは変わりないが、誰か味方が一人でもいてくれるとこんなにも心強いのかと思えた日だった。
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