年に一度の旦那様

五十嵐

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37 心からの贈り物

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レイチェルが倒れてから、侯爵はロイに今まで以上に周囲に目を配るよう命じた。邸内の使用人達にもレイチェルが倒れたことは知れ渡っていたので、ロイが以前に増してレイチェルの傍に控えることを誰一人疑問に思わなかった。

そしてもう一つ、瞬時に知れ渡ったことがある。レイチェルが倒れた理由が怪しいということだ。

使用人達は迂闊なことを絶対に口にはしない。だから、倒れた理由は不明だと陰で囁かれるだけだった。皆、本当に怪しいのはアナベルかナタリアだと思いながら。

使用人達にレイチェルのことをばら撒いたのはスカリーだとロイは知っている。邸内での自分の立ち位置だけを見ていた頃を思い出せば、ロイはスカリーがそうするであろうことを予想していた。

スカリーにとってレイチェルはこの邸での己の立場を補償する人物なのだ。傷が付き、この土壇場で結婚が流れたらまたメイドに逆戻り。次期侯爵夫人の侍女とメイドでは立場も違えば、それに伴う賃金も変わってくる。

そして、スカリーの言葉は事実が後押しをしてくれた。レイチェルは伯爵邸でひっそりと暮らす為に、他人との無駄な接触を避けていた。そうする為に、レイチェルは知らず知らずのうちに使用人のいない場所を把握する術と、他者の気配を敏感に感じ取ることを身に付けていたのだ。侯爵邸で数ヶ月も過ごせば、レイチェルは習慣から使用人達の動きを把握しどの時間帯ならば人気がないのか知っていた。だから、使用人がいないであろう時間を選び、スカリーが離れた隙に誰もいないか確認した上で倒れた振りをすることが可能だったのだ。

スカリーの言葉、、は紛れもない事実。
侯爵が重用するロイを今まで以上にレイチェルの傍に控えさせているのも、また事実。

迂闊なことを口にしない使用人達は、それなりに賢くもある。次に何か起こった時に、自分が目撃者になれば侯爵から一目置かれる機会を得ることを良く知っているのだ。そして、目を付けるのがレイチェルではなく愛人二人であることも。

いつ起こるか分からない『起こること』を待つよりは、起こすであろう人物を気に掛けている方が正しい選択だ。

ロイの狙い通り、愛人二人の言動は邸中の使用人達が注意深く見るようになった。どういう言葉をレイチェルに浴びせているのか、どういう態度を取っているのか。
誰も何も言わないが、しっかり見ている。


「レイチェル様、そろそろ思い詰めた表情で毎日をお過ごし下さい。」
スカリーが所用でレイチェルの元を離れると、透かさずロイが話しかけた。

「なかなか難しいお芝居なのよ、ロイが言う表情を作るのは。」
「大丈夫、あなたは少し俯き加減で目をゆっくり閉じれば、儚くも悲しく見えます。」
「分かったわ。あなたの演劇指導どおりやってみる。」
「ありがとうございます。それと、これを。」
「贈り物?ノア様からまた何か贈られるような理由があったかしら?」
「わたしからです。」
「ロイから?どうして?」
「あなたに受け取っていただきたいものが漸く手に入ったもので。」
そう言って、ロイは手早くレイチェルにハンカチに包まれた何かを渡した。

「何かしら。見てもいい?」
「はい。でも、これは何があっても売らないで下さい。」
「勿論よ。あなたからの贈り物だもの、大切にするわ。」
「違います。それは本来あなたが持つべきものだからです。」

ハンカチに包まれていたのは、美しいエメラルドのペンダントトップ。

「どうして、」
「漸くです。もっと早くに贈りたかった。」
「どうしてこれが…。」
「わたしが買い戻しました。いずれは他の物も買い戻します。」
「買い戻すって、ロイ、これは安いものではなかったはずよ。どうやったの、ロイ。」
「安心して下さい。本当にわたしがコリンス伯爵夫人から買い取っただけです。」
「でも…、そうだ、これはまだあなたが持っていて。」
「何故ですか?本当にわたしの金で買い取ったのです。ですから、」
「信じてる。だから持っていて欲しいの。計画通りにことが運んだ暁に受け取るわ。わたしあなたを信じているんですもの。計画が成功することも含めて全てを。」
「分かりました。その時までに更にあなたの失ったものを取り戻してみせます。」
「無理はしないで。ただ、その時になったらどうやって買い戻したのかを教えてね。大丈夫、どんな方法でもいいわ。信じているあなたがすることだもの。」

レイチェルがロイに向けた笑みは全てを受け入れると言っているようだった。真っ当な方法で、母の形見であるエメラルドが戻って来ることがないと理解していたのだろう。
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