どうかあなたが

五十嵐

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84 溺れる

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思いの外、次の皿が出てくるまでに時間が掛かる。それが、かおるの素直な気持ちだった。

週末のディナーを特別な店で楽しむ。周りはそんな雰囲気だが、かおると恭祐ではそれは難しい。次の料理を待つ間、楽しむ会話が存在するわけがない。

そのせいか、恭祐がかおる用にと注文したプロセッコに口を付ける回数が増えてしまう。いくらワインよりアルコール度数が低く甘めな酒とはいえ、かおるには十分強かった。

「無理はしなくていい」
恭祐はそう言うと給仕係カメリエーレを呼び、何かを告げる。カメリエーレは小さなメモ帳に何か書き込むと笑みを見せて去っていった。

「ブラッドオレンジジュースを頼んだから、それは無理に飲まなくていい。それとデザートも変えておいた」
「デザートをですか?」
「ああ、この店のティラミスのザバイオーネにはマルサラワインが効いている」
「マルサラワイン?」
「酒精強化ワインの一つ、だからかおるにはきついと思う」
「…ありがとうございます」

ニューヨークに来てから、これで三日目の恭祐との夕食。二人での食事なのだから、当然向かい合って座っている。けれど、かおるは恭祐をまともには見れないでいた。料理が運ばれて来れば視線は皿へ。それ以外は、グラスを見ては口に運び、中身を少しずつ口に含むを繰り返していたのだ。

しかし、正面にいる恭祐はかおるのその姿をずっと見て観察していたのだろう。そして、アルコールに弱いという大雑把な状況ではなく、どれくらい弱いのか見極めたのだ。

アルコールに弱いのに、気の利いた会話が出来ないかおるが取った手段は頻繁にそれを口に含むこと。恭祐にはどういう風に見えていたのだろうか。

考えたところでやり直せない。かおるは逃げてばかりいないで会話をしなくてはいけないと思った。

いくら今迄かおるに興味も関心もなかったとはいえ、恭祐は上司。かおるの力量くらいは把握しているだろう。だから、洒落た会話が出来ないことなど知っているはすだ。
そう思うと、子供っぽいかもしれないが恭祐が提供してくれた話題へ質問をするという会話をすることにした。

「デザートは何にして下さったんですか?」
「アフォガードにしておいた、同じエスプレッソを使うものだから」
「アフォガード…」
「ジェラードにエスプレッソを注いで”溺れさせた”デザート」
溺れさせたと言った時の恭祐の表情はかおるの子宮を疼かせるほど妖艶だった。

「今夜は溺れたい?それともティラミスに戻した方がいいか?」
楽しそうに話す恭祐に、かおるはティラミスの意味が気になった。仕事で分からないことがあれば、まずは自分で調べる。それが基本姿勢だが、この土曜の食事の場はどうなのだろう。

「ティラミスの意味は何ですか?」
「今夜、かおるが身をもって知ることだ。そういう意味がある」
「…はい」

恭祐の表情、言葉にかおるは今夜も抱かれることを理解した。先ほどまでのプロセッコのせいではなく、体が熱くなる。日中の行為を思い出してなのか、期待なのかは分からないが。

そして、かおるのつまらない話を恭祐は簡単に大人の会話にしてしまう。しかも意味深な言葉を使って。

恭祐の意味する溺れるとは何だろう。
かおるは、既に恭祐に溺れていたのだから、これ以上は無理なのに。それとも、もっと深いところまで落ちて溺れろということなのだろうか。藻掻く程度の溺れではなく、息が出来なくなる程に。

同じ溺れるという字が付くのなら、一度でいいから恭祐から溺愛されてみたいとかおるは思った。それはとても贅沢で、恐ろしいことだろう。
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