57 / 90
55 見越された失態
しおりを挟む
90分、時間はあるようで思っていたより短かった。シャワーを浴びて、髪を梳かして、ワンピースに袖を通す。ただそれだけなのに、普段よりも時間は早く過ぎていくよう。
化粧だって、いつもは手早く済ませられるのに、なぜかいつもより時間が掛かってしまう。けれど、恭祐の言いつけは絶対。かおるは、決して時間に遅れるわけにはいかない。出来れば恭祐の好む5分前を目安にメインダイニングルームの入り口に着きたいと思いながら部屋を出た。
ホテルのダイニングルームの中で、最も格式高いメインダイニングルーム。そこに続く通路には絵画が飾られ、重厚な光を放つ照明が導いてくれているようだった。かおるの視界には、その美しい光とそれに見合う客達の姿が映りだした。
その一番先、メインダイニングの大きな出入り口にはスーツをまとった品の良い男性が立っていて何やら客達と話している。
出入り口の調度品、照明、更にはそこに立っている受付の案内役男性。どれをとってもこのメインダイニングが高級であることを示している。
恭祐が言った『恥をかかせない姿』、それは今入口に立っている女性のような姿のことだろう。だとすると、かおるの姿は外れている。
不安は恐怖へ変わり、かおるの足は入口に辿りつく前に止まってしまった。
「かおる。」
振り返ると、そこには今まで視界に入っていた客達よりも更にこのダイニングの雰囲気に似合う恭祐がいた。そして、かおるに向かって腕を差し出している。
「手をここに。」
「あの、」
かおるを呼び止めた声も、手を置くように指示した声もいつもよりは優しいトーンだったが、恭祐のその目は明らかに不機嫌さを表している。
そして、同じ事を二度言わせるなとかおるにプレッシャーをかけていた。
かおるは思い出した、自分は恭祐に言いつけられたことに刃向ってはいけないのだと。そもそも、刃向う以前に言われたことは即座に行わなくてはいけない。
躊躇いながらも、かおるは持てる力を振り絞って恭祐の腕に自分の手を乗せた。
すると、恭祐がまるで仲の良い女性にするかのように、耳元で囁いた。かおるには見えなくても、恐らくその表情は優しいものだろう。
けれど耳に届いたのは辛辣な言葉だった。
「お前は言われたことがいつもまともに出来ないやつだな。いいか、これ以上オレに恥をかかせるな。顔を上げて堂々としていろ。でないと、雰囲気にのまれて足も出なくなる。」
「…はい。」
出ないのではなく、既に足は止まっていた。それでも、恭祐が言うようにこれ以上の迷惑はかけられない。とすると、かおるに残っているのは恭祐が言うように顔を上げて堂々と歩くこと。加えて、笑顔でも浮かべられれば上出来ではないだろうか。
受付を過ぎると、かおるの目には更なる光の波が押し寄せてきた。照明は抑え気味ではあるものの、テーブルにセットされたいくつものグラスで光が乱反射してその波を幾重にも作っているのであった。
けれども、重厚な絨毯や調度品がその乱反射を上手くまとめ美しい光の空間を作り上げている。見事なまでに計算された美しさとでも言うのだろうか。
かおるは知らず知らずのうちに『きれい』と呟いていた。
恭祐がその呟きを聞き逃すことなど、勿論なかった。
「自分の場違いさが分かったか。」
かおるはまるで楽しい会話をしているかのように、作った笑顔で小さく頷いた。周囲にいる人は日本語など理解していないだろうから。
英語で書かれた料理名に、当然のことながら英語での説明書き。見ているものがメニューであることは分かるが、かおるには意味を成さない高級な紙でしかなかった。せいぜい食材の単語が分かるくらい。けれども、料理を頼まなくてはいけない。
「決まったか?」
「あの、どれが比較的量が少ないでしょうか。」
「肉と魚、どちらが食べたい。」
「お肉が、食べたいです。」
「分かった、適当にオレがオーダーしよう。」
優しさなのか、それともかおるに説明するのが面倒だからか、料理は恭祐が全てオーダーしてくれた。
前菜にはスモークされたホタテのマリネとサラダ、続いてトマトとハーブの冷たいスープ。メインディッシュはシンプルなステーキ、しかも量はハーフポーションということでかおるのリクエスト通り少なめだ。
どれも長いフライトの後にはありがたいものばかりだった。ただ、やはり恭祐の目に緊張が絶えない。
堂々と優雅に振る舞えているか、かおるは気になって仕方なかった。
「明日3時頃から1時間くらい買い物へ行く。そのつもりで。」
「買い物ですか?」
「明日の食事用の服を買いに行く。」
「あの、」
「みか、かおるの服だ。明日はここより格式の高いところだ。子供を連れて来たと思われては困る。」
「申し訳ございませんでした。」
穴があったら入りたい。いや、透明になって誰の目からも逃れられたらいいのにとかおるは思った。
囚われるのは止めようと決めた恭祐の感情。それなのにかおるは恭祐から伝わってくるこの負の感情が呆れなのか、怒りなのか、それとももっと酷いものなのか気になってしょうがなかった。
「飲まないのか。」
不機嫌な恭祐がきれいなピンクの飲み物に視線を投げた。赤でも白でもないロゼ。恭祐とウエイターとのやり取りで、かおるが聞きとった単語はライトとスウィート。恐らくこのワインはかおるの為にオーダーされている。事実恭祐は赤の重口が好きなはずだ。
これ以上恭祐を不機嫌にしたくない。とすれば、ここでかおるが取るべき行動は明白だ。
「いただきます。」
別に飲み干せと言われたのではない。だからかおるはワイングラスを手に取り、少量を口に含んだ。その瞬間、微かな甘さが口に広がった。
ワインの良し悪しは分からないが、飲みやすい口当たりにアルコールの度数が低いであろうことだけはかおるにも想像がついた。
アルコールに強くないかおるの思考は容易く低下する。服を買うのも、アルコール度数の低い綺麗な色のワインも全てかおるの為に恭祐が気を使ってくれたのだと。
化粧だって、いつもは手早く済ませられるのに、なぜかいつもより時間が掛かってしまう。けれど、恭祐の言いつけは絶対。かおるは、決して時間に遅れるわけにはいかない。出来れば恭祐の好む5分前を目安にメインダイニングルームの入り口に着きたいと思いながら部屋を出た。
ホテルのダイニングルームの中で、最も格式高いメインダイニングルーム。そこに続く通路には絵画が飾られ、重厚な光を放つ照明が導いてくれているようだった。かおるの視界には、その美しい光とそれに見合う客達の姿が映りだした。
その一番先、メインダイニングの大きな出入り口にはスーツをまとった品の良い男性が立っていて何やら客達と話している。
出入り口の調度品、照明、更にはそこに立っている受付の案内役男性。どれをとってもこのメインダイニングが高級であることを示している。
恭祐が言った『恥をかかせない姿』、それは今入口に立っている女性のような姿のことだろう。だとすると、かおるの姿は外れている。
不安は恐怖へ変わり、かおるの足は入口に辿りつく前に止まってしまった。
「かおる。」
振り返ると、そこには今まで視界に入っていた客達よりも更にこのダイニングの雰囲気に似合う恭祐がいた。そして、かおるに向かって腕を差し出している。
「手をここに。」
「あの、」
かおるを呼び止めた声も、手を置くように指示した声もいつもよりは優しいトーンだったが、恭祐のその目は明らかに不機嫌さを表している。
そして、同じ事を二度言わせるなとかおるにプレッシャーをかけていた。
かおるは思い出した、自分は恭祐に言いつけられたことに刃向ってはいけないのだと。そもそも、刃向う以前に言われたことは即座に行わなくてはいけない。
躊躇いながらも、かおるは持てる力を振り絞って恭祐の腕に自分の手を乗せた。
すると、恭祐がまるで仲の良い女性にするかのように、耳元で囁いた。かおるには見えなくても、恐らくその表情は優しいものだろう。
けれど耳に届いたのは辛辣な言葉だった。
「お前は言われたことがいつもまともに出来ないやつだな。いいか、これ以上オレに恥をかかせるな。顔を上げて堂々としていろ。でないと、雰囲気にのまれて足も出なくなる。」
「…はい。」
出ないのではなく、既に足は止まっていた。それでも、恭祐が言うようにこれ以上の迷惑はかけられない。とすると、かおるに残っているのは恭祐が言うように顔を上げて堂々と歩くこと。加えて、笑顔でも浮かべられれば上出来ではないだろうか。
受付を過ぎると、かおるの目には更なる光の波が押し寄せてきた。照明は抑え気味ではあるものの、テーブルにセットされたいくつものグラスで光が乱反射してその波を幾重にも作っているのであった。
けれども、重厚な絨毯や調度品がその乱反射を上手くまとめ美しい光の空間を作り上げている。見事なまでに計算された美しさとでも言うのだろうか。
かおるは知らず知らずのうちに『きれい』と呟いていた。
恭祐がその呟きを聞き逃すことなど、勿論なかった。
「自分の場違いさが分かったか。」
かおるはまるで楽しい会話をしているかのように、作った笑顔で小さく頷いた。周囲にいる人は日本語など理解していないだろうから。
英語で書かれた料理名に、当然のことながら英語での説明書き。見ているものがメニューであることは分かるが、かおるには意味を成さない高級な紙でしかなかった。せいぜい食材の単語が分かるくらい。けれども、料理を頼まなくてはいけない。
「決まったか?」
「あの、どれが比較的量が少ないでしょうか。」
「肉と魚、どちらが食べたい。」
「お肉が、食べたいです。」
「分かった、適当にオレがオーダーしよう。」
優しさなのか、それともかおるに説明するのが面倒だからか、料理は恭祐が全てオーダーしてくれた。
前菜にはスモークされたホタテのマリネとサラダ、続いてトマトとハーブの冷たいスープ。メインディッシュはシンプルなステーキ、しかも量はハーフポーションということでかおるのリクエスト通り少なめだ。
どれも長いフライトの後にはありがたいものばかりだった。ただ、やはり恭祐の目に緊張が絶えない。
堂々と優雅に振る舞えているか、かおるは気になって仕方なかった。
「明日3時頃から1時間くらい買い物へ行く。そのつもりで。」
「買い物ですか?」
「明日の食事用の服を買いに行く。」
「あの、」
「みか、かおるの服だ。明日はここより格式の高いところだ。子供を連れて来たと思われては困る。」
「申し訳ございませんでした。」
穴があったら入りたい。いや、透明になって誰の目からも逃れられたらいいのにとかおるは思った。
囚われるのは止めようと決めた恭祐の感情。それなのにかおるは恭祐から伝わってくるこの負の感情が呆れなのか、怒りなのか、それとももっと酷いものなのか気になってしょうがなかった。
「飲まないのか。」
不機嫌な恭祐がきれいなピンクの飲み物に視線を投げた。赤でも白でもないロゼ。恭祐とウエイターとのやり取りで、かおるが聞きとった単語はライトとスウィート。恐らくこのワインはかおるの為にオーダーされている。事実恭祐は赤の重口が好きなはずだ。
これ以上恭祐を不機嫌にしたくない。とすれば、ここでかおるが取るべき行動は明白だ。
「いただきます。」
別に飲み干せと言われたのではない。だからかおるはワイングラスを手に取り、少量を口に含んだ。その瞬間、微かな甘さが口に広がった。
ワインの良し悪しは分からないが、飲みやすい口当たりにアルコールの度数が低いであろうことだけはかおるにも想像がついた。
アルコールに強くないかおるの思考は容易く低下する。服を買うのも、アルコール度数の低い綺麗な色のワインも全てかおるの為に恭祐が気を使ってくれたのだと。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる