政略結婚のお相手は病弱設定な第三王子でした

幽々子由馬

文字の大きさ
上 下
9 / 16

9.

しおりを挟む
9.

 夜が明ける前、身震いするような冷気が漂う。
 ジルベルトは眠るアデルを物音を立てない様に細心の注意を払いながら見つめていた。アデルが少し身じろぎ、暖を求めて布団の中で丸くなる。

 金褐色の長い髪に手をかけようとしては、止めた。彼女に指一本触れないと約束したためだ。
 自分から言い出した事とは言え、目と鼻の先に居る彼女に触れられないのは辛い。切なげに眉を下げて、彼女の眠る表情を見守る。
 すやすやと眠る表情は幼く見え、3歳の時分の彼女を彷彿とさせた。

『あなた、お外の世界を見た事が無いの?』
『うん……身体が弱いから。』
『そんなの、すぐに良くなるわよ!あたし、おまじないしてあげる!おまじないしたら、みんな良くなるのよ?メイドのマリーだって、お父さまだって、お兄様だって!みんなよ?』
『そうなの?君は凄いね。』
『そうなの、あたし強いの!あなたを守ってあげる!』

 今も瞼の裏について離れない、花が咲くような笑顔。あの時から、己の心は彼女に預けたままだ。念願叶って、やっと結婚にこぎつけることができた自分を褒めてやりたい。

(……俺は君に救われた。)

 恐らくアデルは覚えていないだろう、ジルベルトと幼い頃に出逢ったことを。
 彼女に肩を並べたくて、強い彼女を守れる男になりたくて。彼女の為に、強さを求めた。この立場も、彼女の為に自ら望んだことだ。

(今度は、俺が守るから……必ず。)

 ジルベルトは深く決意して、寝室を後にするのだった。




「ああ、やってしまったわ。」

 アデルは自室でアンナに髪を梳かしてもらいながら顔を覆った。不覚だ。全くの不覚だ。アデルは悔やんでも悔やみきれない。
 アデルが大きなベッドで覚醒した時、ジルベルトの姿は既に布団の中に無かった。全く気付かなかったアデルは、間諜失格だと嘆く。

「ジル様が起きるのに気付かなかっただなんて!一生の不覚だわ!」

 アンナは「おじょーさまなんともなくてよかったの~。」と嬉しそうに言っている。
 そう、本当に

 ジルベルトは宣言通り、ベッドの中でアデルに指一本触れる事は無かったのだ。正直、抱きしめられるくらいするのかと思っていたのに。
 髪に香油だって垂らしたのに。しかもダマスクローズの値の張るやつ。ものすごく恥ずかしい。

「あああ、穴があったら入りたいわ~。」

 王宮の侍女には、乱れていない寝具とアデルの様子で昨夜の事情について知られる事となっただろう。
 まぁ、第三王子は伏せっている設定だから、その方が都合が良いのかもしれないが。同情的な顔で「朝食はお部屋にお持ちします。」と言われてしまった。第三王子の信頼の無さよ。確かに何もなかったが。

 しかし、今のアデルにとっては唯一の救いであった。変な気を回されて第三王子の私室で朝食にしようと言われたらどうしようかと思った。
 いったいどんな顔をしてジルベルトと会えというのだ。

「朝食をお持ちしました。」

 ドアの外に足音が2名ほど止まったと思ったらドアをノックされた。そろそろかと思っていた。

(ねぇねぇ、先輩が言ってたんだけど~、アデル妃は夫婦の寝室に今朝お一人で待ちぼうけされていたんですって!)
(や~だ~、だって初夜でしょう?そんなことある~?)
(だってほら!今際の際の第三王子だもの!昼間は結婚式だったらしいけど、メイド仲間、誰も姿を見たことが無いっていうじゃない。きっとの方まで頑張れる体力が無いのよ~。)
(え~わたしだったら浮気しちゃう!アデル妃お可哀そう~。)

 ドアの向こうでコソコソ噂する位ならアデルの耳に入らないと思わないで欲しいものだ。しかし、今朝の出来事がこのように尾ひれ羽ひれついて廻るものなのか。早すぎだろう。
 しかし、待ちぼうけされた可哀そうな妃になっていたとは。アデルはそれらしくした方が良いかしら?と小首を傾げた。
 わざわざ窓際に椅子を動かして窓辺に肘をついてやった。アンナに指示をしてドアを開けてもらう。

「「失礼いたします。」」

 二人のメイドが頭を下げて入室してきた。銀盆にはサンドイッチと果物にミルク。それに温かいスープが載っている。朝からフルコースというわけではなくて安心した。

 二人のメイドはさすがに部屋では無駄話をしないようだった。部屋に設えてある小さなダイニングテーブルに銀盆を置いて、取り皿とカトラリーをセッティングしていく。
 しかしこの間、二人の視線を感じていた。ちらちらと盗み見ていたことに気付かないアデルではなかったのだ。

 さも悲し気に目を伏せて、窓の外を見ている様子は、傷心の令嬢を醸し出せただろうか。アンナにはアデルの近くで静かに佇んでもらう。
 二人のメイドはそそくさと用事を終えると頭を下げて、「ごゆっくりどうぞ。」と言い置いてドアを閉めた。

 廊下からキャッキャと話し声が聞こえた。噂はさらに膨らむことだろう。ジルベルトの彫刻のような顔が歪む様を思い浮かべる。感謝して欲しいものだとアデルは胸がすく思いだった。

「さぁ、イアンも呼びましょう。朝食よ。」

 けろりとした様子で椅子から立ち上がるアデルの周りで、アンナが「わーい!」と言ってはしゃぐ。
 アンナはアデルの私室の横に併設されたアンナとイアンの部屋に飛び込んだ。イアンの「ちょっと待て!今ここ大事なところ!」と叫んでいる声が聞こえる。
新作の武器を作っていたのだろう。
 アデルは手ずからコップにミルクを三人分注いで、今日も平和だと穏やかな気持ちになるのだった。

 朝食の後、片付けに現れたのは食事を持ってきたメイドとは違う者たちだった。……これは。アデルがドアを見る。アンナとイアンが警戒態勢でドアに向かって構えた。
 玄人の足音だ――つまりの人間である。
 トントンというノックと共に、聞いたことのある足音が混じる。アデルは片手を挙げて二人の警戒を解いた。ジルベルトである。

「どうぞ、開いておりますわ、ジル様。」

 ガチャリとドアノブを回して入ってきたのはやはり、ジルベルトであった。しかし、その容姿を茶髪に藍色の瞳と姿を変えている。
 髪は降ろされ、長めの前髪が目に掛かっていた。一見するとその辺に居そうな青年である。
 身に付けているのも、王城の騎士服だ。腰には愛刀のサーベルを帯剣していた。

(そういえば、好きだと言われたけれど、わたくしの何を持ってお好きになられたのかしら?お会いしたことは無いはずなのに。)

 アデルは内心首を傾げた。よく見ると、ジルベルトの表情は少し暗い。
 お喋りの年若いメイドたちの姿を思い浮かべて、アデルは口元にだけ笑みを浮かべた。
 ご愁傷様、と口の中で呟く。

「おはよう、アデル。……さっそくだが、昨夜言っていた者たちを連れて来た。紹介しても良いだろうか。」

 ジルベルトの言葉に頷いて「宜しいですわ。」と言いながらちらりとアンナを覗う。アデルの視線を捕らえたアンナが首を傾げていた。

「失礼いたします。」
「やっほ~。ヒュー可愛いじゃん妃殿下!お頭やる~。」
「言葉を慎めザック、王族の前だぞ。恥をかくのはお頭……殿下なんだからな。」
「もーダインったらわかってるよ~。」

 まずは屈強な茶髪の強面の青年ダインと、黒髪のひょろりとしたの青年ザックが一礼して入室する。

「言葉遣いは普段ここまで悪くはないから安心しろ。二人はこう見えて私の優秀な侍従だ。」

 一人称が私に戻っている。ジルベルトが簡単に紹介をした。二人はジルベルトの背後にピタリと付く。
 ザックがひらひらと此方に向かって手を振ってきた。見咎めたダインが肘鉄砲を食らわせている。
 また癖のありそうな侍従だが、ジルベルトの言うことは本当なのだろう。二人とも身のこなしに隙が無い。

「3人を呼べ。」

 短くジルベルトがダインに告げた。ダインはドアを開けると手招きして「入れ。」と短く言う。

「「「失礼いたします、妃殿下。」」」

 次々入ってきたのは、王宮の侍女服に身を包んだ3人の女性達だった。入ってきた3人を見て何かを察したのかアンナがぴくりと動く。

「右から、リリー、ルナ、ベラだ。」

 一糸乱れぬ礼に、軍隊の小隊を思わせた。訓練されているようだから、多分そうなのだろう。歳はリリーが16歳、ルナが19歳、ベラは14歳だと説明を受ける。

「私は今から別件で城を離れる。彼女たちの間諜の適正確認含めて処遇を決めて欲しい。使えないと思ったら切ってもらっても構わない。……頼めるか?」

 ジルベルトがそう言って藍色の瞳をアデルへ向けた。

「ええ。」

 アデルはそう言ってジルベルトを見返す。

「ところで、その姿の時にジル様とお呼びしてもよろしいのですか?」

 アデルは肝心なことを聞いていなかったと思い問いかける。きっとこの姿でなら城の中をうろついてることが想像できたからだ。
 市井でもよく居そうな、ごく一般的な出で立ちに見えた。そうだ、きっとそんな感じで彼の姿に既視感を覚えたのかもしれない。

「ああ、そうだった。城内で動く時は第三王子付きの護衛騎士『ルート』として動いている。失念していた。話を合わせてくれ。」
「承知いたしましたわ。」
「では頼んだ。」
「御心のままに。」

 ジルベルトは侍従二人を伴って嵐の様に去っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。 ----------------- 事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。 ----------------- とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。 まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。 書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。 作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活

ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。 「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」 そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢! そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。 「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」 しかも相手は名門貴族の旦那様。 「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。 ◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用! ◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化! ◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!? 「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」 そんな中、旦那様から突然の告白―― 「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」 えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!? 「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、 「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。 お互いの本当の気持ちに気づいたとき、 気づけば 最強夫婦 になっていました――! のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

処理中です...