政略結婚のお相手は病弱設定な第三王子でした

幽々子由馬

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1.第三王子との結婚

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1.第三王子との結婚

「お父様。今、何と仰いましたの?」

 大きくウェーブを描く金褐色のハーフアップにした長い髪が揺れる。たおやかな深窓の令嬢がエメラルドの瞳を零れそうなほど見開いていた。
 髪留めのリボンと同じミントグリーンの品の良いワンピースを纏った美少女だ。彼女の名は、コルベット伯爵家令嬢、アデル・コルベット。18歳である。
 クリーフ王国の王都に居を構えるコルベット伯爵邸の一角、サンルームに午後の穏やかな日差しが差し込む。
 品の良いテーブルセットの上には、これまた品の良いティーセットと目にも美しい茶菓子が並んでいた。家族水入らずの席では優雅なお茶の時間が粛々と進行している。
 アデルに対峙するのはコルベット伯爵である父、マイケルだ。歳は50。金褐色の髪を撫で付け、ヘーゼルの瞳をしたエレガントでナイスなミドルである。
 その父はアデルの質問を意に介すでもなく、優雅にお茶を口に運んで少し啜った。

「アデルの結婚相手が決まったと言ったよ。」
「いいえ、わたくしがお伺いしたいのはその後の事ですわ。」

 アデルは父に間髪入れず言い返し、テーブルに手を付いて立ち上がる。これは常時平然を装うことに馴れているアデルでも聞き捨てならない事だった。

「第三王子のジルベルト様に何の不満があるんだい?齢も21でアデルと釣り合いが取れている。王族に嫁ぐなんてなんと誉高い事ではないか。」
「ですから、」

 アデルはテーブル越しに身を乗り出す。その様子に、プラチナブロンドの豊かな髪を一纏めにした母ミーアが色気に溢れた気怠げなエメラルドの双眸を僅かに吊り上げた。45歳と思えぬ美貌と肌の張りである。

「アデルちゃん、淑女にあるまじき取り乱しようですわ。」

 母に優雅な口調で諭されて、申し訳ございませんお母さま、と着席した。……いけない、熱くなってしまった。冷静を努めて背筋を伸ばし、一つ呼吸を落とす。……だいぶ落ち着いた……気がしただけだった。

「わたくしに、第三王子と結婚しろと申しますのね?」
「だから何度も言ったじゃないか。」
「幼少より身体が弱く常に病床に伏しており、今際の際にあると噂の第三王子ジルベルト・ヴィン・クリーフ殿下の事でお間違いないのですね?」

 とうとう捲し立てて肩を上下させるアデルに、父は何とも言い難い表情をする。

「……まあ、殿下の床には常に伏されているのは確かだ。」

 アデルは父の歯切れの悪い物言いにモヤモヤとしたものを払拭できないでいた。

「でも、」

 アデルは尚も言い募る。母ミーアがまた怖い目をしているが、知った事ではなかった。

「わ、わたくしの!……の方はどうなりますの?」

 アデルが気にしていたのはこれだった。結婚……しかも王族と。まさか、仕事を引退しろという事だろうか、焦るアデルが平静でいられない理由はそこにある。

「ああ、気にするな。」

 父が「なんだそんな事か。」と、気の抜けた声を出した。母も、「そういう事ね。」と怖かった目を元に戻す。

「これからも引き続き仕事は回る事になっている。……存分に励めよ。」

 サンルームに愉快そうな父の笑い声が響いた。母も、どこか嬉しそうに微笑んでいる。

「お仕事に誇りを持つのは良い事ですわ。」

 母がほうっと頬に手を当てた。

「……わたくし達の出会いも、お仕事の時でしたものね、マイケル……。」
「ああ、そうだね、ミーア。……あの時、殺気立つ君はどんな花より美しかったよ。私の心は根こそぎ、君に持って行かれてしまった。」
「まあ、マイケルっ……。貴方こそとても情熱的な殺気だったわ。」

 突然始まる父と母の馴れ初め話。アデルは幼い頃から見慣れたこの光景に、ため息をついた。
 我がコルベット伯爵家は領地を持たない、所謂宮廷貴族というやつである。その昔は領地を持っていたらしいが、仕事の都合上、王都に入り浸りだったご先祖様が領地経営まで手が回らなくなってしまった。そこで、王家へ返還した経緯いきさつがある。

 さて、肝心のコルベット伯爵家のとは何なのか。それにはまずクリーフ王家とコルベット伯爵家の歴史を500年前の建国時まで遡らなければならない。

 西の大陸で乱世の時代、クリーフ王国は元々4つの小国群であった。当時小国の一つであったクリーフ家が大国に対抗すべく、当時小国国主であった、現三大公爵家であるレイン家、ガルデア家、ヨシュア家に声を掛けて小国連合軍を立ち上げたのである。
 周囲に戦強国がひしめき合いながら乱世を生き延びることが出来たのは、クリーフ家の戦略とその当時、手足、目耳として他国へ忍ばせた間諜・暗殺者達を統括し、クリーフ家に仕えたコルベット家の力が大きい。
 夜の闇に紛れて確実に獲物を仕留める彼等は、畏敬の念を込めて“闇のハンター”と呼ばれた。
 クリーフ王国となった暁に、闇のハンターと呼ばれた彼らは≪梟≫の称号を得て、時を経た今でもクリーフ王家に忠誠を誓い続けている。

 建国時からの歴史を誇るコルベット家は、≪梟≫として現在に至るまで筆頭を努めてきた。その存在は三大公爵家にも秘されている。
 その為、表向きコルベット家は王家の傍流にあたるとされており、父コルベット伯爵は国王側近の一人として過ごしていた。
 コルベッド伯爵家に名を連ねる者は皆、暗殺・間諜のスペシャリストであり、アデルも例外なくそうであった。
 普段の彼女は穏やかで儚げな微笑を絶やさない、まさに深窓の令嬢である。しかし彼女は幼い頃より父と2人の兄より熾烈な教育を受けてきた。
 令嬢の仮面下は、非常で冷静沈着な女スパイだ。
 彼女の聴覚は特別で、25m先の囁き声ですら識別することが出来る。この特殊な力を使い、彼女は≪梟≫の中でも間諜のスペシャリストとしての名を欲しいままにしていた。

「さて、そんな仕事熱心なアデル、お前に仕事の依頼だよ。」

 父マイケルが母と二人きりの世界で語り合った後、思い出したかのようにアデルに向き直った。アデルは高鳴る胸が抑えきれない。
 アデルにとって、全身の血が沸騰しそうなくらいのアドレナリンを感じられる仕事は、最早人生から切り離せないものとなっていた。
 これぞライフワークである。それは結婚してからも変わることは無いだろう。

「謹んでお受けいたしますわ、閣下。」

 仕事を受けるときは、父を閣下と呼ぶのが彼女の流儀だ。

「財務大臣のギュースターに黒い噂がある。今夜彼の私邸で会合が開かれるらしいから、内容を探ってきておくれ私の可愛い娘。」
「承りましたわ、閣下。」

 アデルは恭しく頭を下げると、その口元に魅惑的な笑みを浮かべた。

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