ツツジと白雲

マツイ ニコ

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 その冬の初雪は遅かった。年が明けた頃、ようやくちらほらと舞い始め、ひと遊びできるほど積もったのは睦月半ばのことだ。
 雪かきを大人に任せ、勝太とはつは遊びに出た。
 夏に虫を捕りに行った林も、今は白く染まっている。
 勝太がはつに雪玉を投げたところから始まった雪合戦は、木を砦にした攻防戦になった。

「えいっ……あ!」
「はっはっは、下手くそ!」
「勝ちゃん、避けるの上手すぎるよー!」
「お前が下手なんだよ」

 勝太に次々と雪玉を避けられ、地団駄を踏むはつに勝太は笑う。
 はつは頬を膨らませ、勝太を睨みつけた。

「なんだその顔。そんな顔したって何も怖くな――」

 ふんぞり返ったとき、勝太は雪に足を取られて尻餅をついた。
 どしん、と背が木にぶつかって、上からドサドサと雪が落ちてくる。
 頭から肩を真っ白に染めた勝太を見て、はつが笑った。

「あははははは!」
「くっそー……」

 勝太が悔しげに眉を寄せる。
 はつは笑いながら手を差し出した。

「大丈夫だった? 真っ白だね」
「うるせぇな」

 勝太はその手を掴んで立ち上がろうとしたが、はつは体制を崩したらしい。
 「あ」という声とともに勝太の腕の中に転がり込んできた。
 とさ、と軽い音を立てて、はつの身体が勝太の膝の上に乗る。
 その軽さに、勝太は驚いた。

「ごめん、うまく踏ん張れなかった」
「いや……」

 勝太の目の前に、眉尻を下げたはつの顔がある。
 勝太は心臓が大きく脈打つのを感じてうろたえた。
 離す機会を逃した手は、雪をこねていたせいで冷たくて指先の感覚がない。それでも、勝太と野菜を運ぶ量を競っていたはつの手は、勝太のそれよりきゃしゃなのが分かった。
 こんなに細い指で、あんなにたくさんの野菜を摘んでいたのか。
 こんなに軽い身体で、毎日あの赤ん坊を背負っていたのか。

「……勝ちゃん?」

 はつの丸い目が、勝太の顔を映している。
 勝太はその顔から引き剥がすように目を逸らし、「重い」と呟いた。
 はつは「あ、ごめん」と慌てて勝太から離れる。
 離れてしまった温もりに、不意に切なさがこみ上げて目を逸らした。
 無言のままの勝太の隣で、はつがごろんと横になった。
 そしてはあ、と満足げな吐息を漏らす。

「……雪が楽しく思えたのは初めて」

 雪は怖くて憎いものだと思っていた、とはつは笑う。
 はやく溶けてほしいと、いつもそればかり思っていた――そう言いながら、峠のある方を見やる。
 あそこに、はつが帰る場所がある。
 勝太はその視線を追って、また目を逸らした。

「勝ちゃんと一緒だと、なんでも楽しくなるね」

 その言葉が、勝太の胸に刺さった。
 勝太は白い帽子を被った木々を見上げる。

「俺も……こんなに楽しいのは初めてだ」

 素直な気持ちだった。
 はつは勝太の言葉を聞いて、むくりと起き上がった。

「ほんと? 嬉しい」

 勝太の顔を覗き込んで、そう笑う。
 その無邪気な笑顔に、勝太の胸は締め付けられた。
 口を開きかけ、閉じる。
 言いたい言葉は、言ってはいけない言葉なのだと、幼い勝太にも分かっていた。

「……明日も、しようか」
「うん」

 はつが弾んだ声でうなずく。
 勝太の胸の内に、今まで感じたことのない、ぬかるんだ感情が広がっていた。
 勝太はそのぬかるみに飲まれないうちに立ち上がり、はつに手を差し出す。
 はつは「ありがとう」と笑って、その手を取った。
 華奢な手が勝太の手に重なり、軽い身体はすんなりと引き上げられる。
 勝太ははつの手を取ったまま、林の中を家の方に向かって歩き始めた。
 強すぎるほどの力で、はつの手を握っていたまま。
 心の中ではぬかるみが、どんどんと広がっていく。
 あと何回、はつとこうして遊べるだろう。
 あと何回、はつの笑顔が見られるだろう。
 一年に一度、冬は来る。雪は積もる。
 けれど、はつに「また来年」とは言えないのだ。
 勝太は息を吐き出した。しばらく口の中に留めていた息は、白い煙のようにたなびいていく。

 春の足音は少しずつ、けれど確実に、近づいている。
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