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夏も終わりに近づいたころ、すっかり仲良くなったふたりを見込んで、父が声をかけた。
「よぉし。次は収穫競争といくか」
たくさん取れた方に、朝の小魚を一尾増やしてやる。そう言われれば、育ち盛りの勝太もはつも譲らない。
勢いのままにまだ小ぶりな野菜も収穫してしまうものだから、ときには父が止めに入った。
ふたりを畑仕事の戦力にしようという父の思惑は当たったらしい。それからというもの、ふたりをその気にさせて畑へ連れ出した。
どちらが大きな野菜を取れるか。どちらが畝を耕すのが上手か。
勝太が今まで面倒がって避けていたことも全て、ふたりの競争の場に変わる。
冬より長いはずの一日も、はつと一緒だと短く感じた。
畑仕事は遊びともまた違う発見に満ちていた。
はつは豊かな土で育った巨大な野菜に目を丸くしていたし、勝太ははつの細腕が想像以上に重い荷を持つのに驚いた。
日に焼けた二人は並ぶと兄妹のようだ。毎日ふたりを連れ出す父に、母は半ば呆れ、半ば感心して、
「乗せ上手だこと」
と呟いた。
父は「まあな」と得意げに胸を張る。
折はちょうど、夏野菜から秋野菜へ移り変わる時期だった。冬越えのためにも大事な季節なのは分かっているから、はつの子守がおろそかになっても、母も強くは言えないようだった。
この頃には、はつもすっかり年相応の顔つきをするようになっていた。
そうなると、元来が子ども好きな母にはかわいく見えるらしい。
実の子が男ばかりであることも、女の子かわいさに拍車をかけているのだろう。
手の空いたときにはつくろいものを教えたり、小さな髪飾りを作ってやっているらしい。
はつはおしゃれなどしたことがないようで、長い髪を整え、母が娘の時分に気に入っていたというかんざしを挿してもらうと、気恥ずかしそうに喜んでいた。
横目にちらちら見ていた勝太に「似合うかな」と聞くものだから、勝太は思わず「知らねぇ」とそっぽを向いてしまった。
かわいい、と思ったが、それを口にするのはなんとなくためらわれた。
仲のいい遊び友達は、男ではないのだ。そうわかっていても、認めたくない気がした。
***
はつが子守している赤ん坊も、八月になると寝ているだけでは物足りなくなってきたらしい。
家の中を自由自在に這いまわり、ふたりの遊びに混じることもある。
ある朝、縁側の上に赤く散った紅葉を見たはつが、「わあ」と嬉しそうな声をあげた。
「紅葉がもうこんなに赤くなってる」
はつは縁側に坊を呼び寄せると、二葉の紅葉を手にして目に当てる。
「いないいない……ばあ」
それを見ていた坊は、きゃっきゃと喜んだ。
はつは嬉しくなって、また目を紅葉で覆う。
「いないいない……」
そのとき、はつは誰かに肩を叩かれた。
振りむくと、そこには大きな蓮の葉の仮面がある。
うろたえたが、よく見れば指で切り裂かれた穴からは、笑う勝太の目が見える。
はつは笑い出した。
「あはははは……! 勝ちゃん」
「どうだ、強そうだろ!」
「うん、強そう! ふふふ、びっくりしたー」
一方、隣にいた赤ん坊は驚いたように目を丸くしていたが、近づく勝太を怖がって、大声で泣き始めた。
勝太がうろたえる。
「わ、わ、ごめん!」
「あははははは、怖くないよ。あんたのお兄さんだよ」
勝太は慌てて仮面を外し、はつは笑いながら赤ん坊をあやす。
坊がはつにすがりつくように泣くものだから、困り切った勝太は平謝りした。
はつはますます高らかな笑い声をあげた。
***
秋虫の鳴き声が響く夜、勝太の両親は縁側で酒を飲み交わしていた。
「もうひと月で師走か……一年があっという間に過ぎるな」
「そうですね」
厠へ行っていた勝太は、両親が密やかに交わす会話を耳にして立ち止まった。
「はつが来てから、もう半年ですか」
「過ぎてみれば短く感じたな」
「次の春には、はつはまた郷に帰るんですね……」
「ああ。最初はどうなるかと思ったけど、こうなると、一年じゃ短かったようにも思えるなぁ」
父が言って、一瞬、沈黙がおとずれる。
母がぽつりと、
「……もう一年、いませんかね」
「ははは。それははつが可哀想だろう……」
父が笑うのを聞きながら、勝太はその場から離れた。
なぜか、妙な息苦しさを感じていた。
次の春が来たら、はつは郷へ帰っていく。
そういえば、そうだった。
改めて耳にしたことが、勝太の頭をぐるぐるしている。
――分かっていたはずのことだ。
はつは一年したら郷へ帰る。それを、はつ自身も望んでいる。
――分かっていたはずのことだ。
それなのに、どうして今、こんなにもうろたえているんだろう。
勝太は足音を忍ばせて、床へと滑り込んだ。
はつは帰る。
冬が来て、次の春がきたら、この家からいなくなる。
胸にざわついたなにかがこみ上げた。
リリリリリ……
外でスズムシが鳴いている。風がさわさわと吹いている。
さっきまで心地よく感じていた夜の暗さが、突然、落ち着かなくなった。
――はつが、いなくなる。
目を閉じると、はつの笑顔が浮かんだ。はつが笑う。その笑い声が青空に広がっていく。
もう当たり前になったその光景が、まぶたの裏にまざまざと広がって、勝太はその晩、眠れなかった。
「よぉし。次は収穫競争といくか」
たくさん取れた方に、朝の小魚を一尾増やしてやる。そう言われれば、育ち盛りの勝太もはつも譲らない。
勢いのままにまだ小ぶりな野菜も収穫してしまうものだから、ときには父が止めに入った。
ふたりを畑仕事の戦力にしようという父の思惑は当たったらしい。それからというもの、ふたりをその気にさせて畑へ連れ出した。
どちらが大きな野菜を取れるか。どちらが畝を耕すのが上手か。
勝太が今まで面倒がって避けていたことも全て、ふたりの競争の場に変わる。
冬より長いはずの一日も、はつと一緒だと短く感じた。
畑仕事は遊びともまた違う発見に満ちていた。
はつは豊かな土で育った巨大な野菜に目を丸くしていたし、勝太ははつの細腕が想像以上に重い荷を持つのに驚いた。
日に焼けた二人は並ぶと兄妹のようだ。毎日ふたりを連れ出す父に、母は半ば呆れ、半ば感心して、
「乗せ上手だこと」
と呟いた。
父は「まあな」と得意げに胸を張る。
折はちょうど、夏野菜から秋野菜へ移り変わる時期だった。冬越えのためにも大事な季節なのは分かっているから、はつの子守がおろそかになっても、母も強くは言えないようだった。
この頃には、はつもすっかり年相応の顔つきをするようになっていた。
そうなると、元来が子ども好きな母にはかわいく見えるらしい。
実の子が男ばかりであることも、女の子かわいさに拍車をかけているのだろう。
手の空いたときにはつくろいものを教えたり、小さな髪飾りを作ってやっているらしい。
はつはおしゃれなどしたことがないようで、長い髪を整え、母が娘の時分に気に入っていたというかんざしを挿してもらうと、気恥ずかしそうに喜んでいた。
横目にちらちら見ていた勝太に「似合うかな」と聞くものだから、勝太は思わず「知らねぇ」とそっぽを向いてしまった。
かわいい、と思ったが、それを口にするのはなんとなくためらわれた。
仲のいい遊び友達は、男ではないのだ。そうわかっていても、認めたくない気がした。
***
はつが子守している赤ん坊も、八月になると寝ているだけでは物足りなくなってきたらしい。
家の中を自由自在に這いまわり、ふたりの遊びに混じることもある。
ある朝、縁側の上に赤く散った紅葉を見たはつが、「わあ」と嬉しそうな声をあげた。
「紅葉がもうこんなに赤くなってる」
はつは縁側に坊を呼び寄せると、二葉の紅葉を手にして目に当てる。
「いないいない……ばあ」
それを見ていた坊は、きゃっきゃと喜んだ。
はつは嬉しくなって、また目を紅葉で覆う。
「いないいない……」
そのとき、はつは誰かに肩を叩かれた。
振りむくと、そこには大きな蓮の葉の仮面がある。
うろたえたが、よく見れば指で切り裂かれた穴からは、笑う勝太の目が見える。
はつは笑い出した。
「あはははは……! 勝ちゃん」
「どうだ、強そうだろ!」
「うん、強そう! ふふふ、びっくりしたー」
一方、隣にいた赤ん坊は驚いたように目を丸くしていたが、近づく勝太を怖がって、大声で泣き始めた。
勝太がうろたえる。
「わ、わ、ごめん!」
「あははははは、怖くないよ。あんたのお兄さんだよ」
勝太は慌てて仮面を外し、はつは笑いながら赤ん坊をあやす。
坊がはつにすがりつくように泣くものだから、困り切った勝太は平謝りした。
はつはますます高らかな笑い声をあげた。
***
秋虫の鳴き声が響く夜、勝太の両親は縁側で酒を飲み交わしていた。
「もうひと月で師走か……一年があっという間に過ぎるな」
「そうですね」
厠へ行っていた勝太は、両親が密やかに交わす会話を耳にして立ち止まった。
「はつが来てから、もう半年ですか」
「過ぎてみれば短く感じたな」
「次の春には、はつはまた郷に帰るんですね……」
「ああ。最初はどうなるかと思ったけど、こうなると、一年じゃ短かったようにも思えるなぁ」
父が言って、一瞬、沈黙がおとずれる。
母がぽつりと、
「……もう一年、いませんかね」
「ははは。それははつが可哀想だろう……」
父が笑うのを聞きながら、勝太はその場から離れた。
なぜか、妙な息苦しさを感じていた。
次の春が来たら、はつは郷へ帰っていく。
そういえば、そうだった。
改めて耳にしたことが、勝太の頭をぐるぐるしている。
――分かっていたはずのことだ。
はつは一年したら郷へ帰る。それを、はつ自身も望んでいる。
――分かっていたはずのことだ。
それなのに、どうして今、こんなにもうろたえているんだろう。
勝太は足音を忍ばせて、床へと滑り込んだ。
はつは帰る。
冬が来て、次の春がきたら、この家からいなくなる。
胸にざわついたなにかがこみ上げた。
リリリリリ……
外でスズムシが鳴いている。風がさわさわと吹いている。
さっきまで心地よく感じていた夜の暗さが、突然、落ち着かなくなった。
――はつが、いなくなる。
目を閉じると、はつの笑顔が浮かんだ。はつが笑う。その笑い声が青空に広がっていく。
もう当たり前になったその光景が、まぶたの裏にまざまざと広がって、勝太はその晩、眠れなかった。
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