君の香に満ちて

マツイ ニコ

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【五】君が香

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 すみが帰り、夕餉を済ませた後、吉夜は香代を寝所へといざなった。
 部屋に入った瞬間、鼻をくすぐる優しい香りに香代は足を止める。
 吉夜はその表情を楽しむように香代を見ていた。

「……どうして」

 香木はすべて燃えてしまったのではないのか。香代は吉夜を見つめる。
 吉夜は肩をすくめた。

「俺も養父上も、入りきらない分を陣屋に置いていたらしくてな……それぞれ持ち帰ってみれば、それなりの量があったみてェだ」

 もちろん、殿の要望に合わせて焚けるよう、小分けにして持って行っていたものもあるという。
 中には、倹約家だった妻に気づかれないよう、主膳がこっそり隠していたものもあるだろうと吉夜は笑った。
 血が繋がっていないわりに、やることの似ている養父子おやこだ。香代は思わず笑ってしまった。

「……それで、お香代」

 吉夜は戸を閉め、香代に近づいた。
 甘やかで優しい香りがいっそう強くなったように思える。
 吉夜の手が、香代の頬に触れた。

「この香は……何のときに焚いていた香だと思う?」

 答えはもちろん分かったが、口にするのはためらわれて、軽くうつむいた。
 言葉の代わりに、吉夜を見上げる。
 吉夜が喉を鳴らして笑った。ゆっくりと、整った顔が香代に近づいてくる。

「……いいか?」

 香代がこくりとうなずくと、吉夜の唇が重なった。
 口づけは、角度を変えながら段々と深くなる。柔らかく香代を包む吉夜の唇から漏れる吐息に、香代は酔いしれた。

(わたしを……求めてくださってる)

 喜びに、身体が震える。求めているのは吉夜だけでない、香代もだ。
 余裕なく、互いの温もりを求めている。
 吉夜に腰を抱かれて、寝具に横たわった。
 香代、と名を呼ばれて、はい、と小さく答える。
 吉夜が切なげな目で香代を見下ろす。再び唇が重なり、濃密な空気に包まれた。
 香代は夫の唇の温もりを感じながら目を閉じた。

(……もう、怖くない)

 自分よりも大きく、力の強い人が、自分を組み敷いている。
 それでも、もう怖いとは感じなかった。
 それは、自分を襲った人間――兵吾がいなくなったから、というわけではないだろう。

(吉夜さま、だからだ)

 何をされてもいい、と思える。
 香代が嫌がることはしない、と信じていられる。
 だから、目をつぶった先にあるのが暗闇だとしても、もう、怖くはない。

「吉夜さま……」
「香代……」

 唾液に濡れた唇で呼べば、切なげな夫の声が応えた。
 吉夜に名を呼ばれるだけで、香代の身体はうずく。
 首筋から胸元へ、吉夜の唇が降りていく。夫の手が香代の帯を解き、前をくつろげた。
 ふっ、と、吉夜が笑った。

「……なんだ」

 吉夜が見下ろす香代の胸元には、一度失くしかけたお守りがある。

「どうなってンのかと思ったら、首からかけてたのか」
「……もう、失くしたくないので」

 吉夜はくすりと笑ったが、いつも以上に機嫌がよさそうだ。
 吉夜はお守りの上から、香代の胸に頬を寄せる。
 軽く肌に口づけると、香代の両手に自分の手を絡め、唇で胸の突起を食んだ。

「あっ……」
「あまり、声を出すなよ」

 吉夜はまた、機嫌よさそうに喉を鳴らす。

「今は養父上も母屋にいるからな……聞かれるかも知れん」

 香代は慌てて、手で口を押さえた。吉夜がくつくつと喉を鳴らす。

(その笑い声……)

 まるで猫が喉を鳴らしているような声が、香代の胸をくすぐり、下腹の奥をうずかせる。
 吉夜は喉の奥で笑いながら、身体に口づけては、舌を這わせていく。

「はぁ……」

 口から漏れた吐息が、満足げに聞こえて恥ずかしくなった。

(……蕩けてしまいそう……)

 香代は吐息の漏れる口を手で覆い、夫が与える快楽に浸る。
 まだ一度しか繋がったことのないそこも、すでに吉夜を求めて潤んでいるのが自分でも分かった。
 吉夜の吐息が肌にかかるたび、香代は震えて声を抑える。
 奥のうずきがせつなく、知らないうちに膝をすりあわせていた。

「吉夜……さま……」
「ん……?」

 吐息のような優しい返事には、日頃ない甘い色香が混ざっている。
 この声を聞けるのは自分だけなのだと思うと、香代はぞくぞくするほどの喜びを感じた。
 香代の腰が震えたのに気づいて、吉夜が嬉しそうに笑う。
 薄い下腹を撫でて口づけ、指はそのまま股の間へと降りた。

「ぁっ」
「こら……膝を開け」

 気恥ずかしさについ膝に力を込めたが、吉夜にももを撫でられて力を緩めた。
 吉夜の手が割れ目を撫でる。
 小さな水音が立って、香代は恥ずかしさのあまり顔を覆った。

「濡れてるな」

 吉夜は嬉しそうに喉を鳴らした。香代の顔から手を引き剥がし、じっと目を覗き込む。

「もしかして……この日を待ってたのァ、俺だけじゃなかったか」

 香代はいたずらっぽく笑う夫を恨めしげに見やってから、両手をその首へと伸ばした。
 吉夜は大人しく香代の腕におさまり、顔を寄せる。
 香代はためらってから、夫の唇に自分のそれを重ねた。ちゅ、と小さな音を立て、唇が離れる。
 おずおずと、優しいその目を覗き込んだ。

「……わたしも、吉夜さまに触ってもいいですか?」

 一度だけ繋がったあの夜は、吉夜にすべてを任せていたから、吉夜の肌に触れた記憶はほとんど残らなかった。
 吉夜と離れている間、そのことが寂しくてたまらなかったのだ。
 もっと、夫の身体に触れたい――目を閉じていても、夢の中でも、その輪郭を思い出せるように。
 吉夜は少し驚いたような顔をしたが、笑ってこくりとうなずいた。
 香代が襟元から手を差し入れると、吉夜は少し身体を起こし、帯を解いて肩から夜着を落とした。
 行燈の灯りに照らされた吉夜の身体には、香代のそれと違う陰影が降りている。
 首の付け根にくっきりと浮き出た鎖骨。胸の中心に流れる筋を辿れば、縦横に筋の入った腹にたどり着く。それを横から挟むように、腰からゆるやかな丘が流れていた。
 女とは違う身体の美しさと色気に、香代はうろたえた。

「……触るんじゃねェのか?」

 笑いを含んだ吉夜の声に、我に返ってうなずいた。
 自分の鼓動をうるさく思いながら、震える指先で吉夜の肌に触れる。
 日頃、鍛錬しているのを見たことはないが、吉夜の身体はどこも引き締まっていた。
 香代は控えめに指を這わせて、吉夜の身体の凹凸を辿っていく。
 香代の指先が触れるたび、吉夜がぴくりと震えた。
 自分が触れられているわけでもないのに、香代の身体のうずきが増す。
 香代が唾を飲むと、ごくんと大きな音がした。

「……っ……」

 香代が腰に指を走らせたとき、吉夜はなにかに堪えるように息を詰めた。
 くすぐったいのだろうか。手を止めると、吉夜は苦笑する。

「……もう、いいのか?」

 苦しげな息づかいが、一層吉夜を艶めかせている。

「いえ、あの……」

 ためらう香代の手首を、吉夜が掴んで布団に縫い付けた。

「本当にお前さんは……男を煽るのが上手いな」

 吉夜が苦笑いしている。そんなつもりはなかったと言おうとした口は、吉夜のそれに塞がれた。
 唇を離すと、吉夜は香代の手を引き寄せる。

「今度は……俺の番だ」

 囁いて、香代の指を唇に咥える。香代はとたん、ぞくりと背中に走った甘いしびれに声を押さえた。
 吉夜に抱き寄せられた腰に、堅い何かが当たる。香代は思わず腰を引いたが、吉夜は許してくれない。

「……悪いな……久しぶりだからゆっくり……と、思ってたんだが」

 吉夜は苦しげに言って、下帯を解いた。
 そこから、男の昂りが現れる。
 嫌悪していたはずのそれすら、吉夜のものは美しく思えた。
 香代のぬかるみに熱を押し当て、吉夜は香代の頬を撫でた。

「……挿れるぞ」

 香代がこくりとうなずくと、吉夜はゆっくりと腰を進める。
 香代のうずきの中心を、吉夜の熱が埋めていく。少しずつ、少しずつ、内壁を吉夜のものに撫でられて、腰から這い上がってくる甘い痺れに、声をあげそうになって手で口を押さえた。
 慣らしていない中は狭いようだった。吉夜は苦しげに顔を歪めながらも、「痛くないか」と香代の頬を撫でる。
 香代はこくこくとうなずきながら、声を出さないよう、吉夜の首にしがみついた。

「……声が出そうなら、俺の肩を噛んでいろ」
「そんなこと――ぁっ!」

 ぐぐっ、と吉夜が腰を進めて、香代はあやうく本当に吉夜の肩を噛みそうになった。
 涙目で睨んだ香代を、吉夜はくつくつと笑う。

「閨で女に噛まれた痕は、男の誉れだ。……気にするな」

 耳元で甘く囁いた唇が、香代の耳を舐めしゃぶる。
 その間も、吉夜の熱杭は容赦なく香代の中へと押し入ってくる。
 最後まで繋がったところで、吉夜は満足げな吐息をついた。

「……ようやく……」

 香代の頬に唇を寄せ、吉夜は切ない声でひとりごちる。

「ようやく、ゆっくり愛せる……。一度抱いてから、次はいつ抱けるかと……そればかりを考えてた」

 吉夜はちらと香代を見た。「呆れたか」と問われて、香代は首を横に振った。

「それは……わたしもです」

 香代は吉夜の頬を両手で包み、微笑んだ。

「……次はいつ、抱いていただけるかと……吉夜さまの香りを嗅ぐたび、そわそわしておりました」

 吉夜が香代の目を見つめ、ふっと笑う。
 腰を押しつけられ、深いところを突かれる。香代は慌てて手を口に当てた。
 その手をどけて、吉夜は香代に口づける。
 ゆっくりと始まった律動に、二人の繋がりから水音が漏れた。

「……香代」

 吉夜は律動の合間に、恍惚とした声で香代を呼んだ。

「……吉夜さま」

 香代も同じく答えながら、その身体にしがみつく。
 香代が揺すぶられるたび、首に下げたお守りが身体の上で踊った。
 二人の繋がりは一度目よりも深く、強く、熱く、心地いい。

「っ、はっ、っ、ん、ふっ……!」
「はぁ、香、代っ、っく、ぅっ……!」

 互いの荒い息づかいの中、いっそう深く繋がり合う。
 すべてが吉夜で満たされていくのを感じながら、香代はたかぶりへ達した。
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