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第参章 散りぬるを
7話 足抜けと勘八の企み
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青鈍色の分厚い雲が空を覆い尽くす夜。
若山遊郭は提灯に火が入れられ赤々と町を照らす。
妓を買う者眺める者、品定めする者で男達がうねる波のように仲ノ町を蠢く。
その様子はまるで、大きくどす黒い魑魅魍魎が町を舐めて嚥下している様にも見える。
———いや、おそらくそれは比喩ではなく男の中に巣食う魑魅が妓を喰らおうとしているのだ。
仲ノ町から揚げ屋町を西に抜けた河岸見世と小見世の隅に頬かむりを被った男が一人ひっそりと佇んでいた。
灯かりに照らされない暗闇だったから目を凝らさなければ判らない程だ。
近場に駆け寄った菖蒲は灯かりの届かない暗闇に少しびくつきながらゆっくりと足を進める。
勘八と待ち合わせをしたのは確かこの辺りだった筈だが、月の光も届かない暗闇は何も見えない。しばらく凝視するとようやくふわりと人の影が見えるが、それが誰かも判らずに声を出すことを躊躇した。
「こっちだ、菖蒲」
菖蒲は聞き慣れた愛しい男の声を聞いて弾かれたように顔をあげて人影に駆け寄った。
「勘八、よかった。やっと会えた……」
そう言って身を寄せると力強い腕で抱き留められる。
「俺も会いたかったぜ、菖蒲」
菖蒲の小柄な体をぐいと引き寄せて勘八は口付けを落とす。
柔らかな唇を吸って菖蒲の顔を見るともう一度愛おしそうに唇を寄せる。
溜息を絡ませながらひとしきりお互いの存在を確かめ合うと、勘八は菖蒲の着物を見てほっと溜息を吐く。
「よし、ちゃんと俺の渡した着物に着替えて来たな。これなら誰も華屋の菖蒲だとは気付きゃしねぇ」
稼ぐ妓なだけに菖蒲の着る着物は正絹の素晴らしい仕立てのものばかりで、少し着物に興味のある人間が見ればすぐに高値だと判る。今時分にそんな高値な着物を着て歩く町娘などはいないからどこかの妓楼、少なくとも高級な中見世以上の妓だと見咎められてしまうのだ。足抜けを考えているなら目立つ真似は控えねばならない。
「あんたと会う前に捕まったらって考えると生きた心地がしなかったよ」
もう一度しっかりと抱き付いて唇を寄せると勘八は菖蒲を少し押し戻す。
「ひとまず宿に入ってからだ」
菖蒲がびくりと身を震わせる。
「宿って……、まさか遊郭の中に泊まるのかい?」
足抜けをするのに遊郭の中で過ごすなど菖蒲は考えていなかったから、すぐに抜け出す積もりでいた。
それが宿に泊まるとは。
「大丈夫だ、俺の言うことを信じろ、菖蒲」
女郎では考えも及ばない足抜けの方法があるのかもしれないと菖蒲は思い直して頷く。
東よりは小綺麗だがそれでもみすぼらしい切見世長屋の板葺き屋根を眺めながら裏道を歩いて裏茶屋通りに出る。
小さな提灯が一つ、朽ちた板に「田村屋」とかすれた文字で書かれた茶屋の暖簾を潜る。暖簾は日に焼けて色褪せ、虫が食って穴が開いている。
「この宿だ、茶屋の亭主に袖の下を渡してある。俺達が今夜ここにいるこた誰にもばれねぇ手筈だ。さ、入ろう」
勘八は暖簾を潜ると番頭台に銀数枚を置いて狭い二階への階段を上がって行き、菖蒲もそれに連なる。
部屋は三畳の小さな部屋で布団が狭苦しく敷かれている。
だが貧相な部屋だろうが何だろうが行燈に明かりを灯し、愛しい男の顔が映ればそこは菖蒲にとって御殿だ。
「こんな軽い着物を着たのは何年振りだろうね」
どうせ脱がされる着物だろうが、丁寧に着付けさせられる着物はいつも仕立ての確かな、裏地が付いた正絹のずっしりと重いものだった。蒸す夜には汗ばむような着物ばかりで息が詰まるような思いを抱えていた。
勘八から貰った着物は安物の生地の割に肌触りがいい。
何よりそれが勘八からの初めての贈り物なのだ。菖蒲にとっては大切な宝物だ。
「しけた宿ですまねぇな。だけど、遊郭は不夜城だ。夜の方が賑わう分、大門の通行は厳しくなる。夜中の内に逃げ出すより早朝の方が抜けやすい」
きっと遊郭の抜けやすい時間を一生懸命に考えてくれたのだと思うと菖蒲は心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「そうなんだね。じゃあしばらくここで時間を潰してみんなが寝静まるのを待とう」
「ここを出たら京の都まで休みなしだ。菖蒲、今の内に休んどけよ」
布団に横たわらせようとすると、菖蒲は掌でそれを遮る。
「あんたにばかり迷惑は掛けられないよ」
すると勘八は溜息を吐いて微笑む。そして盆に載せてある徳利を取って酒をお猪口に注ぐと菖蒲に差し出した。
「見世を出て来るのに随分気を張ったろう。安い酒で済まねぇが少し飲んで休め」
きっと勘八の方が大変だったろうに、思い遣りと優しさが心に染みる。
「ありがとう……。ここを抜けたら、やっとあんたと夫婦になれるんだね」
「そうだな、俺も待ち遠しかったぜ」
そう言って菖蒲を抱き寄せると再び口を吸う。
腕に抱かれたまま素直にそれに従うと菖蒲は舌を差し込んで深い口付けをねだる。勘八はそれに応えながら布団に菖蒲を
押し倒すとひとしきり互いの舌と吐息を絡ませる。もどかしくなって菖蒲が勘八の袴の紐に手を掛けると、勘八は優しくそれを諫めた。
「今日は駄目だ。しっかり抜けてからでないと」
そう言われて少し寂しく感じた菖蒲だったが、確かに夢うつつな状態では判断が鈍ることもあるだろう。大人しく手を引っ込めた。
勘八は急須の茶を湯呑に注ぐとそれを煽って、気まずそうに菖蒲に向き直る。
「ところで菖蒲、その……、持ってこれたか?」
己の懐の辺りをぽんぽんと叩いて何かの合図を送る。
菖蒲は「あぁ」と微笑むと答えた。
「懐に百両、袂に二百両だ。これでなんとかなるかい?」
———三百両。
菖蒲を抱き締めた時に帯の上の辺りがやけに硬かったので大丈夫だとは思ったが、予想外の金額に勘八の顔が輝く。
「上出来だ、菖蒲。これで俺達の将来は保障されたようなもんでぇ」
再び勘八は菖蒲を抱き締めて口を吸って菖蒲を褒める。
菖蒲は余り勘八が喜ぶので自分も嬉しくなり、金を盗んだ罪悪感を忘れて喜んだ。
「京に行ったら何をしようか」
「へへっ、俺ぁちいとばかり蕎麦の打ち方を習ったことがあってな。夫婦で蕎麦屋でも開いてこぢんまりと暮らしてぇ、なぁんてな。『夫婦蕎麦、食ったら幸せになれるぜ』なんてどうだ」
小さな蕎麦屋を開いて、厨房の勘八に微笑みかける。料理屋の机を台拭きで拭きながら、注文が入ったよと報せる菖蒲。
夢のような光景に菖蒲は頬を染める。
子供は、二人もいればそれでいい。
これで、こんな苦界を抜けて幸せになれる。
ふわりと瞼が重たくなって酩酊する。こんなに酒に酔う性質ではないのに、と菖蒲は考えていたよりも気を張っていたのか、と思い布団に身を落としてゆっくりと瞼を閉じた。
「あんたに蕎麦の心得があるなんて初めて知ったよ。そうかい……、蕎麦屋、夫婦でこぢんまり、と……」
言い切らぬ内に菖蒲の言葉は寝息に代わる。すぅすぅと心地よさそうな寝息を聞きながら勘八は菖蒲をゆする。
「菖蒲……? 菖蒲、もう寝ちまったのかい?」
菖蒲はどれほど強く揺さぶっても起きる気配はない。寝息を立てながら深い眠りに落ちたようだ。
暗い行燈の灯かりの中、勘八の目がぎらりと光る。
たまらずに口から下卑た笑いがこみ上げる。
「さすが支那の商人から買い付けた眠り薬は良く効くぜぃ」
菖蒲に飲ませた酒にはたっぷりと眠り薬を混ぜ込んであったのだ。
眠った女の懐と袂から十二個の常是包を探り当てて取り出すと一つは懐に残りは袴の下の帯に括り付けてあった風呂敷に包むとまた袴の下に括り付ける。
菖蒲の顔を行燈の明かりで照らすと、しっかり眠っているのをもう一度確認する。
全く、華屋の牡丹と張り合うとはよく言ったものだ。確かに化粧をすれば化ける顔付きだが化粧をせずに眠りこけていると随分としょぼくれて見える。
数日前にあった次代お職と言われた若い花魁は、化粧をしていなかったが繊細で随分と豪華な顔立ちをしていた。
男を騙してなんぼの世界だ、騙して金を奪うのが仕事だから化粧に誤魔化される男共が悪いのだが、造りは随分大雑把だと気づく。結局はたたき上げと筋金入りとでは差があるのだ。
菖蒲は今でこそ稼げる妓だろうがあと一年もすれば年嵩がいって見向きもされなくなるだろう。
そうなる前に手を切りたいと思っていたのだが、いかんせんこの妓は熱を上げさせ過ぎた。別れ話も到底出来そうな雰囲気ではなかったから、これを機会に菖蒲を棄てて町を移る積もりでいたのだ。
若山に未練はない。次は大阪の新町にでも行こうかと考えている。
あぁ、しかし清算はせねば。一度若山横の賭場には顔を出さねばなるまい。
ああいった連中は金のためにどこまでも追いかけて来るから厄介だ。
新町に行ったら次は何と名乗ろうか。
いずれにしても菖蒲とも勘八という男ともお別れだ。
頭の中で色々算段を付けていると明六ツの鐘が控えめな音を立てて鳴る。
大門が開く時間だ。
茶托に湯呑を置くと襖の前で菖蒲に向かってぷっと唾を吐きかける。
「女郎上がりの女と所帯なんざ真っ平御免だ。三百両はありがたく頂戴してくぜ、菖蒲。そんじゃあ、達者でな」
言い残すと仲ノ町を抜けて大門を潜り若山から出て行った。
若山遊郭は提灯に火が入れられ赤々と町を照らす。
妓を買う者眺める者、品定めする者で男達がうねる波のように仲ノ町を蠢く。
その様子はまるで、大きくどす黒い魑魅魍魎が町を舐めて嚥下している様にも見える。
———いや、おそらくそれは比喩ではなく男の中に巣食う魑魅が妓を喰らおうとしているのだ。
仲ノ町から揚げ屋町を西に抜けた河岸見世と小見世の隅に頬かむりを被った男が一人ひっそりと佇んでいた。
灯かりに照らされない暗闇だったから目を凝らさなければ判らない程だ。
近場に駆け寄った菖蒲は灯かりの届かない暗闇に少しびくつきながらゆっくりと足を進める。
勘八と待ち合わせをしたのは確かこの辺りだった筈だが、月の光も届かない暗闇は何も見えない。しばらく凝視するとようやくふわりと人の影が見えるが、それが誰かも判らずに声を出すことを躊躇した。
「こっちだ、菖蒲」
菖蒲は聞き慣れた愛しい男の声を聞いて弾かれたように顔をあげて人影に駆け寄った。
「勘八、よかった。やっと会えた……」
そう言って身を寄せると力強い腕で抱き留められる。
「俺も会いたかったぜ、菖蒲」
菖蒲の小柄な体をぐいと引き寄せて勘八は口付けを落とす。
柔らかな唇を吸って菖蒲の顔を見るともう一度愛おしそうに唇を寄せる。
溜息を絡ませながらひとしきりお互いの存在を確かめ合うと、勘八は菖蒲の着物を見てほっと溜息を吐く。
「よし、ちゃんと俺の渡した着物に着替えて来たな。これなら誰も華屋の菖蒲だとは気付きゃしねぇ」
稼ぐ妓なだけに菖蒲の着る着物は正絹の素晴らしい仕立てのものばかりで、少し着物に興味のある人間が見ればすぐに高値だと判る。今時分にそんな高値な着物を着て歩く町娘などはいないからどこかの妓楼、少なくとも高級な中見世以上の妓だと見咎められてしまうのだ。足抜けを考えているなら目立つ真似は控えねばならない。
「あんたと会う前に捕まったらって考えると生きた心地がしなかったよ」
もう一度しっかりと抱き付いて唇を寄せると勘八は菖蒲を少し押し戻す。
「ひとまず宿に入ってからだ」
菖蒲がびくりと身を震わせる。
「宿って……、まさか遊郭の中に泊まるのかい?」
足抜けをするのに遊郭の中で過ごすなど菖蒲は考えていなかったから、すぐに抜け出す積もりでいた。
それが宿に泊まるとは。
「大丈夫だ、俺の言うことを信じろ、菖蒲」
女郎では考えも及ばない足抜けの方法があるのかもしれないと菖蒲は思い直して頷く。
東よりは小綺麗だがそれでもみすぼらしい切見世長屋の板葺き屋根を眺めながら裏道を歩いて裏茶屋通りに出る。
小さな提灯が一つ、朽ちた板に「田村屋」とかすれた文字で書かれた茶屋の暖簾を潜る。暖簾は日に焼けて色褪せ、虫が食って穴が開いている。
「この宿だ、茶屋の亭主に袖の下を渡してある。俺達が今夜ここにいるこた誰にもばれねぇ手筈だ。さ、入ろう」
勘八は暖簾を潜ると番頭台に銀数枚を置いて狭い二階への階段を上がって行き、菖蒲もそれに連なる。
部屋は三畳の小さな部屋で布団が狭苦しく敷かれている。
だが貧相な部屋だろうが何だろうが行燈に明かりを灯し、愛しい男の顔が映ればそこは菖蒲にとって御殿だ。
「こんな軽い着物を着たのは何年振りだろうね」
どうせ脱がされる着物だろうが、丁寧に着付けさせられる着物はいつも仕立ての確かな、裏地が付いた正絹のずっしりと重いものだった。蒸す夜には汗ばむような着物ばかりで息が詰まるような思いを抱えていた。
勘八から貰った着物は安物の生地の割に肌触りがいい。
何よりそれが勘八からの初めての贈り物なのだ。菖蒲にとっては大切な宝物だ。
「しけた宿ですまねぇな。だけど、遊郭は不夜城だ。夜の方が賑わう分、大門の通行は厳しくなる。夜中の内に逃げ出すより早朝の方が抜けやすい」
きっと遊郭の抜けやすい時間を一生懸命に考えてくれたのだと思うと菖蒲は心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「そうなんだね。じゃあしばらくここで時間を潰してみんなが寝静まるのを待とう」
「ここを出たら京の都まで休みなしだ。菖蒲、今の内に休んどけよ」
布団に横たわらせようとすると、菖蒲は掌でそれを遮る。
「あんたにばかり迷惑は掛けられないよ」
すると勘八は溜息を吐いて微笑む。そして盆に載せてある徳利を取って酒をお猪口に注ぐと菖蒲に差し出した。
「見世を出て来るのに随分気を張ったろう。安い酒で済まねぇが少し飲んで休め」
きっと勘八の方が大変だったろうに、思い遣りと優しさが心に染みる。
「ありがとう……。ここを抜けたら、やっとあんたと夫婦になれるんだね」
「そうだな、俺も待ち遠しかったぜ」
そう言って菖蒲を抱き寄せると再び口を吸う。
腕に抱かれたまま素直にそれに従うと菖蒲は舌を差し込んで深い口付けをねだる。勘八はそれに応えながら布団に菖蒲を
押し倒すとひとしきり互いの舌と吐息を絡ませる。もどかしくなって菖蒲が勘八の袴の紐に手を掛けると、勘八は優しくそれを諫めた。
「今日は駄目だ。しっかり抜けてからでないと」
そう言われて少し寂しく感じた菖蒲だったが、確かに夢うつつな状態では判断が鈍ることもあるだろう。大人しく手を引っ込めた。
勘八は急須の茶を湯呑に注ぐとそれを煽って、気まずそうに菖蒲に向き直る。
「ところで菖蒲、その……、持ってこれたか?」
己の懐の辺りをぽんぽんと叩いて何かの合図を送る。
菖蒲は「あぁ」と微笑むと答えた。
「懐に百両、袂に二百両だ。これでなんとかなるかい?」
———三百両。
菖蒲を抱き締めた時に帯の上の辺りがやけに硬かったので大丈夫だとは思ったが、予想外の金額に勘八の顔が輝く。
「上出来だ、菖蒲。これで俺達の将来は保障されたようなもんでぇ」
再び勘八は菖蒲を抱き締めて口を吸って菖蒲を褒める。
菖蒲は余り勘八が喜ぶので自分も嬉しくなり、金を盗んだ罪悪感を忘れて喜んだ。
「京に行ったら何をしようか」
「へへっ、俺ぁちいとばかり蕎麦の打ち方を習ったことがあってな。夫婦で蕎麦屋でも開いてこぢんまりと暮らしてぇ、なぁんてな。『夫婦蕎麦、食ったら幸せになれるぜ』なんてどうだ」
小さな蕎麦屋を開いて、厨房の勘八に微笑みかける。料理屋の机を台拭きで拭きながら、注文が入ったよと報せる菖蒲。
夢のような光景に菖蒲は頬を染める。
子供は、二人もいればそれでいい。
これで、こんな苦界を抜けて幸せになれる。
ふわりと瞼が重たくなって酩酊する。こんなに酒に酔う性質ではないのに、と菖蒲は考えていたよりも気を張っていたのか、と思い布団に身を落としてゆっくりと瞼を閉じた。
「あんたに蕎麦の心得があるなんて初めて知ったよ。そうかい……、蕎麦屋、夫婦でこぢんまり、と……」
言い切らぬ内に菖蒲の言葉は寝息に代わる。すぅすぅと心地よさそうな寝息を聞きながら勘八は菖蒲をゆする。
「菖蒲……? 菖蒲、もう寝ちまったのかい?」
菖蒲はどれほど強く揺さぶっても起きる気配はない。寝息を立てながら深い眠りに落ちたようだ。
暗い行燈の灯かりの中、勘八の目がぎらりと光る。
たまらずに口から下卑た笑いがこみ上げる。
「さすが支那の商人から買い付けた眠り薬は良く効くぜぃ」
菖蒲に飲ませた酒にはたっぷりと眠り薬を混ぜ込んであったのだ。
眠った女の懐と袂から十二個の常是包を探り当てて取り出すと一つは懐に残りは袴の下の帯に括り付けてあった風呂敷に包むとまた袴の下に括り付ける。
菖蒲の顔を行燈の明かりで照らすと、しっかり眠っているのをもう一度確認する。
全く、華屋の牡丹と張り合うとはよく言ったものだ。確かに化粧をすれば化ける顔付きだが化粧をせずに眠りこけていると随分としょぼくれて見える。
数日前にあった次代お職と言われた若い花魁は、化粧をしていなかったが繊細で随分と豪華な顔立ちをしていた。
男を騙してなんぼの世界だ、騙して金を奪うのが仕事だから化粧に誤魔化される男共が悪いのだが、造りは随分大雑把だと気づく。結局はたたき上げと筋金入りとでは差があるのだ。
菖蒲は今でこそ稼げる妓だろうがあと一年もすれば年嵩がいって見向きもされなくなるだろう。
そうなる前に手を切りたいと思っていたのだが、いかんせんこの妓は熱を上げさせ過ぎた。別れ話も到底出来そうな雰囲気ではなかったから、これを機会に菖蒲を棄てて町を移る積もりでいたのだ。
若山に未練はない。次は大阪の新町にでも行こうかと考えている。
あぁ、しかし清算はせねば。一度若山横の賭場には顔を出さねばなるまい。
ああいった連中は金のためにどこまでも追いかけて来るから厄介だ。
新町に行ったら次は何と名乗ろうか。
いずれにしても菖蒲とも勘八という男ともお別れだ。
頭の中で色々算段を付けていると明六ツの鐘が控えめな音を立てて鳴る。
大門が開く時間だ。
茶托に湯呑を置くと襖の前で菖蒲に向かってぷっと唾を吐きかける。
「女郎上がりの女と所帯なんざ真っ平御免だ。三百両はありがたく頂戴してくぜ、菖蒲。そんじゃあ、達者でな」
言い残すと仲ノ町を抜けて大門を潜り若山から出て行った。
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