花魁道中いろは唄

白鷹 / ルイは鷹を呼ぶ

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第参章 散りぬるを

6話 違和感

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椿が二階の部屋に入ると勘八は後ろ手に襖を閉める。
にこにこと愛想よく笑顔を振り撒いているが、なんとなく椿はその笑顔に違和感を覚える。

「天下の華屋の花魁様が何の用だい?」

そう言って肩に手を回して来る勘八の態度にはっとする。


そうそう簡単に肩を抱かせたりするものか、とそれは椿の矜持だ。
初会に裏、枕と大枚をはたいてようやく椿に触れる客に申し訳が立たない。

耳元に口を寄せる勘八の顔を掌で軽くぴしゃりと叩いて

「そうじゃありんせん」

と近付き過ぎな勘八を突き飛ばして

「菖蒲姐さんのことでありんす」

という。
 
菖蒲の恋人の筈だろうに、自分にこんな真似をする勘八がまず赦せなかった。
菖蒲姐さんはこんな男のどこに惚れたのだろう。
 
勘八はつまらなさそうにちっと軽く舌打ちをすると、急須に入っている茶を湯呑に注いで飲む。

「菖蒲がどうかしたのかい? 今更、悶着もないだろう?」

悶着を持ち込んだ張本人が何を抜かすか。腹立たしいにも程がある、と椿はむっとする。

「足抜けの話を聞きんした」
 
勘八が口を付けた湯呑の茶を勢いよく吹き出した。

「あ、菖蒲が? あいつ……」

掌で顔を押さえて勘八は情け無さそうに深い溜息を吐いた。

「人には話すなっつったのに、あいつは全く」

とぶつぶつ呟く。

「菖蒲姐さんにはやめて欲しいと頼みんしたが、余程勘八さんに惚れているのでありんしょう。聞き入れては貰えんせんでした」
 
色のある話ではないことを悟った勘八は諦めて胡坐を掻くと椿の方に向き直った。

「当たり前ぇだろう? オレだってやめろって言われて簡単に引き下がれるもんか」
「どうしてでありんすか?」
「あんた、まだ若けぇな。男に恋したことなんてありゃしねぇだろう?」

人生の経験談など話されても困る。
それに、恋ならしている。

不意に蓮太郎を思い出し掛けてふるふる首を振る。そうじゃない、今はそんな甘い想いに浸っている場合ではないのだ。

「人を好いたことがある無しは関係ござんせん。勘八さんは恋人に罪を犯させようとしているんのでありんすぇ?」
「惚れて一緒になりたいと思ったら、罪の一つや二つ、なんてこたぁねぇんだよ」

違う。
本当に好きなら罪を犯させるのではなくもっと大切に守るべきものがある筈だ。

「そんなに惚れてるなら身請け金を貯めて正式に娶ることも出来んしょ?」

真剣に詰め寄る椿に勘八は破顔した。 

「お前さん、遊郭の桜山町でも中央に坐する華屋の女が一晩幾らか知ってるかい?」
「わっちは……、菖蒲姐さんの揚げ代まではよう知らん。けんど、惚れてるなら」
「俺にゃあ、菖蒲を一晩買う金すらねぇんだよ。それを身請け金だぁ? 若山遊郭随一の大見世の花魁が簡単に言ってくれるじぇねぇか。菖蒲を抱こうと思ったら初会や裏、枕の三度のしきたり、床花、祝儀。最低でも百両は掛かる。これがどれだけの大金かおめぇにわかるかい?」
 
そのしきたりは突き出し前に嫌というほど叩き込まれるのだ。
知らない筈がない。
だが大金かどうかと問われると、今の町民がどのくらいの年棒で暮らしているかは判らない。それに勘八は武士だ。
どれ程の禄を貰っているのかなど椿に判る筈もないのだ。

「金子の価値なん人それぞれでありんすから、わっちには判りんせん。けんど、罪を犯す程の覚悟があるなら、恋人として年季明けを待ち身請け金を貯めるんがいいと思いんす」
「華屋の花魁を身請けするとなったら、金千両以上は掛かるだろう。俺がどれだけ働いたところで一生かかっても稼げる金じゃねぇ」

それなら年季明けを待てばいいだけの話ではないか。

「足抜けが失敗することは考えておりんせんのか」
「そん時はそん時。菖蒲と一緒にこの命くれてやらぁ。菖蒲だってその積もりで俺についてくるって言ったんだからよ」

———また、説得しきれないのか。

己の無力さを痛感する。菖蒲も勘八も椿の話など洟から聞く気がないのだ。

「死んで……、花実が咲くもんか」
「なんだって?」
「死ぬくらいの心意気を持っているならもっと菖蒲姐さんのことを考えておくんなまし」
「あんたも、いずれ恋をすりゃ判るさ、よこらせっと……」

湯呑に残った茶を一気に煽ると勘八はつまらなさそうに立ち上がって襖を開ける。

「勘八さん! どこに行くんでありんすか! まんだ、話は終わっとりんせん!」

引き留める椿の声を鬱陶しそうに振り返ると

「埒の明かねぇ話をいつまで続けたって変わりゃしねぇ。この場は馳走になっとくぜ。じゃあな、椿さんよ」

そう言って襖を閉めて立ち去ってしまった。

どうしてみんな不幸になりたがるのだろう。
幸せを求めていると言うけれど、金を盗んで己の責務を踏み倒して足抜けするなどという不義理を働いて本当に幸せになれると思っているのだろうか?

———いや、勘八は本当に菖蒲を好いているのか?

椿に恋をしたことがないだの、散々言っていたが勘八の言葉はとても人に想いを寄せているようには聞こえなかったのだ。菖蒲の言葉は間違いなく恋する気持ちから盲目的になっていると感じたのに、これでは菖蒲が余りにも可哀想だ。

「椿花魁……、大丈夫かい。ほら、煎茶を入れて来た」

すぅっと襖が心地よい音を響かせて開く。
見ると亭主がほわほわと湯気の立つ温かい煎茶を煎れて来てくれたようだ。湯呑の横には小さな皿に甘納豆が数粒置かれている。

「旦那さん……、店は大丈夫なんでありんすか?」
「椿花魁が心配で仕事なんざ手に付かねぇよ」
 
随分と心配かけてしまったようだ。

「あたしはそんなに簡単に帯を解いたりしないよ?」
 
笑顔で言う椿に対して未だに心配気な亭主は部屋に入ると茶托を椿に寄せる。

「けどよ、あの勘八ってのは結構妓をとっかえひっかえしてるんで心配なんでさぁ」
「とっかえ……? え? そ、そうなんでありんすか?」

なんとなくそんな気はしていた。
部屋に入った瞬間に肩を抱かれるなどという失態を犯したのだから、気付かない訳もないが。

「ほら、あの伊達男っぷりは見ててこう……、ぐっとくるだろ?」
「全然」
「それに加えて女を知り尽くしてるっていうか、言葉もうまいから女心に刺さるだろ」
「全く」
「だからさ、口説き落とされて二階で……、て、椿花魁?」
「あたし、伊達男気取りの殿方って嫌いなの、格好つけが鼻につくっていうか?」

椿は小さな舌をぺろりと出して笑う。それに口説き落とすも何も椿には胸に秘めた人がいる。
その想いは日ごとに強くなるから他の男になど興味を持つこともない。

「んじゃあ、男っぷりが気になったんで二階をとったんじゃなかったんかい」
「あぁ、本来の使い方がそうだから旦那さん、あんなに止めたんだ」
「違うってこたぁ? どういうこってぇ?」
「逆に、華屋の妓に手を出すなって話でありんすよ。その、ちょっと気にしてる人がいて、あんまり入れ込んでいるものだから心配になって」

菖蒲の足抜けの話をあちこちで吹聴するのは流石に気が引けた椿は何となく言葉を濁す。

「あぁ、まぁそんならよかった」

ようやく亭主は安心したのかいつもの笑顔に戻る。

「けんど結局舐められて、びた一文払わず降りて行きんしたよ」

まさか下で飲んでたお茶の分まで出す羽目になるとは思わなかった。

「あぁ、そんなら別に、布団が乱れた訳でなし、お代は要らねぇよ。ほら、持って帰ってくんな」
 
亭主はそう言うと先程椿が渡した一朱銀を懐から取り出すともう一度椿の手に握らせる。

「ありがとうございんす」
「まぁ、可能ならこれ以上あいつにゃ関わらねぇがいい」
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