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第参章 散りぬるを
5話 勘八との初対面
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「へい、椿花魁お待ちどうさん」
甘味処もみじ屋の亭主は優しい癒し顔の男だ。
壮年の貫禄もあるが遊郭に店を構えるだけあって女郎への配慮が行き届いており面倒見もいい。
椿の座る表の椅子に四角い盆を一つ置く。上にはみたらし団子と草餅、白玉ぜんざいとおはぎ、お抹茶が乗っている。
「ありがとうございんす」
と言い切らない内に草餅を口の中に放り込んで幸せそうな笑顔で微笑む。
椿の甘党は知らぬものがいないくらいには有名な話だ。もぐもぐと頬張りながら得も言われぬほど幸せそうに
「美味しい、美味しい」
と繰り返すものだから、見ている者まで幸せになる。
「いつ食べても『もみじ屋』の甘味は最高でありんす」
「椿花魁にそう言って貰えりゃあ、作る甲斐もあるってもんでさぁ」
「大袈裟でありんす」
そう言いながら割り箸を割って白玉ぜんざいの碗に手を伸ばすと不思議そうな顔をする。
「今日、おはぎは頼んでおりんせんぇ?」
食べたいと思ってはいたが余程やけ食いする時でなければ一度に頼むのは三品までと、椿の中で決めている。
そうでなければきりがないからだ。我慢ができるかどうかはともかくとして。
「水臭ぇことは言いっこなしですぜ。椿花魁と俺の仲じゃねぇですかい」
つまり、おまけしてくれたのだ。
理由はともかく『一日くらいいいよね』と己に言い聞かせながら碗を置いておはぎを摘まむ。ほわりと広がる餡子の甘さと香りに椿の顔も蕩けそうな程に甘い笑顔になる。
「椿花魁のその笑顔が何よりのご褒美ですぜ」
「旦那さんもおかしなことばっかりいいしゃんすな」
もみじ屋の亭主は椿を殊の外気に入っており、毎日来るのを楽しみにしている。
愛くるしい笑顔は、ふと沈みがちな女郎達の心の靄を吹き飛ばすくらいに明るく快活だ。喧騒の絶えない遊郭の中でその明るい笑顔は何よりの宝物だ、と感じる。
椿本人は自分の笑顔がどれ程人の心を豊かにするのか未だ判っていない節がある。
「そのつれなさが男心をくすぐるんですわ。おっと客だ、へぃ、らっしゃい!」
「おう、亭主。薄茶くれや」
「へぃ、毎度。今日も張り見世巡りですかい? 勘八さん」
そう言って店の入口で急須に茶葉を煎れながら亭主が聞く。
椿は聞き覚えのある名前に首を傾げた。
「おぅ、早ぇとこ職見付けにゃあくたばっちまうがよ、その前に目の保養ってな」
「程々にしておいた方がいいですぜ?」
「ははは、余計なお世話だってぇ」
「そりゃあ、失礼しやした」
軽口を飛ばし合う亭主と長身の伊達男。勘八という名前は確か菖蒲の間夫ではなかったかと思って名前を繰り返す。
「なんでぇ、俺のこと呼んだか?」
椿の呟きに男が反応する。
かなり背が高く整った顔立ちをしている。すっと通った鼻梁に形の整った薄い唇。目は切れ長だが二重がくっきりと刻まれており、真っ直ぐな眉が男らしさを語っている。
細身なのだろうが袴を身に着けているということは武士なのだろう、二本差しを結わえている。女が好みそうなかなり甘い声だ。
「勘八さんってもしかして、菖蒲姐さんのいい人でありんすか?」
「んぁ?菖蒲との仲をを知ってるってこたぁお前ぇさん、もしかして華屋の女か?」
間違いないらしい。
「椿といいしゃんす」
勘八は華屋の妓のことをある程度知っているのか口の中で椿の名前を繰り返すとはっとする。
「椿って、こないだえらい鳴り物で若山を騒がせた次代お職とか言われてる花魁じゃねぇか。どんなもんかと思ってたがこりゃあ別嬪だ」
そういってうんうんと頷く。
華屋には張見世がない。
古くから続く遣り取りで、華屋は引手茶屋に妓の似顔絵や情報の描かれた瓦版が置いてあり、客はそこから選んで差し紙を出すのだ。評判や花魁道中で予め顔が知れ渡っていることもあり客はそれ程選ぶのに困ることはない。
別嬪と言われてもいまいちぴんとこない椿は、少し考えこんで勘八に声を掛ける。
「そさまが勘八様なら、茶屋の二階を借りて少し話したいことがありんす」
すると勘八はひゅうと口笛を吹くと
「俺ぁ構わねぇぜ?」
と言ってにやりと笑う。
「旦那さん、二階の部屋をちぃと借りんす」
そう言うと亭主はすっと青褪めて茶葉の入った茶筒を取り落とす。
「そ、そりゃあ構わねぇが、一体どうしたっていうんでぇ、椿花魁」
茶屋の二階とは通常男女が逢引きに使うことが多い。そこに男を誘い込むというのは間夫契りの可能性もある。
椿に限ってそんな安易な真似はしないと信じたいが、相手はかなりの男前だ。
椿だって年頃の少女なのだから気になったのかもしれないと思うと月代に水を掛けられたように血の気が引く。
「少し、話をするだけでありんす」
椿は、菖蒲の話を思い返しながら少し沈んだ顔になる。
「椿花魁……、俺ぁ、あんまり感心しねぇがよ」
眉間に皺を寄せてやんわりと断るが
「心配することなんありんせんよ」
と言いながらにこりと小さな笑顔を残す。
「いやさ、あんたが男と二階を使うっちゃあ何事だって駆け込んでくる奴がいるだろうよ」
蓮太郎のことを言っているのだろう。
華屋の楼主から無頼漢に狙われやすい椿の身辺護衛を言い付けられているので、蓮太郎に用事がない時は、二人共にいることが多い。
「あぁ、うん。それは正直に言って貰って構いんせんよ?」
と言いながら、少し考えて話す内容が余り良くないと思い返し
「あ、拙いかな?うん、内緒で!」
と言い切る。
「花魁……、俺っていう男の存在もいるんだぜ?」
冗談任せに言ってはみるが、心配なのは本当だ。勘八についてあまりいい噂は聞かない。
「また旦那さんはそういう冗談ばっかり。お代でありんす」
そう言って一朱銀を渡すと亭主は大きく溜息を吐いて銀を受け取る。
「へぃ。じゃあ、使ってくんな」
「ありがとうございんす」
甘味処もみじ屋の亭主は優しい癒し顔の男だ。
壮年の貫禄もあるが遊郭に店を構えるだけあって女郎への配慮が行き届いており面倒見もいい。
椿の座る表の椅子に四角い盆を一つ置く。上にはみたらし団子と草餅、白玉ぜんざいとおはぎ、お抹茶が乗っている。
「ありがとうございんす」
と言い切らない内に草餅を口の中に放り込んで幸せそうな笑顔で微笑む。
椿の甘党は知らぬものがいないくらいには有名な話だ。もぐもぐと頬張りながら得も言われぬほど幸せそうに
「美味しい、美味しい」
と繰り返すものだから、見ている者まで幸せになる。
「いつ食べても『もみじ屋』の甘味は最高でありんす」
「椿花魁にそう言って貰えりゃあ、作る甲斐もあるってもんでさぁ」
「大袈裟でありんす」
そう言いながら割り箸を割って白玉ぜんざいの碗に手を伸ばすと不思議そうな顔をする。
「今日、おはぎは頼んでおりんせんぇ?」
食べたいと思ってはいたが余程やけ食いする時でなければ一度に頼むのは三品までと、椿の中で決めている。
そうでなければきりがないからだ。我慢ができるかどうかはともかくとして。
「水臭ぇことは言いっこなしですぜ。椿花魁と俺の仲じゃねぇですかい」
つまり、おまけしてくれたのだ。
理由はともかく『一日くらいいいよね』と己に言い聞かせながら碗を置いておはぎを摘まむ。ほわりと広がる餡子の甘さと香りに椿の顔も蕩けそうな程に甘い笑顔になる。
「椿花魁のその笑顔が何よりのご褒美ですぜ」
「旦那さんもおかしなことばっかりいいしゃんすな」
もみじ屋の亭主は椿を殊の外気に入っており、毎日来るのを楽しみにしている。
愛くるしい笑顔は、ふと沈みがちな女郎達の心の靄を吹き飛ばすくらいに明るく快活だ。喧騒の絶えない遊郭の中でその明るい笑顔は何よりの宝物だ、と感じる。
椿本人は自分の笑顔がどれ程人の心を豊かにするのか未だ判っていない節がある。
「そのつれなさが男心をくすぐるんですわ。おっと客だ、へぃ、らっしゃい!」
「おう、亭主。薄茶くれや」
「へぃ、毎度。今日も張り見世巡りですかい? 勘八さん」
そう言って店の入口で急須に茶葉を煎れながら亭主が聞く。
椿は聞き覚えのある名前に首を傾げた。
「おぅ、早ぇとこ職見付けにゃあくたばっちまうがよ、その前に目の保養ってな」
「程々にしておいた方がいいですぜ?」
「ははは、余計なお世話だってぇ」
「そりゃあ、失礼しやした」
軽口を飛ばし合う亭主と長身の伊達男。勘八という名前は確か菖蒲の間夫ではなかったかと思って名前を繰り返す。
「なんでぇ、俺のこと呼んだか?」
椿の呟きに男が反応する。
かなり背が高く整った顔立ちをしている。すっと通った鼻梁に形の整った薄い唇。目は切れ長だが二重がくっきりと刻まれており、真っ直ぐな眉が男らしさを語っている。
細身なのだろうが袴を身に着けているということは武士なのだろう、二本差しを結わえている。女が好みそうなかなり甘い声だ。
「勘八さんってもしかして、菖蒲姐さんのいい人でありんすか?」
「んぁ?菖蒲との仲をを知ってるってこたぁお前ぇさん、もしかして華屋の女か?」
間違いないらしい。
「椿といいしゃんす」
勘八は華屋の妓のことをある程度知っているのか口の中で椿の名前を繰り返すとはっとする。
「椿って、こないだえらい鳴り物で若山を騒がせた次代お職とか言われてる花魁じゃねぇか。どんなもんかと思ってたがこりゃあ別嬪だ」
そういってうんうんと頷く。
華屋には張見世がない。
古くから続く遣り取りで、華屋は引手茶屋に妓の似顔絵や情報の描かれた瓦版が置いてあり、客はそこから選んで差し紙を出すのだ。評判や花魁道中で予め顔が知れ渡っていることもあり客はそれ程選ぶのに困ることはない。
別嬪と言われてもいまいちぴんとこない椿は、少し考えこんで勘八に声を掛ける。
「そさまが勘八様なら、茶屋の二階を借りて少し話したいことがありんす」
すると勘八はひゅうと口笛を吹くと
「俺ぁ構わねぇぜ?」
と言ってにやりと笑う。
「旦那さん、二階の部屋をちぃと借りんす」
そう言うと亭主はすっと青褪めて茶葉の入った茶筒を取り落とす。
「そ、そりゃあ構わねぇが、一体どうしたっていうんでぇ、椿花魁」
茶屋の二階とは通常男女が逢引きに使うことが多い。そこに男を誘い込むというのは間夫契りの可能性もある。
椿に限ってそんな安易な真似はしないと信じたいが、相手はかなりの男前だ。
椿だって年頃の少女なのだから気になったのかもしれないと思うと月代に水を掛けられたように血の気が引く。
「少し、話をするだけでありんす」
椿は、菖蒲の話を思い返しながら少し沈んだ顔になる。
「椿花魁……、俺ぁ、あんまり感心しねぇがよ」
眉間に皺を寄せてやんわりと断るが
「心配することなんありんせんよ」
と言いながらにこりと小さな笑顔を残す。
「いやさ、あんたが男と二階を使うっちゃあ何事だって駆け込んでくる奴がいるだろうよ」
蓮太郎のことを言っているのだろう。
華屋の楼主から無頼漢に狙われやすい椿の身辺護衛を言い付けられているので、蓮太郎に用事がない時は、二人共にいることが多い。
「あぁ、うん。それは正直に言って貰って構いんせんよ?」
と言いながら、少し考えて話す内容が余り良くないと思い返し
「あ、拙いかな?うん、内緒で!」
と言い切る。
「花魁……、俺っていう男の存在もいるんだぜ?」
冗談任せに言ってはみるが、心配なのは本当だ。勘八についてあまりいい噂は聞かない。
「また旦那さんはそういう冗談ばっかり。お代でありんす」
そう言って一朱銀を渡すと亭主は大きく溜息を吐いて銀を受け取る。
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「ありがとうございんす」
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