花魁道中いろは唄

白鷹 / ルイは鷹を呼ぶ

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第壱章 色は匂へど

16話 目には目を

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ばさりと大仰な音を立てて牡丹が大野木屋の暖簾を潜る。
潜るというよりは跳ね飛ばす勢いだった為、暖簾棒が外れるか折れるかの勢いだった。

「紅ってぇ女郎はどいつだい! 影でこそこそしやがって! 潔く出てきな!」

凛としたよく通る声を張り上げて見世中に響き渡る程の声で紅を呼び付ける。
なんだなんだと大野木屋の若衆や遣り手、見世番などが顔を出し、やがて吹き抜けづくりの階段の上に一仕事を終えた女郎や新造などの妓達がわらわらと集まって来る。

その人混みを掻き分けて険しい顔付きの妓が現れる。

「いきなり人の見世の暖簾くぐって怒鳴り込みとは、華屋も随分格が落ちたもんでありんすなぁ? 牡丹」
「おんしが紅かい」
 
この妓が椿の初見世をめちゃくちゃにした張本人。
中見世にしてはそこそこの容貌だが大見世のお職として若山頂点を張る牡丹には足元にも及ばない。
 
牡丹は「はっ」っと吐き棄てると紅に向かって嘲笑と罵倒を同時に投げ掛けた。

「年増のひょっとこみたいな顔して、そりゃあ裏工作でもしなきゃあ客も付かないだろうねぇ? 不憫だこと」

年増のひょっとこ。そもそもひょっとこは男だ。
口が引き歪み目玉が転げ落ちるかと思うような剽軽な顔立ちのお面だから相当に酷い表現である。
気性の激しい紅はおそらく見世の中でも余り快く思われてはいないのだろう。誰かがぷっと吹き出すとそれが波のように伝わり皆が嗤い出す。

「年増のひょっとこ、ざまぁないね」
「言い得て妙だよ」

様々に言いながら皆嗤いはするものの庇い立てする者はいない。

「年増のひょっとこだって?」
「出来の悪い瓢箪のほうがよかったかい? 何にしても顔隠してケツまくりあげてたほうが客が付くんじゃないかい?」

質の悪い切見世は安い金で女衒から女を買い受ける。
それ故に通常の見世では働けないような年嵩の行った女か、ふた目と見られないような面相か。
いずれにしてもただ男の精を抜くだけに使われる切見世の妓は顔が見えないように行燈すら灯さない見世もあるという。
女であればそれでいいのだ。

切見世女郎と同じと言われたのでは紅も堪忍袋の緒が弾け飛ぶというものだ。

「言うにこと欠いて……、天下の華屋だからって調子に乗ってんじゃないよ!」
「だったら二階から見下ろしてないで下に降りてきな。それとも裏でこそこそ工作するんは得意でも面と向かってものが言えないのかい」

己が二階に上がって行くことも考えたが、言い逃げするつもりなだけに見世の中まで入って妓夫やら見世番やらに捕まったのでは面白くない。挑発して紅をおびき寄せた方が好都合だ。

「ああ、降りてってやろうじゃないかい! 芋引いて逃げるんじゃないよ!」

野次を飛ばすために集まった女郎達を掻き分けて紅が階段を降りて来る。幸い階段の降り口は玄関の手前だった。
牡丹はこっそり仕掛けの中の着物を捌くと、紅が降り切ったのを見計らって足を引っ掛けて転ばせる。

「今回はわっちの妹がえらい世話になりんしたなぁ」
「うわぁ!」

まさかそんな行動に出るとは思わなかった紅は大きな悲鳴を挙げて皆が見守る中派手な音を立ててすっ転び、尻もちをついた。着物の裾は乱れて白い太ももが露わになり無様な姿を女郎達が嘲笑う。

なんと、中見世とはこんなにも行儀の悪い妓ばかりなのかと内心牡丹は呆れる。転ばせたのは牡丹に他ならないが、看板女郎だろうに誰一人助けに入らないとは、紅自身の徳の無さもあるとはいえ薄情にも程がある。

「足引っ掛けて転ばせたくらいで大げさな悲鳴あげてんじゃないよ」
「あ、痛た、た……」
 
着物の裾を直して起き上がると牡丹は玄関の入り口に置いてある七輪に刺さった火掻き棒を手に取った。

「これは道中の礼だよ!」
「ぎゃあぁぁ!」

肉の焦げる匂いが充満して紅の手の甲が焼ける。
目には目を、歯には歯を。
因果を成さねば余りに琥珀が可哀そうだ。己に奉公する妹に火掻き棒や煙管で火傷を負わせるならばその熱さを、痛みを紅自身も知らねばならない。

「近くに手頃な火かき棒があったんで借りんした」
「手が……、手がぁ!」

焼けて爛れた己の手をもう一方の掌で包んで玄関の式台に転げ落ちてうずくまる。
牡丹は怒りに満ちた瞳でそれを見下ろす。

「新造にとって初の道中がどんな気持ちかわかるかい。期待もありんしょうが姐の立場、見世の格、そんな大きいもんを小さい体に沢山抱えて道中を歩くんだよ。そんな中、若山中の客の前で転ばされた椿の痛みはそんなもんじゃ済まなかったろうね」

初道中前に華屋が大きく触れを出したために鳴り物として若山中に知れ渡った挙句無様に泥濘の中に転ばされたのだ。この程度の報復で思い留まったことを褒めて欲しいくらいだ。

「人の見世で好き勝手ほざいてくれんじゃないかい!」
「大した顔じゃないけんど、顔に傷を付けなかっただけありがたいと思いな。それともこのよおく焼けた火かき棒を目にぶっ刺してやろうか?」

火掻き棒を紅の目の前に突き付けると紅が息を飲んで怯む。

「二度とウチの見世の子に手ぇ出すんじゃないよ。もし、次にまた手を出したらお歯黒溝に浮かぶと思いな」

突き付けた火掻き棒を七輪に戻し再度暖簾を潜って外に出ると、大野木屋の玄関前で琥珀が所在なげに佇んでいる。

「あの……」

牡丹は柔和な笑顔を琥珀に投げると、肩にそっと手を置いて紅に告げる。

「それと新造の琥珀はわっちが貰ってくよ」
「はっ、物好きだね。好きにすりゃいいさ」
 
紅は立ち上がり琥珀を一瞥すると

「ふん」

と鼻を鳴らして二階へと姿を消した。

「おさらばぇ」
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