花魁道中いろは唄

白鷹 / ルイは鷹を呼ぶ

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第壱章 色は匂へど

1話 出会い

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寛政十二1800年、初春。

残り雪があちこちで陽の光を受けて眩しく輝く朝、蓮太郎は眠い目をこすりながら覚束ない足取りで廊下を歩く。
昨夜は行灯油が勿体無いから早く寝ろと言う楼主おやかたの目を盗んで、明け方まで本を読みふけってしまったのだ。
今年八つになったばかりだが、物覚えが良く怜悧れいりな性質だと言われた蓮太郎に、大見世華屋の楼主忍虎かげとらは惜しみなく儒学や朱子学などの学問の本を与えるものだから、学問の面白さに本を読みふける。

冷たい水でも飲んで目を覚まそうと台所に入ってみると、台所裏の庭に小鳥の鳴くような愛らしい声が響いているのが聞こえる。きっと雀が餌を求めてはしゃいでいるのだろう。
餌でもやろうか、と思い窯の中を覗くと、米粒が縁にこびり付いている。
指でこそげ落として掌に数粒の米粒を乗せて台所の裏に行ってみるが雀の姿はない。
だとするなら何の鳴き声かと思って周囲を見渡すと、壁際に少女が座り込んで泣いている。小鳥の声と聞き違える様な愛らしい声に思わず声を掛ける。

「君、名前は?」

少女は突然声を掛けられて驚いたのだろう、びくりと肩を震わせて蓮太郎を見る。

美しい少女だった。

抜ける様に白い肌、ほんのり色付く桃色の頬。大きな瞳は涙で潤み光を帯びて輝いている。まつ毛は頬に影を落とす程長く、くっきりとした二皮が目尻までしっかりと刻まれている。
噛み締めていたからだろうか、唇は血が滲んでいるのかと思う程に赤くぷっくりと柔らかそうだ。
なるほど、この唇からなら小鳥の様な声も頷けると考えていると、少女は少し考えて名乗る。

「りん、八歳」

八つ、ということは蓮太郎と同じ年齢だ。
少女は名乗りを上げた後、また目を潤ませたかと思うと大粒の涙を零れさせた。

「どうしたの?」

涙の理由を聞いてから蓮太郎は愚問を投げかけてしまったと後悔した。

―――ここは尾張地方最大の幕府公認若山遊郭だ。
そして蓮太郎のいる楼閣は若山遊郭随一と言われる大見世、華屋。

幼い少女が何のためにここにいるかを問うのは、高い所から低い所に流れる水に、何故流れるのかと問うくらい愚かだろう。

少女は親に売られたのだ。

親元を離れ、女衒ぜげんという人買いに引き渡され、長い間歩かされただろう。
そして見知らぬ人間に体を改められ、値段を付けられ金銀の手形と引き換えにこの見世に置いて行かれる。
幼い身の上には余りに厳しい仕打ちだ。

何とか少女の涙を止められないかと思い、そうだと手を打って台所に戻る。
昨夜、忍虎に勉学の成績がいいと褒められて貰った大福を、食べる気にならず戸棚に仕舞っておいたのだ。誰かに見付かっていなければまだある筈だと思って小さな引き戸を開けると、懐紙に包まれたままの大福が見える。
大福を取り出すと今一度少女の所に戻って声を掛ける。

「お腹空いてない? 大福、食べる?」



目の前に差し出された真っ白な大福を凝視すると、少女は大きな目を更に大きく見開いて蓮太郎の顔と大福を交互に見比べる。

「ありがとう」

そう言って大福に口を付けると、甘い餡子に思わず少女の唇が笑みを刻む。

「美味しい!」

あっという間に大福を平らげて少女は指に付いた餡子をぺろりと舐める。

「とても美味しかった。ありがとう……、あの、あなたの名前は?」
「蓮太郎、君と同じ八歳だよ。生まれは師走の末」
「え? 私も師走の末! おんなじだね」

年が同じとわかると少女の瞳から涙が消え、変わりに咲き誇る花の様な笑顔を満面に刻む。
なんという美少女なのだろう。
大見世というだけあって華屋には大変に美しい少女や女性が溢れかえっているが、りんの美しさはきっと今までとは比べ物にならない。

「なんだ、ここにいたのか蓮太郎。おぉ、おりんもいたのか」

台所裏に来た忍虎は二人の姿を見付けて安心したように優しく微笑んだ。

「楼主……。あの、りんはどの花魁に付けるんですか?」

楼閣に買われた少女は見込みがあると高位の花魁の妹として奉公し、姐から教育を受けることになる。
これ程の美少女なのだからまず間違いなく花魁の下で躾けられることになるだろう。
行き先を聞いてどうするかと聞き返されたら困るが、知っておきたい気持ちに歯止めが効かず、思わず尋ねていた。

「気になるか」

にやりと忍虎は唇を歪ませて笑う。その笑みに悪意はない。

「りんはどこにもやらねぇ。見世で育てる。引っ込みよぉ」

引っ込みとは、「引っ込み禿」という立場で優秀な少女を特別に見世で育てる仕組みを言う。

「学識がある。字ぃ書かせりゃ下手な大人よりきれいなかな文字書きやがるし、琴と三味両方とも上手い具合に弾くとなりゃ、こんなに才能溢れた娘を半端な妓に任せるなんてとんでもねぇや。しばらくは俺のとこで面倒みるから蓮太郎、一緒に面倒見てやれ。お前ぇと同じ部屋に寝かせるからな。あれこれ必要なこたお前が教えてやれ」

聞きなれない言葉を矢継ぎ早に言われ、おりんはきょとんとした顔で蓮太郎を見る。

「俺と一緒に暮らすんだって」
「うん……? 御奉公は? 私、売られたんだよね? 働くんじゃないの?」
「え?」

その言葉に今度は蓮太郎が驚く番だった。

「この通りよ。てめぇが売られたのをこの年で理解してやがる。遊郭で育ったならまだしも、娑婆の娘が境遇を理解してるなんざそうそうねぇ。躾も行き届いているし、挨拶まで申し分ねえときたもんだ」

忍虎から事情を聞いて楼主直々に育てる引っ込み禿になるのも頷けた。
きっと花車である律も納得しているだろう。

引っ込み禿ならばしばらく後「振袖新造」という特別な教育期間を経て、末はお職という立場が既に約束されているということだ。
この美しさと学識でおりんは若山遊郭の頂点花魁になる未来が決まっている。
だが、将来を知らないおりんはただ慌てふためいた。

「あの、私……、働き口がないんですか? えと、お金……、持ってなくて、さっきお食事をしてしまいました。それに、大福を食べてしまって。お支払いの方法が判りません」
「焦るこたねぇ。おりん、お前はきっちり稼ぐためにまず身に付けにゃあならんことが山程ある。まずは勉強だ。稼ぐだのなんだのはもちっと大人になってから言え」
「あの……」
「出世払い」

焦って大きな瞳をくるくると回すものだから、蓮太郎は不憫に思って楼主とおりんとの間に割って入った。

「へ?」
「今は俺もりんも幼いから、働いても大した稼ぎにはならない。だから大人になってから今食べた食事の分も含めて奉公しろって、楼主は言っているんだ」
「じゃあ今は?」
「俺と一緒に勉強しなさいって話」
「ふんふん、私が使い物にならないから出て行けっていうお話じゃないのね」

ようやく理解が追い付いたのかおりんは小さく相槌を打って安心する。

「じゃあ、これからよろしくね。蓮太郎」
「こちらこそ」

小さな手を重ねて握手を交わす。



それが、蓮太郎とおりんの出会いだった。
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