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始まりは300円!?

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1章   二人の朝

タケシの朝

タケシの朝は早い。
ギラギラと照りつける朝日を顔一杯に浴びて、タケシは目を覚ました。

硬い短髪には、少し寝癖がついていた。

太い指でスマホの画面を呼び出す。時間は6時過ぎ。目覚ましより30分早めに起きた。

むっくりと起き上がると、すぐ洗面所でざぶざぶと顔を洗う。

作業着に着替えると、一気に気が引き締まる。

朝食は立ちながら済ます。パン一切れに、ミネラルウォーター。2Lの水筒に冷やしておいた緑茶をなみなみ注ぐ。

準備は万端だ。さあ、今日も暑くて大変な1日が始まる。軽トラの鍵を握りしめ、タケシは陽光の照りつける中に出た。


サヤカの朝

サヤカの朝は遅い。
時刻は8時30分。目覚ましがやかましく鳴る。

大学は2時間目からだったので、しばらくはベッドでゴロゴロする。

スマホをいじり終え、ようやくベッドから這い出す。1Kのアパートはそれなりに小綺麗にしてある。台所で顔を洗い、そそくさとメイクまで終わらす。

朝御飯は食べる気にならなかったので、野菜ジュースだけ一口飲んだ。

もうすぐ9時15分になる。暑さにげんなりするも、出席の代返を頼むほど怠惰ではないサヤカは、セミが盛んに喚く世界に出た。

携帯を見ると代返の依頼が数件来ていた。

真面目に出ていれば、損をする、なんて不届きな考えを頭から消し去り、陽光の照りつけるなか、サヤカは自転車をゆらゆらこぎながら大学へ向かった。


2章  ひょんなことから

タケシが植木屋になって、早10年。2年前には独立して今は一人で仕事をしている。

腕には自信があったし、体力も、そして自らを律する強い意思もあったので、顧客は徐々に増えた。
唯一、見た目がイカツいため、客と対面する瞬間はいつも相手を怖がらせてしまうという欠点はあったが、それも徐々に話し方や表情にも気を配ることで克服しつつあった。

身長は185センチ、ガッシリした体躯に、無骨な指、眉はキリッと意思の強さを表し、肌は浅黒い。

今日はマンションの年間管理で、工程は2日。

かなり飛ばさなければ予定通りには終わらないため、昼飯の時間を省いてまで、とにかくがむしゃらに働かなければならない。

木の上に影はなく、まともに太陽の光を浴びながら剪定を進める。カシの徒長枝をバシバシ落としつつ、形を整えながら、下に下にと降りていく。
汗が全身から吹き出し、目に流れるように汗が染み入ってくる。服で汗を拭おうにも、既に全身が汗まみれで、乾いた箇所がない。

飛ばしたかいあって、15時頃には目処がついた。タケシは剪定ゴミを軽トラに積み込んだあと、ようやく一息つくことができた。
体中が水分を求めていたが水筒は既にカラ。行きに通った道に自販機があったことを思い出し、財布を握りしめ、小走りに自販機に向かった。

何でもいいからとにかく水分を、、自販機を前に小銭を出そうとして、動きが止まる。小銭は30円しかなく、あとは一万円札が二枚あるだけだった。

「、、まじかぁー、、」

小走りしたせいで今はさらに汗が吹き出している。口の奥が乾きすぎて、息もしずらい程だ。

ズボンのポケットも探してみるが、100円玉は無かった。諦めるしかない。

無駄な体力を使ってしまった、、。

「あの、100円いります?」

落胆し、戻ろうとするタケシに一人の女性が声をかけた。髪は少し明るかったが、控えめな服装をした若い女性が、少しオドオドしながらタケシを見つめていた。

タケシはとっさに、

「いります」

とだけ答えた。すると女性は100円タケシに手渡した。感謝より先に、

「あ、すいません。あと20円ないですか」

と不躾に頼んで、タケシはすぐ後悔した。

女性は、あ、はい、あります、と言って、さらに20円をタケシに渡した。

「あ、いや、すいません、厚かましく、、」

我にかえって、それだけ言うと、乾きすぎた喉をようやく潤せると体が勝手にボタンを押す。

「すいません、ちょっと待ってもらえますか」

「あ、はい」

断りをいれるやいなや、瞬く間に500ミリリットルを飲み干す。

「、、あの、もう1本いりますか?」

あまりのタケシの飲みっぷりに、女性はおずおずと尋ねた。

タケシは、女性が天使に見えた。

「、、すいません、もう150円だけ」

2本目を半分まで飲んだところで、タケシはようやく一息ついた。

「すいません、ほんとに助かりました。」

タケシはそういうと深々と頭を下げた。

「いえ、、暑いですから、、」

女性は下を向いたまま答えた。自分が汗まみれのイカツイ男だったことを、タケシは後悔した。

女性も1本お茶を買った。

「じゃあ、熱中症に気を付けて、、」

言うと、女性はお茶を手に頭を少し下げて、その場を去ろうとした。

「あ、えっと、お金を、、」

タケシが慌てて言う。

「あ、別に構いませんよ。300円くらい」

女性は丁重に辞退する。

「いやいや、さすがに、それはよくないので」

そういうと、タケシはポケットに手を忍ばせたが、残念ながら携帯は無かった。しかし胸ポケットにアルミの名刺入れがあったことを運良く思い出し、名刺を一枚抜き取って女性に渡した。

「すいみません。必ずお金はお返しします。いま携帯など無くて、よろしければ、のちほどこちらまで電話かメール頂ければ、お返ししますので、、」

「そんな、気にしなくても、、」

「いえ、とりあえずこれだけ持っててください」

タケシはかなり時間が経っていたことに気付いた。仕上げの掃除がまだ残っていた。

タケシはもう一度頭を下げると、足早にその場を後にした。心なしか、足取りは軽いように見えた。

女性は立ち尽くしたまま、その背中を見送った。


3章  それぞれの夜

夜になった。サヤカはベッドに寝転んで、昼間にもらった名刺を眺めていた。

「大木造園 代表大木タケシ」

名刺には他にも電話番号とメールアドレスが載っていた。

昼間の職人を思い出す。

イカツイ、いかにも職人といった風体の男だった。サヤカの周りには一人もいないタイプの男だった。声をかけた時、振り返った顔を見て後悔するほど、イカツイ顔だった。
日に焼けた肌、短髪、意思の強そうな瞳、どれも自分とは正反対で、まったく種類の違う人間だと思う。

悶々と考える。

連絡をしないと、逆に相手の気を病ませることになりそうだとは思う。

しかし、別に300円くらいでそこまで気に病むだろうか、、?

しかも、わざわざ返すために会いにいくのか?

知らない、しかも腕っぷしの強そうな男に。たしかに悪い人ではなさそうだが、やはり知らない人だし、怖さもある。

誰かについてきてもらうか?

いや、たかが300円のために、しかももし怖い人だったら、友人を巻き込むことにもなりかねない、、

「、、あー、男友達作ればよかったな、、」

後悔しても仕方ないことを口に出す。

女子大とはいえ、外に出ればそれなりに出会いはある。友達も何かと話を持ってくる。

そのどれにも積極的になれなかった自分を今更になって責め始める。

「、、、うーん」

名刺を穴があくほど見つめる。

怪しい男ではなさそうだとは思う。不器用そうだが、誠実さは少しの会話ですぐに分かった。

「植木屋さん、か」

悩んだときは、寝るに限る。とりあえず、一晩寝かせてから、明日また考えよう。

サヤカは名刺を机に置いて、ベッドに横になった。でもいい人そうだな、とだけ思ってからサヤカは目を閉じた。遠くで犬が鳴いた。


夏場になると夜でも体が火照る。

昼間に出た水分を身体はまだ補充するよう求めてくる。どれだけ水を飲んでもすぐに喉が渇く。

タケシはクーラーの風を受けながら、半裸でパソコンに向かいながら、新規の見積り書を作っていた。しかし、どうも落ち着かない。

昼間の女の子を思い出してしまう。

思えば、独立してから、ロクに恋をしていない。休みは無いし、通常閑散期の1月から4月も土木現場に応援で呼ばれていたから、365日ほぼ仕事しかしていなかった。

自分が女だったら、絶対に自分みたいな奴には話しかけないだろうと思う。

汚い、汗まみれの大男で、顔も怖い。けれど、そんな自分に、あの女の子は声をかけてくれた。しかもお金も貸してくれた。見た感じは大学生っぽい。20歳前後だろうか。

控えめな性格が見た目にもそれとなく現れていた。華奢な肩、くりっとした瞳、小さい手。

「、、天使だったな、、」

エクセルに数字を打ち込む手を止め、つぶやく。タケシは見たままの硬派な男だったが、それなりに恋はしてきた。ただ、仕事柄休みが少なく、また当時は仕事より面白いものはないと思っていたこともあり、あまり相手に興味を持てなかった。その結果は当然ながく続く関係をもたらすことはなかった。

独立してからはバタバタ続きで、女性にときめくことなどすっかり忘れていた。そんな時に急に現れた彼女は、タケシの心を揺さぶるには十分すぎた。

22時を過ぎた。

まだメールも電話も来ない。

たまに来る広告メールに珍しくイライラした。

「、、来ないかー」

こんな気持ちは久しぶりだった。

走り続けて10年。ここまで揺さぶられることはなかった。ため息をつきながら天井を仰いで、そのまま後ろに倒れる。大の字で横たわりながら、眩しく光る電球を見つめる。

可愛かった。天使だった。

独立してはじめて、仕事のことを忘れた夜になった。


4章  改めまして、こんにちは


「はじめまして、、」いや違うな。初めてではない。一度は会っている。

「先日お会いした、、」いや、お会いした、とは約束をつけて会ったみたいだ。

「先日の女です、、」どんな書き出しだ。

「このたび、300円を、、」直球すぎる。がめつい女みたいだ。

「あー、、」

サヤカはスマホを放り出して、考える。

気付けば、父親以外と、まともにやりとりをしたことがない。経験値が少な過ぎて、何をどう書けばよいか分からない。しかも、初対面の出会い方が斬新すぎて、ネットでも参考になりそうな記事がない。

一晩あけた。土曜日の昼下がり。あまりの暑さにセミも鳴いていない。

一晩あけた今日。とりあえず、相手に300円で気に病まれるのも嫌なので、とりあえずメールを送ることにした。電話はさすがにハードルが高すぎる。

朝起きたばかりの頃は丁重に断る方向で考えていた。

サヤカはメールを送る決心をする前に自己分析まで済ませていた。

自分は慎重派で、割りと人見知りな方だとは思う。朝は弱いが授業にも毎回出ているし、真面目だとも思う。

つまり、人見知りだが、困っている人を見た時に真面目な性格が出たので、苦手な男にも話しかけることができたのだろうと結論付けた。

しかし、なんとなく、そんな理路整然と片付けられない気もした。

パッと見たとき、困ってるのかな、大丈夫かな、と思った。だが、そこからすぐに話しかける、という選択をしたことが、過去の自分の行動を鑑みると、突飛な行動すぎるように思えた。席を譲るにも勇気は要るものだ。それは周りの目もあるし、変に目立ちたくない気持ちもあるからだ。

たしかに、あの場には誰もいなかった。

目立ちたくない、という気持ちはこの際、関係ない。

だから、なにも意識する必要なく、ただ善を選択できたのだろうか。いや、そんなに自分はいい人ではない。できれば知らない人となんか関わりたくないはずだ。

一個、捨てきれない可能性も、あるにはあった。しかし、それはなんとなく認めたくなかった。

気になったから―。

理屈とかはどうでも良くて、ただ気になったから―。汗だくで働くイカツイお兄さんが少しかっこよかったから―。

なんとなく、あれっきりの関係にはしたくなかった。大学に入って2年目。友達には恵まれたし、バイトもそつなくこなしている、言わば順風満帆な生活。そこには安定した満足感こそあれど、なにかワクワクするような高揚感はなかった。

それが昨日の夜、突如として変わった。考えることが増えた。言うなれば、ある意味で幸せとも言える変わらない毎日が、動き出そうとしてザワザワとし出した感じ。

これで何もなかったかのように終わらせてしまっていいのか―。いや、なんとなくそれは良くない気がする―。

サヤカは、改めてスマホに向き直った。

そしてしばらく考えたあと、たどたどしく指を動かし始めた。

「改めまして、こんにちは。サヤカと申します。先日は暑いなかでの作業、お疲れ様でした。お貸しした300円ですが、私は本当に気にしていません。
あの300円が役立ったのであれば、私はそれで十分嬉しいからです。
ただ、もしお金を借りたことを気にしていらっしゃるようでしたら、300円、頂戴しに行こうとは思っています。暑いなか、熱中症にはくれぐれもご注意ください。失礼します」

無事送信されたことを確認してからサヤカは、スマホを机に置いてまたベッドに寝転んだ。

なんとなく、頬が熱かったのは、きっと外が暑いせいだろうと思う。

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