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①我がホースから聖水が迸り不毛の大地に活力を与えたもうた
不毛の大地に潤いを!
しおりを挟むホースを持ったまま立っていた。
見上げる空は蒼く、夏の日差しだ。
こんな猛暑日には、鳥だって飛ぶのが嫌なのか、空には生き物の影も形もない。
異常に晴れ渡った空である。
視線を目前に戻す。
枯れ果てている。
緑色など1ミリも無く、見渡す限りの三方向が茶色。枯れた草木しかない。
所々に見える茶色い土はヒビ割れて、大地にも潤いが足りないと一目で分かった。
元は多分、綺麗な庭だったのだろう。
花壇跡の煉瓦や小径に整然と並ぶ石、枯れ蔦が絡まったアーチ型オブジェを見れば、本来ならばきちんと手入れされた花々が咲き誇る美しい庭園だったと想像がつくのだ。
それが何故ここまで枯れ果てているのだろうか? という疑問を口にするまでもなく、俺は手にしたホースを操った。
ホースの先からは、水が出ているからだ。水が出ているなら、この水を枯れた草花にわけてあげたい。
人は、あまりにも不毛な大地を眼前にすると、まず水を探すんだなと。そして自前で水が出せるなら、これはもう、とことん水を出そうじゃないかと思うものらしい。
俺はホースの先を指でギュッと潰し、水の勢いを良くした。
そしてそのまま天へと向ける。
圧され飛び出た水は勢いを増し、より遠くへ、放物線を描いて枯れ木へと迸った。
このホースに散水機能なんて洒落たものは付いていない。よくあるただの水色したホースだ。ホムセンの夏の特売品、この棚にあるもの千円セールで買ってきたやつ。
そんな雑な水の遣り方だったけれど、枯れ木たち、まさに水を得たとばかりに枝を伸ばし生き急ぐ。
更に、なんと、芽吹いてしまった。
芽が膨れ、花が咲いたものもあれば、葉だけが生い茂り活き活きと光合成をし出したものもある。
葉は枯れる気配を見せない。きっとこれから季節が進み、秋になったら実を付けるタイプの木なのだろう。
木だけではない。木の根元には草が生え、芝生が徐々に復活していく。
俺は感動した。生命が甦って行く様は、実に美しい。
枝を伝い落ちた水が大地にも染み渡り、潤いの色に。
しおれていた花々も息を吹き返し、アーチ型に連なる花のトンネルは華やかに、花壇にも色とりどりの季節の花が咲き誇った。
やがて虹が出て、お日様に反射するプリズムが煌めく様子が眩しくなり、瞳を眇めた。視界が所々にぼやけている。眼鏡が水に濡れたからだなと気づいて、レンズ大きめ黒縁眼鏡を外し、胸ポケットへと避難させた。
俺は近眼なのである。どれぐらい近眼かというと、水を意気揚々と撒く自分の背後に、いつの間にか人々が集まり、人だかりをつくっているのに気づかないくらい、目が悪い。
いや、もしかしたら目の視力以前の問題で、神経が鈍いのかもしれないけれど、とにかく、声をかけられるまで気づかなかったのは致命的に鈍いと思う。
「もし、そこの、其方……名を何と申す?」
「――――ふへ?! 俺に聞いてんの?」
突然のことに俺は驚いた。体ごと声のする方へ振り向いて、その拍子にホースから飛び散った水が、誰かの顔面へと直撃してしまうほどに。
「ぶ――――!!」
「わ、ごめんね!」
水の勢いに押されたのか、仰け反って後ろへ倒れてしまった誰か。おそらく声をかけてきた人。
「殿下が!」
「何ということだ……!」
「殿下、殿下、大丈夫ですか? 一人でおっきできますか?」
「おお殿下、この程度で倒れるとは情けない」
集まった人々から、ざわめきが起こる。
俺は、思いがけず人ひとり倒してしまったことに蒼褪めていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、俺の背後に急に立つから……っ」
なんともゴルゴなことを言い訳にしてしまったが、他に弁明も思いつかないし、謝るしかない。
「い、いや、私も、驚かせてしまったようだからな。それに、この程度で倒れるとは本当に情けないものだ」
「ええええ、い、いやいや、俺こそ気づかずに、その、倒してしまってごめんなさいっ」
明らかに俺が悪いのに、許してくれるどころか己が不甲斐ない所為にして庇ってくれるこの人は、何と寛大な心の持ち主だろう。
水に濡れた顔面を手の平で拭いながらも、自力で起き上がるこの人。周りに居た人たちが手を貸そうとしたのだけれど、それを制してまで、きちんと自分で立ち上がるこの人に、俺は好印象を抱いた。
それと、濡れて張り付いた前髪を掻き揚げ、露になったその瞳は蒼天の青で、美しい虹彩を放っているのに見惚れた。
吸い込まれそうなくらい綺麗……とは、このことを言うのだろうか。
決して日本人じゃないと断言できる柔らかな色合いの金髪、蒼眼に、よく見れば彫深く鼻が高い、なのに唇はスッキリとそれでいて一つの黒子がセクシーな口元。
何というか……美形ですね。
雑誌のモデルでもやっていそうなイケメェェンンっぷりに、耳朶まで熱が籠った気がした。
俺、こういう顔に弱いみたい。性格も良いし、声も良いじゃないか。何だこのイケメン、ほんとイケメン。
「で、殿下、髪が……」
「な、何ということでしょう……!」
「殿下、殿下、髪が、髪がありますぞ?!」
「おお殿下、御髪が生えておりまするうう」
再び群衆から、ざわめきが起こる。どうも先程のざわめきと違って、熱を帯びた感情が見え隠れする。
主に髪?の話題なようだけど、髪がどうかしたのだろうか。
……ん? その前に、殿下ってなに?
今更だけれど、周りの人々の様相がおかしいのに気づいた。
中年以降の方々(おっさん)ばかりだとか、裾や袖が長く刺繍の施された上等な服を着ている人ばかりだとか、そういった少し観察を要することよりも先、真っ先に目が行ったところは――――頭だ。
頭頂部、全員が、禿げていた。
「どうして髪が生えたので?!」
「水、水、水を被ったから?!」
「なんと、では、あれは成聖水なのでは?!」
「羨ましいですぞ殿下ぁぁ」
つるぴか頭のおじさんたちが殿下に迫る。
やっと殿下という単語を認識した俺。そして禿げ集団。集団にわいわいと囲まれ「私に髪が?!」と驚きを隠せず呆然とする殿下は、俺の方、厳密に言うと俺の持っている物、ホースへと目をやった。
「まさかそれは成聖物……其方は成聖者か……?」
せいせい……なに?
ホースと俺とを見比べつつ、己の髪にも手をやりながら、殿下は俺に近づいてくる。
俺知ってる。殿下って偉い人。貴人につける尊称だ。そんな高貴な身分の人が俺に近づいて来る。
若干、気持ち一歩下がったよね。
熱気最高潮だった禿げおじさんたちも、殿下の行動に気づいたら潮が引くように下がって、殿下が通る道を開け、俺と殿下の間に障害物は何も無くなった。
俺は引きつつもホースを持ち、ぼーっと突っ立ったままだ。
ホースの先からは、どばどば水が流れ出ている。その水が地面に吸収され、吸いきれない分が溢れ水たまりとなり、やがて滾々と湧き出る泉へと変化したのは、また後の話で。
今はまだ、目の前で輝かんばかりの笑顔を放つ金髪蒼眼王子を眩しく見つめるのに忙しい。
「成聖者よ。名を教えてはくれまいか?」
「あ……四十川 愛彦、です」
「アイカヮ?」
「いえ、それは家名で、名前は愛彦」
「ナルヒコ」
「はい……」
「ナルヒコよ、我らのキング・ガーデンを甦らせてくれてありがとう。そして、我が不毛の大地にまで成聖水を蒔き、失った毛根を甦らせてくれたことにも礼を言う。ありがとう」
とても真摯で前向きな謝辞だと思った。日本人のように無駄にぺこぺこ頭を下げるわけでもなく、おそらく身分の高い殿下……と呼ばれる人なのに居丈高な物言いでもなく、心から、不毛の大地に花が咲いたことを悦んでいる。
俺は、どうして草木や毛根が甦ったのか考えるよりも先に嬉しくなってしまい、弾む心で「どういたしまして」と返した。途端、殿下も嬉しそうに頬を染めたのが印象的だったが、その後に直ぐ、手を取られた方へ意識が向いてしまう。
俺の右手、殿下の両手に包まれているのだが……。
ちなみに左手はホースを持っている。ホース先からは相変わらずジャバジャバ水が垂れ流しである。
「図々しい願いだとは思うが、我が臣下たちにも慈雨の恵みをくれないだろうか」
婉曲な言い回しで直ぐに理解できなかったけど、殿下は俺の手を握りながらもホースの方ばかり見ているから、これが欲しいのだということに気づいた。正確にはホースから出る水を、禿げ臣下たちにもかけて欲しいという願いなのだろう。
「いいですよ」
「……あっさり了承して良いのか、ナルヒコ? 願っておきながら、こう言うのも何だが、もう少し考えた方が其方の為に思う」
偉い人なのに気遣い屋だなあ。こんな良い人なのに、なんで禿げたのだろう? 気遣い過ぎて禿げちゃったのだろうか?
それなら臣下たちも禿げているから、ここに居る人たち全員が気遣い魔なのかもしれないぞ。
そんな愉快な想像をしてしまったからか、俺はにっこにこの笑顔で、禿げた人たち皆平等に、水をぶっかけた。
皆、喜んで頭に水を擦りつけていた。
ところで、ここって日本じゃないよね。
ここはどこですか? と、殿下に尋ねたのは、禿げた人たち全てをふさふさにして、キング・ガーデンに常世の春をもたらし、殿下から「傍に居て」と迫られた時――――
――――俺、相当、にぶいとおもう。
【終わり】
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