衣食住に満たされた異世界で愛されて過ごしました

風巻ユウ

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三柱の世界

ひとりだと思って流した悲しい涙

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ハタキで欄間の上の方から順にはたいていく。数ヶ月放っておいた割にキレイだ。
少々の埃が舞って下に落ちていくが、それは後で掃けばいいこと。
白色の前掛けについてしまった埃の塊も、後で一緒に掃こうと摘んで「ふう」と息を吹きかければ、軽く翻って下へと落ちていった。

私は今、和室の掃除をしている。和服姿で。
折角、実家の家政婦かずゑさんが届けてくれた着物だから着てみようと思ったのだ。流石に晴れ着は今着るものじゃないから、常用の小袖があったので水色の大島袖を選んでみた。帯は白地に桃色の刺繍の名古屋帯で、帯上や帯留めも桃色に。帯を巻くの苦手なんだよね…。
着物と一緒に『きものの着方』っていう指南書も入っていたので、それ見ながらなんとかやってみる。やってたら締め方も思い出した。
掃除をするにあたってこちらの世界のレースがついた前掛けをしてみたら、これが意外にもしっくりきて某パーラーの女給仕さんみたいになった。時代は大正だけど。浪漫である。

欄間を乾拭きして、それから水拭きもする。
本当は米ぬかで水拭き掃除したかったんだけど、この世界ではまだ米を見つけていないので、代わりに酢水を雑巾に付けて掃除に使った。
酢水はホワイトビネガーと水を1:1で混ぜて使う。ホワイトビネガーというのは蒸留アルコールで作ったアルコール酢のことである。こちらの世界にもあった。
障子や床の間も同様に、乾拭きの上で酢水拭きをした。

先程、双陽神から色々とぶっちゃけられて頭が混乱してたのもあって、一心不乱に手を動かし続けるのはなかなかの精神統一になる。
考えをまとめるのに適してるよね。お掃除って。
ぶっちゃけ。まじでぶっちゃけ、あいつら神は本当にいい迷惑である。
私に記憶はないが、その忘れた記憶は神子の晃さんに預けたとか。
晃さんと前に庭で会った時、あんな悲痛な顔させてた要因は私の記憶を預けられてる所為に違いない。千年も生きて私を待ってた彼の苦労を思うと、今度会う時にどんな顔すればいいか分からない…。

それから光の騎士。忘れた記憶の中に彼のことがあるのだろう。
今は決して思い出せない、その顔、その人柄、その姿…。
全部ルークスさんで再生される私の脳内オーディオは…優秀だな。
光の騎士の記憶をルークスさんに仕込んだとかラオルフさんが言うからだ。
本当だろうか。
本当のことならルークスさん…もう、思い出したのだろうか…最期の言葉を…。

最後に畳の上にお茶の出し殻を撒いて、箒で掃き掃除である。
お茶っ葉は実家からの荷物に入ってたのを飲んだ後に乾燥させたやつである。
この世界は紅茶が主流で今のとこ緑茶は見かけていない。
畳の目に沿って箒を動かしていく。するとみるみる出し殻さんが塵や埃を吸着しながらゴミを一緒に絡め取ってしまう。なんという万能感。出し殻さんに感服だ。
こちらも仕上げに酢水で水拭きをして、お掃除完了。

「ふい~。ピカピカになりましたよ」

なんということでしょう。
数ヶ月も放置してたお座敷が、今はもうどこを舐めても汚くないゴロゴロ転がっても埃が立たない素晴らしい和室へと変貌しましたよ。
い草の匂いも芳しい。これなら恥じることなくお客様をお迎えできるね。
ずっと腰を屈めていたので、ちょっと立ってストレッチ。伏臥上体そらしが難しい。後ろのお太鼓結びを崩さないよう気をつけると半端になるし、かといって思いっきり上体反らししたら後ろにコケそうである。
腰に当てた手に力を入れてなんとか上体を起こし、今度は横に上体を捻る。
お。腰がゴキッていった。
その拍子に前掛けのポケットから何かが、畳の上に滑り落ちた。

「あ、手紙…」

かずゑさんから届いた手紙である。慌てて拾って、その勢いで開封した。
中には一筆箋が一枚。「晴れ着の手入れが終わったから送ります」と書かれていた。それともう二枚ほど。和紙の便箋に「会社には慣れましたか」とか「ご飯は毎日きちんと作ってますか」とか、あとは定番の風邪を引かないように…と。
私を気遣う言葉ばかり書かれていて思わず涙ぐむ。こんなに気遣ってもらっているのに、そのどれもが、私は果たせていない。

会社に行けてない。引越し初日に異世界へ飛ばされてしまったから。
ご飯も毎日は作ってない。マイハウスへ行けば作れるんだけど、宮殿にいれば三食昼寝付きである。宮殿の厨房には入らせてもらえない。
だからと言って毎日上げ膳据え膳というのも…甘えてばかりいるね、私。
風邪、引きました。心労や生理痛というのもあるけど、一番の原因は前夜、野外であれこれいたしたのが悪いと思う。けっこう肌寒かったからね。
激しい運動して熱かったけど、寝落ちして寝冷えもしたんだろう。翌日、風邪を引くのも当たり前っちゃ当たり前。

手紙の文面を読んでて分かったこと。かずゑさんは私があのマンションからきちんと会社に通っていて、両親や兄とも連絡を取り合っていると思っている。
これはどういうことだろう。私は異世界にいる。会社どころか家族と連絡なんか取れてやしない。連絡手段のスマホはご臨終してるからね。
考えつくのは、双陽神たちが地球へ旅行へ行ったとの発言から、やつら地球で何かしやがったに違いないということ。
私がいきなり消えたことで家族は心配してるだろうなと思っていたけど…どうやら違うようだ。

あの世界、地球で、日本で、私は消えてないことになっている…?

それはどういう手段だろう。記憶操作?私の周囲の人すべての記憶を誤魔化しているのだろうか。それとも、偽物の私がいて毎日会社に通い実績を上げて、家族とも連絡を取って稲森家の長女という立場におさまっているのだろうか。

どっちにせよ、本当の私はここにいて、家族にも、かずゑさんにも会えなくて…
一人で、ここにいる…。

涙が落ちた。元々、手紙を読んだ時点で瞳は潤んでいた。
いまさら涙腺崩壊してもおかしくはない。ただ、こんな胸が張り裂けそうな想いを抱えて泣くのは、いささか寂しすぎた。

私はここにいる。ここにいるのに、故郷にいる私の大好きな人たちは、私がここにいることを知らない。その事実に気づいて心が震えた。寂しくて、辛くて、切ない気分になってしまう───。


「ハツネ殿…?」


ふいに聞こえた声にビクつく。
畳の上で、膝を抱えて泣いていた私は顔を上げ、後ろから人が近づく気配に慌てて、目を擦った。

「泣いてるのか?」

はっきりと近くで聞こえる声。ルークスさんの声に、私はますます涙が溢れて両目から零れ落ちるのが分かった。
手の甲で涙を拭っているのに追いつかない。勝手に涙が溢れてくるのだ。

「うぅ…っふ、泣いて、ない…」

精一杯、声に出して訴えてみるが逆効果だ。
声に出したことで涙声なのが丸わかりで、自分が嘆き哀しんでいることも自覚してしまった。

「手で擦るな。痛くなるぞ」

ルークスさんの気配はもう間近に迫っていて、私の頬に柔らかい布が当たる。
ハンカチだ。紳士の嗜みですね。ハンカチで頬を濡らす涙を拭き、目元に溜まっている涙をも拭い去り、私の視界は晴れた。
今まで私の瞳は涙の幕で覆われ、ぼやけていたから分からなかっただけだ。
───目の前にルークスさんのハンサム顔ドアップ。近。

「……っ、ひく」
「随分と泣き腫らしたみたいだな」

泣いた上で擦りまくったから目が腫れたんだろう。
目のとこ全体に真っ赤になってるだろうことは鏡見ないでもわかる。

「泣いて、ない…」

それでも強気発言してしまうのはどうしてだろう。
こういう時くらい素直になればいいとは思うが、ホームシックで泣いてると思われてそうで妙に意地を張ってしまう。
実際にはちょっと違う理由で泣いてるし、それでも家族が恋しいのは変わりはないしで私の心は散り散りだ。

とにかく今は涙を見られたくないのである。
顔を逸らしてルークスさんから離れようとする。だけど逆にルークスさんの顔が近づいてくるの、なんでだ。

「っ、やだ」
「嫌じゃないだろう」
「違う…っ」
「違うはずないだろ、こんなに泣いてて」

泣いてないと再度首を振ってみようとしたんだけど、ルークスさんの腕の中に抱き込まれて両手で頭固定されちゃったから頭振れない。否定できない。

「その手紙だろ。君が泣いてるのは…」

左手に持ってる便箋。こちらの世界とは違う文字が縦書きに、流れるような書体で書かれている。かずゑさんの書道の腕前は衰えていないようだ。
草書を見慣れてない私は読むのにちょっと苦労するけど、その流麗な文字は楷書よりも温かみがあって好ましいものである。
ルークスさんにとってこの手紙は私より見慣れない物だろう。家族からの手紙だと思われてる気がする。

「これ…かずゑさんから届いたの」

両親は家にあまり帰らない人たちだったから、私は実兄と家政婦のかずゑさんに育てられたようなものだ。実の親より家族らしい、大事な人である。
そのことを説明していたらまた涙が込み上げてきた。
かずゑさんの『初音おじょうさま』はもう日本に居ない。私は、遠い異世界に居る。その事実が、大切な誰にも伝わってない現実を思い出して、また涙が溢れてしまうのだ。

「私…ひとりだ…ひとりでこっち来て…皆には忘れられて……」

双陽神がしたであろうことを、憶測交えてだけど言葉にする。
すると思ったより残酷なことをされてしまったんだと、ますます悲しみが募っていく。胸が、焦げるように、痛い…。

「なんで…こんなこと…私、ひとり…」
「一人なものか。私が目の前に居るのに、君は孤独だっていうのか」

ルークスさんが私の頬を伝う涙を舐め取ってくれる。
一回や二回じゃなく、何度でも。
みるみる内に頬の涙跡は消えたし、目尻に溜まった涙さえも、舌と唇で拭い去ってくれるから、曇ってた視界が再度開けた。

「…は、あ…あう…ルークスさん…」
「そうだ。前を見てくれ。私が居るだろう」

うぐう…私好みの、めっちゃハンサムなお顔が見えますわ。
昔憧れてたというかアニメん中の人にそっくりだよね。
皇子様…まさか現実でも皇子様と恋仲になれるとは、あの時の私は思いもしなかっただろう。金髪碧眼の金の髪はサラサラで翡翠色した瞳は涼やかだけど温かみがあって、端正な顔立ちの中にも精悍さが覗く…。

ああ、なんか、夢と現実がごっちゃになってきてる。
瞼の裏に見えるアニメキャラと現実のルークスさんと、一緒にしちゃいけないのに、なんだか同一人物のような気がして頭がボーとしてきた。
だからなのか、譫言が口をついて出る。

「抱いて…抱いて欲しいです…」
「ハツネ殿…!」

言っちゃってから一気に熱が顔中に広がって耳まで熱くなる。

「あ、いや、今の、は…!」
「嬉しいぞハツネ殿」
「違っ。いつもこんなこと思ってるわけじゃなくて今一瞬おかしかっただけでいつもはこんなこと…!」

今のは誤作動であると訴えてもルークスさんが止まるわけもなかった。
口を塞がれる。軽いキスから深く濃厚なキスまで、求められればもう、するしかない。抵抗の二文字はキスした時点で吹っ飛んだ。

「ん…、ふ…」
「ハツネ…望み通り、抱いてやる」

ひえええ耳に吹き込まないでくれその声聞いただけで孕みそうだ。
耳、ぞわぞわする。いつも以上に感じてる。なんでだ。お腹ん中キュウウウッてなった。なんでだ。

「はい…お願いします…」

私は素直に頷いて、ルークスさんに抱きついたのだった。
ひとりだと思って流した悲しい涙は、物の見事に引っ込んだ。
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