貴妃の脱走

川上桃園

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帝王の迷走

後編

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 その都、落日を知らぬ。
 すべての風はここより吹く。
 大輪の花はここに咲き、その香りは万里の果てまで香る。
 知の殿堂ここにあり。
 標無き者、ここにて答えを得(う)る。
 天上にもっとも近き場所。
 日々、天女たちは舞う。美しきもの、等しくここを通りゆく。
 人の声は絶えることを知らず。
 かつてここを紅蓮に染め上げた者も知らぬ。
 人、ここを永久(とこしえ)の都と呼ぶ。
 あぁ、その名にしくものは他になき。

 古詩にも形容されるように、その都にはすべてが揃っている。
 遷都以来、平和を守り続けていた都は、戦禍に見舞われることなく、緩慢な成長を続け、かつてないほどの華やかな文化を花開かせている。
 もちろん、そこを守り続けてきた皇帝たちの業績も大きい。
 初代は、平地を開拓した。
 二代目は、道を整備した。
 三代目は、産業育成に力を入れた。
 四代目は、移民たちを定住させ、新たな労働力を創出した。
 五代目は、運河を作って、水運を発達させた。
 六代目は、新技術開発を推し進め、民が飢えにくくなった。
 七代目は、新たな国との国交をはかり、新しい文物が流入するようになった。
 八代目は、財政見直しをして、しかるべきところに金を回るよう取り計らった。
 歴代の皇帝たちは他にも諸々の施策を行った。もちろん、すべてが成功したわけがないが、それでも国が傾くには至らなかった。
 こうして、今日も都は栄華を誇っている。
 さて、話を変えよう。
 並び立つものなき大国の中にあるもっとも風雅な都にて、皇帝と元貴妃と男装画家の珍道中が始まった。


 一軒目。衣装屋。

「赤だ、緋杏には赤が似合う。何といっても、鮮やかな色だし、華がある。ほら、この帯と合わせれば……む、思った以上に色っぽくて……ごほんごほん」
「青! 緋杏には青だと思う。緋杏って、清楚ですっきりとした印象だから。見ていて涼しげな色ね。……ね、私も似たような色にするから、お揃いに……しない?」
「えーと……あぁ、おじさーん。この萌黄色のものをくださる? えぇ、これ。 ありがとう。 お金は自分で払うわ」


 二軒目。書肆(しょし)。

「そうだ、最近こんな小説が流行っているのだが。えーと、だな。その恋愛ものでな。そう、高貴な男と平民の女が運命的に出会って、恋に落ちるのだが。……どうだ?」
「ね、見て。これ、なんか面白そう。あのね、主人公にとっても仲良しの友達がいて! その友達と一緒に、大きな夢を叶える話みたい。友情の話ね。読んで感想を言い合うとか……できないかな?」
「うーん。あ、あったこの書物。ずっと探していたの、これ。……これを読めば、私も料理達人になれるかしら? あ、おじさーん。これいくら?」


 三軒目。画商。

「そうか……。遊山人(ゆうさんじん)がいないのなら……ここは寧布衣(ねいふい)がいいだろう。勢いのある筆致だ。遊山人のあとは、寧布衣の時代だろう」
「緋杏は遊石が好きだって言っていたよね? ……絵とは言え、今回は寧兄に負けるわけにはいかない……。な、なんと言ったって、遊石が一番! 最近出てきたばかりとは言え、師匠の後継とも言われているもの! ……自分で言うのも何なのだけれど。寧兄の耳に入らない……と、いいなぁ。奥様、内緒でお願いします」
「はいはい。わかったよ。……それで、緋杏。あんたは?」
「どちらも見ているだけで幸せ」


 四軒目。装飾品の露店。

「翡翠の足環はどうだろう? そなたの白く細い足首にはめれば、きっと似合う。……それに私のものだという気がして(ごにょごにょ)」
「鼈甲(べっこう)の耳飾りはどう? 歩けば……ほら、しゃらしゃらと音が鳴るの。綺麗でしょう? 足環だとちょっと大人っぽすぎるし……なんだか、意味深だし」
「別に見ているだけなのだけれど……ねぇ、どうして二人とも張り合っているの?」

 さすがの緋杏も二人に向かって首をかしげる。
 ここまで来ると、すでに様式美だった。
 良晶と鈴玉が競うように緋杏に自分の選んだものを勧め、緋杏は華麗にスルーする(緋杏の場合、毎回無意識。スルースキルが高いのだ)。

「……やっぱり、今日は出かけないほうがよかったかしらね。私の都合で色々動いてしまったもの。今度から気をつけなくちゃね」

 ふと、緋杏は顔を曇らせる。頼りなげな身体がますます揺らめくようであった。

「そ、そんなことはない……私のほうこそ、ごめんなさい、緋杏。……なんか、ヒートアップしてしまったみたい。と、ととととと、取られてしまうようで、寂しくて」
「あるわけないじゃない。お友達でしょう、私たち」

 緋杏こそが不安げだったにも関わらず、彼女は鈴玉の身体を軽く抱きしめた。まるで姉のように。
 慰められているのだと、鈴玉は十分にわかっていた。

――子供っぽかったかな……やっぱり、緋杏の方が大人だった。

 次に緋杏は良晶を見る。

「晶さん、今日のところは帰りましょう。もう、いい時間だもの」
「そうだな。……そうしよう」

 彼女は、良晶には何も言わなかった。




 饅頭屋兼茶房の前で、そのまま別れた。
 緋杏は右と左へ散っていく二人を手を振って見送った。

「じゃあ、また今度ね。晶さん、鈴玉」

 角で曲がり終えるまで確かめ、彼女は空を見上げた。――黄昏に、目を細める。

「緋杏」

 誰かが彼女の名前を呼んだ。
 落日の反対側に、良晶が立っている。彼は、途中で引き返してきたのだった。

「これを渡そうと思ってな」

 簪(かんざし)を握らされ、彼女は目を丸くする。
 良晶はまともに彼女の顔を見ることなく、早口で続けた。
 
「先ほどの露店での帰り際に見かけたのだ。……きっと、似合う」

 簪には、精緻な細工が施されている。百日紅の花が、ついている。あまり華美でなくて、武骨な手が持っていたにしては可憐すぎる簪だった。

「……あの娘には、内緒にしろ」

 緋杏は簪を見つめながら、こくりと頷く。

「えぇ、鈴玉には、秘密です。……晶さん。ありがとう」
「それと」
「ん?」
「今日ずっと言おうと思っていたのだが……私には心に決めた女がいる」
「……奥様、ですよね」
「正確には、奥様じゃない。妻にしたい、女だ。……そなたには誰より先に、知ってほしい。しばらくはこの関係のままでいいから……いつか、私の話を聞いてくれ……」
「え……」

 緋杏が聞き返す間もなく、良晶は慌ただしく去っていった。
 もちろん、本人としては大きな前進をしたつもりで、心中では拍手喝采、大いなる達成感に安堵している。宮殿の裏門に至るまで数百回ガッツポーズを取るに違いない(裏門までなのは、門番たちに見られたくないからである)。
 一方で、この物語の中でダントツに鈍感なヒロインはと言うと……。

「私は……」

 置いてけぼりになった子供のように、その場に立ち尽くす。

「どうして、私に……」

 簪から垂れた花の房が、わからないよ、とでも言うように揺れている。
 彼女は悲しげに首を振ると、中へ入ろうとした。

「緋杏」

 またしても、彼女を呼ぶ声。
 今度も彼女は振り返った。
 そして。

――あぁ、もう逃げられない。終わってしまう……全部。

 彼女は泣きそうになるが、あえて笑顔を相手に向けた。

「お久しぶりです、父様」
「休暇は楽しかったかね?」
「ええ、十分に」
「なら、もうよかろう」
「はい」

  翌日から、緋杏は姿を消した。
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