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第18話
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「二十年前に今回使われた真剣が精錬されたと聞きました」
これはオーウェンの情報網によるものだ。
精錬したのは当時トゥアーで一番の腕と称された鍛冶屋で、ひそかに命じられてつくったものだという。弟子からどうにか証言を得たものだ。
本題はこのあと。
「わたしが生まれるかどうかという頃。こんな噂が流れたと言います。『貴婦人は禁断の恋に落ちてしまわれた』」
貴婦人、というのは隠語。当時、貴婦人と呼ばれるのにふさわしい身分にあった者はたった一人
――わたしの母。
母が恋に落ちたのは、夫である父ではなく、その義弟であったと。母は美しい人だったという。父も母には甘かった。花をめでるように大切に扱った。だが、美貌の叔父と並んだ時、二人はお似合いに見えていたのだろう。
叔父は元から父と折り合いが悪かった。だから、そのあてつけのように母の誘惑に乗ったのかもしれない。やがて、飽きたから捨てた。それによって、父がさらに苦しむことを見越して。
「すべては又聞きです。当時のことは何も知りません。母も父も叔父も、それぞれどのような気持ちでどんなことをしてしまったのかも推測にすぎません」
父にとっては不愉快に違いなかったことだろう。二十年前に作られた真剣は当時も参加していた模擬決闘で、今回のように使われるようにしたものだったのだ。と、すれば、一つ疑問が出てくる。
「ねえ、マクスウェル。どうして、二十年もかけたのです? それも父の死後になってまで」
彼はわたしをじっと見つめた。わたしの瞳の奥にある何かを見透かしているように。ふ、と彼は珍しい笑みを浮かべた。目尻の皺がくっきり表れる。老いたものだ。
「二十年前には、女伯さまがお生まれになったからです。伯もそれはもう大変な喜びようで、奥方さまもそれからは司教との恋をすっかり忘れてしまったように振る舞われておりました」
それから奥方さまが早くして亡くなられ、このまま静かに時が過ぎていく、と誰もが感じていたはずです。伯ご自身さえも。
「ですが、段々と女伯さまが成長されるにつれ、一つの懸念が伯の中で生まれておられたようです。奥方さまと同様に、女伯さまさえも司教に取られるのではないか、という幻想を」
彼はぴくりと肩を震わせて、不自由な方の腕をさする。痛むのだろう、緩んだ口元がひきしまる。
空がずっとこのままで。こんな話、明るい陽の光にさらすべきではない。できれば地中奥深くに埋めたまま、忘れ去られるべきだ。
「果たして、それは事実となってしまいました。司教は女伯さまに夢中になりました」
これまでも彼は淡々と話していたが、こんな忌まわしい話にも動じない。
「伯がご存命の折には、それとなく女伯さまから司教を離しておいででした。城から遠ざけ、この伯領内にはなるべく立ち入らせないように取り計らいました。司教が頻繁にこちらに出向くようになったのも、伯の死後であったとご存知でしょう」
伯は死の間際まで、司教を気にしておいででした。マクスウェルの語りはなおも続く。
「伯は臨終の際、一つの条件を出されました。女伯さまの夫になられるバスチアンさまー―当時はもう行方不明になられたばかりでしたが――もしも、あの方が、司教の手で危害を加えられたことが明らかになった場合は、総力を挙げて、司教に復讐を成せと」
指先が氷のように冷たくなり、対して、胸は何かに突き上げられるような衝動を覚える。
「バスチアンが……叔父様に、危害を加えられたのですか」
声が遠く、視界も遠い。ぼうっと呆けてしまう。
あるいは、と思ったことはある。叔父のわたしへの執着ぶりにはそれだけのものを感じさせるものがあった。けれど、いざその事実を突きつけられたときのわたしの反応は見通せなかった。
「バスチアンはそれでどうなったのです?」
意味のない問いなのに、それでも聞くしかなかった。この、最悪な結果を。
マクスウェルが行動を起こした。それだけで十分なのに。
彼は敬虔な顔つきをして、頭を下げた。
「伯領の境にある小さな村で、ご遺体が埋葬されているのを発見いたしました」
ああ、本当に現実感のない……悪夢だ。
一人、また一人と人が去っていく。
「すべては伯家内部の個人的な事情のため。それで納めてほしいということでしょうか」
教皇の使者であるパーシヴァルにはそのまま事実をありのまま伝えた。それでいて、口をつぐめという仄めかしを加えておいて。
「これは醜聞なのですよ、わが伯家にとって。叔父もまったくいわれのない災難を受けたわけでもありません。罪人をすべて裁いていたら、この伯家は潰れてしまうことも覚悟しなければなりません。そこまでの犠牲を払うことはできないのです」
実行犯だったマクスウェルも結局は父の人形でしかなかった。ほとんど誰も知らぬはずの密命を葬り去ってしまっても構わなかったというのに、彼は淡々に、粛々と忠実に実行に移した。ベラもマクスウェルも、彼らは一体何を見ていたのだろう。それを知れるものならば、知りたかった。
パーシヴァルの声がわたしの思考を遮った。
「では、実行した者たちはいかがなさるのですか」
彼にとっては納得できないことに違いない。語尾にも力が入っている。彼の冷たさの混じった視線をかわすように瞑目し、小さく溜息をついた。
彼らはすでに自らの身を処しています。
マクスウェルは城を去った。それと同時にベラも密かに城を抜け出していたようだった。詫びの手紙を部屋に残して。
ベラはもう二度とこの城に上がることはないでしょう、とマクスウェルは言い残していた。彼女は旅に出たのです。決して戻らぬ旅に。
行方を探ることならいくらでもできるだろう。しかし、調べさせて何になるのか。想像したくもない報告が返ってくる。それなら、一縷の希望を託していたいのだ。彼女は元気で、遠くで幸せにやっていると、信じていたいのだ。
「もう、いいのですよ。叔父の面倒は当方で一生看ていきます。それで今回は納めていただきたい」
老年や病身の聖職者は教会の方で面倒を見るのが通例だが、高位になればなるほど、何かと物入りとなる。その負担を減らすとなれば、多少は譲歩があってもいいはずだ。
「そうですか」
パーシヴァルは思わず零れてしまったような納得の言葉を吐いたあと、かぶっていたフードを取り払った。燃えるような赤毛がさらりと靡き、陰に覆われていた彼の顔をはっきりと見表わす。
「女伯さまがそうお望みなら、そういたしましょう。猊下とて、トゥアー伯と揉め事を起こしたいと思われてはおりません」
内心、安堵する。彼はさらに女伯さま、と目を合わせたまま呼びかける。
「私のごとき、一介の修道士が申し上げることではありませんが、一つお聞きしたきことがございます」
「何でしょうか」
気圧されぬよう、相手の瞳を見つめ続けていれば、相手が先にふとそらす。あまり表情はないものの、心に引っかかるものを吐き出す時にも似た、辛さが浮かんでいる。
「改めてお聞きしておきたいのです、あなたさまが愛したのは誰なのか」
わたしは無意識に眉をひそめていた。
「どうしてそのようなことを聞くのですか。以前にも答えたでしょうに」
あのときにはわからなかったことが、今ならわかるからでございます。
何をと聞いてみれば、相手の体が震えた。
「どうして、司教が女伯さまを愛されたのか、ということを。今ならはっきりわかるのです。ほんのごくわずかお話ししただけで。あなたさまは美しく、誰をも寄せ付けない威厳をお持ちでいらっしゃる。……それでもあなたさまは強くあろうとしているけれども、実は誰かの助けを必要とするほど、か弱いお方だ。だから、男たちは皆、あなたさまに恋をする。助けようと、傍にいたがるのです」
口が渇く。目を見張る。
「わたしは、そんなもの、求めていない。要らないわ。なぜなら」
「きっとあなたは初め、司教にほのかな恋心を抱かれた」
遮られた言葉に息をのんだ。そんなはずがない、そんなこと誰にも言ったことはないのに。
「次に恋したのは、前夫であるバスチアンさま。では、あなたが愛されるのは誰でしょうか」
ひどく、知りたく思います。彼はこう言って口を閉じた。懇願するときのように目を伏せる。
かえって狼狽えたのはわたしの方で、ぎゅっと手を握りしめた。
「……そんな者が本当に出てくるのか、わたしも知りたいところですよ」
曖昧に誤魔化しておいて、それでもある予感だけは誤魔化せない。
手を叩いて、話は終えると意思表示をする。パーシヴァルは名残惜しそうな目を向けたのち、退出した。
これはオーウェンの情報網によるものだ。
精錬したのは当時トゥアーで一番の腕と称された鍛冶屋で、ひそかに命じられてつくったものだという。弟子からどうにか証言を得たものだ。
本題はこのあと。
「わたしが生まれるかどうかという頃。こんな噂が流れたと言います。『貴婦人は禁断の恋に落ちてしまわれた』」
貴婦人、というのは隠語。当時、貴婦人と呼ばれるのにふさわしい身分にあった者はたった一人
――わたしの母。
母が恋に落ちたのは、夫である父ではなく、その義弟であったと。母は美しい人だったという。父も母には甘かった。花をめでるように大切に扱った。だが、美貌の叔父と並んだ時、二人はお似合いに見えていたのだろう。
叔父は元から父と折り合いが悪かった。だから、そのあてつけのように母の誘惑に乗ったのかもしれない。やがて、飽きたから捨てた。それによって、父がさらに苦しむことを見越して。
「すべては又聞きです。当時のことは何も知りません。母も父も叔父も、それぞれどのような気持ちでどんなことをしてしまったのかも推測にすぎません」
父にとっては不愉快に違いなかったことだろう。二十年前に作られた真剣は当時も参加していた模擬決闘で、今回のように使われるようにしたものだったのだ。と、すれば、一つ疑問が出てくる。
「ねえ、マクスウェル。どうして、二十年もかけたのです? それも父の死後になってまで」
彼はわたしをじっと見つめた。わたしの瞳の奥にある何かを見透かしているように。ふ、と彼は珍しい笑みを浮かべた。目尻の皺がくっきり表れる。老いたものだ。
「二十年前には、女伯さまがお生まれになったからです。伯もそれはもう大変な喜びようで、奥方さまもそれからは司教との恋をすっかり忘れてしまったように振る舞われておりました」
それから奥方さまが早くして亡くなられ、このまま静かに時が過ぎていく、と誰もが感じていたはずです。伯ご自身さえも。
「ですが、段々と女伯さまが成長されるにつれ、一つの懸念が伯の中で生まれておられたようです。奥方さまと同様に、女伯さまさえも司教に取られるのではないか、という幻想を」
彼はぴくりと肩を震わせて、不自由な方の腕をさする。痛むのだろう、緩んだ口元がひきしまる。
空がずっとこのままで。こんな話、明るい陽の光にさらすべきではない。できれば地中奥深くに埋めたまま、忘れ去られるべきだ。
「果たして、それは事実となってしまいました。司教は女伯さまに夢中になりました」
これまでも彼は淡々と話していたが、こんな忌まわしい話にも動じない。
「伯がご存命の折には、それとなく女伯さまから司教を離しておいででした。城から遠ざけ、この伯領内にはなるべく立ち入らせないように取り計らいました。司教が頻繁にこちらに出向くようになったのも、伯の死後であったとご存知でしょう」
伯は死の間際まで、司教を気にしておいででした。マクスウェルの語りはなおも続く。
「伯は臨終の際、一つの条件を出されました。女伯さまの夫になられるバスチアンさまー―当時はもう行方不明になられたばかりでしたが――もしも、あの方が、司教の手で危害を加えられたことが明らかになった場合は、総力を挙げて、司教に復讐を成せと」
指先が氷のように冷たくなり、対して、胸は何かに突き上げられるような衝動を覚える。
「バスチアンが……叔父様に、危害を加えられたのですか」
声が遠く、視界も遠い。ぼうっと呆けてしまう。
あるいは、と思ったことはある。叔父のわたしへの執着ぶりにはそれだけのものを感じさせるものがあった。けれど、いざその事実を突きつけられたときのわたしの反応は見通せなかった。
「バスチアンはそれでどうなったのです?」
意味のない問いなのに、それでも聞くしかなかった。この、最悪な結果を。
マクスウェルが行動を起こした。それだけで十分なのに。
彼は敬虔な顔つきをして、頭を下げた。
「伯領の境にある小さな村で、ご遺体が埋葬されているのを発見いたしました」
ああ、本当に現実感のない……悪夢だ。
一人、また一人と人が去っていく。
「すべては伯家内部の個人的な事情のため。それで納めてほしいということでしょうか」
教皇の使者であるパーシヴァルにはそのまま事実をありのまま伝えた。それでいて、口をつぐめという仄めかしを加えておいて。
「これは醜聞なのですよ、わが伯家にとって。叔父もまったくいわれのない災難を受けたわけでもありません。罪人をすべて裁いていたら、この伯家は潰れてしまうことも覚悟しなければなりません。そこまでの犠牲を払うことはできないのです」
実行犯だったマクスウェルも結局は父の人形でしかなかった。ほとんど誰も知らぬはずの密命を葬り去ってしまっても構わなかったというのに、彼は淡々に、粛々と忠実に実行に移した。ベラもマクスウェルも、彼らは一体何を見ていたのだろう。それを知れるものならば、知りたかった。
パーシヴァルの声がわたしの思考を遮った。
「では、実行した者たちはいかがなさるのですか」
彼にとっては納得できないことに違いない。語尾にも力が入っている。彼の冷たさの混じった視線をかわすように瞑目し、小さく溜息をついた。
彼らはすでに自らの身を処しています。
マクスウェルは城を去った。それと同時にベラも密かに城を抜け出していたようだった。詫びの手紙を部屋に残して。
ベラはもう二度とこの城に上がることはないでしょう、とマクスウェルは言い残していた。彼女は旅に出たのです。決して戻らぬ旅に。
行方を探ることならいくらでもできるだろう。しかし、調べさせて何になるのか。想像したくもない報告が返ってくる。それなら、一縷の希望を託していたいのだ。彼女は元気で、遠くで幸せにやっていると、信じていたいのだ。
「もう、いいのですよ。叔父の面倒は当方で一生看ていきます。それで今回は納めていただきたい」
老年や病身の聖職者は教会の方で面倒を見るのが通例だが、高位になればなるほど、何かと物入りとなる。その負担を減らすとなれば、多少は譲歩があってもいいはずだ。
「そうですか」
パーシヴァルは思わず零れてしまったような納得の言葉を吐いたあと、かぶっていたフードを取り払った。燃えるような赤毛がさらりと靡き、陰に覆われていた彼の顔をはっきりと見表わす。
「女伯さまがそうお望みなら、そういたしましょう。猊下とて、トゥアー伯と揉め事を起こしたいと思われてはおりません」
内心、安堵する。彼はさらに女伯さま、と目を合わせたまま呼びかける。
「私のごとき、一介の修道士が申し上げることではありませんが、一つお聞きしたきことがございます」
「何でしょうか」
気圧されぬよう、相手の瞳を見つめ続けていれば、相手が先にふとそらす。あまり表情はないものの、心に引っかかるものを吐き出す時にも似た、辛さが浮かんでいる。
「改めてお聞きしておきたいのです、あなたさまが愛したのは誰なのか」
わたしは無意識に眉をひそめていた。
「どうしてそのようなことを聞くのですか。以前にも答えたでしょうに」
あのときにはわからなかったことが、今ならわかるからでございます。
何をと聞いてみれば、相手の体が震えた。
「どうして、司教が女伯さまを愛されたのか、ということを。今ならはっきりわかるのです。ほんのごくわずかお話ししただけで。あなたさまは美しく、誰をも寄せ付けない威厳をお持ちでいらっしゃる。……それでもあなたさまは強くあろうとしているけれども、実は誰かの助けを必要とするほど、か弱いお方だ。だから、男たちは皆、あなたさまに恋をする。助けようと、傍にいたがるのです」
口が渇く。目を見張る。
「わたしは、そんなもの、求めていない。要らないわ。なぜなら」
「きっとあなたは初め、司教にほのかな恋心を抱かれた」
遮られた言葉に息をのんだ。そんなはずがない、そんなこと誰にも言ったことはないのに。
「次に恋したのは、前夫であるバスチアンさま。では、あなたが愛されるのは誰でしょうか」
ひどく、知りたく思います。彼はこう言って口を閉じた。懇願するときのように目を伏せる。
かえって狼狽えたのはわたしの方で、ぎゅっと手を握りしめた。
「……そんな者が本当に出てくるのか、わたしも知りたいところですよ」
曖昧に誤魔化しておいて、それでもある予感だけは誤魔化せない。
手を叩いて、話は終えると意思表示をする。パーシヴァルは名残惜しそうな目を向けたのち、退出した。
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