女伯イゾルデ

川上桃園

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第11話

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「女伯様……模擬決闘で私が述べた内容はすべて事実なのです。信じてください」

 この男は莫迦ではなかろうか。そんな問題ではないというのに。

「このままあなたはこの城の中に囚われ続け、数十日後には自身の所領に戻されます。……そしてもう二度とここへ立ち入ることはない。その顔も見納めになるでしょうね。名誉回復の見込みはありません。あなたがこの場で何を言おうとわたしの心は変わりませんよ」

 ですが、と溜息とともに言葉を絞り出す。

「騎士の名誉は己で取り戻しなさい……この意味、わかりますね?」

 オーウェンは微笑む。まるで見越していた通りだ、と言いたいばかり。
 そう、この男は知っている。わたしがオーウェンを切り捨てられないことを。なぜなら、彼は有能で、人望がある。女伯としては決して離したくない人材であることを、そして、人望と人柄ゆえに、彼が罰せられることに領民の誰もが納得しないということを、オーウェン自身も知っているのだ。嫌な男にも、結局は手を差し伸べなければならないとはわたしはなんと滑稽なことをしているのだろう!

「おそらく叔父様のことで教会側から使者が赴き、この件について調査するでしょう。もちろん女伯としても調査隊を結成します。……教会からの介入は極力避けるために不明な点をすべて洗い出し、そして、祭用の剣をすり替えた犯人を捕まえ、一刻も早く事態の収拾をさせなければなりません。都合の悪い真実を葬り去るために、すべての真実を知ることが今のわたしに課せられていること。オーウェン、あなたが調べるべきなのは、調査隊では浮かび上がらないような事実です。しかもそれをごくごく内密に行わなければならないのです。囚われているはずのあなたが町にいるのはおかしいですから」

 わたしの言葉に、オーウェンは納得したように頷く。

「女伯様が私の集めた事柄を組み立てる、ということでしょうか」

 理解が早くて結構。

「様々な側面から熟考しなければ、この叔父の件の全体が見えてこないでしょう。叔父を取り巻くしがらみはきっと根深いものでしょうから」

 伯家に連なる者として、教会の司教として、叔父として――男として。叔父の持つ顔はいくつもあり、そのどれもで、きっと恨みをかっている。……わたし自身の恨みも含めて。
 もしかしたら、とオーウェンはふいに口を開いた。

「私が司教様を故意に刺したとは思われないのですか」
「思ってほしいの?」
「いいえ」

 この男がそんな愚かな真似をしたとは最初から思っていない。大局を見据えていて、常に平静であり続けるこの男は、良識という名の四角四面の箱に入っているのだ。もっと上に、という野心があろうとも悪事を働く男ではない。

「わたしの知るオーウェンという男は、愚かでも卑劣でもなく、綺麗すぎる心と、揺るがぬ平常心を持っている男です。あなたは体よく手駒にされただけでしょうね。御膳立てされた仕掛けにはじめに触れたための災難はずいぶんと高くついたでしょうけれど」

 彼は黙り込む。わが身の不甲斐なさに情けなさを覚えているのだろうか。

「さて、聞いておきましょうか。あなたが使った剣はいつ、どこで初めに渡されましたか? あるいは途中で交換などはしましたか」

 祭用の武器等はすべて城の地下倉庫に眠っている。今回あったような間違いがおきぬように、厳重に保管されていたはずなのだ。
 偽物が作られないよう、偽造されにくい複雑な装飾を施した武器たちは、一年に三度しか日の目を見ることはない。祭日、祭日前の点検、立ち合いの元での補修。
 鍵は家令のマクスウェルと城主であるわたしのみが所持している。
 マクスウェルにしても誰かの立ち合いなしで、開くことは許可されていない。しかもあの辺りは衛兵も巡回しているので、マクスウェルが出入りすれば必然と目につく。そして、祭用の剣を真剣に変えることは、彼にはできないのは明らかだった。ましてや片腕が不自由である身には。
 夕方もたらされた報告では、倉庫の中に残っている祭り用の武器の三分の一相当が真剣になっていたらしい。そして、模擬決闘で使われた剣の中にも数本混じっていたことが明らかになった。

「女伯さまがご存じのとおり、模擬決闘が始まる前に審判役がそれぞれに剣を渡すこととなっております。剣の箱は城から広場に移され、一斉に配られるのです。将やその他の騎士の剣に全く違いはなく、同一の剣が広場にばらまかれたはずなのです。そのあとは『試し切り』で馬の首に剣を軽く当てますが、その際もほとんど切れることもありませんでした」
「つまり、決闘直前まで剣はまごう事無き本物の祭用の剣だった」

 そうです、とオーウェンが頷く。
 では、どこでそれが真剣に入れ替わったのか。

「剣を手放したのは、いつ?」

 これは一応確認のためだったが、わたしが知るだけで二度ほど……いや三度ほどは、

「いつと申されても、何度も取り替えたのでまったく覚えておりません」

 割り当てられる剣はランダムであるが同じ形状のもので、将といえども他のもと変わらない。それでも重量や使いやすさは一本一本微妙に異なるらしく、オーウェンのように手に馴染まないと思ったものを次々と取り替えて、気に入るものを探していく者もいた。模擬決闘の敗者から剣を奪い取ることで。
 模擬決闘が終わるころには、一本の剣は様々な持ち手を経ている、というわけだ。

「困りましたね」

 さて、どの糸口から探るべきか。一辺通りのことは、調査隊の騎士たちがかきあつめてくるだろう。ほしいのは他のもの。
 オーウェンはなぜか余裕綽々の様子で髪をかき上げた。ついと細められた青い目は、この石床ではない別の場所をみているようだった。細い睫毛に彩られたそれがわたしに向けられたとき、労り、と呼べるようなものがそこに浮かんでいた。

「困ることは何もございません、女伯さま。……こういうことをもっとも得意としているのは誰か、ご存じでしょう? その能力があるからこそ、女伯さまは私を決してお離しにはならない」

 傲岸さを垣間見せるその態度。謙虚さと同居しているそれが、彼の魅力の一つ。彼の言っていることはまったくの真実だ。……わたしはオーウェンを手放せない。
 そう、わたしの手足。わたしの眼。わたし自身で見渡せぬ世界を引き寄せる男。皮肉なことに、わたしがもっとも必要にしているものを持っているのもこの男なのだ。ここで逃したくはない、それも事実である。

「……そうね。わたしはあなたの能力が惜しい。あなたが無能だったら気に入らなければすぐに追い出せたでしょうに」
「しかし、能力がなければ女伯さまの目に留まることもなかったのではないでしょうか」

 ただの一騎士であるオーウェンがいたとしたら? 想像できなかった。少女のころに忽然と現れた
「飛びぬけて優雅で勇敢で聡明」な騎士の輝きがなかったら、オーウェンではないに違いない。別のオーウェンだろう。
 それはどうかしら、という思いは別に口にする必要も感じず、わたしは囚人である英雄に手を差し伸べた。

「期限はこの祈年祭の終わりまで。祭りの盛況ならば、あなた一人が城内の者の目をかいくぐって調べることも可能でしょう。このわたしの命を知るのはわたしとあなただけ、決して他に漏らしてはいけない。もし捕まったとしても、わたしは助けない。絞首刑になるのを止めはしない」
「……お約束いたします。女伯さま」

 オーウェンは確かに誓った。わたしとの密約がどれだけ理不尽なものであろうとも、彼はその顔に浮かべた微笑みを消さないで、いとも簡単に受け入れてしまうのだ……。
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