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第10話
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町の通り、特に曲がり角に配置されたのは槍を持ち、伯家の紋章が描かれた上着を付けている審判役の者たちだ。頭に乗った、黒々としたつばの広い大きな帽子は、わかりやすい目印であるとともに、相対する騎士たちが間違って、馬で蹴ってしまわないように、あるいは模擬決闘の審判役であったことが後々不利益にならないように――審判役も領内の騎士から選ばれるのだ――むやみに顔を見せないようにする工夫の一つだ。
彼らは自分の近くで行われている戦闘の様子を遠目で観察し、勝敗が決するとこちらのギルドの建物の方へ報告にやってくる。もちろん、臨機応変に動くことは絶対条件だ。勝負がついても双方引かない時の仲裁に入り、あるいは重傷を負った場合に用意した医師を呼びに行くのも彼らの役目だ。
決闘では叔父の剣がオーウェンの甲冑の胴をえぐろうとする。切れはしなくとも、鈍痛は著しく伝わってしまうので、彼は懸命によけようとする。その隙に叔父の剣は、すかさず構え、改めて突きの態勢をとった。大勢の人が外れる位置だと思っていたかもしれないが、わたしのいる正面の位置からははっきり見えた。突きを狙うのは、身体でも上部……喉!
……喉を突くのは、禁じられているのに。
ただ、それは一瞬のことで、実際のところはオーウェンが「みんながそう考えて、予想した叔父の突きを、ごく普通に避けた」ようにしたようだった。
胸をなでおろす。首はいくら防御しても人間の弱点に変わりはない。死人を見るのはまっぴらだ。
「女伯様。審判の者から勝敗の報告が来ております」
ベラが報告に来た審判役の一人とともに現われ、わたしは横へ視線を滑らせた。道化はおどけたように再び莫迦の仮面をつけて、去っていく。
「では読み上げなさい」
審判役は手に持った羊皮紙を両手でしっかり持つ。そして、この広場中の観客にも聞こえるよう、大きく息を吸った後、お腹の底から大声を出す。
「今のところ、赤が優勢! 赤が優勢! 他場所での戦闘も終結しつつあり、六割方赤の勝利数、四割方青の勝利数! 現在も戦闘が行われているのは、城の正門付近、職人街の大通り、市場の入り口付近! なお、負傷者多数、流血十七名、骨折三名、打撲十九名! 死者はなし!」
その声は、眼下で戦闘している彼らにも聞こえただろうか。いや、尋ねてみるまでもないだろう。叔父とオーウェンの腕が休まることはない。もう、どれほど彼らの一戦は続いているのだろうか。オーウェンはともかく、叔父の華奢な体のどこにそれほどの力が眠っていたのか。
「死者が出ていないだけで上々というべきでしょうね」
独り言を零した時に、一つ大きな動きがあった。
オーウェンの剣先が叔父の兜にあたり、それが面白いほどに宙を舞い、重い音を立てながら地面に落ちる。オーウェンはそのまま――叔父の喉を突いた。
赤。白い喉から流れる赤だけが視界を支配する。他に何も見えなくなる。
あ。小さく叫び声も漏らしたかもしれない。自分の口をふさいでみれば、半開きの唇が震えている。
これ以上剣を食い込ませないように、首を後ろにそらせた叔父は、そのまま馬からどうと倒れた。
周囲に広がる阿鼻叫喚の渦は広場を巻き込む。
オーウェンは兜を外し、自分で突いたくせに呆然とぴくりとも動かぬ叔父を凝視している。
「女伯さま。この騒ぎ、いかがいたしましょうか」
後ろから囁いてきたベラの声は相変わらず動じていない。
倒れた叔父の装備の隙間を縫うように血がにじみ出ている。彼に駆け寄るものは誰一人としていなかった。彼の周りには遠巻きに見つめる人の輪ができるだけ。
オーウェンが少しふらつきぎみになりながら馬から下りる。汗だくの顔をぬぐうようにして、叔父に近づいた。彼は相手の顔を覗き込んだあと、手をあげて、近くにいた審判の男たちを呼び寄せた。硬直していた審判たちが慌てて駆け寄り、その体を担ぎ上げた。
そこまで見届けたのち、かすみがかった頭を懸命に回転させる。今日という日は、目まぐるしく事が動く。考えが追いつかないのも当然だろう? いや、それは言い訳にすぎないか。
そんなことは女伯には許されないのに。
「……叔父をひとまず城に運び込み、医師に診せなさい。今年の模擬決闘は赤の勝ちとなさい。羽根は獲られていないとは言え、青の将が倒れたのですから、それが妥当でしょう」
「オーウェンはいかがいたしますか」
惑う人々の中で、叔父が運ばれていくのを見つめているオーウェンは一種の異様な雰囲気を纏っているように思えた。視線を定めているせいか、それとも……狙ってやったことか。
「最初から決まっているでしょう。城に戻ったら、拘束しなさい。城の一室に閉じ込めておくのです。少なくとも疑惑が晴れるまでは」
叔父の殺害未遂は故意か否か。オーウェンは鋳つぶしていない剣を使っていたことに気づいていたか。
「この模擬決闘で使われた剣をすべて回収しなさい。一つも取りこぼしはまかりなりません。そして模擬決闘に一切関わっていない騎士を密かに招集しなさい。できるだけ伯領の政に柵《しがらみ》のない、あるいはすでに隠居した騎士でも構いません。中立の者を集めるのです。彼らにこの件を調査させましょう」
「選定は誰に任せましょう?」
マクスウェルに、というと、ベラは黙って頭を下げた。
「では、そのようになさい。……パウル。帰りますよ」
「は、はい」
立ち上がって、最後にもう一度広場を見る。叔父の血がこべりついた石畳、すべきことが見つからず惑う人々、そしてオーウェンの静かな面差しを。
……わたしも自ら動かなければならないかもしれない。
勝負の勝者とて人生の敗者となることもありうる。一年で最も称えられるはずの模擬決闘の英雄は、今は城内の塔の一室に軟禁されているのだ。
こつこつと踵が規則正しく歩を刻みながら、塔の最上部の部屋に向かう螺旋階段をひたすらのぼる。壁面に取り付けられた蝋燭の頼りない光は、ぼうっと壁に色味を添えている。夜の深さは壁から切り抜かれていた四角い窓から覗き込めた。
登り切り、目の前にある木の扉を叩く。今はわたし一人。侍女のベラでさえつけていない。
返事はないが、構わずドレスにつけた鉄の鍵束から一本鍵を取り出して、錠前を解く。
開けた扉の向こうでは、跪いたオーウェンがわたしの手を取って接吻する。
「卒のないあなたにしてはしくじりましたね、オーウェン」
その姿は灰色のチュニックにズボンとまったく囚人に相応しい服装なのに、彼の誇り高さは依然として服の下から零れている。気品ある騎士としての風格を損なっているものが何もないというのが不思議と言えば不思議。
「……おいでになると思っていました。しかし」
「こんな夜中にしかも一人で来るとは思っていなかった?」
はい、と彼はわたしを見上げる。澄んだ青い目がからみついてくるように思えた。失策したのかもしれない。公の場での釈明を聞く前に、一度詳しい話を聞いておきたかっただけだったのだが。
「今日のこと、どれだけの失態か、知っているでしょう? 叔父様は今予断を許さない状況にあります。これを機に教会との軋轢が生まれるかもしれません。……あなたの今まで築いてきた功績はすべて崩れ去りましたね。今日から罪人です」
「……嬉しそうな顔をなさっておいでですか、レディ」
危機に瀕しているにも関わらず、この男は微笑みを忘れないでわたしの手をそっと握る。まるで離すまいとしているように。声はまるく、やわらかく。それが心のざわめきをかきたてようとしているのだ。
「あなたの不幸は蜜の味なのですよ、オーウェン。数年間『証』にかけた願はようやく成就したようで何よりです」
「蜜の味……」
オーウェンは意味深に復唱したあと、笑みを深めた。
「レディがそこまで私のことを思ってくださるとは、うれしい限りです」
どこまでおめでたい男なのか。嫌味たっぷりにこう返してやる。
「ええ、だから出世は諦めて頂戴」
彼はゆっくりと瞬きをして、笑みを消した。
「それは……仰せのままにはできません」
「どうして? あなたには先祖伝来の領地があり、婚約者もいます。たとえ、この城での地位はなくなっても生きていくことはできるでしょう?」
結局、今回の叔父とのことは事故ということで決着となることだろう。その裏にどんな事実があろうとも、覆い隠さなければならなかった。オーウェンはそれなりの過料を払うことになるだろうが、事故にする以上、罰則は比較的緩いものとなるはずだった。ただ、その判決がきちんと出るまではこの城で監禁されることになるのだ。
「私は城にいたいのです。もっと上の地位にいきたいと思うのです。そうすれば……もっとレディのお傍に」
……わたしは、オーウェンの顔を覗き込む。彼が何もできないのを見越したうえで。
「あなたの望みは叶いませんよ、オーウェン」
なぜなら、わたしがあなたを嫌っているから。
「もしなれるとしたら、あなたがなれるのは、愛人ぐらい。何の権利も持たず、わたしに弄ばれ、やがて捨てられるだけの愛人。あなたが思うような地位は何一つ手に入りません」
「愛人」なんて、あなたには無理でしょう? 誇り高い騎士であるあなたには。
そう、実権はわたしが握る。誰にも渡すまい、そう決めているのだ。
握られた手を振り払い、相手を睨む。
「――思い上がるな、オーウェン」
彼の手は空を掴み、力なく下ろされた。
彼らは自分の近くで行われている戦闘の様子を遠目で観察し、勝敗が決するとこちらのギルドの建物の方へ報告にやってくる。もちろん、臨機応変に動くことは絶対条件だ。勝負がついても双方引かない時の仲裁に入り、あるいは重傷を負った場合に用意した医師を呼びに行くのも彼らの役目だ。
決闘では叔父の剣がオーウェンの甲冑の胴をえぐろうとする。切れはしなくとも、鈍痛は著しく伝わってしまうので、彼は懸命によけようとする。その隙に叔父の剣は、すかさず構え、改めて突きの態勢をとった。大勢の人が外れる位置だと思っていたかもしれないが、わたしのいる正面の位置からははっきり見えた。突きを狙うのは、身体でも上部……喉!
……喉を突くのは、禁じられているのに。
ただ、それは一瞬のことで、実際のところはオーウェンが「みんながそう考えて、予想した叔父の突きを、ごく普通に避けた」ようにしたようだった。
胸をなでおろす。首はいくら防御しても人間の弱点に変わりはない。死人を見るのはまっぴらだ。
「女伯様。審判の者から勝敗の報告が来ております」
ベラが報告に来た審判役の一人とともに現われ、わたしは横へ視線を滑らせた。道化はおどけたように再び莫迦の仮面をつけて、去っていく。
「では読み上げなさい」
審判役は手に持った羊皮紙を両手でしっかり持つ。そして、この広場中の観客にも聞こえるよう、大きく息を吸った後、お腹の底から大声を出す。
「今のところ、赤が優勢! 赤が優勢! 他場所での戦闘も終結しつつあり、六割方赤の勝利数、四割方青の勝利数! 現在も戦闘が行われているのは、城の正門付近、職人街の大通り、市場の入り口付近! なお、負傷者多数、流血十七名、骨折三名、打撲十九名! 死者はなし!」
その声は、眼下で戦闘している彼らにも聞こえただろうか。いや、尋ねてみるまでもないだろう。叔父とオーウェンの腕が休まることはない。もう、どれほど彼らの一戦は続いているのだろうか。オーウェンはともかく、叔父の華奢な体のどこにそれほどの力が眠っていたのか。
「死者が出ていないだけで上々というべきでしょうね」
独り言を零した時に、一つ大きな動きがあった。
オーウェンの剣先が叔父の兜にあたり、それが面白いほどに宙を舞い、重い音を立てながら地面に落ちる。オーウェンはそのまま――叔父の喉を突いた。
赤。白い喉から流れる赤だけが視界を支配する。他に何も見えなくなる。
あ。小さく叫び声も漏らしたかもしれない。自分の口をふさいでみれば、半開きの唇が震えている。
これ以上剣を食い込ませないように、首を後ろにそらせた叔父は、そのまま馬からどうと倒れた。
周囲に広がる阿鼻叫喚の渦は広場を巻き込む。
オーウェンは兜を外し、自分で突いたくせに呆然とぴくりとも動かぬ叔父を凝視している。
「女伯さま。この騒ぎ、いかがいたしましょうか」
後ろから囁いてきたベラの声は相変わらず動じていない。
倒れた叔父の装備の隙間を縫うように血がにじみ出ている。彼に駆け寄るものは誰一人としていなかった。彼の周りには遠巻きに見つめる人の輪ができるだけ。
オーウェンが少しふらつきぎみになりながら馬から下りる。汗だくの顔をぬぐうようにして、叔父に近づいた。彼は相手の顔を覗き込んだあと、手をあげて、近くにいた審判の男たちを呼び寄せた。硬直していた審判たちが慌てて駆け寄り、その体を担ぎ上げた。
そこまで見届けたのち、かすみがかった頭を懸命に回転させる。今日という日は、目まぐるしく事が動く。考えが追いつかないのも当然だろう? いや、それは言い訳にすぎないか。
そんなことは女伯には許されないのに。
「……叔父をひとまず城に運び込み、医師に診せなさい。今年の模擬決闘は赤の勝ちとなさい。羽根は獲られていないとは言え、青の将が倒れたのですから、それが妥当でしょう」
「オーウェンはいかがいたしますか」
惑う人々の中で、叔父が運ばれていくのを見つめているオーウェンは一種の異様な雰囲気を纏っているように思えた。視線を定めているせいか、それとも……狙ってやったことか。
「最初から決まっているでしょう。城に戻ったら、拘束しなさい。城の一室に閉じ込めておくのです。少なくとも疑惑が晴れるまでは」
叔父の殺害未遂は故意か否か。オーウェンは鋳つぶしていない剣を使っていたことに気づいていたか。
「この模擬決闘で使われた剣をすべて回収しなさい。一つも取りこぼしはまかりなりません。そして模擬決闘に一切関わっていない騎士を密かに招集しなさい。できるだけ伯領の政に柵《しがらみ》のない、あるいはすでに隠居した騎士でも構いません。中立の者を集めるのです。彼らにこの件を調査させましょう」
「選定は誰に任せましょう?」
マクスウェルに、というと、ベラは黙って頭を下げた。
「では、そのようになさい。……パウル。帰りますよ」
「は、はい」
立ち上がって、最後にもう一度広場を見る。叔父の血がこべりついた石畳、すべきことが見つからず惑う人々、そしてオーウェンの静かな面差しを。
……わたしも自ら動かなければならないかもしれない。
勝負の勝者とて人生の敗者となることもありうる。一年で最も称えられるはずの模擬決闘の英雄は、今は城内の塔の一室に軟禁されているのだ。
こつこつと踵が規則正しく歩を刻みながら、塔の最上部の部屋に向かう螺旋階段をひたすらのぼる。壁面に取り付けられた蝋燭の頼りない光は、ぼうっと壁に色味を添えている。夜の深さは壁から切り抜かれていた四角い窓から覗き込めた。
登り切り、目の前にある木の扉を叩く。今はわたし一人。侍女のベラでさえつけていない。
返事はないが、構わずドレスにつけた鉄の鍵束から一本鍵を取り出して、錠前を解く。
開けた扉の向こうでは、跪いたオーウェンがわたしの手を取って接吻する。
「卒のないあなたにしてはしくじりましたね、オーウェン」
その姿は灰色のチュニックにズボンとまったく囚人に相応しい服装なのに、彼の誇り高さは依然として服の下から零れている。気品ある騎士としての風格を損なっているものが何もないというのが不思議と言えば不思議。
「……おいでになると思っていました。しかし」
「こんな夜中にしかも一人で来るとは思っていなかった?」
はい、と彼はわたしを見上げる。澄んだ青い目がからみついてくるように思えた。失策したのかもしれない。公の場での釈明を聞く前に、一度詳しい話を聞いておきたかっただけだったのだが。
「今日のこと、どれだけの失態か、知っているでしょう? 叔父様は今予断を許さない状況にあります。これを機に教会との軋轢が生まれるかもしれません。……あなたの今まで築いてきた功績はすべて崩れ去りましたね。今日から罪人です」
「……嬉しそうな顔をなさっておいでですか、レディ」
危機に瀕しているにも関わらず、この男は微笑みを忘れないでわたしの手をそっと握る。まるで離すまいとしているように。声はまるく、やわらかく。それが心のざわめきをかきたてようとしているのだ。
「あなたの不幸は蜜の味なのですよ、オーウェン。数年間『証』にかけた願はようやく成就したようで何よりです」
「蜜の味……」
オーウェンは意味深に復唱したあと、笑みを深めた。
「レディがそこまで私のことを思ってくださるとは、うれしい限りです」
どこまでおめでたい男なのか。嫌味たっぷりにこう返してやる。
「ええ、だから出世は諦めて頂戴」
彼はゆっくりと瞬きをして、笑みを消した。
「それは……仰せのままにはできません」
「どうして? あなたには先祖伝来の領地があり、婚約者もいます。たとえ、この城での地位はなくなっても生きていくことはできるでしょう?」
結局、今回の叔父とのことは事故ということで決着となることだろう。その裏にどんな事実があろうとも、覆い隠さなければならなかった。オーウェンはそれなりの過料を払うことになるだろうが、事故にする以上、罰則は比較的緩いものとなるはずだった。ただ、その判決がきちんと出るまではこの城で監禁されることになるのだ。
「私は城にいたいのです。もっと上の地位にいきたいと思うのです。そうすれば……もっとレディのお傍に」
……わたしは、オーウェンの顔を覗き込む。彼が何もできないのを見越したうえで。
「あなたの望みは叶いませんよ、オーウェン」
なぜなら、わたしがあなたを嫌っているから。
「もしなれるとしたら、あなたがなれるのは、愛人ぐらい。何の権利も持たず、わたしに弄ばれ、やがて捨てられるだけの愛人。あなたが思うような地位は何一つ手に入りません」
「愛人」なんて、あなたには無理でしょう? 誇り高い騎士であるあなたには。
そう、実権はわたしが握る。誰にも渡すまい、そう決めているのだ。
握られた手を振り払い、相手を睨む。
「――思い上がるな、オーウェン」
彼の手は空を掴み、力なく下ろされた。
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