リトルラバー

鏡紫郎

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第十八話 妥協案

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「で、少しは落ち着きましたかね稲美さんや」

 時間にして約三十分。殺羅様の魅力をこれでもかと語る稲美の姿をおつまみ代わりとし、奈々花との雑談に竜也は花を咲かせていた。これちょっと甘すぎねぇか? なんて思いながらつまむチョコレートは、彼女の百面相のおかげもあって意外と美味しく感じられた。

「あー、久々にスッキリしたわ! 最近ストレスが溜まりに溜まってて、正直な所イライラしてたのよね」

「……こっちはその分のストレス、全部背負ったっすけどね」

 憎しみに囚われし地獄より這い出る亡者のような松木の表情もなんのその、殺羅様への思いの丈を全て出し切った稲美はキラキラと輝く太陽のような笑顔を竜也達へと見せている。相反する二人の表情から、彼にとっては最悪の時間であったことが伺い知れた。

「竜也にとってはともかく、私には全く役に立ってないんだから、後輩としての責務を少しは果たしてもらわないと」

「責務って、今のがっすか! パワハラで訴える――」

「敏信? 私の説明、まだ聞き足りないのかしら?」

 延々と愚痴を聞かされることを後輩の義務と言い張る稲美。そんな彼女の高圧的に行われるぞんざいな扱いに、抗議の声を上げる松木であったが、彼女が放ったアイアンクローの一撃によって無慈悲にも彼の言葉は黙殺されてしまう。

 そんな二人のじゃれ合いにもう一週繰り返されるのではないだろうかと不安を覚えた竜也は、声をかけ話の進展を促そうとする。

「それで、これからどうする?」

「どうするって、何を?」

「何をって、おいおい。奈々花の事だよ、菜々花の」

 何のために俺達がここに集まっているのか忘れているのでは? とすら思えてくるとぼけた感じの稲美の返答に、竜也は呆れ返ってしまった。しかし、彼女は彼女で何言ってるのという表情を竜也へと向けている。

「菜々花ちゃんのって、それはこっちの台詞よ。この子の警護の適任者なんて竜也しかいないじゃない」

「はぁ? 何で俺が」

「菜々花ちゃんもそのほうが良いわよね~」

 何を世迷い言をと言いたげな表情を見せる稲美の提案に、わけがわからないと否定する竜也であったが、当事者である菜々花も彼女の問に対して無言で首を縦に振っていた。

 当然、同じ女性である稲美が菜々花に随伴するものと考えていた竜也は、予想外の女性陣の返答に言葉を無くしてしまう。そんな二人に狼狽えながらも、竜也は断固反対の姿勢を貫こうとする。

「ちょちょ、ちょっと待て! 俺が菜々花の警護に就くって事はだぞ、あの狭い部屋にいいおっさんと女子高生ぐらいの年齢の少女を二人きりにするってわけで……いやそれどう考えてもまずいだろおい!」

 菜々花に紹介した部屋というのは元警察関係者の人間が大家をしているアパートで、訳ありの人間のために提供する事が多い場所なのだ。

 とは言え、決して中がボロ部屋なんてことはなく、古びてはいるもののしっかりと整備の行き届いた綺麗な環境ではあるのだが、独り身のおっさんが趣味で経営しているせいか、間取りは六条間にトイレと台所の付いた程度と物凄く狭い部屋で、一人で住むのがやっとという広さしか無い。

 そんな部屋に恋人でもない男女二人をぶち込むというのは結構無茶な相談なのだが……そんな冷静な判断ができる人間は、この場に竜也以外存在しなかったのである。

「何? 留置所の時とは違って、今二人きりで過ごしたら襲わない自信が無いって言いたいのかしら?」

「いやいや、そういうわけじゃなくてだな、倫理的にまずいだろって言ってんだよ!」

 余裕の表情で語る彼女の馬鹿げた発言に社会の規範を持ち出して説得しようとする竜也であったが、すぐさま稲美は矛先を変え菜々花へと一つ質問を繰り出した。

「なんて言ってるけど、菜々花ちゃんはこのおじさんに襲われるの嫌?」

 そんな彼女の荒唐無稽な質問に菜々花は首を力強く横に振り、否定の意志を見せる。

「いや、そこは肯定しろよ」

 そうツッコミを入れては見たものの、当の本人には襲われても良いという承諾をされ追い打ちのように突きつけられる彼女の熱い眼差しに、竜也は顔を引きつらせることしかできないでいた。

「彼女は問題ないって言ってるわよ。因みに、合意のもとでなら年齢差とか関係ないから」

「待て待て待て! そんなもん、法律が許しても世間様が許さんだろうが」

 竜也の言う通り例え同意の上であろうとも刑事が元被疑者、しかも未成年を押し倒したなんてことが公になれば社会から抹殺されることは免れないであろう。この世には時に、ルール以上に大切なことが存在するものなのだ。そんな矛盾に、稲美の声にも熱が入ってくる。

「間違ってなんていないのに、こんなに純粋な女の子の願いすら叶えられないなんて。法治国家で法律よりも世論が強いってのも考えものよね」

 遠い目をしながら悲しげに呟く彼女を見ている内に、奈々花はともかく他の二人も心当たりがあるのか、三人は深く深くうなずいてしまう。そんな皆の心が一つになった今ならいけると、竜也は再び言葉を切り出した。

「ってなわけで、ここは稲美が適切だと思うんだ」

「あ、ごめん。私無理」

 しかし、そんな彼の思いとは裏腹に提案はあっさりと棄却され、竜也は再び焦燥感に駆られることとなった。

「はぁ!? なんで!」

「言ってるでしょ。仕事が立て込んでるのよ。今日も帰れるかわからないんだから」

 現実を知らぬ少女の前で当たり前のように語られる稲美の言葉に、菜々花は複雑な表情を浮かべた。

「やっぱり警察もブラックなんですね」

「まぁ、そうね。なんでもかんでもブラックで片付けられちゃうと困るけど、一応市民の安全と正義のためだしね。でも、少なくともしょっちゅう会食してる上よりは忙しいと思うわ。まともな休憩も無しでストレスためるよりも、いい飯かっ食らいながらストレスためてる方が幾分か増しってね」

 その発言もどうかと思うぞと思いながらも、相当ないらいらを溜め込んでいるであろう彼女に竜也は深く同情した。そんな稲美を見ながら仕事と言われたら仕方がないと、竜也はすぐさま頭を切り替え妥協案を探しにかかる。

「しゃーねー。それじゃ松木に」

「マッキーならタッツーの方が良い」

 しかし、その案も体を擦り寄せてくる菜々花によってあっさり却下させられてしまう。しかも、彼女の瞳は真剣で有無を言わせない強さがあった。そんな奈々花の対応に、松木は酷く傷ついていた。

「菜々花ちゃんまで!? ……酷いっす」

「松木……お前も大変だな。今度飲みにでも行くか」

 奈々花と稲美、二人の女性から無慈悲な扱いを受ける松木の姿に、慈悲深い気持ちを竜也は覚えてしまっていた。

 だが、この案まで却下されたとなると、稲美の考えを仕方なく受け入れしか無いのか……そう絶望しかけていた竜也の中に、もう一つ新たな考えが浮かび上がってきた。

「なぁ稲美、夜までには仕事切り上げられねぇか? それまでは俺が面倒見るからよ」

 竜也のその言葉は最大限譲歩するものであったが、菜々花にとってはそれすらも嬉しくて瞳をダイヤモンドのように輝かせていた。

「急げばなんとかなるとは思うけど、しょうがないわね。これ貸しだからね」

「お、お手柔らかにな」

 楽しそうに微笑む稲美の姿に嫌な予感を覚えつつも、その提案を飲むことしか今の竜也にはできなかった
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