俺と幼女とエクスカリバー

鏡紫郎

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第三章 恋する駄女神

第85話 第三章プロローグ そして女神は堕天する

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「今日でこの部屋ともお別れか」

 それは、彼女にとって初めての感覚だった。定められた任を忠実にこなすだけだった彼女の人生に、あるはずもない感情。敬愛する主君に褒められた時でさえ、これほど嬉しいと思うことはなく、抑えられない激情に、胸の奥が熱く締め付けられていく。

 こんな不可思議な現象にとらわれることなど、今までには考えられなかった。考えもしなかった。それもこれもあの一言が原因。

 主君、そして同僚以外からはうやまわれる存在である彼女が、自らの名を呼び捨てにされるなど、ありえるはずのない出来事であったのだから。

 平等である存在の彼女に、お前が必要だ。そんな情熱的な言葉をかける人間が現れるなど、誰が思おうか。正確には、お前の力が必要だ、と言われたのだが、舞い上がる乙女にその程度の違いなぞ些細な事なのである。

「まさか私が、それも自分から堕天を希望するなんて。世の中、何が起こるかわからないものですね」

 鏡に映る自分の姿に鼓動が昂ぶる。あの人は私を見てどう思うだろう? 綺麗だって言ってくれるかな? 可愛いって言ってくれるかな? 好きって……思ってくれるかな?

 彼女の容姿は人間の女性そのもの。しかし見た目に意味など無く、利便上この姿をとっているにすぎなかった彼女にとって、不安や期待を抱くこと、特に異性に関してなんて……考えるだけで彼女の心は壊れてしまいそうだった。

「先輩達には悪いこと言っちゃってたな。もしどこかで会えたら謝らないと」

 堕天を希望するものは意外と多い。その大半の理由を占めるのが、守りたいものができたから、興味深い対象が見つかったからである。言葉を濁してはいるものの、ようするに好きな人ができたということだ。

 差異はあるにせよ、俗欲に溺れていることに変わりはない。自らの任を放棄し、逃げ出した人達のことをそう軽蔑していたけれど、今ならわかる。この思いを止めることなんて出来るわけがない。

 今だってそうだ。彼の姿を思い浮かべるだけで、胸の鼓動が天を貫きそうになる。

「落ち着け、落ち着け私。こんな無様な姿、あの人の前では見せられないんだぞ」

 鏡に拳を押し当てながら彼女は深呼吸を繰り返した。

「うん、大丈夫。だって練習したんだもの。そう、フランクに、もっと親しみやすく。固くならないように……うん、大丈夫だ」

 早まる鼓動を押さえ込み、練習した口調を噛みしめる。偉ぶること無く、気さくで、でも敬意はしっかり払う。難しいけどやり遂げるんだ。それが私の彼への想い、なんだから。

「まずは、下の世界に体を合わせないと」

 空高くに存在するこの空間と地上ではマナの濃度が違う。強大な力を持つが故、魔力の消費の激しい彼女達の体は、地上で生活するのに相応しくないのである。

「チェンジボディ。リ・コンストラクション」

 呪文を唱えると、彼女の体は光りに包まれ、構造を変化させていく。頭の中で描いた理想の姿を、彼が好んでくれるよう三日三晩考え抜いた姿へと、魔法は彼女を変身させた。

「う~ん、うん、バッチリバッチリ。声も……喋り方もいい感じ。これならイケる!」

 先程までの落ち着いた声から一変した、そのはつらつとした声音に手応えを感じ、彼女は盛大にガッツポーズを決める。

「持ち物も、大丈夫だよね。最悪、これがある程度カバーしてくれるだろうし」

 この世界には全くもって似つかわしくない、コンソール端末のようなものをスカートのポケットから取り出すと、軽くいじり、再びポケットの中へと戻す。

「それでは参りましょうか。ちょうどいい頃合いのようですし」

 下界で繰り広げられていた戦い。氷が砕け散ったのを確認すると、彼女は玄関をくぐり抜けた。雲の上から見下ろす世界は豆粒のように小さく、只の人間が飛び降りたらひとたまりもないだろう。

「それではいざ……参ります」

 しかし、彼女は躊躇すること無く雲を蹴り、天空から地上へと身を投げ出す。

 魔力で調整を施した気持ちのいい風を全身に浴びつつ、彼女は激戦を繰り広げたばかりの凛々しい殿方の姿に思いを馳せる。そう、彼女は、スクルドと呼ばれた元女神は、今まさに、恋をしているのだ。
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