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日常にもスリルは必要でしょ?
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しおりを挟む今朝も天気が悪く、雨は夜まで降り続けるとテレビのキャスターが申し訳なさそうに伝えている。
傘を持たずに仕事へ出かけて行った佳純姉さんが心配だが、俺は俺でさっさと学校へ行かないと。
スマホの音楽アプリを開いてプレイリストを選ぶ。曜日ごとに変えているのが密かなルーティーン。
こんな誰も興味無いような拘りも、姉さんなら取材で喜んでペラペラ話したりするのだろうか。
なんてどうでも良いことを考えてアパートの階段を下ると、見覚えのある顔が傘を差して待ち構えていた。
沼尻芽衣。学校一の美少女。
沼尻芽衣。手に負えない末期の露出狂。
「お、おはよう森下くん……っ!」
「何故いる」
「昨日帰り道で教えてくれたらさ、待ってたら一緒に学校行けるかなあって……だっ、だめ……?」
「限りなくアウトに近いセーフ、かな」
「や、やった……!」
今の反応で喜ばれても逆に困る。が、そんな俺の様子などまるで知ったことではないと、当たり前のように隣を歩き出す彼女であった。
昨日の帰り道で初めて知った事実だが、俺と沼尻さんは最寄り駅が一緒などころか本当にご近所さんだった。なんせ俺の自宅前の道はは彼女の通学ルートである。
始業時間まであまり余裕も無い、加えて約束をしたわけでもないのに、沼尻さんは俺が出て来るのを暫く待っていたらしい。
先に登校していたらどうするつもりだったんだ、という至極真っ当な質問に『それもそうだね』と暢気に返した辺り、本当になにも考えていなかったのだろう。
理想の沼尻さん像がどんどん崩れていく。その言い方も違うか。もう跡形も残っていないわ。
「一緒に登校して、変に疑われても知らないよ」
「大丈夫、仲川さんのときと同じ説明するから!」
「だから不安なんだけどなぁ」
「よくよく考えてみたら、学校でのあたしのキャラなら下僕扱いの男子がいても不思議じゃないと思うの! アニメでありがちだし!」
「現実との区別くらい付けようよ」
曇り空に似つかわしくないキラキラと輝いた瞳が印象的。本気でそう思っているのなら、もう俺にはどうしようもない。対処出来ん。
仲川さんみたいになんでも面白がるタイプの子ならともかく、下僕でもなんでも『あの沼尻さんと近しい関係』ってだけで男子からは疎まれる原因になるって、気付かないものかな。
「ところで、今日は?」
「今日? なにが?」
「だから……ソレ」
駅に到着。改札を潜り階段を目前に控えたところで、今日も快活に揺れる彼女のスカートを目線も寄越さず指差す。
「…………いやぁ、あははは……っ」
「あははは、じゃないよ。怒るよ」
「……だ、だって、森下くんが守ってくれるから良いかなぁって……」
「俺は友達になると言っただけで、沼尻さんのスカートの中を守る護衛人になったつもりはないんだけど?」
「……や、やっぱり友達なんだ……本当に友達ってことで良いんだねっ!?」
「あ、ちょっ、走るなッ!!」
途端に笑顔を取り戻し階段へと駆ける彼女を慌てて捕まえる。エレベーターを発明した名も知らぬ技術者に今こそノーベル賞を。
クソ。話を逸らされただけでなく、言質まで取られてしまった。これが噂のドア・イン・ザ・フェイスなる交渉技術か。違うな。違うわ。
「うわっ、なんかいつもより混んでる……!」
「この時間ならね」
すし詰め状態の満員電車を掻き分けてなるべく奥のドア付近へ。俺が沼尻さんの後ろに着けば痴漢に遭う心配も無い。
彼女はそんな俺の気苦労などまったく気付いていないだろうが。やらないよりかマシだ。
(友達ねえ……)
電車に揺られる最中、改めて色々と考えてみた。沼尻芽衣という少女は、果たして俺という人間をどのように認識しているのか。
沼尻さんには友達がいない。これは昨日よく分かった。同時に露出行為のストッパーとなる人材を探している。これもまぁ理解は出来る。
その両方に合致する存在こそ、この俺である。ところがなにが引っ掛かるって、明らかに後者が占めるウェイトが大き過ぎるのだ。
今日だって俺のガードを目当てに履かないで登校して来たのだから。良いように使われている。
何の取り柄もない凡人が彼女とお近付きになれているだけ十分じゃないか。
とも思うけれど、こんな俺でも多少なりともプライドという概念があるわけで。
対等じゃないんだ。俺と沼尻さんの関係は。
彼女だって心の奥底でそう思っているから『下僕』なんてフレーズが出て来た。そうに違いない。
「なに聴いてるの?」
「昨日のアレ」
「どの曲?」
「『one way blues』。最初のアルバムのやつ」
「ほんとっ? あたしもそれすっごい好きなんだ! ねっ、聴かせて!」
「ちょっ……!」
左耳のワイヤレスイヤホンを奪われる。なんで陰キャの癖にこういうことナチュラルに出来ちゃうんだろう……ますます分からん。
(本当になにも考えていない、なら……)
良くも悪くもイノセント。
それが沼尻芽衣の本質である。
こうやって無防備に距離を詰めて来るのも。友達になって欲しいというささやかな願いも。無意識のうちに俺をガードマンとして頼ってしまうのも。
打算ではなく、ひたすらに本能のまま動いている。なにも考えていない。
この眩しい笑顔を前にすると、やっぱりそうなんだろうなって、思ってしまう。
となると、沼尻さんと友達になるのも、仲良くなるのも、俺からすればなにも問題無い。
むしろ望むべき展開だ。だって、まだ好きな女の子なんだから。
でも、どうしても。
嫌な記憶が脳裏を過ぎる。
目に見えている姿はすべて偽りで、本当は四人目の母親(なる予定だった阿婆擦れ)や、すっかり変わってしまった佳純姉さんのように、もっともっとドス黒い何かを抱えているんじゃないかって。
もうこれって、露出趣味がどうとか、そんな次元じゃない気がする。ひたすらに俺の覚悟の問題なんだよなぁ……。
(この調子じゃ露出趣味を辞めさせるのは当分無理そうだし……護衛兼友達ってことで適当にやり過ごすのが一番良い形、か)
要するになにも解決していないし、なにも分からないし、なにも始まっていない。マイナスがゼロになっただけで、プラスに転じたわけではないのだ。
(それにしても……)
お気に入りの楽曲に身体を揺らす沼尻さん。共通の趣味があるのはともかくとして、一番腑に落ちていないところでもある。
彼女の秘密を知るのは俺だけ。それもまぁ本当のことだ。でも、こうも俺にこだわる必要は本当にあるのだろうか。
どうして沼尻さん、俺にだけこんなに無防備なんだろう。どうして俺なんだろう。最初に秘密を知ったのがそんなに重要なことなのだろうか。
それが俺じゃなかったら、他の男とこうして密着して、同じ曲を聴いていたのだろうか?
それは、嫌だな。
やっぱり。どうしても。
「邪魔くさいもんだな、プライドって」
「…………え、それはあたしへの悪口?」
「半分ね」
「ひどっ!?」
急カーブで電車が大きく揺れる。
バランスを取ろうと手すりに捕まった沼尻さんは、俺のほうへ振り返り『ファインプレー!』と小声で自慢げに微笑んだ。
いや、そんなこと言われてもね。そもそもちゃんと履いていたら無用な行動だから。元より意味の無いことだから。
そう。無意味。必要の無いこと。
俺がなにを考え悩んだところで、所詮は。
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