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0-0 プロローグ
1. 多々良達樹と夢泥棒
しおりを挟む明晰夢。
睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている…………By,ウィキ○ディア。
要するに俺は明晰夢を見てみたかった。現実世界ではどうにもならないことも夢の中なら文句を言われる筋合いも無い。どんな非現実的なことだって叶う理想の世界。
「よしっ……今日こそ……」
深夜3時。あまりにも早い目覚まし時計のベルが鳴り響き、半開きの世界を漂う。右腕を振りかざし頬を思いっきりビンタして意識を覚醒させると、枕もとから一枚の写真を取り出し一心不乱に見つめ続ける。
ベッドに入ったのが昨日の21時。だいたい5時間くらいは眠っていたはずだ。華の高校一年生にしては健康的過ぎる生活やもしれぬが、それもすべては明晰夢のため。
これくらいの睡眠時間で一度目覚めてからもう一度眠ると、人間はレム睡眠という浅い眠りに就くことが出来る。訓練の成果はハッキリと出ていた。完璧なプラインニングだ。今日こそ、今日こそ成功させてみせる。
イメージだ。強くイメージしろ。
俺は今から夢を見る。
夢の中で、自由自在に動き回る。
そして目の前には、憧れの彼女の姿。
(神戸さん……)
入学式のクラス写真を保存しておいたのは大正解だった。さして交友の深い間柄とは言えない彼女へ面と向かって「写真を撮らせてほしい」などと首を垂れることは出来ないし、やったところでセクハラになるのは目に見えている。
俺と神戸さん。たった二人の世界。
場所はいつも通り、俺の部屋で良いだろう。
……おっと、駄目だ駄目だ。肩に力が入り過ぎている……気楽に、気楽に行こう。リラックスするんだ。決して欲張らず、流れるままに。
水が高いところから低いところへ流れるように。当たり前に行われることだ。夢の中で気付くのではない。意識を持ったまま、夢へとリンクするのだ。
身体は仰向け。
瞳を閉じ俺の顔と神戸さん。
二人だけの空間を強くイメージする。
大丈夫だ。今夜こそきっと、神戸さんの夢を見れる。そして…………。
「…………ん?」
失敗に終わったかと思われた。目の前に広がるのはいつもとさほど変わらない無機質な自室の風景。ベッドに勉強机、箪笥の位置。どれも現実と変わりは無い。
だが不可解だったのは、眠りから覚め起き上がるまでの記憶が無いこと。意味もなく部屋の中心部に立ち尽くす理由が無いこと。
更に言えば、まだ寝ぼけ眼なのか部屋全体に薄暗い霧のようなものが掛かっていて、今一つ視界がハッキリとしない点だ。
(試してみる価値はあるな……)
明晰夢においては、自身が夢を見ていると明確に認識することが非常に大切だ。これは現実世界との乖離を正しく把握する上でも重要なプロセスである。
夢を見ていると自覚する方法としては、現実では絶対に出来ないようなことを試してみる、というものがある。空を飛ぼうとしてみる、とか。
俺が選んだのは、その場でバク宙をするというものだった。自慢では無いが運動神経の悪さには定評がある。現実世界なら絶対に出来ない。
「おおっ……これは……ッ!」
勇気を振り絞り身体を後方へ捻じ曲げ飛び跳ねると、いとも簡単に成功してしまった。景気づけにもう一度試みてみるが、やはり成功した。
間違いない。ここは夢の中だ。
ともすればあとは、この夢の絶対的な支配者であるということを強く認識し……どんな夢を見たいのか、もう一度強くイメージ……!
「――――達樹くん?」
俺の名を呼ぶ声は薄い雪化粧の山のように透き通っていて、この世のモノとは思えない。導かれるままに振り向いた先には……ベッドに腰掛ける彼女の姿があった。
「……か、神戸さん……!」
「もう、二人っきりのときは茉莉花! 約束したでしょ?」
薄茶色のショートカットにパッチリとした垂れ気味の瞳。眉上で切り揃えられたパッツンの前髪はどこか垢抜けなさを漂わせる。
胸元には細身のラインには不適切な程々の主張。白くて長い手脚をベッドで躍らせ、何かを待ち焦がれるようにいじらしく唇を尖らせる。
神戸茉莉花。
憧れのクラスメイト。
「どうしたの? いきなり黙っちゃって」
「いや……実感が沸かないっていうか」
「あははっ。達樹の部屋なんて何回も来てるでしょ? それともなに? もう興奮してるの?」
男を惑わせる悪戯な笑み。背筋がヒリリと焼き付くような感覚もそこそこに、俺はゆっくりと神戸さんのもとへと歩み寄る。
「わー。そんなギラギラした目して、ホントに野獣みたい。あー。わたし、また達樹に襲われちゃうんだ。あのときみたいに、何回も、何回も……っ」
「な、何回も……?」
「えー。覚えてないのー? あんなに情熱的にわたしのこと求めてくれたのに……忘れちゃったんだ? じゃあ、わたしが思い出せてあげよっかなー」
何回も? 何回もってなんですか神戸さん?
もう既に致してしまっているという設定なの?
クソ、流石にそこまではイメージし切れていなかった……ただ純粋に神戸さんと○ることしか考えてなかったから、初めてか何回目かとかそういうところまでは設定出来ていないのか。やらかしたぜ。
しかし神戸さんもノリノリだな……確かに普段から明るくて口数も多いイメージだけど……本当の彼女になったら、こんな姿も俺だけに見せてくれるのだろうか。
(っと、余計なこと考えてる場合じゃねえ……)
ここまで来ればさして大きな問題では無い。俺と神戸さんの濃密な時間を邪魔する者など誰も居ないのだ。少なくとも、この夢の中では。
ベッドへ腰掛け恐る恐る神戸さんの肩へ触れる。凄い、しっかりと人に触れている感覚がある……明晰夢、なんて凄いんだ……ッ!
「……まっ、茉莉花……ッ」
「達樹くん……っ」
拙い呼び合いを残し、互いの唇がゆっくりと近付いていく。蕩けるような香水の香りは果たして夢特有のものなのか、それとも彼女が相手故の甘美か。
勢いに任せベッドへ押し倒し、空いた右手を彼女の胸元へ……ついに、ついに長年(三週間)の夢が叶う瞬間が――――!
「――――どどんがどーん!」
「ぬうぉおおおッッ!?」
「きゃっ!?」
待望の瞬間が訪れることは無かった。
部屋の窓ガラスが凄まじい衝撃音と共に割れ弾け、外から何者かが飛び込んで来る。ベッドでバウンドしたその侵入者はグルグルと華麗な前転で受け身を取り、先ほど俺が立っていた辺りで華麗にフィニッシュポーズを決める。
飛び散った窓ガラスの破片が俺たち二人を傷付けることはない。夢の中では意図しない負傷などは認識しないのだろうか。
って、そんなことを考えている場合じゃない!
急になに!? 誰!? 怖いッ!?
「だっ、誰だお前ッ!? こんな展開はお望みじゃないぞッ!」
「……まったく、夢の中ならなんでも出来ると思ったら大間違いなのです……珍しく明晰夢に興味のある人間がいたと思えば、目的がクラスメイトへの淫行とは……」
「……ど、どういうことだ……!?」
黒マントにシルクハットという装いで部屋へ飛び込んで来た謎の人物は、どうやら女性のようであった。身長はかなり低く、俺たちと同世代かそれより下か。
身体に着いた埃を払い、マントを靡かせ振り返った謎の少女。顔回りに仮面のようなものを付けており、ハッキリとその素性を確認することは出来ない。
「俺の夢に勝手に入って来やがって! ブッ殺してやるッ!!」
「ふっ……残念ながらその程度のイマジンでは、私の行動を制することなど不可能……実力の差というものをお見せしましょう……」
不敵に微笑んだ謎の少女は、小馬鹿にするような鼻笑いと共に指をパチンと軽快に鳴らす。すると隣で慌てふためいた神戸さんは……。
「イェェェェス!! マッスゥゥゥゥル!!」
「…………ぎえええエエエエエ゛エエエエ゛エエ゛エエエエエエエ゛エエエ゛エエエエエエエエエエエエ゛エエ゛エエエエエエエッ゛ッッッ!?」
可憐な美少女、神戸茉莉花の姿が忽然と消え、代わりに隣で筋肉質のボディビルダーのような男がポージングを決めていたのだ……ッ!
「どどど、ど、どういうことだっ!? 神戸さんをどこにやった! というかコイツは誰だッ!」
「全日本チャンプです……昨晩テレビで見たので参考にしてみました……」
「そういうことじゃねえよッ!」
100点満点のツッコミも虚しく宙を舞い、ベッドから飛び降りた全日本チャンプボディビルダー。
様々なポージングを決めながら部屋を悠然と歩き周り、立ち鏡の前でフィニッシュらしきものを決めると、高笑いをしながら部屋を出ていく……。
「な、なんなんだよっ……俺の、俺だけの明晰夢だってのに、なんでこんなことが……俺のイメージが足りなかったからかッ!?」
「のん、のん、のん……あなたに責任があるのではなく、私が凄すぎるという……ただそれだけの話なのです……私は…………他者の夢へ干渉することが出来ます……」
「……夢に……干渉!?」
その言葉と共に、謎の少女は腕を大きく広げると両手をサッと重ね、ハンドサインのようなものを作り出し……。
「夢を奪い、夢を操る……私の夢は私のモノ。お前の夢は私のモノ。人呼んで……ナイトハッカー……夢泥棒、メア……きらーん。どやっ…………ふっ、今日も決まってしまいました……ッ」
憎たらしいまでのドヤ顔でポーズを決める謎の少女、もとい夢泥棒メア。あ、ありえない……人の夢に干渉する夢泥棒、だと……!?
そんなの……そんなもの……!
「――――んなモン信じられるかあああああああああああああああああああああああああああああああァァァァ……あっ……あ、うん……あ、あれ……?」
窓ガラスから飛び込む眩しい朝日。破片の飛び散った形跡など勿論無く、隣には神戸さんも寝ていない。そして夢泥棒メアの姿も……。
何の変哲もない、いつも通りの朝だった。
馬鹿みたいに寝汗を掻いていること。思い描いていた理想の明晰夢を今日も見れなかったことを除いて。
「…………な、なにがどうなってんだ……?」
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