龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

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第3部 私達でなければならない

知っておるがな

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 言葉はもう出ていた。自分がここに来た理由がそれであったことに、男は言ってから気が付いた。

 分からなかったことがひとつ分かる。だが闇は晴れず暗黒のまま男は腕の中のヘイムの動きを感じ取った。

 無言のまま首を振っていると男は思った。そうだろう、と思うと同時にその胸には痛みと冷たさが走る。

 私はいったい何を期待していたというのか? どんな返事を? どんな動きを?

「それを言うのならな」

 ヘイムの声が聞こえた。声は距離などないぐらいに限りなく近く、自分の内側から聞こえるぐらいに、そこにあった。

「妾もそなたに出会わなければよかった。会う前はそなたのようにそのような予感はなかった。いつものように戦士が現れ護衛となり仕事をするだけ。それ以外のことなど何も思い浮かべなかった。妾は龍となるものとして、その栄光の中にいたのだ……そなたのように恍惚とさえしていたのかもしれん」

 まるで知らないヘイムがそこにいたのだろ、と男は想像ができなかった。できるはずもない……そんなヘイムを。

「そなたが扉を開きこちらを見た瞬間に、分かった。これは憎悪すべきものであるとな。半身が教えるのだ、龍が知らせるのだよ、この男は憎むべきものであるとな。その証拠にそなたはすぐに妾から目を逸らした。尊い存在を見る時に目を逸らすのとは完全に違うその仕草と雰囲気。これで分かった。そなたは忌むべきものであると、そして邪悪なるものであると」

 そうだあの時も、と男は思い出す。ある意味ではいまのような闇の中にいたのだ。

 ヘイムを、見なかった。龍身も含めてその全てを見ぬようにしていた。

 それしか方法が無かった。自らを抑えるのには見なければよい。闇が選べるのなら、そちらにさえしたのだろう。

 だが、それはできなかった。できるはずもなく、最後は捕らわれるようにして言われた。おぞましいのかと。

「おぞましいのか、と妾は絶対にこちらを見ぬそなたに言ったな。そなたは妾に言った……言ったな」

「あなただけを見させてくださいと言いましたね。私は去る際にクビになるどころか追放や処刑にされたらどうしようかと、とても焦りましたね」」

 笑い声が腕の中で響いた。

「あそこでのしくじりは致命的なものにもなれたな。そうしても良かったのだ。
だが妾は敢えてせずにそなたに告げたのだ? なぁ、覚えているだろうな?」

 忘れられるはずもなく思い出すだけで背中に声が刺さる感覚が甦る。

 その時もそうでありそれ以後もそうであり今もそうである。それは疑問が突き刺さったまま抜けていないからだ。

「明日も来るように、とあなたは言われました。でも私にはいまだに分かりません。あの状況でまた来いとは、おかしいです」

 ヘイムはまだ笑い声で答える。よく笑う人だな、と男は出会った時からそう感じていることに気付いた。

 けれどもきっとこの人は自分の前以外ではあまり笑わないのだなと。

「そうだな、そうだ。また来いなんて言う方がおかしい。だがそれをそなたみたいな頭がおかしい男に思われ言われるのがなんとも言えぬな。その次の日にそなたは言われた通りにやってきたな。もしもあの時に妾が来るなといったらそなたは来るはずもなかった。来いと言ったから、来た。そうであろうな、そうだそれによってな……そこから始まった」

 逃げるではないぞ、という言葉も甦り男は腕の中のものを更に自分の近くに寄せる。

 どれほど寄せてもこちらにくるそれに、男は言った。

「そうでしょうね。私はいまそれを知りました」

「きっと勘違いをしていると思ってな。絶対にしている。よってここでわざわざ敢えて言うのだ。これはそなたが自分で始めた物語だと思っておろうが、違う。妾が始めたのだ。あの時に、また来いと告げた妾が、全てを始めたのだ。そなたに決定権などなく、妾にだけあった。終わらせることは可能だったし、そうすべきだったのだ。世界中の誰が見てもな、龍が見てもな、そなたが見てもな。しかし妾はそうした……そうしたのだ」

「なにを望んで、ですか?」

 笑い声が止み、あたりの闇がまた鮮明となって男を意識させ自分の言葉を自らに問う。

 私が望んでいること……それは龍への拒否であるが、そうなるとヘイムは何を望み自分をここに、導いたのか?

「分からぬ」

 腕の中で小さな声が鳴った。

「分からぬ……とそなたの口癖同様なことを言おう。つくづくと思うに、そなたの龍への感情や龍からのそなたへの感情に妾はずっと知りはしなかった。両者ともに説明などするはずもなく感情だけをむき出しにしている関係であったな。いわば妾は蚊帳の外となる。それでも予感はあり妾はそれに従い、また察しつつもあった。妾らがどのような関係だと言うことをな。互いに憎みながらも共に生きなければならないという厄介な関係……そうであるからここまでやってこれた」

 ヘイムはまた黙り息を吐いた。どうして声が小さくなるのか?

 何故身体はこんなにも軽いのか? それよりも何よりも、何故闇は続いているのか

 男は何かを堪えながらそれに耐え、待ち続ける。

「龍はそなたを憎んでいる。そなたは龍を憎んでいる。では、妾はな……妾は……」

 印に熱が籠ったように感じられた。ヘイムが頬を見ている。それはいつものことだが、見てそれから撫でた?

 それはできないはずだと男は自分の手を動かした。そこにはヘイムの手がある掌が確かにあった。

 なにで触れているのか? いや触れてはいない? この感触はあの日の、最初の日の、あの時の記憶が甦って……

「おぞましい、と妾は言った。これは今でも変わらぬ。おぞましいのだよ……」

 声が違う、と男は思った。あの時は龍身の言葉でもあったのだろうが、いまは一人だけの声である。

 ヘイムの、声と意思のそれだけである。指先が印をなぞった、いいや指は頬には届かない、だからこれは自分の錯覚なのだろう。

 自分にはヘイムがなにを言いたいのかが、分かっていてかつ分からないのだ。
 
  それは封じられている、私とジーナとの契約だ。

「分かるか? 妾はひとつだけ気にくわない文字がある。それを無限に見せられていたのが妾だ。半身である龍身を見たくないというそなたの要求を受け入れた妾はその代わりにこの印を見る羽目となった。それはいい。だがな、その文字だ。なんと書いてあるのかそなたは分からぬであろう」

 頬にあの躊躇いがちな手の震えが再生された。なにを刻みなにを封じたのか?

 それは自分が知ってはならないこと、自分が自分に対して行った封印……約束なのである。

「分からないが、あなたには読めるというのか?」

「いや読めるわけがないが伝わり分かるものがある。そなたのことを思い考えれば、な。これはそなたには理解できぬ言葉だ。この印がある限りはな。その印は討つものとして刻まれたものであり、その言葉は契約なのであろうな。妾の龍身のように、同じ性質のものなのであろう……だからだ、だから……」

「印を……」

 男は頬を撫でる。そこには異質な感覚があった。私のものであって私のものではない、なにかが。今まではひとつであったのに今では剥がれかけているように……

「大罪で、あるな」

 頬にヘイムの掌が添えられた。男はもうそこに不思議さを感じなくなっていた。

 手を取っているのに頬に触れて来る手……それは可能であるとも。出来ないはずはない。何故ならこれは……

「ええ、罪深いことです。そのために全てを費やしてきたというのに」

「多くのものを犠牲にしたというのにな。それをここで、そのあとはどうなるのか……想像が出来るか?」

「……この世界にいてはならないと思います」

 腕の中の俯いたままであったヘイムが見上げたと男は感じた。男は闇に向かって見下ろす。

 そこにはヘイムの恐怖に満ちた瞳による眼差ししか想像ができなかった。

 男はヘイムの心を想った。手から中へと入るよう想像をする。冷たい闇がそこにあった。ずっとここにあった。

 私は気づいていた。それがなにであるのかを。それはある意味で私と同じもの。

 だがあなたはずっと怯えていた。いまも、私よりもずっと……あることを……ひとつのことに……ただひとつのことに。

 男は闇を覗き込み、ヘイムに近づく。額がぶつかり鼻が当り唇に触れるほど、重なりひとつになるように。

「そうだヘイム。そうであるために私という存在は許されていたのだから、そうでないのなら私はこの世界から去るしかない」

「よせ。そんな声を出すのは」

 震えた声が耳に届く。まだ、距離はあるほど遠くにヘイムはおり、言った。

「そんなに怖いのか?」

「ええ、一人では耐えきれないほどに」

 あなたは怯え続けていた。だから私は……私は……

「望みを、言う」

 耳の横にヘイムの声と息がかかった。

「そなたよ。妾の手を取るそなたよ。討つものとなるな。ならないでくれ」

 息が声が言葉が内側から広がっていくのを男は感じた。

「だからその文字を、印を亡き者としてくれ」

 涙が流れて来る感覚が頬に伝わってくる。誰の? 自分のかそれともヘイムのか、ふたりによるふたつか。

「大丈夫だ怯えるな妾がいる。印を討ち妾と共にいるものとなれ」

「ふたたび言う、改めて言う、ヘイム、龍になるな。私と生きてくれ、いや私のために生きてそして」

「死んでくれと、言うのだな」

「そうだ」

 涙はひとつとなり頬を伝い掌へと落ちる。自分の掌に、硬い何かが砕けたようにして跳ねて消えた。

「あなたは龍をやめ、私は討つものをやめ、遠くへ行く。私は一人でずっと行こうとしていた場所へ、遥か彼方の龍のいない世界へ、あなたを連れていく」

 ヘイムが笑った。

「人さらいだ。口調八丁で妾を誘拐するつもりか?」

「さらいに、きたのだ。そうだ私はあなたを龍からさらいに来た」

「バカ者が」

 ヘイムの左手が、男の印に触れた。

「おぞましいか?」

 あの日の龍の掌の冷たさが瞬時に甦ると同時に、消えた。欠損のないその掌。

「いえ。温かいです」

「なにを当たり前のことを。ほれ、こうして痕を包み込めば、まだ見れた顔になるな……このままでいてくれ」

 左手がそれであるのなら、もうヘイムがそれではないとするのなら……と男は闇の中で目を凝らす、だが何も見えるはずがなかった。

「ヘイム、顔を見せてくれ。闇で見えないんだ」

「なにを言うのか。そなたがこの闇を払えばいいではないか」

「それはできない」

 そうだ出来るはずがない。これは……これは男が迷うと身体が引き寄せられヘイムの方へ倒れ込んだ。

「できるとも。いいやしなければならない。これはそなたの闇だ。そなたが解決しなければならぬことだが、できないというのなら……妾がいるではないか」

 男はヘイムの声が内側から聞こえた。

「もう分かっているはずだ。この闇がなにであるのかがそなたが自らに架したもうひとつの封印だ。これは何であるのか分からぬが……もう闇を見ず妾を見て、妾を思え。共に生きるのだろ?」

 ずっと予感はあった。これの正体についての予感を抱き続けてきた。

 あの日から私の中で封印されたもの……それはまたヘイム自身も抱く、それ。

 私はあのときの闇の中で、言わなければならなかったことがある。

 それが分岐点であり、運命であり、それがここまで自分を導いた……その言葉をヘイムに捧げる、そうしなければならない、だから言葉はひとつだけだった。

「ヘイム、私はあなたを忘れない」

 自分は無力だと男は思った……思い出した。

「それでいい、死も忘れるな。妾は生きたのだからな」

 そうだあなたは生きて死ぬ、死ぬ……死ぬのだ……男が自らに確認をし合うと、闇が裂け光が漏れてきた。

 腕の中から光が、裂け目から知っている顔が、見たことがない顔が、幾百と見た顔が、知らない顔と全身が現れ、男は言った。

「綺麗だ」
「知っておるがな」

 呆れ顔のヘイムは苦笑いをし、顔を振りその全体を男に見せつけた。

「今更そう言うとはな、いったいそなたは今まで何を見てきたのだ?」

「ヘイムを見てきた。見ないようにして、見てきた」

 そのために遥か遠くに行くつもりであったのに今ではもう。

「また分からぬことをもういい、行こうか」

 そんなところには行けなくなった。常にここで、共にいて。

「行こう、もう闇は晴れる」

 光が溢れだし何もかもが見えなくなっていくなかで男はヘイムだけを見ていた。

 背けず瞬きもせず、ヘイムだけを見る。

「共にな、共にひとつとなって……」

 光は闇を呑み込み溢れ出す眩しさの中で男は何も見えないなか、立ち上がり瞼を閉じ、開く。


 そこは祭壇の頂上であった。照明による薄暗い闇のなか男の腕の中には何も無く、はじめからそこには何も無かった。

 頬が痛み手を当てると指先に血が付いていた。

 ただの傷痕がそこにあり、その痛みは心地良さすらあり、そのまま前に手を伸ばす掴む。

 あの闇の中でしたように。

「私は、ーーを殺した」

 男は失われた名を口に出し、思い出す。存在する記憶を、存在していた記憶を、封印していた闇を。

 毒により衰弱したーーの願いは印を私に託し、そして自分に殺されることであった。龍に殺されたくない、だから君の手で……私は躊躇わなかった。

 その顔から目を背けず呻き声すらあげず泣きもせず、首を絞めた。

 これから私がジーナだからであり、使命を果たす戦士であり、それ以外には存在しないものであるのだから。

 ジーナの眼は感謝を告げていた。そうだ私は使命へと向かう。お前を殺したからこそ、私はジーナとして生きるのだと。

 そうであるから私はハイネを愛することを封じその愛を受け入れることができなかった。

 だがもうその印は、ない。血が流れているのがその証であり、よって私はその使命を放棄した。

 ヘイムと生きるために私は二度もお前を殺した。

「罪深いことだ」

 男は呟き祭壇へと向かう。

「許されない大罪だ」

 祭壇の先には片目の龍が、睨んでいる。

「だが私達はそれを共に背負い生きる」

 ひとつになれなかった龍が、叫び声をあげた。

 怒りが祭壇所を揺るがせ、その熱が室内に満ちる中、男は手を広げた。

「龍よ!」

 呪龍があの日と同じ姿のままこちらに向かって来た。

「龍よ!」

 欠けた左手の爪を振り上げる。

「龍よ、私よ! 私達であったものよ。お前に捧げるものはなにひとつとしてない」

 男は三度龍と自らに呼びかけ、その一撃目を跳んで避け着地する。

「私達はお前のいない世界に向かう。お前の屍を越え、龍のいない世界へと行く」

 男は見る。その傷ついた龍を。呪われたその宿命を。

 左眼は無く指は欠け足が捻じれたまま癒せなかったものの姿を。

 そして自らの姿を思う。印がなく血に塗れ、もはや何の力を持たぬ討つものになれなかった男の姿を。

 だが、と男は龍に向かって駆けだした。龍の爪が来る。それでも止まらずに駆け、跳ねながら男は剣を抜く。

 龍を討つものではないものが、印と金色の眼のない彼らが龍の懐に飛び込む、龍を討ち、目指す彼方へ向かうために。
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