龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

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第3部 私達でなければならない

私の音

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 私は落ち着いている。

「落ち着いて」

 だから落ち着いている。
 落ち着いて。

「落ち着いているのだが」

 やっと口から言葉が出ると瞼が開いた。眼前に広がるのは少し前とは違う世界。

 陽によって光の粒子があたりに漂い反射している世界であり、音が明瞭に透き通って弾くように耳へと入って来る。

 けれども音は一つしかなかった、ハイネに関わるもの、それのみ。

「嘘です。こんなに心臓の鼓動を速めている癖に。死んじゃうんですかジーナ。まぁ、あなたは死ねばいいのですけどね」

「何を言っているんだ私は死にたくなんてないぞ」

「死にたがっている癖に……いつだってそう」

 違う、とジーナは自分の鼓動を鎮めようと心でまず叫んだ。

「この音はそういう音じゃない」

「ではこれはどういう意味の音なのですか? どうしてこんなに鳴らすのです?」

「知らない。私が鳴らしているのではないのだから」

 胸の中でハイネの微かな笑い声が胸に響いて震わせた。

「これはあなたのですよ? あなた自身のものなのに分からない、ですか。けどそうですよね、あなたはいつも分からない分からない、自分のことも他人のことも分からない。自分のことが分からないのならそうなるのも仕方がありませんが、あなたの場合は本当の意味で分からないのではなく分かりたくない、これです」

 腕の中の熱が上がった。

「私が教えてあげますけど」
「結構だ」

 答えるとまた腕の中のハイネがくすぐってくるような笑い声をあげる。

「ほら、分かりたがらない。知りたいと思っていないから、そう言うのですよ。駄目ですよここまでしたら、あなたは知らないといけない」

「だから知りたくはないと」

「ねぇ、どこまでも意地が悪いです? 私をここまで追い詰めて、もう分かっていますよ。私にそれを言わせたいがために、こんなことをしてまで自分の鼓動を聞かせたのですね。そうでないとしている理由が、ないですもの」

 別人、というよりかは元に戻ったかのようにハイネの口は滑らかにそして危険な場所へと下って行っていることにジーナは新たな脅威を感じた。

「そういうことじゃない。私はただ、その」

「私を強く抱きしめたかった……そんなこと言うのですか?」

「いっ言わない。ハイネが傍にいてなにか言うから」

「私が傍にいるからこうなる、だからお前が悪い……そうですよね、男の前で違う男の話をして激情を誘いやがって、とあなたは自分の行動を正当化してこうしている、違いますか?」

 違う、と言いたいも身体がどうしてか動けず、その言葉を肯定していく。

「傍にいて聞いてくれ、とあなたは胸の内で思っている。口では言えないから俺の心を聞いてくれ、と私には聞こえますね。はい違う違う、と誤魔化さないでください。そんな心と体が支離滅裂でどうするのですか本当に」

「だから聞かないでくれ」

「だったらこの腕はなんですか、とは優しい私は言いませんよ。ではもっと耳をつけてしまいます。ほらもっと大きな鼓動が聞こえてしまいます。ちなみにさっきからより速まっていますが、どうしてですかね。おっ鼓動の合間合間から違う音が聞こえるかも……はい、聞こえます、すごく聞こえる」

 聞こえるはずがない、とジーナは自ら胸の内を探りその無を確認した。

 言葉なんてない、全てハイネの妄想であると。

「私への言葉、決して言えない言葉がこの中にある。口が裂けても言わないけれど胸を斬り裂けば溢れだす言葉もありますよね。かじりついてこじ開けることもできますけど、そうする代わりにですね……」

 次にハイネが何を言うのかをジーナには分かった。

「ねぇジーナ……私が口に出して言っていい?」

 だがその次の言葉は分からぬものの鎖が取れたように腕が動き、自らの縛りを解いた。

「駄目だ」

 叫ぶと同時に腕から離れたハイネの顔が目に入る。壊れたように溶けていく笑顔、見たことのないそれを、その表情の意味を、私は知ってはならない。

 だから、と逃げずに封じるためにジーナはまた引き寄せ、その唇にまた唇を重ね吸い上げる、その胸の内に入っている言葉を。

 ここまで近くならその表情は見えず、口を塞げば言葉は出ない。

 香りから熱に鼓動が自分の身体に入って来ているとの感覚の中、やがて動きも音もないこの静けさをジーナが自覚した途端に自分がいま何をしているのか分からなくなるほど意識が飛んでいることに気が付き、反射的にまた離れる。

 距離ができ、ハイネの表情が再び目に入った。ほんの数十秒見なかった……いや近くにいすぎたために見えなかったその顔。

 壊れても溶けてもいない、青白く硬いハイネの表情、けれども赤い瞳は色褪せずにそこに、冷たいものは感じずそれよりも熱を、熱が消えずに残っていることが離れていても分かった。

 だがすぐにハイネは視線を外し椅子に全身を預けるように身を投げ、背もたれに寄り掛かる。

「またこれですか……やると思っていましたよ」

 分かっていた? そういえばああいう時はいつも空気を抱くように引っ掛かりも抵抗もなくすんなりと……会話はいつも摩擦で擦り切っているいるのに。

 もっと考えると離れるタイミングも察していたように、そこまで分かるものなのか?

「ジーナの口がもっと大きかったら。私は食べられているのでしょうね」

「食べるわけないだろ。そんなことしたら後悔しそうだ」

「後悔、させませんよ」

 これは何の会話だろうか?

「それで私から奪えましたか? あんなに頑張っていましたけど」

 できたのか? とジーナは唇に指をあてた。他のものは取れた気がした、が言葉やそれを生む心は……そもそもそれがなになのかも自分には。

「……満足しました?」

 どういう意味で? と答えるより先にハイネのその怒りが滲んだ声に振り向けなかった。なんでいきなり怒るのか?

「しましたよね。ここまで好き勝手やったのですか」

 好き勝手やって満足した? おかしなことを言われたためかジーナは驚いて振り向くと、声に相応しくハイネの表情は険しかった。

「なんですその顔?」

「それはこっちの台詞で」

「なぜそうなるのです? そんな俺はそんなつもりじゃなかった、と言いたげな表情ってなんです?」

 ますます何を言っているのか分からずにいるとハイネが身を起こし、顔を近づける。

「不公平です。自分のだけ満足しているって最低だと思いません」

「だから満足ってなんだ?」

「なんだとはなんです。だってそうでしょ? 抱きしめて自分の音と熱を聞かせ感じさせるだけだなんて、おかしいと思いませんか? 思いなさい」

 何を言っているのかさっぱり分からないものの、その声の勢いに呑まれ首を縦に振ると後頭部に手が掛かった。

「では私もやりますね。これで、公平で平等でお互いさまで相殺です」

 その口上ではこれから自分がやったことを、ということを察したジーナは首に力を入れた。

「ちょっとそれは」

「往生際が悪い。私は抵抗しませんでしたよね」

「私とお前は、違う」

「分からないことをグズグズと言って。あなたは気にしました? していませんよね。それなのに自分の番になったら気にしだして、恥ずかしくないのですか?  私が気にしないと言っているのだから良いです。別に何も感じませんし」

「それはおかしい。恥ずかしいことだろ」

 そう言うと後頭部にかかる力がまた入った。

「恥ずかしいのはあなたの方ですよ。これよりももっと恥ずかしいことをしている癖に、かまととぶるんじゃない! あれもこれも私に対して人に言えないことを会う度にして、恥ずかしいとか? あなたにそんなことを言う資格なんてない。そうだったら恥をかかせてあげますよ。嫌がってくれて、助かりました、よ」

 掛け声と共に異様な力が働いたのかジーナは自分の身体が地を離れ跳び、焦る。

 このままだと頭がその胸を心臓を……!その止める意思を発すると地に足がかかりブレーキとなったのかその直前で頭が止まるも。

「この期に及んで……意気地がないのですか!」

 頭を叩かれ押されると厚さのない柔らかさが来て、すぐに堅いところにあたりそれから止るも、ほんの少し離れた。

 すると頭上から弾けた爽やかな笑い声が聞こえた。

「恥ずかしいですか? 恥ずかしいですよね? 女の胸に顔を当てるとかあなたみたいな男だと恥ずかしくなるでしょう? いい気味です、ざまをみろ。この大きな子供」

 その意識的に空けていた隙間もハイネによって加えられた力によって埋められた。

 いま、ジーナの耳はハイネの胸の真ん中に心臓に最も近い位置に。ジーナは何も考えられない。

「聞こえ、ますか?」 
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