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第二章 なぜ私ではないのか

想像のなかの逃避行

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 ハイネの報告を聞いたルーゲンは答えた。

「よろしくないということですか。いえ、あなたが悪いということではありません。僕がいけないだけです。龍身様はまだ僕の活躍が足りないと言われているのでしょう」

 そういうことなのかな? とハイネは疑問を抱くもののそのことを口にはしなかった。

 失敗しているのは自分であり責任はこちらにもあるとハイネは自覚している。ルーゲン師のなにが不足だというのか? 会う毎に話すたびに思う。

 昔のヘイム様なら何の問題もなく付き合っただろうしと歩きながら頭を回転させていた。ここ前線に到着したハイネはバルツ将軍に挨拶をした後にルーゲンと伴って視察を行っていた。

 とはいえ途上であるために特に見るものは無く話は専らに例の件のことであった。

 このことも頭痛の種の一つでありルーゲン師が怒ることは絶対にないだろうが、かなり落胆させることは予想でき気が重かったものの、この予想とは若干違っていた。

 ルーゲンは落胆はするも希望が消えていないどころか、逆に燃え上がらせているようであった。

「それはつまりあともう少しだということですよ。最短であと一手。それで変わるのです」

 変わるのかな? とハイネは矢鱈と自信満々に語るルーゲンをもの珍しそうに眺め、語るがままにさせていた。

「僕以外にいないのですよ。いや、こう言い直しましょう。僕でなければならない理由は、やはりあります」

 しかしここでハイネは笑い口を開くことにした。

「なんですかその奇妙な物言いは。やはりとついたらありませんとではないですか?」

「そうするとそれはジーナ君の言葉になりますね。彼はこう言って龍の護衛を辞退しようとしたのです。ですから僕はその逆の言い方をしたのですよ」

 ジーナの名が出てハイネの体は熱くなった。そうだ、戦わないと。

「私はルーゲン師が龍の婿になるのは賛成です。けれどもその反対にいるジーナの物言いを借りるとは些か不穏ではありません?」

「反対に、いる。そうですかハイネ君にはそう見えますか。いえハイネ君だけではないのですけどね」

「というよりも世界中の誰もがそう思いますよ」

「ジーナ君もそう言っていましたね。けれど僕だけはそう思わない、僕たちは隣にいるのですよ」

 何を言っているのかと見上げるとそこにルーゲンはおらずジーナの影が、立っていた。

 だからハイネは立ち止まり瞬きを数度する。するとそこにはルーゲンがいた。何かに気付いたようにそこに立ち、微笑んでいた。これはどのような目の錯覚なのだろうか?

「最高機密ですが一つだけ伝えます。とある隊を龍の間まで案内するのは、この僕の役目となりました」

 即座にハイネはその言葉の意味が分かった。最大の懸念事項の一つである中央の龍の間にいる龍をどうするか。

 そこについては自分はおろかシオンでさえも関与していないとハイネには察せられた。

 話し合いは頂点の三人である龍身様にマイラ卿そしてソグ大僧正により行われ、それ以外のものとは決して相談はせずもちろん口外にもしていない。

 全てはその三人と軍の指揮官及び実行隊だけで秘密は共有され、情報漏出は厳しい処罰が待っているはずだ。

 冷たい汗が背中を伝わる感覚を振り切るためのようにハイネが歩きだした。

「いまのは聞かなかったことに致します」

「君なら構わないと思いましたが、失礼。龍身様は相当にこの件を悩まれておりますね。それにバルツ将軍も本当に苦しそうでしたし」

「誰もが、悩みますよ」

 反射的な言葉は非難の響きを伴った声で出たことにハイネは気づきルーゲンも同じく気づいた。

「そうですね。誰もが悩み苦しみますね」

「でもルーゲン師はどうやら違うようで」

 さらに攻撃的な言葉が出てハイネは瞬間的に顔をしかめた。何ということを言ってしまったのだと。

 これは怒る、絶対に怒る、ある意味で覚悟を決めていたもののルーゲンの表情は穏やかなままであり、美しかった。

「僕だけではないですよ」

 遠い目をしながらルーゲンは小声で話した。世界の秘密を語るかのように言葉が静かに心に侵入してくる。

「ジーナ君も同じです。僕たちは悩まないのです」

 再びルーゲンが違う人に、ジーナに見えだしハイネは掌で自ら顔を叩いた。そんなわけがない、そう見えてもそれなはずがないと。

 見直すとやはりそこにいるのはジーナではなくルーゲンであった。まだどこか違うとこを見つめている。

 今の会話からすると同行する隊は予想通りの第二隊で。それは半分はそうだろうと思っていたものの、案内役が。

「よくあなたのような御方がその役目を引き受けましたね」

「引き受けたのではありません。志願したのです。僕でなければならないと」

 そんな……ハイネは全身に悪寒が走る。

 龍の死を見る、確認する……そんなおぞましい出来事となる可能性もあるというのに。

 身体にもしも血が付着したとしたらソグ教団には戻れなくなる。それは自身の破滅になるのではないのか?

「構わないのです」

 ハイネの様子を見て内心を読んだルーゲンが軽く言った。

「これは最後の可能性だと僕は思っています。つまり僕がこの任務を全うしたら龍身様が僕を御迎えくださる……これです」

 そうなのか? とハイネはヘイムの様子を今一度思い返した。あの調書を読んでもいないし見てもいない、あの態度。

 ここで功績を大きく一つ積んだとしたら果たしてあの眼は動くのか? 心が働き扉は開くというのか?

 ……自分だったらそれはありえない、とハイネは胸はどうしてか締め付けられた。

「あのルーゲン師。もしそれがそうでは無かったとしましたらあなたは両方を失ってしまうのですよね。そこは慎重に再検討なされては」

「お心遣いありがとうございます。その件についてはソグ教団とはかなり揉めましたが、もう説得は終わりました。というよりかは話合いは終わったということですね。この役目を辞めるということは僧をやめるということです、この一点張りでなんとかなりました」

 言葉を失いハイネはルーゲンを見る。そこには悲壮感から来る暗さはなくかえって明るいものを感じた。

「そこまでしてあなたは」

「帰りたいのですよ、もしくは戻るのですよ僕は。中央にね」

 ルーゲンは北の方に身体の向きを変えて遠い空を見た。ハイネはそのままの西の向きで頭の中で調書の内容が、読み上げられる。

 父は中央の内大臣であり母はソグ人。私生児であるためにソグの僧院に母子共々預けられる。しかしこれは恥ではない。

 ルーゲン師はここからの人なのだ。それは戦場で活躍し将軍にまで昇り詰めた一般兵の出自など酷ければ酷いほど箔が着くのと同じこと。

「僕のことを調べ尽くしているハイネ君の前だから言えることですけど、僕の願いはその二つですよ。拒絶され追放されたものが長い旅路の果てで元いた場所に戻り帰還を果たす。追放者としてはこれに勝る願いはどこにもありません」

『ご主人様は私達をそのうちにお呼び下さるはずだよ。とわたしはあの子によく言いきかせました。するとあの子は目を輝かせましてね……』

 ハイネはルーゲンの母の疲れ切った表情と擦れ切った言葉を思い出した。ルーゲン師は父親似なのだろう、と面会の際にいつも思うと同時に母から受け継いだものはその眼の歪さとそしていま分かったのはその心なのかと。

「あなたは龍を導くものとして功績をあげ龍の婿となり、中央に戻る」

 心無く呟くと笑い声が返ってきた。

「これ以上に無いまとめですね。うん、そうなるのが理想的ですよ。あまりにもね」

「けれどもあなたはそれを龍も望んでおられるという」

「僕もそれを望んでいる。ならばやるしかないのです」

「……ではジーナはいったいなにに望まれているのでしょうか?」

 振り返るルーゲンの顔から笑みが消えていた。

「ルーゲン師は自分とジーナは似ていると再三強調なされました。そのあなたにはいま語られたように大きな望みを持たれているのならば、ジーナにもそれがあるはずです。けれども私には彼は何ひとつとして望んでいるようには見えない。それなのにあの巨大な使命を背負い運命の中に入っていく……おかしいです。ですから私は聞いたのです、ルーゲン師なら何か知っていることがあるのではないのかと」

「知ったとしましたらどうなさりますか? 止めにでも入るおつもりで?」

 今日初めてルーゲンの声が変わったとハイネは分かった。冷たい怒りを肌に感じながらもハイネは前に出る。

「止めるかもしれません。または共有をするかもしれません」

「もしもそれが罪であったとしたら? 君もただではすみません。聞いてしまった時点でそれは共犯者となります」

 地が無くなったような感覚がしたのにハイネはもう一歩足を前に出した。落ちるのだろうか? 落ちてしまうのだろうか。いいや、いい。

「それでも、私は」

「残念ながら僕だって知りません」

 脱力のあまり身体が傾き危うく転びそうになるとルーゲンがハイネの肩を抑え、支えた。

「おっと危ない。その内容は知りませんが、確実にあることは分かります。ハイネ君には見えない、それだけですよ」

「ありがとうございます。けどそれはなんだか納得できないのです。私はあんなに傍にいるのに見えないって、無いってことじゃないですか」

「逆説的に近すぎたり大きすぎるものは目には入らない。距離をとったり角度を変えるとかしないと見えるものも見えなくさせる。または精神的なものも含めて、そう固定観念を排し考え方を変えてみたり、とかです。彼は彼で大きな望みを抱いている。何かは分からないけど、僕にはそう見えます。」

 ジーナが望むこと……言われるままにハイネは一歩引いて考えてみるもまだ近すぎるかと感じられたのでもう一歩二歩下がり、ついでに都合よくあるちょっとした岩の上にも立ち、自らの心を究極的に無感覚にし一つ前提を置いた。絶対に考えないようにしている、この前提。

 ジーナはあの人と結ばれたがっている。すると鈍い痛みが来て血の味が頭の中で広がるが、これはあとで仕返しをすれば済むと思えばハイネは耐えることができた。

 あれは他人には嘘はあまりつかないが自分には嘘をつきまくるタイプの男だ、と痛む頭の中でハイネはまず一手目を掴んだ。素直になれないめんどくさい男、それがジーナ。

 よって望みはないという顔をするもそれは懸命に自覚をしないようにしているからできる種類の嘘。

 だから揺さぶっても出ては来ない。本人だって自分自身に騙されているのだから。または望みがこの前提であるとしたらあまりに大きすぎるために本人にも見えない可能性もある、今のルーゲン師の言葉だが、なかなかに腑に落ちる。

 なにはともあれ彼は命懸けで戦うのもあの人の為だとしたら……本人曰くの龍のために絶対戦わないのだから必然的にそうなる。

 普通なら身分不相応過ぎて誰もこんな妄想などしないのだが、私にだけはそれが想像できる。出来るのだ。

 もしもだもしも、ジーナがあの人と共にどこか遠い所へ行こうと手を伸ばしたとしたら。あの人は『馬鹿がなんか言っておるな』と言うかどうか……ハイネはその言葉を頭の中で再生させようとするも、声がでなかった。

 聞こえない、それは想像を超えた声であるというのか? それとも無言のまま行われるのか? ハイネは言葉を抜きにして想像する。

 想像の中のあの人は差し出された手に対し自分の右手をあげて……ハイネは自分の右手が自然に上がったのを見た。

 そしてその先は、彼方への逃避行……誰かに話したら失笑ものだろう。

 中央に帰る龍となるものが自らそこを離れるだなんて、と。だけどもハイネの心の中にはその場面が鮮明にイメージされた。

 予言者の如くに天啓というものがありハイネにそのシーンを与えられたように。

 これが未来予測だとすればジーナが無信仰者であり何を望まずにいることも、あの人が龍の婿の選定をまるでその気が無く進めないことも、全ては符合し強化される。この恐るべき結末としかいえぬものに向かって動いているのだとしたら……

『僕とジーナは似ているのです』この言葉も今では完全にハイネには理解でき、それと同時に完全な間違いさえも理解した。

 ハイネはイメージの中の岩から降り一二歩三歩、四歩と戻り、ルーゲンの顔を見上げた。

 さっきとだいぶ違うその表情。美しいとか醜いとかではなく変化したものはなにか? 不明ながらもハイネは口を開いた。

「あなたは龍の婿となるものですよね?」

 ルーゲンの顔がまた微妙に変化した。見たこともない、あるいは人にはじめて見せるものであったのだろう、そのことに気づき誤魔化し取り繕うこともなくそのままの表情でハイネに対して答えた。

「そのつもりでもそうであって欲しいといったことを僕は言いません。そうです僕はそうなるのです。僕は龍の婿となる男です。どのようなことがあったとしても」

「ならばもし必要があればジーナにそのことを話してもよいですか?」

 空気が一気に強張り肌に冷たさがぶつかってくるもハイネはたじろぐことなく続ける。

「イヤならそうだと言ってください」

「……必要があれば構いません。ですが以前に一度告げていますし僕にはその必要性が分かりませんが」

「以前と今とは違います。タイミング次第ですが再び告げる必要もあります」

 ハイネは不意にあることが頭に浮かんだ。ルーゲンから私はどう見えているのだろうか、と?

「可能性をひとつ、潰すためにもね」

 もしかしてあなたと同じ表情だとしたら? ハイネが故意に笑みのために頬を微かに吊り上げるとルーゲンの頬も少し、あがる。

 ハイネはそれを同意と受け取った。
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