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第二章 なぜ私ではないのか

そんなわがままは私には通じませんよ

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 組み伏せられたのなら、まだよい。弾かれて構えられたのなら、かなりよく、なんだシオンと対応されたのなら、たいへんよい。

 だがこれはなんだ? こうやって後ろに忍び寄って触って来る相手は間違いなくハイネだと信じて疑わぬ反応。

 そうでないと気づいた時のこの間抜けな反応。

 シオンは震えながら息を吸うとハイネとジーナの臭いが肺に入って来る感覚に襲われた。

「なにをしているのですか、あなたは?」

 自分こそ何をしているのかは棚に上げシオンは睨みながら低い声で聞いた。

 ジーナはなんと答えたらいいのか分からぬまま酷い形相のシオンの顔を見るしかなかった。一体なにが起こったんだと混乱状態が収拾せずにいた。まず気配が一切感じとることができずに背後にいたこと。しかもそれがシオンであり何故か怒り狂っていること。

 これはもしかして幻か? 美形な知り合いが眉間にシワを寄せているどころか顔全体がシワを寄せて醜くなっている酷い幻覚。もしくは白昼夢ならどれだけいいことかとその恐ろしい顔つきとなっているシオンから目が離せなった。

 視線を外した瞬間に頭をがぶりと喰われる、そんな予感をジーナは抱いていた。

「べっ勉強をしているのだが」
「へー勉強をですかぁ……」

 シオンの表情に濃い蔑みの色がついたのをジーナは見る、なんでそんな顔をするのだと。

「いったいにここでなんの勉強をしているのでしょうね」
「じっ字だ。中央の言葉を書く勉強をしている。このことはシオンだって知っているはずだし」
「そんなの知っていますよ」

 じゃあなんだその顔と言葉は、とジーナはまた悲鳴をあげたくなるもシオンの眼に宿る闇はまた広がりを見せ、その闇はじっと男を捕える。

 この男は、とシオンは観察する。勉強と称して個室に籠って女をたぶらかしイチャイチャしたいがために儀式である表彰式に出たくないとかいう悪党だ。

 龍への愚弄のみならず私の後輩に手を出し私の親友を蔑ろにするとか最大限の侮辱と言わざるを得ない。

 一万歩譲ってこの二人が心の芯から愛し合い心が通じ合っているというのなら、私は先輩として反対したいところだがお互いの心を尊重して嫌々渋々ながらも一応は仮賛成し味方に付くこともやぶさかでもありませんでしたが、これはダメ。

 あのハイネの自虐とも自暴自棄的と言える態度のままに、この男は私とあの子を間違えて呼んだ。全然駄目、お話にならない。そうこいつは本気ではなく、違う女に懸想しているに決まっている……あれ? なんでそうだと私は思うのか? シオンはまた変な気分に陥るも、すぐにそんなものは捨てた。

 いま大事なことは、なによりもこいつを更生させること、その為には兎にも角にも

「ジーナ、命令です。表彰式に出なさい」

 藪から棒による心臓への強打のごとき一言を放つとジーナの顔は忌々しく歪んだ。

 捻じれた表情の男女が互いに見つめ合っていると空間すら歪みだしていくようであった。それに伴い当然の事だが思考も同様の形へと曲がっていく。

 だから怒っているのか、とジーナは常識的に早合点した。それはそうかとそれ以上の思考にも発展させなかった。彼女はバルツ将軍に頼まれて自分を説得にきた、それ以外には何も無い。あの怒りの形相も異様な問答も全てそう、これは龍の騎士であるのだから。

 ジーナは現在の感情の現象を正しく捉えることはできず理解に欠落があることすら感じずにいた。
 それは同様にシオンもそうであった。

「私は表彰式に出ることはできない」

 こいつは! とシオンの黒き怒りが全身を包む。女と遊びたいからか? なる品の無い言葉が腹から込み上がってきたが喉の途中でシオンは押しとどめた。酸味が口内に満ち満ち吐き出すこともできずに呑み込んだ。

 こやつにハイネのことでいま説教しても仕方のないことだ。夢中になっているのはあちらでこっちを叩いたところで事態が好転するということではない。ましてや表彰式に出ないことと女のことで説教を同時にしたら両方とも上手くいくはずが、ない。拗れると。

 いまやるべきことは物理的にこの怠惰で爛れた部屋から出すこと、可能な限りあの二人を離れさせる、そうすればハイネは自然と心が冷静となるだろう。

 そのためにするべきことは……おおそうだ龍の威光が最適だけれど、こいつは不信仰者だ。どこまでも悪そのもの。ならばこいつはそうだ案外に権力者に弱いとみえる。龍の間での力関係さえ持ち出せば……

「ヘイム様がいらっしゃるのだから、来なさい」

 それだから駄目なんだよ、とジーナは絶望的な気分に陥るも、そのことをシオンに教えることなどできないために暗鬱たる気分が表情に現れシオンは勘違いをする。

 ほらやっぱり効いた、と。その表情に浮かんだ苦痛の色を見ながらシオンは心中で微笑んだ。

 ここを中心にして責めるのが最も効果的だ。無自覚さ故の残酷でシオンは言葉を剣先に変えて心臓へ狙い撃ちをする。

「先ほど我々はソグ砦から遠路はるばるこのシアフィル砦に到着いたしました。ちなみにそのうちの一人である私は疲労からか馬車内で失神してしまい、一人医務室に運ばれその中でバルツ将軍からあなたの話を伺いこうして説得に参ったという次第です」

 嘘はなに一つとしてついてはいないという満足感のなかシオンはいた。なんだその不必要な前口上はと思いつつもジーナは何も言わずに息を止めながら言葉を聞いていた。あの人が、来ている。

「ジーナ、あなたは龍のための戦いの最前線で戦い武勲得たことによってヘイム様から労われ表彰される権利というよりも義務があります。これはバルツ将軍から繰り言のように説諭されたでしょうが、あなたの心は動かされはしない、そうですよね」

 そうだ、とジーナはシオンの自認を肯定するために無言で頷いた。それは無意味であると、自分が聞きたいのはそういうことではない。

 ではいったいなにであるのか? それをジーナは自分で自分の心の中で考えることはできない。死に近い暗さが心に迫り、大切なところには到達できない。

 そのためには一人では無理であり、そのためにはもう一人の力が、理解深きものの手が必要で。

「その理由は何ですか?」

 まさか女と遊びたいからとは言うまいとシオンは計算しながら盤上遊戯の感覚を思い出しながら一手を指した。

 シオンにとっては布石のつもりであったがジーナにとっては王手へ二手前に駒を置かれ身体が痺れ、やはり何も言えずに見上げる。

 限りなく冷ややかなの表情をしているもののシオンは内心ほくそ笑んだ。こいつ私が何もかもを察しているのに気付いているのでは? 罪悪感を覚えているのでしょうかねその顔は、ならばここはもう一手深く斬り込んで。

「あなたは他の人には言えませんが、私には言えますよね」

 シオンは挑発しながらジーナの懐に入ったが自信はあった。ここでこいつはハイネちゃんと二人きりでイケない桃色遊戯に耽りたいからここから出たくないんだもん。なーんて口が裂けても言わないという確信が。となると、そのカモフラージュとして持ち出すものはやはり……

 ジーナは心を真っ白にしながら息を呑む。それは自白をする罪人のごとく面持ちであり大きすぎる己の罪を背負い、少しでも楽になりたい機会をいつも伺っているものの顔であり心であった。

 それがたとえどのような場合でありどんな勘違いによるすれ違いの感情の行き来だとしても、吐き出せるのなら、束の間の救いがあるとしても、すがるものの心がそこにあった。

「……合わせる顔が無い」

 呆けたように言うジーナを見ながらシオンは目論み通りだというように鷹揚に頷いた。こいつ、上手い事を言いましたねと。

 そうですそれでいいですよ、私を見たらヘイムを連想しますよね? 第一声がそれでしたし私達の再会もあの日以来のこと。ならばまず思い出すのはあのことでありそのことであり、これからのこと。

 そっちに上手い具合に逃げ込んだつもりでしょうが無駄ですよ、私は既に回り込んでいましたから、とシオンは陽気に勘違いしながらも布石が嵌り中央突破からの王手のための威嚇を兼ねた強打をする。

「反省はしていますか?」

 ジーナは再び驚く。反省? なんだそれは。私の何が反省に値するのか? むしろこうして離れた方が二人の方が良いことであり、今の自分の行動は、というジーナの心中で延々と述べられる。

 自分への説得はシオンには聞こえない。シオンはその意外だというジーナの顔色を見て蔑んだ。ほらその顔。僕は反省してなんかいませーん丸出し。分かっていますからね。あなたのその言葉がハイネとの関係を隠すための一時逃れだということを。

 だけれども私はそれを狙いあなたという不誠実の城を、陥落させるのです。

「反省ですよ反省。悪いことをしたと自覚があるからこその合わせる顔が無い、ですよね?
手紙ではそこはなぁなぁで済ませていましたが、それは顔を合わせていないし同じ場にいないからできること。あなたの中の良心があんな不義理なことをしてしまったからにはヘイム様と合わせる顔が無いと言っている。私にはそうとしか解釈はできません」

 勿論違うとシオンは思いジーナも同じく思いその場には嘘と欺瞞が支配し、さっきまでの表情の歪さによる空間と景色の歪みは今度は互いの心による歪ませへと移行する。

 そんな中においてジーナはシオンの顔を表情に内面の黒さに滲み出てくるを見て美しさを覚え、またシオンはジーナの苦悶に引きしまる表情を見てその精悍さが気に入った。

 あなたはいま考えている、ここからどう逃れようかと。だがそれはいかないとシオンは自身の手を握り、開き前に出す。

 その動きはまるでこの虚構に乗りなさいと誘っているように……ジーナはそう解釈し意識が掌に吸い込まれていく。もし乗れたとしたら自分は再びあの人に……だが脳裏にいつも消しているものの面影が浮かんでくるのを拒絶するためにジーナは咆えた。

「駄目だ」
「そんなわがままは私には通じませんよ」
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