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第二章 なぜ私ではないのか
『お前は何か望むものはないのか?』
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私はようやく正しきものとひとつになれた、と男は恍惚感のなかで戦い続けた。
龍の皇女を戴くシアフィル連合は中央軍の攻勢に対して南へと撤退を繰り返し続けていた。
「これは撤退ではなく攻勢後退中だ!」とバルツは兵たちに伝えていたが男はそんなことは気にせずに常に最前線にいた。
眼の前は無人の草原、そこからやがて迫りくる敵勢の姿、これしか男の眼には見えず、その中で金色の瞳は輝いた。
無限に戦い続ければやがてそこにたどり着き眼の前に龍が現れると信じ、いつかは龍の前に立てるのだと信じ、男は剣を振るい続ける。
それでも軍は戦いには勝てずに撤退に継ぐ撤退により東南のソグに向かっていく。負け戦続きであるはずなのに兵士の士気はまだまだ衰えてはおらずに、これはバルツの作戦だと信じているようであり、また自らが戴く龍の正統性に疑いが無いようにも見えた。
自分達がこのまま敗れるはずはない、最終的には勝つのだと、男にはその根拠のない自信が好ましかった。それは自分の心にも通じるものがあった。使命の内容が正反対であるというのに。
ソグ山の砦を巡る攻防戦も撤退に決まり最終絶対防衛ラインであるソグ山一帯の戦いとなった時、バルツは各隊の隊長、その頃には男はもう自隊の長となるぐらいには力を認められていた、を天幕に呼び決意の一言から始めた。
「これ以上の後退は一歩たりとも、ない」
そこに絶望的な声の響きが無いことに各隊の隊長らは心中歓喜に震えた。男も同様であった、やはりこの男は持っている。
具体的な話はこうであった。ここまでの後退は龍の側近であるマイラ卿の案でありそれをバルツが実現させてものであった。
つまりはシアフィル連合単独では中央軍の攻勢を正面から戦って打ち倒するのは不可能であるため、戦いつつ後退し敵の戦力を削り続けてこのソグ山まで引きずりこむ。
これはいわば漸減作戦であり引きずりこみソグ山にて一大決戦を敵に強要させる、そういう構想が元での作戦であった。
「ソグどころか我々の陣営の兵力全てがここに集結する。一兵たりとも後ろに残さず、ここ前線にて戦う」
あまりにも大きな運命の瞬間の訪れの予感を前にして一同がその言葉の一言一句を心に刻んでいる最中に、ソグ僧が天幕の中に入りバルツに手紙を届け見て微笑んだ。
「朗報だ諸君。ルーゲン師の献策である『龍戦』宣言に中央が応じ向うも宣言したとのことだ。ハハッ無様だなあのような偽龍に相応しいわ」
西方からの人ということでなにくれとなく男に世話を焼いてくれたのがルーゲンであるが、
その献策の龍戦とはかつて古の龍の始祖の故事に倣ったものであるという。
これは自らが正統であると全国に主張する宣言であり、始祖はこれを行い勝利したことによって前回の戦争の正統性を得たとのことである。
「奴らはまさかやるとはと思っただろうな。愚かにも自分たちが絶対的な正統後継者であると信じて疑わなかったのだから。もっとも向うにはこの宣言に精通しているソグ僧はいないだろうけどな。だがこうしてこちらが先んじて宣言してしまえば、もうお互いに引き下がることはできない、おっともう一通があったか……ありがたいことだ。諸君、中央の龍の護軍、いわゆる近衛軍がソグ山に進軍してくるとのことだ。文句なしに最精鋭であり中央の要だ」
その名が告げられるや場に緊張感が走った。まさか近衛軍が来るとは中央もこの戦いを決戦と位置付けていると。
「加えてこれまで戦い続けてきた追撃軍も加わる。決戦に相応しい敵戦力でありこれをこの地で覆滅させることができたなら、今後の戦いは劇的に変わる。形勢は完全に逆転する。そしてそれを我々は出来るのだ」
水を打ったように場は静まり返った。バルツの声と言葉によってさっきの湧いた不安はどこかに消え去っていく。それはその言葉を聞きたく求めていたからかもしれなかった。
「この地にて我々は最も有利な場所にて戦える。今までと逆だ。補給もろくに届かず敵が優勢な地にてよくぞ耐え抜き負けなかった。そうだ我々は負けてはいなかった。この地にてこうして到着させてしまったやつらこそが、逆説的に負けて敗北に向かっているのだ。これまでの戦いは敗北でも無駄ではなかった。その苦労も傷も仲間の死も勝つのだから我々は勝つのだ、この勝利のためにここまで血を流し信仰を捧げたのだ。そう龍身様も遠くにおられずに、我々の後ろで儀式を行ってくださるようだ。万が一突破されたら運命を共にしてくださる、その御覚悟で……」
運命を共にする? 龍になる前に、死ぬ……可能性があるというのか?
「龍が死ぬだと?それは許されない!」
男は反射的に立ち上がり叫ぶと皆の困惑が伝わる視線が集まるのを感じつつ前方からは温かい眼差しを感じた。バルツの瞳が慈愛の輝きを帯びているように見えた。
「よくぞ言った末番隊隊長ジーナよ。いやジーナ隊のジーナよお前の隊が最前線だ、これを」
バルツは腰に下げた剣を外し男の前まで進み、与えた。一同は声をあげることができずに目を見開いた。その意味することを。バルツの象徴とも言える剣を。
男も男で剣をさほどありがたいといった態度をとらずに受け取り頭を下げた。
それはある意味で見慣れた様子であった。どれだけ功績を讃えられても、決して喜ばないこの西から来た男。信仰心のない異常な存在。
「俺の代わりにそれを最前線にて使ってくれ。年季は入っているが斬れるぞ。それと龍の旗もお前の隊に持たせる」
今度は一同は総立ちとなる。栄えある第一隊のみが掲げられる『龍旗』。それをよりによって懲罰隊という罪人の隊にしかも率いているのは西の無信仰者でありそれを篤信家である将軍が授けるとは。
しかも予想済みとはいえやはり男は感激の表情を見せずかえって迷惑そうにしているのも一同は首を振った。なんでこいつに……
「はぁ、ありがたくお受けいたします」
感情のこもっていない声であるもバルツは大仰に頷いた。
「それとお伝え致しますが、このような旗があろうがなかろうが、私と我々はいつもどおりに最前線にて戦います。敵の出鼻を叩き潰しそのまま殴り続ける、それが我々の隊の使命でありそして流れる血で以って隊員の罪は浄化され、栄光に浴すことができる。そういうことであり、また私の罪である無信仰もまた許される。そうですよねバルツ将軍」
そう聞いてみたものの男は分かっていた。私の罪だけは決して許されないだろうと。
ソグ山の決戦は明朝から始まった。推定時間よりも早い敵襲の報に陣営は浮き足立った。
「どうやら敵軍は休まずにそのまま突っ込んでくるようだ」
「吹雪が来る前に一気に片を付ける気か」
「まずいぞ。少しでも時間を伸ばしたいというのに」
空から儚げな粉雪のみが降り続けとてもじゃないがこれから吹雪が訪れる雰囲気ではなかった。
そんな中においてバルツは報告に泰然とし全部隊に指示を出し布陣を命じた。男の隊は龍旗を手に最前線に立つ。前方には誰もいない、誰の背中も見えない、最も龍に近い場所。自分が立つ場所。
「アル! 死んだとしても旗だけは絶対に手離すな」
雪崩を起こすかのような返事をしは両脇の兵に声を掛ける。
「いつも通りだブリアンにノイス。俺が先頭で敵に突っ込み二人がフォローで他のみんなで左右後ろで戦ってくれ。前方は止まらない、一気に果てまで駆け抜ける、この気合いで自らの命を切り開いていくぞ」
男の指示に隊員達は唾を呑み込み首を素早く縦に振る。その声を聞けば勝てると思うように。その言葉に従えば命が助かるものと思うように、この男の後ろで戦えば自らの罪が許されるように、それはたとえ途中で倒れ伏したとしても罪は浄化される。
「バルツ将軍は念を押して申された。龍旗を戴くこの隊の戦いは龍の加護があり、また恩寵も厚いと。敵に討ち取られたとしても、俺はその者の戦いと貢献を決して忘れずに報告する」
救いが必ずあると。この人が現れて以来、刹那主義的であった隊の色が変わった。戦いのなかにこそが救いであるとする男の活躍に影響され、積極的に戦い自分達の罪が確かに日々薄れ清められていく恍惚感によって。
後退戦の早い段階で古参隊長の死は男を自動的に隊長の地位にあげ、こうして今では隊は連合の要となりつつあった。
白雪の地平線を見つめながら隊員達は緊張し待機し続ける間に一部のものはいつものことを考えていた。隊長はどのような罪を背負っているのかと。
罪人である隊員達は他者の罪については敏感であり聞かずとも察するものがあった。この誰よりも勇敢に戦い必ず最前線にいる隊長の行動の英雄的行為は罪と背中合わせの自罰的行為とも思えた。
なにもここまで戦わずともと言う行為がいくらでもあり、どれだけ戦っても罪滅ぼしをしたという表情を見せずに、無限の戦いを望み続けるその顔に、隊員達はある意味で畏敬心を抱いていた。この人はいったい何を望んでいるのかと?
誰もがそのことを聞けずにいる中で、その男は誰よりも先に立ち上がり声が上がった。
「来るぞ!」
皆の視線の先、白の地平線、音は雪に吸い込まれ静寂の世界、その男だけにしか聞こえない何かがあり隊員はいつものように駆け出す構えをとる。
この男が、隊長が来ると言ったら、来る。それはいつものことだ。いつだってそうだ。いつだって我々はそれで先手が取れ、いつだって勝ち続けた。
注目の中、男はバルツの剣を抜いた。合図が来ると全隊員が中腰となると同時に男が叫んだ。
「続け!」
男が駆け出しその背を隊員が追いながら今までの言葉を反芻する。
隊長がいつも言うあの、私は死なない、このジーナは死なない、龍以外のなにものにも打ち砕かれない、と。その不敬さと何故か相反せず矛盾もしない敬虔なる言葉の響き。
それは一つの信頼さえも生む、隊長を倒せるとしたらそれは龍のみであるのだろう、そうであるのだから敵など、人間など、恐れるものは何もないと。
宙に白を乱れさせる呼吸音と雪を踏みつける己の足音の他に前方からようやくなにかが迫ってくる音がする。
そう音がしたなと感じるのとほぼ同じタイミングで既に先頭を駆けていた男が飛び宙を斬り白の空間に赤を散らす。偽装の白いマントか。
「旗を振れ!」
そのことで頭が一杯なアルは重圧から解き放たれたように旗を振りだし、もう一つの合図が来る前に全隊員は抜剣し各々に架せられた使命の方向へ構えた。いつものあの言葉が来る。
「我が罪を滅ぼす為に」
男の言葉はいつしか隊全員が詠唱する呪文とも気合いとも祈りとも言える戦いの歌となった。
「龍を討ちに行くぞ!」
金色の光が雪原を照らし、戦いが始まる。この敵先陣の出鼻をくじく末番隊の先制攻撃からソグ山の決戦が始まり、その後の突然の大吹雪によって戦闘はソグ側の完全勝利へと流れていった。
その末番隊はソグ山の戦いまでの戦闘及び『龍戦』の功績により論功筆頭としてその名が知られるようになった。
多くの隊員は罪が恩赦され軽罪のものはそのまま他隊の復帰が認められ、また除隊も一部で認められた。
だがただ一人だけはそのような恩恵に預かれないものもいた。
「ジーナ、お前は何か望むものはないのか?」
龍の血と命以外望まないものが、いる。
龍の皇女を戴くシアフィル連合は中央軍の攻勢に対して南へと撤退を繰り返し続けていた。
「これは撤退ではなく攻勢後退中だ!」とバルツは兵たちに伝えていたが男はそんなことは気にせずに常に最前線にいた。
眼の前は無人の草原、そこからやがて迫りくる敵勢の姿、これしか男の眼には見えず、その中で金色の瞳は輝いた。
無限に戦い続ければやがてそこにたどり着き眼の前に龍が現れると信じ、いつかは龍の前に立てるのだと信じ、男は剣を振るい続ける。
それでも軍は戦いには勝てずに撤退に継ぐ撤退により東南のソグに向かっていく。負け戦続きであるはずなのに兵士の士気はまだまだ衰えてはおらずに、これはバルツの作戦だと信じているようであり、また自らが戴く龍の正統性に疑いが無いようにも見えた。
自分達がこのまま敗れるはずはない、最終的には勝つのだと、男にはその根拠のない自信が好ましかった。それは自分の心にも通じるものがあった。使命の内容が正反対であるというのに。
ソグ山の砦を巡る攻防戦も撤退に決まり最終絶対防衛ラインであるソグ山一帯の戦いとなった時、バルツは各隊の隊長、その頃には男はもう自隊の長となるぐらいには力を認められていた、を天幕に呼び決意の一言から始めた。
「これ以上の後退は一歩たりとも、ない」
そこに絶望的な声の響きが無いことに各隊の隊長らは心中歓喜に震えた。男も同様であった、やはりこの男は持っている。
具体的な話はこうであった。ここまでの後退は龍の側近であるマイラ卿の案でありそれをバルツが実現させてものであった。
つまりはシアフィル連合単独では中央軍の攻勢を正面から戦って打ち倒するのは不可能であるため、戦いつつ後退し敵の戦力を削り続けてこのソグ山まで引きずりこむ。
これはいわば漸減作戦であり引きずりこみソグ山にて一大決戦を敵に強要させる、そういう構想が元での作戦であった。
「ソグどころか我々の陣営の兵力全てがここに集結する。一兵たりとも後ろに残さず、ここ前線にて戦う」
あまりにも大きな運命の瞬間の訪れの予感を前にして一同がその言葉の一言一句を心に刻んでいる最中に、ソグ僧が天幕の中に入りバルツに手紙を届け見て微笑んだ。
「朗報だ諸君。ルーゲン師の献策である『龍戦』宣言に中央が応じ向うも宣言したとのことだ。ハハッ無様だなあのような偽龍に相応しいわ」
西方からの人ということでなにくれとなく男に世話を焼いてくれたのがルーゲンであるが、
その献策の龍戦とはかつて古の龍の始祖の故事に倣ったものであるという。
これは自らが正統であると全国に主張する宣言であり、始祖はこれを行い勝利したことによって前回の戦争の正統性を得たとのことである。
「奴らはまさかやるとはと思っただろうな。愚かにも自分たちが絶対的な正統後継者であると信じて疑わなかったのだから。もっとも向うにはこの宣言に精通しているソグ僧はいないだろうけどな。だがこうしてこちらが先んじて宣言してしまえば、もうお互いに引き下がることはできない、おっともう一通があったか……ありがたいことだ。諸君、中央の龍の護軍、いわゆる近衛軍がソグ山に進軍してくるとのことだ。文句なしに最精鋭であり中央の要だ」
その名が告げられるや場に緊張感が走った。まさか近衛軍が来るとは中央もこの戦いを決戦と位置付けていると。
「加えてこれまで戦い続けてきた追撃軍も加わる。決戦に相応しい敵戦力でありこれをこの地で覆滅させることができたなら、今後の戦いは劇的に変わる。形勢は完全に逆転する。そしてそれを我々は出来るのだ」
水を打ったように場は静まり返った。バルツの声と言葉によってさっきの湧いた不安はどこかに消え去っていく。それはその言葉を聞きたく求めていたからかもしれなかった。
「この地にて我々は最も有利な場所にて戦える。今までと逆だ。補給もろくに届かず敵が優勢な地にてよくぞ耐え抜き負けなかった。そうだ我々は負けてはいなかった。この地にてこうして到着させてしまったやつらこそが、逆説的に負けて敗北に向かっているのだ。これまでの戦いは敗北でも無駄ではなかった。その苦労も傷も仲間の死も勝つのだから我々は勝つのだ、この勝利のためにここまで血を流し信仰を捧げたのだ。そう龍身様も遠くにおられずに、我々の後ろで儀式を行ってくださるようだ。万が一突破されたら運命を共にしてくださる、その御覚悟で……」
運命を共にする? 龍になる前に、死ぬ……可能性があるというのか?
「龍が死ぬだと?それは許されない!」
男は反射的に立ち上がり叫ぶと皆の困惑が伝わる視線が集まるのを感じつつ前方からは温かい眼差しを感じた。バルツの瞳が慈愛の輝きを帯びているように見えた。
「よくぞ言った末番隊隊長ジーナよ。いやジーナ隊のジーナよお前の隊が最前線だ、これを」
バルツは腰に下げた剣を外し男の前まで進み、与えた。一同は声をあげることができずに目を見開いた。その意味することを。バルツの象徴とも言える剣を。
男も男で剣をさほどありがたいといった態度をとらずに受け取り頭を下げた。
それはある意味で見慣れた様子であった。どれだけ功績を讃えられても、決して喜ばないこの西から来た男。信仰心のない異常な存在。
「俺の代わりにそれを最前線にて使ってくれ。年季は入っているが斬れるぞ。それと龍の旗もお前の隊に持たせる」
今度は一同は総立ちとなる。栄えある第一隊のみが掲げられる『龍旗』。それをよりによって懲罰隊という罪人の隊にしかも率いているのは西の無信仰者でありそれを篤信家である将軍が授けるとは。
しかも予想済みとはいえやはり男は感激の表情を見せずかえって迷惑そうにしているのも一同は首を振った。なんでこいつに……
「はぁ、ありがたくお受けいたします」
感情のこもっていない声であるもバルツは大仰に頷いた。
「それとお伝え致しますが、このような旗があろうがなかろうが、私と我々はいつもどおりに最前線にて戦います。敵の出鼻を叩き潰しそのまま殴り続ける、それが我々の隊の使命でありそして流れる血で以って隊員の罪は浄化され、栄光に浴すことができる。そういうことであり、また私の罪である無信仰もまた許される。そうですよねバルツ将軍」
そう聞いてみたものの男は分かっていた。私の罪だけは決して許されないだろうと。
ソグ山の決戦は明朝から始まった。推定時間よりも早い敵襲の報に陣営は浮き足立った。
「どうやら敵軍は休まずにそのまま突っ込んでくるようだ」
「吹雪が来る前に一気に片を付ける気か」
「まずいぞ。少しでも時間を伸ばしたいというのに」
空から儚げな粉雪のみが降り続けとてもじゃないがこれから吹雪が訪れる雰囲気ではなかった。
そんな中においてバルツは報告に泰然とし全部隊に指示を出し布陣を命じた。男の隊は龍旗を手に最前線に立つ。前方には誰もいない、誰の背中も見えない、最も龍に近い場所。自分が立つ場所。
「アル! 死んだとしても旗だけは絶対に手離すな」
雪崩を起こすかのような返事をしは両脇の兵に声を掛ける。
「いつも通りだブリアンにノイス。俺が先頭で敵に突っ込み二人がフォローで他のみんなで左右後ろで戦ってくれ。前方は止まらない、一気に果てまで駆け抜ける、この気合いで自らの命を切り開いていくぞ」
男の指示に隊員達は唾を呑み込み首を素早く縦に振る。その声を聞けば勝てると思うように。その言葉に従えば命が助かるものと思うように、この男の後ろで戦えば自らの罪が許されるように、それはたとえ途中で倒れ伏したとしても罪は浄化される。
「バルツ将軍は念を押して申された。龍旗を戴くこの隊の戦いは龍の加護があり、また恩寵も厚いと。敵に討ち取られたとしても、俺はその者の戦いと貢献を決して忘れずに報告する」
救いが必ずあると。この人が現れて以来、刹那主義的であった隊の色が変わった。戦いのなかにこそが救いであるとする男の活躍に影響され、積極的に戦い自分達の罪が確かに日々薄れ清められていく恍惚感によって。
後退戦の早い段階で古参隊長の死は男を自動的に隊長の地位にあげ、こうして今では隊は連合の要となりつつあった。
白雪の地平線を見つめながら隊員達は緊張し待機し続ける間に一部のものはいつものことを考えていた。隊長はどのような罪を背負っているのかと。
罪人である隊員達は他者の罪については敏感であり聞かずとも察するものがあった。この誰よりも勇敢に戦い必ず最前線にいる隊長の行動の英雄的行為は罪と背中合わせの自罰的行為とも思えた。
なにもここまで戦わずともと言う行為がいくらでもあり、どれだけ戦っても罪滅ぼしをしたという表情を見せずに、無限の戦いを望み続けるその顔に、隊員達はある意味で畏敬心を抱いていた。この人はいったい何を望んでいるのかと?
誰もがそのことを聞けずにいる中で、その男は誰よりも先に立ち上がり声が上がった。
「来るぞ!」
皆の視線の先、白の地平線、音は雪に吸い込まれ静寂の世界、その男だけにしか聞こえない何かがあり隊員はいつものように駆け出す構えをとる。
この男が、隊長が来ると言ったら、来る。それはいつものことだ。いつだってそうだ。いつだって我々はそれで先手が取れ、いつだって勝ち続けた。
注目の中、男はバルツの剣を抜いた。合図が来ると全隊員が中腰となると同時に男が叫んだ。
「続け!」
男が駆け出しその背を隊員が追いながら今までの言葉を反芻する。
隊長がいつも言うあの、私は死なない、このジーナは死なない、龍以外のなにものにも打ち砕かれない、と。その不敬さと何故か相反せず矛盾もしない敬虔なる言葉の響き。
それは一つの信頼さえも生む、隊長を倒せるとしたらそれは龍のみであるのだろう、そうであるのだから敵など、人間など、恐れるものは何もないと。
宙に白を乱れさせる呼吸音と雪を踏みつける己の足音の他に前方からようやくなにかが迫ってくる音がする。
そう音がしたなと感じるのとほぼ同じタイミングで既に先頭を駆けていた男が飛び宙を斬り白の空間に赤を散らす。偽装の白いマントか。
「旗を振れ!」
そのことで頭が一杯なアルは重圧から解き放たれたように旗を振りだし、もう一つの合図が来る前に全隊員は抜剣し各々に架せられた使命の方向へ構えた。いつものあの言葉が来る。
「我が罪を滅ぼす為に」
男の言葉はいつしか隊全員が詠唱する呪文とも気合いとも祈りとも言える戦いの歌となった。
「龍を討ちに行くぞ!」
金色の光が雪原を照らし、戦いが始まる。この敵先陣の出鼻をくじく末番隊の先制攻撃からソグ山の決戦が始まり、その後の突然の大吹雪によって戦闘はソグ側の完全勝利へと流れていった。
その末番隊はソグ山の戦いまでの戦闘及び『龍戦』の功績により論功筆頭としてその名が知られるようになった。
多くの隊員は罪が恩赦され軽罪のものはそのまま他隊の復帰が認められ、また除隊も一部で認められた。
だがただ一人だけはそのような恩恵に預かれないものもいた。
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