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動揺と見破りの忍者 (シノブ31)

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 シノブは隣に座る男が立ち上がるのを感じると同時にあれ? とも思う。いま意識が一瞬飛んだような、何らかの断絶があったような、まるで霧に呑み込まれたかのようなその朦朧とする感覚の中でシノブは歩き出そうとする男の足音を聞きながら慌てた。

「どこに行くつもり? いまこの濃霧の中で歩いたら危ないんだけど」
「どこって家に帰るんだよ。もうな、うんざりなんだよ」
 怒りが混じった冷たい声にシノブは立ち上がる。驚きのあまり声が出ないがそれでもかろうじて一声だけ、出た。

「えっ……アカイ?」
「アカイだがもう気安く呼ばないでくれ。考えてみると馬鹿馬鹿しい。何だって俺はこんなことしなきゃならないんだよ」
 うん、それはそうだとシノブも同意する。アカイがどうして自分に同行してくれるのか、どうして苦労を共にしてくれるのか不明なままなのである。おそらく、まぁ絶対確実に自分への好意故の行動だとシノブは思っていたが、ではその好意が失われてしまったら? ときたま抱くその恐れがいま現実となって眼の前に立ちはだかった。

「なんで俺があんたの旅に同行していると思う?」
 問いがきた。まるで心を読んでいるようなそんなタイミングでの一突き。
「それは、その、親切心からで」
 好意とはシノブは当然、言わない。そんなのは知らないし知らない振りをしたほうが断然有利だからである。意識しては駄目だ。言葉にしても駄目だ。知らない振りをしていればそれはいくらでも受け取ることができる。無知とは無限である。えー? そうだったんだー知らなかったー私そんなつもりじゃなかったんだけどさー。

「そうだよな親切心だよな。その思い遣りから俺はあんたの荷物を持ったりして苦労もいとわなかったが、もうそれが嫌になった。なんでかはあんたなら分かるでしょ? 頭は良いんだから」
 私があなたに辛く当たったりこれ以上の関係の発展が望めなそうだから? とシノブは思うもすぐに心の中で反論する。でもそれは当たり前でしょ? あなたは歳をとっていて格好も良くなく下心丸出しのしかも職業不詳および正体不明の謎の人間なんだから。そもそも私には婚約者がいてあなたと深い関係になるつもりなんて少しもないんだから。

「答えてくれないか。そうだろうな。言いにくいよな。あんたの親切心なんか有難迷惑で少しも嬉しくなかったなんて、言えないもんな!」
「そんなことない! とてもありがたかった」
 シノブはすぐさま言い返すがこれは真の言葉である。そう真実にシノブはアカイの荷物持ちを感謝していた。体力の激減及び体調最悪のなか重い荷物を持つことさえ難儀するなかアカイはシノブの荷物を喜んで持ってくれた。その一点は絶賛に値することであり、そしてその反面でもしもここでいなくなってしまうと旅が更に困難極まるものとなること必定! これまで考えずにいたことが一気に押し寄せてきてシノブは恐慌状態一歩手前で留まる。大丈夫! 私は理性を保てる女!

「だからさぁ! 俺はそんな荷物持ちなんかのためにこんな危険なことしたくねーんだよ」
「行かないでアカイ。私はあなたの力が必要なの。どうか山を下りるまで一緒に」
「はっ! そうやってお願いしているけどよぉ。どうせ俺のことなんかただの荷物持ちとしか思ってねーんだろ! 阿保草。これぞ男の好意搾取のクソ女ムーブだよな! 男の優しさはいくらでも奪っていいと思ってんだろ、じゃあな!」
「それは……」
 去っていく足音に対してシノブの心は千地に乱れる。だってあなたは私のことを好きで愛しているんだから親切にして当然でしょ? むしろなんでしないの? とシノブは思うも反対にこうも思った。賢いからこんな思考方法が可能なのである。客観的に考えて逆だったらすごく嫌だな、と。

 いいや駄目駄目冷静になれとシノブは自身の心がふたつに別れたのを感じた。あなたは若くて綺麗でアカイは老けていてカッコ悪い、よってアカイがあなたに尽くすのは当然なの! 一緒にいることこそが褒賞であり、またはあなたの力になることさえ光栄でその冴えない人生における光り輝く一瞬でもあるの。だから悪いと思うこともなく堂々としなさい。その堂々としている態度もまたアカイにとってはご褒美なのよ。シノブはセルフ励ましの言葉をもらい頷いた。そうだ、アカイと私は違うのだ。平等ではない。身分が違う。よって問題なし。
 
 だからこれで……いいえあなたは何を言っているの! どこのだれがこんな自己中心思考に納得するというの! 説得不能過ぎる! もう一方から声が掛かりシノブは言葉が詰まる。やっぱり、駄目なのかしら? 駄目! いい加減調子に乗るんじゃない! アカイはあなたに好意を持っているけれどあなたはアカイに好意を抱いていないでしょ? それはまさしく詐欺行為に近いのよ。さながら水商売の女の思考で堅気の女がすることじゃない! または散々働かせておきながらあとで給料を与えない雇用主のような図々しさでもってあなたはアカイを取り扱っている。そんなことは人道的に許されないことよ。もしもこんなに好意を利用しているのなら、あなたはアカイに良くしないといけないのだけれど、そうする気は毛頭ないんでしょ? だってあなたには王子がいるし結婚が待っている。それなのにそれを隠して付き合っているなんてこれはもう浮気に近いことよ。

 そんな! とシノブは自分の心の声に愕然とする。私はそんなつもりは全くない。だってこの男が勝手に私に親切にしてくれるのだから。シノブの反応に心の声は即返した。だったらいまのアカイの言葉を肯定して引き留めるんじゃありません! その荷物を苦労して持っていきなさい。一人で歩きなさい。一人で行くのです。ここまで来ておいて一人! 想像するだけでシノブは耐えきれない。山登りで既に疲労が蓄積しているというのに、荷物は買い物でさらに重くなっているというのに、これは命に関わる問題と化している。ここは……妥協を……我慢を……するほかあるまい!

「あの、アカイ。お願い行かないで。あなたが必要なの」
 あまりにも苦々しいがシノブは頭を下げた。するとアカイは足を止め、戻ってくる。

「その荷物を持ったらあんた俺に何してくれるわけ?」
 こいつ調子に乗って、とシノブは心の中で怒りに満ちたが堪えた。最低限に留まらせなければならない、その妥協点は。

「手を繋いで歩きましょ……」
 鼻で笑うアカイの声にシノブは憎悪の叫びをあげたくなったが呑み込んだ。こいつ、本当に許せない。

「子供かよ。まぁいいぜ。あんたみたいな高慢ちきな女がそう言うのなら繋いでやる。ほら手を出して」
 霧の中から手が差し出されシノブは恐る恐る手を伸ばしてその指先に触れた瞬間に手が引っ込み構えた。恐怖は瞬時に闘争心へと転換する。

「なにその警戒心? あんたってどこまでも俺を馬鹿にしてどんだけ醜い心を持ってんだな」
「違う。あなたはアカイじゃない」
 アカイは目を見開きシノブを見た。
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