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第17章、千晴編
【14】夢のはじまり
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「何の面白みもない親父なのに。受け入れてくれてる女がいるんだって驚いたけど、まさかそれがちーちゃんだとは。どこで繋がってるかわかんないね」
惇君の考えに触れて、心のどこかで持っていた罪悪感のようなものが少しだけ薄らぐ。
「赤ちゃんの名前は考えてるの?」
「ううん、全然」
「じゃー俺が決めよ。……サトシとチハルを合わせてサトルでいいんじゃない」
「………かわいいけど、安易すぎない?」
肯定も否定もしないでいると、惇君は何かを思い出したように苦々しい顔をする。
「サトルもサッカーさせられんだろな~。俺みたいに無理矢理……。全っ然向いてなくて泣いて辞めたけど」
苦笑…。
想像できすぎる。
惇君の子供時代の話は、聞いていて微笑ましい。
愛情がなかったとは思わない。
愛情を与えられていないとこうは育たないだろうと思う。
しばらく話していたら、玄関のドアが開く音がした。
「あ、親父帰ってきた。じゃあ俺帰ろ。ちーちゃんに会いにきただけだし」
惇君がとても優しい人だって、先生はもちろんのこと、私もわかっている。
私のことも先生のことも気に掛けて、様子を見に来てくれていることも。
先生がバッグを置くと、惇君は掛けていたコートを取り、羽織り始めた。
「もう少しゆっくりして行かないのか」
「これからデートだし、また来るよ」
東京で暮らしている惇君用に、ひとつ部屋を空けてあるけど、いつも泊まって行くことはない。
「部屋勿体ないよー。俺のためにおいとくなら、サトルに使ってよ」
「サトル?」
「この子です……今名付けられました」と、私はお腹を指差した。
惇君が帰った後。
先生は、私と同じデカフェのコーヒーを飲みながら、先日撮ったエコー写真を眺めていた。
「男か……」
ぼそりと呟いたのを聞き逃さない。
「え。哲さんまで『女の子が良かった』なんて言わないで下さいね」
「誰だ?そんなこと言った奴は」
ふふっと笑うと、先生は、「全く…」と頭を掻いていた。
「千晴ちゃん!だいぶふっくらしたねぇ、お腹」
仕事帰りに寄ったお惣菜屋さんのレジには、腰をさすっている女将さんがいた。
「女将さん!腰大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫ではないね~。お店も随分休んじゃって、この先どうするか考えてるんだよ。こうして、短い時間のお手伝いなら大丈夫なんだけど……」
女将さんが腰を痛めてしまい、最近は小料理屋を閉じている。
女手ひとつで回してきた店だが、潔く辞めて、惣菜屋一本でやっていく道も考えているらしい。しかし閉店を惜しむ声は多い。
「息子のお嫁さんも、いつおめでたになるかわからないしね。息子が小料理屋継ぐ道もあるけど、お嫁さんに負担掛けたくないしねぇ…。哲先生は元気?」
レジを打ってもらいながら話をする。
「元気ですよ。というか、いつもと変わりません」
「そう。それなら安心だね」
話していると、店の奥からお嫁さんが出てきた。休憩中だったようだ。
「お義母さん、ありがとうございました。替わります」
お嫁さんは、華美な雰囲気のない、慎ましく芯の強そうな雰囲気。
息子さんとは調理師の専門学校時代に知り合って、長くつきあった末結婚したそうだ。
「お嫁さんは小さい頃から苦労してる子だから、すごくしっかりしてるんだよ。あのバカ息子とも飽きずに一緒にいてくれるんだから、感謝しないとね」と女将さんは話していた。
手抜きで申し訳ないけれど、その息子さんとお嫁さんが作ったおいしいお惣菜で晩御飯。
先生が帰ってきて、二人で食卓を囲んだ。
女将さんの話をすると、先生は
「変わらないものなんてないのかもしれないな」
と呟いた。
それは、先生自身にも言っているような気がして。
私は、じっと先生を見つめた。
「……何だ?」
「私はずっと、好きですよ。哲さんのこと。変わらないですよ」
先生は、俯きながらノンアルビールを飲み、少しだけ口角を上げる。
想いは変わらないよ。
きっと。
◇◇◇
「マジでショックだわぁ……いろんな意味で」
「まだ言いますか……」
2月末の最後の出勤は倉谷先生と同じバスだった。
その前日、先生が出張だったからだ。
「教師と元教え子で、偶然再会して結婚なんて、どんだけロマンチックなんだよ。俺も女子のいる学校に勤めりゃよかったよ!」
噂は回るもので、この頃には倉谷先生にも、吉川先生経由で馴れ初めを知られていた。
優先座席に私を座らせ、前に立ってぼやき続けている。
「倉谷先生は絶対紅葉のままでいいと思いますよ」
「出会いがねえんだよ…!」
何だか不憫になってきて、大きなお腹でつい「誰か紹介しましょうか?」と言ってしまう始末。
「マジ!?紹介して!かわいい子!」
「出産して落ち着いてからでいいですか」
「くそ……!いつだよ!」
こんな掛け合いも終わりかと思うと少しだけ寂しい。
週数が進むごとに校内を駆け回ることはなくなった。
自由に動けない分、庶務の効率化をいくつか考えたら採用してもらえて、ちょっとだけこの職場に貢献できたような気がしている。
「須賀ちゃん!1年たらずだったけど、ありがとう!ベビちゃんが育ったらまた戻ってきてね!」
と、有馬さん。
心なしか目は潤んでいる。感激屋な有馬さんらしい。
「藤田さん、またお茶しようね!元気なお子さん産んでね!」
とは、飯島さん。
二人いた育休メンバーのうち、一人は事情で退職になってしまったそうだが、先に復帰を果たした飯島さんは家が近く、地域の子育て環境事情を知る、ありがたい存在だった。
夏にできたお惣菜屋さんがおいしいという話で意気投合したのがきっかけで、一気に仲良くなった。
体調のこともあり、送別会はなくしてもらった。
最後は挨拶をして、花束をもらって。
帰りは、フェンスの外から放課後のサッカー部を見て、最後の光景を目に焼き付ける。
「遅いんだよタイミングが!!」
「ハイ!」
扱いてるな~と苦笑いして見ていると、先生が私に気づいた。
あ、やばい。
校内では接触しちゃいけないんだったのに、見つめてるのバレちゃった。
と思っていたら、先生が掛け寄ってきた。
惇君の考えに触れて、心のどこかで持っていた罪悪感のようなものが少しだけ薄らぐ。
「赤ちゃんの名前は考えてるの?」
「ううん、全然」
「じゃー俺が決めよ。……サトシとチハルを合わせてサトルでいいんじゃない」
「………かわいいけど、安易すぎない?」
肯定も否定もしないでいると、惇君は何かを思い出したように苦々しい顔をする。
「サトルもサッカーさせられんだろな~。俺みたいに無理矢理……。全っ然向いてなくて泣いて辞めたけど」
苦笑…。
想像できすぎる。
惇君の子供時代の話は、聞いていて微笑ましい。
愛情がなかったとは思わない。
愛情を与えられていないとこうは育たないだろうと思う。
しばらく話していたら、玄関のドアが開く音がした。
「あ、親父帰ってきた。じゃあ俺帰ろ。ちーちゃんに会いにきただけだし」
惇君がとても優しい人だって、先生はもちろんのこと、私もわかっている。
私のことも先生のことも気に掛けて、様子を見に来てくれていることも。
先生がバッグを置くと、惇君は掛けていたコートを取り、羽織り始めた。
「もう少しゆっくりして行かないのか」
「これからデートだし、また来るよ」
東京で暮らしている惇君用に、ひとつ部屋を空けてあるけど、いつも泊まって行くことはない。
「部屋勿体ないよー。俺のためにおいとくなら、サトルに使ってよ」
「サトル?」
「この子です……今名付けられました」と、私はお腹を指差した。
惇君が帰った後。
先生は、私と同じデカフェのコーヒーを飲みながら、先日撮ったエコー写真を眺めていた。
「男か……」
ぼそりと呟いたのを聞き逃さない。
「え。哲さんまで『女の子が良かった』なんて言わないで下さいね」
「誰だ?そんなこと言った奴は」
ふふっと笑うと、先生は、「全く…」と頭を掻いていた。
「千晴ちゃん!だいぶふっくらしたねぇ、お腹」
仕事帰りに寄ったお惣菜屋さんのレジには、腰をさすっている女将さんがいた。
「女将さん!腰大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫ではないね~。お店も随分休んじゃって、この先どうするか考えてるんだよ。こうして、短い時間のお手伝いなら大丈夫なんだけど……」
女将さんが腰を痛めてしまい、最近は小料理屋を閉じている。
女手ひとつで回してきた店だが、潔く辞めて、惣菜屋一本でやっていく道も考えているらしい。しかし閉店を惜しむ声は多い。
「息子のお嫁さんも、いつおめでたになるかわからないしね。息子が小料理屋継ぐ道もあるけど、お嫁さんに負担掛けたくないしねぇ…。哲先生は元気?」
レジを打ってもらいながら話をする。
「元気ですよ。というか、いつもと変わりません」
「そう。それなら安心だね」
話していると、店の奥からお嫁さんが出てきた。休憩中だったようだ。
「お義母さん、ありがとうございました。替わります」
お嫁さんは、華美な雰囲気のない、慎ましく芯の強そうな雰囲気。
息子さんとは調理師の専門学校時代に知り合って、長くつきあった末結婚したそうだ。
「お嫁さんは小さい頃から苦労してる子だから、すごくしっかりしてるんだよ。あのバカ息子とも飽きずに一緒にいてくれるんだから、感謝しないとね」と女将さんは話していた。
手抜きで申し訳ないけれど、その息子さんとお嫁さんが作ったおいしいお惣菜で晩御飯。
先生が帰ってきて、二人で食卓を囲んだ。
女将さんの話をすると、先生は
「変わらないものなんてないのかもしれないな」
と呟いた。
それは、先生自身にも言っているような気がして。
私は、じっと先生を見つめた。
「……何だ?」
「私はずっと、好きですよ。哲さんのこと。変わらないですよ」
先生は、俯きながらノンアルビールを飲み、少しだけ口角を上げる。
想いは変わらないよ。
きっと。
◇◇◇
「マジでショックだわぁ……いろんな意味で」
「まだ言いますか……」
2月末の最後の出勤は倉谷先生と同じバスだった。
その前日、先生が出張だったからだ。
「教師と元教え子で、偶然再会して結婚なんて、どんだけロマンチックなんだよ。俺も女子のいる学校に勤めりゃよかったよ!」
噂は回るもので、この頃には倉谷先生にも、吉川先生経由で馴れ初めを知られていた。
優先座席に私を座らせ、前に立ってぼやき続けている。
「倉谷先生は絶対紅葉のままでいいと思いますよ」
「出会いがねえんだよ…!」
何だか不憫になってきて、大きなお腹でつい「誰か紹介しましょうか?」と言ってしまう始末。
「マジ!?紹介して!かわいい子!」
「出産して落ち着いてからでいいですか」
「くそ……!いつだよ!」
こんな掛け合いも終わりかと思うと少しだけ寂しい。
週数が進むごとに校内を駆け回ることはなくなった。
自由に動けない分、庶務の効率化をいくつか考えたら採用してもらえて、ちょっとだけこの職場に貢献できたような気がしている。
「須賀ちゃん!1年たらずだったけど、ありがとう!ベビちゃんが育ったらまた戻ってきてね!」
と、有馬さん。
心なしか目は潤んでいる。感激屋な有馬さんらしい。
「藤田さん、またお茶しようね!元気なお子さん産んでね!」
とは、飯島さん。
二人いた育休メンバーのうち、一人は事情で退職になってしまったそうだが、先に復帰を果たした飯島さんは家が近く、地域の子育て環境事情を知る、ありがたい存在だった。
夏にできたお惣菜屋さんがおいしいという話で意気投合したのがきっかけで、一気に仲良くなった。
体調のこともあり、送別会はなくしてもらった。
最後は挨拶をして、花束をもらって。
帰りは、フェンスの外から放課後のサッカー部を見て、最後の光景を目に焼き付ける。
「遅いんだよタイミングが!!」
「ハイ!」
扱いてるな~と苦笑いして見ていると、先生が私に気づいた。
あ、やばい。
校内では接触しちゃいけないんだったのに、見つめてるのバレちゃった。
と思っていたら、先生が掛け寄ってきた。
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