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第17章、千晴編
【5】スタートライン
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「うちの子が高校生の時にね、哲先生には本当にお世話になったの。人様に顔向けできないようなことばかりしてね。…結局高校は中退したんだけど、先生はその後も様子を見に来てくれたりして。うちの店と哲先生のご実家が近かったから、よく食べに来てくれたの。あの子の様子も気に掛けてくれてね」
私の知らない、先生の話。
女将さんは尚も話を続ける。
「うちに来られる時はいつも一人よ。先生があのマンションに越してきてからは、ほとんど毎日通ってくれてて。まあ、あのとおり自炊しない人だし、うちでお夕飯済ます感覚だったんだろうけどね……」
少し沈黙になり、女将さんは私に向き合った。
「――だからね。誰か支えてあげてほしいなって思ってたの。いろいろあると思うけど、あたしは応援してる」
女将さんの想いが痛いほど伝わってきて、喉の奥が熱い。
「おばさんの願いが重荷になったらごめんね」と謝られ、横に首を振ったら、安堵した表情で笑い返してくれた。
「それにしても哲先生ってば、こんな可愛い子泣かして、何やってるんだろうね~!お説教したい気分だわ!」
「ふふっ…」
誰かに、先生といることを認められて、こうやって励まされるなんて、思いもしなかった。
女将さんの励ましが不安を取り去っていく。
「また煮詰まったらおいで。二人で来てもいいし、一人で来てもいいし。でもその前に、ちゃんと話しなさいね。哲先生にも。わかってほしい人たちにも。泣くのは、それからでいいのよ」
ポン、と背中を押されて、心に新しい希望が灯る。
「ありがとうございました。また、来ます」
女将さんにお礼を言って、のれんをくぐり外へ出た。
軒下から、星が広がる夜空を見上げていたら、惣菜屋のシャッターを閉めている男の人がいた。
私が小料理屋から出てきたと気づいたその人は「ありがとうございます」と言う。
「ごちそうさまでした…」
というと、男の人は止めてあるバイクからメットを出し私に頭を下げた。
この人が、女将さんの息子さんかな?
フルフェイスのメットで、完全に顔がわからない。
その人はバイクに跨りエンジンをかけると、また私にぺこりと頭を下げ、バス停方面の道を下っていった。
私も、バス停方面に歩き出そうとして………立ち止まった。
やっぱり、帰れない。
一回顔を見てから、帰ろう。
バッグからスマホを出してみたら、先生からのメールが1件入っていた。
『もう家に着いたのか?』という一文。
いろんなものを背負って、追いかけられない代わりに、こうしてメールをくれているのかな。
……私のこと、逃したくないと思ってる?
私は、先生のマンション方面に歩き出しながら、スマホを耳に当てた。
先生はすぐに電話に出てくれた。
「まだ、バスには乗ってません。先生の家に戻ってもいいですか?」
そう言うと、先生の声色が変わった。
『どこにいたんだ、こんな夜中に』
「夜中ってまだ10時ですよ」
『夜は夜だろうが!』
ヤバい、さらに怒らせちゃった…!!
ヒールが折れそうなほどカツカツ走ってエントランスに着いたら、エレベーターから先生が下りてくるのが見えた。
私を見つけると、駆け寄ってきて自動ドアが開く。
「……心配させるな……!」
先生は焦ったように顔を歪ませ、私の腕を引っ張り、そこに留まるエレベーターへと進んだ。
「哲さん、ごめんなさい」
「……無事ならいい」
エレベーターに乗っても、先生はこっちを向いてくれない。
「哲さん…」
最上階のフロアに着き、手を引かれながら、廊下を歩く。
先生は何も答えてくれない。
ドアを開けて引き入れられ、そこでようやく先生が振り向いた。
「……すまない」
掴まれていた腕がゆっくりと離された。
「私こそすみません…めんどくさい奴で…」
立ち止まって項垂れていると、先生はスニーカーを脱いで部屋に上がる。
「めんどくさいのは知ってるよ。それでもいいんだ。俺も言葉が足りないから……ためずに思ってる事を言ってくれると助かる。……それと、夜はうろうろするんじゃない。襲われたらどうする」
「ここ、治安いいじゃないですか」
「俺が心配なんだよ」
ぐしゃぐしゃと頭を掻く先生に、少しときめきながらサンダルを脱いで、家に上がった。
怒らせちゃったけど、心配してもらえるのは嬉しい。
先生はまだお風呂に入っていなかった。
一緒に入りながら、おしゃべりをすることにした。
バス停に下る途中、女将さんが声をかけてくれて、お店でお茶をいただいたと伝えたら、先生は「女ふたりに何を言われてるかわかったもんじゃないな」と首を竦めていた。
「いい先生だっておっしゃってましたよ」
女将さんが先生に感じている恩が伝わってきて、心から幸せを願っているのがわかって。
先生は、照れているのか、何も言わなかった。
「……今日はずっと考え事してただろう。何か言いたいことがあるなら、今ここで言え」
ちゃぷ、と水面を揺らして、先生が私の前髪をすくった。
指越しに見える先生の黒い瞳が真っ直ぐに私を捕らえる。
「合鍵がほしいです……」
「…………そんな事か。」
平然と答える先生。
「そんなことー!?全然そんなことじゃないですよ!私にとっては!」
「ああ、すまない。……やっぱり、俺と付き合うのはやめるって言うのかなと思ってたから。キスしても嫌がるし」
「そんなこと言うわけ……」
反論しようと思ったけど、やめた。
私と同じように、先生も不安だったの?
そう思うと、きゅーっと胸が苦しい。
思いっきり抱きつくと、二人の顔にざぶんとお湯が掛かった。
「おい…」
「ごめんなさい…濡れちゃいましたね」
髪にお湯を滴らせながら笑い合い、吸い寄せられるように唇を重ねた。
私の知らない、先生の話。
女将さんは尚も話を続ける。
「うちに来られる時はいつも一人よ。先生があのマンションに越してきてからは、ほとんど毎日通ってくれてて。まあ、あのとおり自炊しない人だし、うちでお夕飯済ます感覚だったんだろうけどね……」
少し沈黙になり、女将さんは私に向き合った。
「――だからね。誰か支えてあげてほしいなって思ってたの。いろいろあると思うけど、あたしは応援してる」
女将さんの想いが痛いほど伝わってきて、喉の奥が熱い。
「おばさんの願いが重荷になったらごめんね」と謝られ、横に首を振ったら、安堵した表情で笑い返してくれた。
「それにしても哲先生ってば、こんな可愛い子泣かして、何やってるんだろうね~!お説教したい気分だわ!」
「ふふっ…」
誰かに、先生といることを認められて、こうやって励まされるなんて、思いもしなかった。
女将さんの励ましが不安を取り去っていく。
「また煮詰まったらおいで。二人で来てもいいし、一人で来てもいいし。でもその前に、ちゃんと話しなさいね。哲先生にも。わかってほしい人たちにも。泣くのは、それからでいいのよ」
ポン、と背中を押されて、心に新しい希望が灯る。
「ありがとうございました。また、来ます」
女将さんにお礼を言って、のれんをくぐり外へ出た。
軒下から、星が広がる夜空を見上げていたら、惣菜屋のシャッターを閉めている男の人がいた。
私が小料理屋から出てきたと気づいたその人は「ありがとうございます」と言う。
「ごちそうさまでした…」
というと、男の人は止めてあるバイクからメットを出し私に頭を下げた。
この人が、女将さんの息子さんかな?
フルフェイスのメットで、完全に顔がわからない。
その人はバイクに跨りエンジンをかけると、また私にぺこりと頭を下げ、バス停方面の道を下っていった。
私も、バス停方面に歩き出そうとして………立ち止まった。
やっぱり、帰れない。
一回顔を見てから、帰ろう。
バッグからスマホを出してみたら、先生からのメールが1件入っていた。
『もう家に着いたのか?』という一文。
いろんなものを背負って、追いかけられない代わりに、こうしてメールをくれているのかな。
……私のこと、逃したくないと思ってる?
私は、先生のマンション方面に歩き出しながら、スマホを耳に当てた。
先生はすぐに電話に出てくれた。
「まだ、バスには乗ってません。先生の家に戻ってもいいですか?」
そう言うと、先生の声色が変わった。
『どこにいたんだ、こんな夜中に』
「夜中ってまだ10時ですよ」
『夜は夜だろうが!』
ヤバい、さらに怒らせちゃった…!!
ヒールが折れそうなほどカツカツ走ってエントランスに着いたら、エレベーターから先生が下りてくるのが見えた。
私を見つけると、駆け寄ってきて自動ドアが開く。
「……心配させるな……!」
先生は焦ったように顔を歪ませ、私の腕を引っ張り、そこに留まるエレベーターへと進んだ。
「哲さん、ごめんなさい」
「……無事ならいい」
エレベーターに乗っても、先生はこっちを向いてくれない。
「哲さん…」
最上階のフロアに着き、手を引かれながら、廊下を歩く。
先生は何も答えてくれない。
ドアを開けて引き入れられ、そこでようやく先生が振り向いた。
「……すまない」
掴まれていた腕がゆっくりと離された。
「私こそすみません…めんどくさい奴で…」
立ち止まって項垂れていると、先生はスニーカーを脱いで部屋に上がる。
「めんどくさいのは知ってるよ。それでもいいんだ。俺も言葉が足りないから……ためずに思ってる事を言ってくれると助かる。……それと、夜はうろうろするんじゃない。襲われたらどうする」
「ここ、治安いいじゃないですか」
「俺が心配なんだよ」
ぐしゃぐしゃと頭を掻く先生に、少しときめきながらサンダルを脱いで、家に上がった。
怒らせちゃったけど、心配してもらえるのは嬉しい。
先生はまだお風呂に入っていなかった。
一緒に入りながら、おしゃべりをすることにした。
バス停に下る途中、女将さんが声をかけてくれて、お店でお茶をいただいたと伝えたら、先生は「女ふたりに何を言われてるかわかったもんじゃないな」と首を竦めていた。
「いい先生だっておっしゃってましたよ」
女将さんが先生に感じている恩が伝わってきて、心から幸せを願っているのがわかって。
先生は、照れているのか、何も言わなかった。
「……今日はずっと考え事してただろう。何か言いたいことがあるなら、今ここで言え」
ちゃぷ、と水面を揺らして、先生が私の前髪をすくった。
指越しに見える先生の黒い瞳が真っ直ぐに私を捕らえる。
「合鍵がほしいです……」
「…………そんな事か。」
平然と答える先生。
「そんなことー!?全然そんなことじゃないですよ!私にとっては!」
「ああ、すまない。……やっぱり、俺と付き合うのはやめるって言うのかなと思ってたから。キスしても嫌がるし」
「そんなこと言うわけ……」
反論しようと思ったけど、やめた。
私と同じように、先生も不安だったの?
そう思うと、きゅーっと胸が苦しい。
思いっきり抱きつくと、二人の顔にざぶんとお湯が掛かった。
「おい…」
「ごめんなさい…濡れちゃいましたね」
髪にお湯を滴らせながら笑い合い、吸い寄せられるように唇を重ねた。
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