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彼が救われた日 3
しおりを挟むカミルには産まれた時から換算しても、自分を愛してくれた人間は、二人しか知らない。彼女たちはたまたま王宮に自分のように幽閉されていた、血の近い少女二人だった。
それ以外が本当に居なかったのかというと、実際のところは、きっと母親はお腹の中にいるときに愛してくれていたと思うのだ、しかし、カミルを産んですぐに死んでしまったのでその愛情を感じたことは無い。
家族は他に、兄が一人と、父だけであり、父である、国王は女遊びが好きにも関わらずに、王妃以外をまったく王室に入れない主義の人間だった。それが王位継承争いを激化させたくないからなのか、それとも単に毎日違った女と遊びたいからなのかは、幼いカミルにはわからなかった。
それに、カミルは王妃に似て、可愛らしい顔をしているけれども、その顔の右目をから額にかけて大きな痣がある、これは単なる身体的特徴にすぎなかったが、この精霊の国であるユルニルド王国では魔物へと転変する兆しととらえられ倦厭されていた。
だから、カミルの面倒を見る侍女たちも、できるだけカミルに触らないようにしていたし、なんなら死なない程度にしか育児をされなかった。
カミルの記憶の中でもっとも古くて印象に残っているものは、部屋の中で転んで派手に鼻血を出してしまった時の事である。
ぼたぼたと鼻血を流しているカミルにハンカチを渡して、カミルの侍女たちは、ぶつけてカミルの血の付いた机を誰が掃除するかで、その場で揉めだしたのである。
そして一番新入りが、泣きながらその血をたくさんの涙をこぼしながら掃除しているのを眺めて思った。
……僕って存在しない方がいいの、かも。
と愛されたこともなかったので、悲しいというよりも客観的にそう思ったのだ。確かに血はきれいなものではないし、触れたくないのも分かるが、汚物のように扱われると、自分の存在という物が周りにどう思われているのか浮き彫りになってわかるのだった。
しかし、そうは思ったものの、流石にそう簡単に受け入れられるものでもなく、カミルは自由に走り回れる頃の歳になってから、兄に会いに行こうと何度か部屋からの脱走を試みた。
そのころには少しおどけた言動をとることも増えていったような気がする。そんななか、侍女の交代の時間の隙をついてカミルは自分の部屋の外に出ることに、成功した。
生まれてから一度も出たことがない廊下は広くて、自分の部屋がいかに窮屈かを思い知ったのである。
そして、暫く走り回って同じ城に住んでいる、兄であるハンスを見つけた。どんな反応をするのか、カミルは楽しみにしていた。ほんの少しも弟の自分を可愛がってくれるのではないか、という期待がなかったかと問われれば嘘になる。
けれども過度な期待はしていなかったし、そもそも大切にされたことがなかったので、その想像すらできていなかったのだ。
たくさんの人に囲まれて、なにかのゲームにいそしんで、楽しそうにしている兄を見つけて、声を掛けた。
「兄さまっ!」
屈託のない子供の声だ。その声に気が付いて、入ってきたカミルの姿を見た。その瞬間、鼻高々としていて愉悦に浸ったその表情が、見る見るうちに歪んで憎悪に塗り替えられるのをカミルは目を見開いてみていた。
「何故ここにいる、お前っ!!!私に近寄るな!!病が移るだろう!!」
「っ……」
大きな声で怒鳴られて、すぐに部屋の中にいた、近衛騎士によってカミルは捕らえられた。それからハンスはありとあらゆる罵詈雑言で、カミルの事を罵った。その内容にはカミルのせいで、愚鈍で地味な愛嬌のない女と結婚させられることになったという恨み言も入っていた。
エーデルシュタインは正当な王家ではあり、この家自体に権威はあるが力はない、今のところは国王が優遇をしている貴族派閥から支持を受けて大きな顔をしている。
しかしバルシュミューデ公爵家をつぶしてからというものその支持基盤が危うくなっていた。
調和師は貴族にとっても必要な力、それを奇妙な新興宗教の中に入れ独り占めし、さらには人々の信仰によって生まれる魔力を売り払うことによって大量の金銭的な力を手にしていた。
そんな中での、カミルの誕生は、王族の立場を弱くした。王族がテザーリア教団を国に入れることを反対した調和師の家系は、王族にも貴族にも必要なものであったと、ほら見ろと言わんばかりに貴族たちに反発された。
それを逆手に取り、調和師の血を受け継ぐフィーネを将来の王妃にと提案をしたのがエルザであり、それで調和師の家系はより強く守られると多くの貴族が納得したのだ。
そんな理由もあり、フィーネとハンスの婚約は、本人たちの意思には関係なく、政略として取り決められ、本来、自分の好きな人間を選べるはずであった、ハンスのプライドをズタボロにしたのだった。
そんな、事とは露知らず、フィーネは必死にハンスの機嫌をとり仲良くなろうと努力していたし、実兄であるハンスをカミルも慕いたいと思っていたのだが、それは大きく育ったプライドを傷つけられたハンスの前では、無力なものだった。
そのまま部屋へともどされて、カミルは父にも会いに行ってみようかと、反骨精神でそう思った。傷つけられたような気もしたし、なにも知らない純朴な心にただただ嫌な気持ちが、生まれてからずっとたまり続けているようなそんな心地だった。
父親へはそう簡単に会うことができなかった。一国の王でありやはり一筋縄ではいかない。カミルが部屋から抜け出しても、父親の部屋にたどり着く前にいつも見つかって連れ戻されてしまうのだ。
しかし、カミルには魔法の才能があった。騎士たちを退けてなんとか、謁見の間にいる父と相見えると、父親は少し驚いて、それから、こちらも兄とよく似た表情を作って、とても醜いものでも見るようにカミルの事をみた。
「貴様、まだ生きておったのか、恥さらしめが」
抑揚なくそう言われて、ああこんなものかと、自分の家族に幻滅した。このころには、難しい本もそれなりに読めるような歳になっていて、自分の欲求も気が付いていた、しかしその方法も分からないし、あきらめる方が無難な気がしていた。
自身の存在は親族に迷惑をかけ、使用人にも嫌われて、望むこと以外にまったく別の、しかし当然な気持ちがカミルの中には存在していた。
……消えてしまえたら、いいのかもしれないよね。
ただ部屋の中で、外界を夢見て誰かに自分という存在を認識してほしい、そう思っているカミルの気持ちとは大局的な願いだった。それは日に日に大きくなっていった。
そんな中、部屋に突然自分よりもいくらか年上の銀髪の少女が現れた。
「望みをおっしゃい。わたくしはお前の死神よ。お前の望みをかなえる代わりに人としての死を与えて差し上げるわ」
そう、平然と言うのだった。外の世界を本と使用人の世間話でしか知らないカミルは、こういったことも、稀にあるのかもしれないと、思ってさほど驚く事もなく、首をかしげて聞く。
「人としての死というのはどういう意味?」
「そのままですわ。多くの場合それは転変と呼ばれる事象ですのよ」
「……僕がいずれそうなるって言われてるやつって事」
「ええ。しかし、お前のそれは生憎、予兆ではないわ。けれどもそう見える体の特徴があるだけですの。だからわたくしお前が不憫ですのよ」
夜の闇の中、突然現れた少女は美しくて、嫋やかな銀髪は美しく揺れて微かに光をはらんでいた。
それは、人とはかけ離れている存在のように思えるのに、不思議と恐怖は感じない。
カミルは、いつか転変して魔物になり処分されるという運命にあるのだと一応説明はされていた。しかしながらそうならずにただ、それに似ているだけで、こうしてたくさんの人から蔑まれてこれからも同じように生きていくだなんてなんて、運が悪かったのだろうと思う。
それを実際の事にしてくれると言うこの少女は、カミルを救ってくれるのか、それとも本当に転変したら処刑さるだけなのかは区別をつけることができなかった。
「死にたくはないよ。でもこのままずっとここにいるのも良くないとはわかってるんだ」
「……人としては死にますけれど、別に生物としては生きながらえることになりますわ。王室が処刑を選ぶかどうかは、お前の望みに寄りますけれど」
「……君ってなんでそんなことができるの?」
「そういう力をもっているからとしか説明のしようありませんわ」
質問をすると、意外にもきちんと返してくれて問答無用で選べというわけではなさそうなことにカミルは安堵しつつ、考えてみた。一生このままというのは、カミルの望むところではない、しかし実際に魔物になっても迷惑だろうと。
「それから、そんな権威のない呼び方はよしてくださる?これでもわたくし精霊の王ですのよ」
精霊というと、魔法を使うときに、必ず必要なあの存在だろう、それの王様がいるなんて話は聞いたことがなかったが、それでも、王様ならば特別な力を持っていても不思議ではないのかもしれない。
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