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初恋 1

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 あんなことがあった次の日だというのに、朝の日が昇らない時間から起きだして、せかせかと様々な手配をしているフィーネのことを、働き者を通り越して、労働中毒者なのではないかとカミルは思った。

 しかし、そうでもしなければ、この領地の領主としての体面を保てないのだろうとも思う。なぜなら、昨日のうちにフィーネをおとりに逃げた二人はエドガーがいる王都へと勝手に向かってしまったそうなのだ。

 そうなると被害状況を確認したり、事後処理をしながら、この地まで救援要請を聞いて駆けつけてくれた騎士二人も、もてなさなければならないのだ。それにこれからも優先的に来てほしいと望むのであれば、謝礼を渡すなり、豪華な食事を用意するなり、やらなければならないことは沢山あるのだった。

 身軽に動いている精霊騎士であっても貴族、部屋をあてがい従者をあてがい、その采配を昨日ダウンしていたフィーネが振るうのは、彼女以外に貴族がいないこの屋敷で彼女にしかできない仕事だった。

 町の方も今日ばかりは活動を開始するのがはやい。魔物が出たというのは、危険であり回避するべき事項であるのだが、出たら出たで、凶暴であれば凶暴なほど、魔力をよく含んだ上質な魔法道具の原料になったり、装飾品になったりするのだ。

 それらは、希少であり高価な代物だ。町を潤し、魔物が出た分の損害を取り戻すために使われるが、仕留めたのは騎士であり、その魔物の素材の取り分については領主と騎士の話し合いによって決められる。

 つまりはうまくやらなければ、領地に損害を出しただけになる可能性もあるのだ。

「今日分の食材は、幸い二人分浮くはずですから、それを回してください、それ以降は少し多めに仕入れるように。それから今日のメニューは、ボリュームをいつもより多く品数を増やしてください、男性ですからそのあたりも配慮をお願いします」
「承知いたしました、フィーネ様」
「よろしくお願いします」

 いいながらフィーネは歩き出して厨房から出ていく。それにカミルは姿を消してついていく。次に向かった場所は、裏口の洗濯場だった。

 朝一で昨日の汚れものを洗濯している使用人と町の者と協力して、魔物の解体をしている二手に分かれている状態で、魔獣はあらかた処理されて、牙や爪、内臓からとれる素材などを大きな台の中に丁寧に並べられている。

「おはようごさいます!進捗と素材の確認に来ました」

 洗濯場にいる全員に聞こえるような良く透き通った声でフィーネはそう声を掛けて、明るい笑顔を浮かべた。慌てて仕事を止めて、頭を下げようとする使用人たちに「仕事を続けてくださって構いません」と制止して、素材を並べている大きな台の方へとよる。

「少し素材を見せてもらうわね」
「かしこまりましたっ」

 魔物の解体のために町から呼ばれた素材屋の跡取りはフィーネの事を商店街に来ている姿しか知らなかったので、こうして屋敷でフィーネを見て少し緊張しつつ、素材を吟味する彼女の姿を眺めた。

 今回の魔物は凶暴であっただけに、とても良質な素材がたくさん取れている。どれも貴族が取引するような高級なものばかりで、ただの素材商人が簡単に手に入れられるような代物ではなかった。

「……毛皮はやっぱり魔法に対して耐性がありそう?」
「そっ、そうですね、どれも最高級で魔法耐性が強く出ています。とくに爪は魔法道具にも使えますが装飾にも使えそうなほど美しいです」

 木の箱に詰められた、魔物の爪はまったくの無加工であるにも関わらず真っ赤な宝石のように変貌しており、血液でできた結晶のようにも見える。

「なるほど、交渉のしがいがありそうね」

 カミルがそう言ったフィーネの心を読むと、彼女は心の中でこの交渉の席にベティーナがいなくて本当に良かったと、考えていた。実際問題、ベティーナがいると自分の物欲を優先させるので、交渉が不利になりやすい。

 そんな、割と余裕そうなフィーネをカミルはなんだか意外に思った。

 だって、カミルの良く知っているフィーネは、薄幸そうであり気弱であり弱り切った女性なのだ。それでいて割と悲運に恵まれている。

 しかし、あれはどうしようもなくなってしまったから、そうであったのであって、フィーネは割と仕事のできる人間だった。

 こういう部分に、まるでカミルの助けを必要としないことにカミルも不満はない、むしろあのハンスという、少し……というか大分、王の器とは思えない人間の王妃になるべく教育されていたのだから当然ともいえる。

 ……あの人も素直にフィーネをお嫁さんにもらっておけばよかったのに、ほんとにもったいない。

 馬鹿だなーと考えながらフィーネを少し誇らしく思って、カミルも素材を見物する。なにから抽出したのかわからない瓶に入った色とりどりの謎の液体や、一つしかない丸い球体の素材。それから、爪と同様に、石化している牙の箱の中にとんでもないものを見つけて目を見張った。

 ……あの時、フィーネの魔力も取り込まれてたって事??

 思わず手に取ってその存在を隠した。なんせこれが世に出てしまったら、フィーネがひどい目に合うかもしれない事が容易に想像できたからである。

 夕日色に染まった、その美しい牙はキラキラと輝いていて、フィーネが魔法を使うときにだけ見ることができる絶対的な精霊の力が宿っている、つまり調和の魔法が宿っていることは簡単に想像できた。

「カミル?」

 姿を消しているとはいえ気配を感じられてしまったようで、フィーネが空虚に問いかける。けれど、この素材をどうするか考えた方がいい事をここで話すことは出来ないだろう。

 フィーネには返事をせずに今はいない事にして見守るだけにとどめる。

 彼女は騎士たちの前に出せるように素材を整えておくよう職人に言いつけて、カミルはその後も仕事を続けるフィーネの後を追いかけた。

 フィーネの仕事がひと段落したら、声を掛けようと考え続けてると、気が付けば午前中が終わってしまいそうだった。しかしとにかく、忙しそうだから仕方がない。

 カミルはそのきれいな牙をボンヤリしながら眺めていた。

 実はカミル自身もフィーネの力についてそれほど深くは知らなかった。昔からある家系の能力であり、その力はどういうわけかカミルを救うことができて、そしてその力を使っているときの彼女が抗いがたいほど美しい、ということぐらいしか知らない。

 だから正直カミルはこのまま黙っていてこの美しい牙を自分のものにしておきたかった。のぞき込めばいつでも美しい夕日の水面を思い出して、神にも等しい彼女に会える気がした。

 でもそれは流石に、こんな高価なものを勝手に取ったらあとでその素材の所有権を現状もっているアルノーやフォルクハルトにフィーネが糾弾されてしまう。それは避けたい事態だった。

 机に向かって、紙に素早くペンを走らせているフィーネを見る。彼女は文章を考えるのなんかまったく苦ではないようで、すらすらと文章を書き連ねていく。それを終えて、手早く封蠟し、立ち上がったところで彼女の前へと姿を現す。

「……おはよう、カミル」

 少しだけ意地悪で、驚かせようと思ったのに、フィーネは声を一つも上げずに、ニコッと微笑んでカミルに挨拶をしたのだった。眠たいし、牙を欲しいけれども手に入れられないしで、少し機嫌の悪かったカミルはフィーネの手を無造作に取って、彼女の力の宿った魔石を握らせる。

「? ……もしかして、あの場から持ってきたの」
『そー。それ、君、見せる相手は考えた方がいいよ。君の魔力でそんな風になるのはあんまり、いい予感がしないでしょ』
「……確かに」
『じゃ、今日は僕もう寝るから』
「そうなの? 私はこれから昼食と交渉にいくの、頑張ってくるわ」
『うん』

 フィーネにも自分の魔法がこんな形になることは、危険なことだと理解できたのかきちんと箱に収めてそれから出ていく。あの状態では、フィーネの意図しないところで調和師としての力がカミルのような人間を救えることが世間にばれてしまう。

 カミルだって、精霊王に聞いたり、彼女に聞いたり、自分から言ったりもしないが、それはとても重要でそして強大な事実だ。だから、あんなものが勝手に存在してはまずい。

 ……転変も元に戻せるなんて、どこまでこの力の存在が認められているのか知らないけど、貴族は魔力があって、精感が広いほど転変しやすいんだから、その危険がある貴族は皆、調和の魔法が欲しい。

 貴族が恐れるものは、大きく分けて二つ、転変と魔物。それらが一番、裕福で何不自由ない生活を送っている貴族の命を奪うものとして幼いころから、刷り込まれている。

 特に転変してしまったら、よっぽどの地位の人間でもない限りはすぐに処刑だ。それに予兆があっただけでも殺されることがあるのだから、恐れてしかるべきなのだ。

 そのどちらも、避けることができるフィーネの力は、公になれば、厄介事しかない。それをフィーネがどこまで理解しているのか、彼女のことを侮っているわけでもなかったが、あの魔石をどうするのか気になってしまい。ソファーで少し眠ろうと思っていたカミルは仕方なく、交渉の場へと向かうのだった。


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