51 / 137
初恋 1
しおりを挟むあんなことがあった次の日だというのに、朝の日が昇らない時間から起きだして、せかせかと様々な手配をしているフィーネのことを、働き者を通り越して、労働中毒者なのではないかとカミルは思った。
しかし、そうでもしなければ、この領地の領主としての体面を保てないのだろうとも思う。なぜなら、昨日のうちにフィーネをおとりに逃げた二人はエドガーがいる王都へと勝手に向かってしまったそうなのだ。
そうなると被害状況を確認したり、事後処理をしながら、この地まで救援要請を聞いて駆けつけてくれた騎士二人も、もてなさなければならないのだ。それにこれからも優先的に来てほしいと望むのであれば、謝礼を渡すなり、豪華な食事を用意するなり、やらなければならないことは沢山あるのだった。
身軽に動いている精霊騎士であっても貴族、部屋をあてがい従者をあてがい、その采配を昨日ダウンしていたフィーネが振るうのは、彼女以外に貴族がいないこの屋敷で彼女にしかできない仕事だった。
町の方も今日ばかりは活動を開始するのがはやい。魔物が出たというのは、危険であり回避するべき事項であるのだが、出たら出たで、凶暴であれば凶暴なほど、魔力をよく含んだ上質な魔法道具の原料になったり、装飾品になったりするのだ。
それらは、希少であり高価な代物だ。町を潤し、魔物が出た分の損害を取り戻すために使われるが、仕留めたのは騎士であり、その魔物の素材の取り分については領主と騎士の話し合いによって決められる。
つまりはうまくやらなければ、領地に損害を出しただけになる可能性もあるのだ。
「今日分の食材は、幸い二人分浮くはずですから、それを回してください、それ以降は少し多めに仕入れるように。それから今日のメニューは、ボリュームをいつもより多く品数を増やしてください、男性ですからそのあたりも配慮をお願いします」
「承知いたしました、フィーネ様」
「よろしくお願いします」
いいながらフィーネは歩き出して厨房から出ていく。それにカミルは姿を消してついていく。次に向かった場所は、裏口の洗濯場だった。
朝一で昨日の汚れものを洗濯している使用人と町の者と協力して、魔物の解体をしている二手に分かれている状態で、魔獣はあらかた処理されて、牙や爪、内臓からとれる素材などを大きな台の中に丁寧に並べられている。
「おはようごさいます!進捗と素材の確認に来ました」
洗濯場にいる全員に聞こえるような良く透き通った声でフィーネはそう声を掛けて、明るい笑顔を浮かべた。慌てて仕事を止めて、頭を下げようとする使用人たちに「仕事を続けてくださって構いません」と制止して、素材を並べている大きな台の方へとよる。
「少し素材を見せてもらうわね」
「かしこまりましたっ」
魔物の解体のために町から呼ばれた素材屋の跡取りはフィーネの事を商店街に来ている姿しか知らなかったので、こうして屋敷でフィーネを見て少し緊張しつつ、素材を吟味する彼女の姿を眺めた。
今回の魔物は凶暴であっただけに、とても良質な素材がたくさん取れている。どれも貴族が取引するような高級なものばかりで、ただの素材商人が簡単に手に入れられるような代物ではなかった。
「……毛皮はやっぱり魔法に対して耐性がありそう?」
「そっ、そうですね、どれも最高級で魔法耐性が強く出ています。とくに爪は魔法道具にも使えますが装飾にも使えそうなほど美しいです」
木の箱に詰められた、魔物の爪はまったくの無加工であるにも関わらず真っ赤な宝石のように変貌しており、血液でできた結晶のようにも見える。
「なるほど、交渉のしがいがありそうね」
カミルがそう言ったフィーネの心を読むと、彼女は心の中でこの交渉の席にベティーナがいなくて本当に良かったと、考えていた。実際問題、ベティーナがいると自分の物欲を優先させるので、交渉が不利になりやすい。
そんな、割と余裕そうなフィーネをカミルはなんだか意外に思った。
だって、カミルの良く知っているフィーネは、薄幸そうであり気弱であり弱り切った女性なのだ。それでいて割と悲運に恵まれている。
しかし、あれはどうしようもなくなってしまったから、そうであったのであって、フィーネは割と仕事のできる人間だった。
こういう部分に、まるでカミルの助けを必要としないことにカミルも不満はない、むしろあのハンスという、少し……というか大分、王の器とは思えない人間の王妃になるべく教育されていたのだから当然ともいえる。
……あの人も素直にフィーネをお嫁さんにもらっておけばよかったのに、ほんとにもったいない。
馬鹿だなーと考えながらフィーネを少し誇らしく思って、カミルも素材を見物する。なにから抽出したのかわからない瓶に入った色とりどりの謎の液体や、一つしかない丸い球体の素材。それから、爪と同様に、石化している牙の箱の中にとんでもないものを見つけて目を見張った。
……あの時、フィーネの魔力も取り込まれてたって事??
思わず手に取ってその存在を隠した。なんせこれが世に出てしまったら、フィーネがひどい目に合うかもしれない事が容易に想像できたからである。
夕日色に染まった、その美しい牙はキラキラと輝いていて、フィーネが魔法を使うときにだけ見ることができる絶対的な精霊の力が宿っている、つまり調和の魔法が宿っていることは簡単に想像できた。
「カミル?」
姿を消しているとはいえ気配を感じられてしまったようで、フィーネが空虚に問いかける。けれど、この素材をどうするか考えた方がいい事をここで話すことは出来ないだろう。
フィーネには返事をせずに今はいない事にして見守るだけにとどめる。
彼女は騎士たちの前に出せるように素材を整えておくよう職人に言いつけて、カミルはその後も仕事を続けるフィーネの後を追いかけた。
フィーネの仕事がひと段落したら、声を掛けようと考え続けてると、気が付けば午前中が終わってしまいそうだった。しかしとにかく、忙しそうだから仕方がない。
カミルはそのきれいな牙をボンヤリしながら眺めていた。
実はカミル自身もフィーネの力についてそれほど深くは知らなかった。昔からある家系の能力であり、その力はどういうわけかカミルを救うことができて、そしてその力を使っているときの彼女が抗いがたいほど美しい、ということぐらいしか知らない。
だから正直カミルはこのまま黙っていてこの美しい牙を自分のものにしておきたかった。のぞき込めばいつでも美しい夕日の水面を思い出して、神にも等しい彼女に会える気がした。
でもそれは流石に、こんな高価なものを勝手に取ったらあとでその素材の所有権を現状もっているアルノーやフォルクハルトにフィーネが糾弾されてしまう。それは避けたい事態だった。
机に向かって、紙に素早くペンを走らせているフィーネを見る。彼女は文章を考えるのなんかまったく苦ではないようで、すらすらと文章を書き連ねていく。それを終えて、手早く封蠟し、立ち上がったところで彼女の前へと姿を現す。
「……おはよう、カミル」
少しだけ意地悪で、驚かせようと思ったのに、フィーネは声を一つも上げずに、ニコッと微笑んでカミルに挨拶をしたのだった。眠たいし、牙を欲しいけれども手に入れられないしで、少し機嫌の悪かったカミルはフィーネの手を無造作に取って、彼女の力の宿った魔石を握らせる。
「? ……もしかして、あの場から持ってきたの」
『そー。それ、君、見せる相手は考えた方がいいよ。君の魔力でそんな風になるのはあんまり、いい予感がしないでしょ』
「……確かに」
『じゃ、今日は僕もう寝るから』
「そうなの? 私はこれから昼食と交渉にいくの、頑張ってくるわ」
『うん』
フィーネにも自分の魔法がこんな形になることは、危険なことだと理解できたのかきちんと箱に収めてそれから出ていく。あの状態では、フィーネの意図しないところで調和師としての力がカミルのような人間を救えることが世間にばれてしまう。
カミルだって、精霊王に聞いたり、彼女に聞いたり、自分から言ったりもしないが、それはとても重要でそして強大な事実だ。だから、あんなものが勝手に存在してはまずい。
……転変も元に戻せるなんて、どこまでこの力の存在が認められているのか知らないけど、貴族は魔力があって、精感が広いほど転変しやすいんだから、その危険がある貴族は皆、調和の魔法が欲しい。
貴族が恐れるものは、大きく分けて二つ、転変と魔物。それらが一番、裕福で何不自由ない生活を送っている貴族の命を奪うものとして幼いころから、刷り込まれている。
特に転変してしまったら、よっぽどの地位の人間でもない限りはすぐに処刑だ。それに予兆があっただけでも殺されることがあるのだから、恐れてしかるべきなのだ。
そのどちらも、避けることができるフィーネの力は、公になれば、厄介事しかない。それをフィーネがどこまで理解しているのか、彼女のことを侮っているわけでもなかったが、あの魔石をどうするのか気になってしまい。ソファーで少し眠ろうと思っていたカミルは仕方なく、交渉の場へと向かうのだった。
11
お気に入りに追加
177
あなたにおすすめの小説
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
ふしだらな悪役令嬢として公開処刑される直前に聖女覚醒、婚約破棄の破棄?ご冗談でしょ(笑)
青の雀
恋愛
病弱な公爵令嬢ビクトリアは、卒業式の日にロバート王太子殿下から婚約破棄されてしまう。病弱なためあまり学園に行っていなかったことを男と浮気していたせいだ。おまけに王太子の浮気相手の令嬢を虐めていたとさえも、と勝手に冤罪を吹っかけられ、断罪されてしまいます。
父のストロベリー公爵は、王家に冤罪だと掛け合うものの、公開処刑の日時が決まる。
断頭台に引きずり出されたビクトリアは、最後に神に祈りを捧げます。
ビクトリアの身体から突然、黄金色の光が放たれ、苛立っていた観衆は穏やかな気持ちに変わっていく。
慌てた王家は、処刑を取りやめにするが……という話にする予定です。
お気づきになられている方もいらっしゃるかと存じますが
この小説は、同じ世界観で
1.みなしごだからと婚約破棄された聖女は実は女神の化身だった件について
2.婚約破棄された悪役令嬢は女神様!? 開国の祖を追放した国は滅びの道まっしぐら
3.転生者のヒロインを虐めた悪役令嬢は聖女様!? 国外追放の罪を許してやるからと言っても後の祭りです。
全部、話として続いています。ひとつずつ読んでいただいても、わかるようにはしています。
続編というのか?スピンオフというのかは、わかりません。
本来は、章として区切るべきだったとは、思います。
コンテンツを分けずに章として連載することにしました。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
忘れられた妻
毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。
セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。
「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」
セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。
「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」
セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。
そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。
三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません
私の幼馴染の方がすごいんですが…。〜虐められた私を溺愛する3人の復讐劇〜
めろめろす
恋愛
片田舎から村を救うために都会の学校にやってきたエールカ・モキュル。国のエリートたちが集う学校で、エールカは学校のエリートたちに目を付けられる。見た目が整っている王子たちに自分達の美貌や魔法の腕を自慢されるもの
「いや、私の幼馴染の方がすごいので…。」
と本音をポロリ。
その日から片田舎にそんな人たちがいるものかと馬鹿にされ嘘つきよばわりされいじめが始まってしまう。
その後、問題を起こし退学処分となったエールカを迎えにきたのは、とんでもない美形の男で…。
「俺たちの幼馴染がお世話になったようで?」
幼馴染たちの復讐が始まる。
カクヨムにも掲載中。
HOTランキング10位ありがとうございます(9/10)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる