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腹が立たない間抜け 1

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 手は小さく震えていて、あんな風に傷つけられそうになったことなど一度もなかったフィーネは、その怯えをどう処理していいか分からずに、ぐっと唇を噛んで堪えた。

 しかし、長くはそうもしていられない、ここには多くの人の目があるのだ怯えていると悟られてはいけない。いくらフィーネは感情が表に出ない方であったとしても態度で示してしまっていれば意味はない。

 顔を上げて、ふっと気合いを入れるように小さく息をつく、それからベティーナの元へと戻ろうとしたとき、ガゼボに一人残っているロジーネがフィーネに向かって手招きをしているのが見えた。

 ……もしかして、ロジーネもすでに私のことを庶子だと聞かされていて、帰れって言われるんじゃ……。

 そんな風に嫌な予感を感じつつも、フィーネはロジーネの方へと足を向けた。

 なんせ、タールベルク邸からまったく出ることがなかったフィーネには今まで実感する機会がなかったが、既に貴族たちの反応は、フィーネの正体を知っているぞと言わんばかりのものだった。

 タールベルク邸では、それほど顕著ではなかったことが浮き彫りになって、ここまで貴族社会に自分の居場所がないのかと愕然とする気持ちが大きかった。

「……ロジーネ様はあちらに行かれないのですか?」
「行きません。ベティーナ様の魔法は参考になりそうにありませんから」

 フィーネの言葉に、ロジーネはさして興味もないように返した。そして「どうぞ座って」と促す。すでに先程までここにいた令嬢たちのティーセットは片付けられて、新しく侍女がフィーネにお茶を持って来た。

「失礼します」
「……」

 出てきたお茶に口をつけて、フィーネはホッと一息ついた。暖かい紅茶の優しい味にいつもの冷静さを取り戻してロジーネの方を見る。彼女はあまり好意的ではないような視線をベティーナに向けている。

 なにか話しかけるべきかと考えるが、彼女の方からフィーネを呼んだのだからロジーネから話題を振るだろうと考えて、静かにフィーネもベティーナへと視線を向けた。

「……あんな高性能な魔法道具があるなんて、フィーネ様は知っていたのですか?」

 言われた言葉にキョトンとする。どうやら彼女は、魔法道具によって、ベティーナがあの魔法を使ったのだと検討をつけているようだった。

 ……あの魔法だけではないわね。きっと、その前の魔法のことにも気が付いていた。だから、さっきのも参考にならないと断言したのかしら。

 そこまで予測してフィーネは続けて考えた。そのことをを聞いてきたということは、フィーネの事をそれを使う機会を与えた協力者だと思われているのかもしれないと。

 だってあの場で最初にベティーネを称賛したのはフィーネだ。だから、そういう風に誘導したように見えたのだろう。

「いいえ、私は何も知りません。ロジーネ様」
「……貴方は妹に花を持たせてやった気になっているのかもしれませんけれど、それは貴方の首を絞めるのと同等の行為ですよ」

 そう言って初めて、ロジーネはフィーネへと視線を向けた。その瞳は、不機嫌を表していて、フィーネは何も分からないフリをして首をかしげる。するとまたロジーネは視線を逸らしていう。

「忘れてください。間抜けを見ていると腹が立つ性分なんです」
「……」

 ……ロジーネ様は……もしかして、……。

 私の事を貴族だってわかってるの?

 それにしたって言い方というものがあると思うし、そちらについて触れたかったのだが、フィーネが貴族だという真実を知った理由を聞かないわけにはフィーネはいかなかった。

 もしかしたら、フィーネが貴族であると証明する手掛かりになるかもしれない。

 そうとなったら、つまらないと思われるかもしれないなんてことを考えている場合ではなかった。今、彼女と関わらなければ、次にいつ会えるかもわからない。

「間抜けに見えたとしても……私には、同じ屋敷に帰った後もベティーナがやっていることに気が付いていないふりをしなければなりませんから、彼女には上手くいっていると思ってもらう必要があるんです。ロジーネ様」
「あら、気の毒ですね」

 できる限り、分かりやすく状況を伝えて先程の行動の意味を伝える。それにロジーネはとくに同情せずにそう答えて、紅茶に口をつけた。

「ロジーネ様は、どうしてお気づきなったのですか?」

 何がとは言わずに、彼女に問いかける。そうすると、やはりなんてことないようにロジーネは冷静に言う。

「簡単なことです。本来の彼女の家系であれば魔法は使えない。もっともこの知識は、魔法の歴史を知らないものには、理解も馴染みもないものでしょうけど」
「そういったことまで勉強されているのですね。驚きました」

 調和師の家系の知識はまったく誰にも知られていない事ではなく、ある程度、魔法について勉強したものなら知っていることだというフィーネの常識はそれほど間違っていなかったようだ。

 しかし、現在同じ調和師の家系の生き残りはフィーネしかいないし、信頼できる大人に証言してもらうというのも難しい。

 親戚の一人でもいれば、ベティーナが魔法を披露しているところから、ベティーナがエルザの子供であるという論理を崩すことができるかもしれないと思ったがそうはうまくいかないだろう。

「……今まで一度も、貴族社会の交流会に顔を出さなかった貴方が今日は何故、こんなお遊びに参加する気になったのですか」

 フィーネが考えを巡らせていると、ロジーネが気になったことを聞いてくる。確かに、今まではまったく、こういった場に参加することはなかったし、そうするべきだと、ハンスにもビアンカにも言われてフィーネはまったく疑っていなかった。

 ……だから、この集まりだから参加したのではなく、記憶を手に入れたから、参加したのだけれど……ロジーネ様は自らがホストなのにお遊びって……もしかして彼女は魔術師志望なのかしら?

 だったら、魔法の知識を勉強しているのも、ベティーナのズルを見破ったのも、こういう交流会を開いていることが納得できた。

 魔術師という職業は騎士と同じくらい、高等職業だ。それゆえ、なるにはまず貴族であることが大前提で、さらに多くの試験や資格が必要になってくる。しかし、それを上回るメリットが魔術師には存在する。

 それは女性でもなる事ができるという事だ。多くの場合、貴族令嬢が仕事に就くとなると、領主として、後継ぎとしての任につくか、尊い血筋の方の側仕えや相談役、家庭教師、程度しか出来ることがない。けれども少し難しい道になるが魔術師の道を目指すとなれば、自身がきちんとした地位を手に入れることだってできる。

 女としてそれを魅力的に思う人もいれば、ベティーナのように称賛があれば自分を高める努力などする必要はないと考える人もいて、人それぞれだ。

 しかし、ロジーネについてはきっと前者だろうと思った。この人はきっと努力家だろう。

「ロジーネ様が主催者だからです」

 しかし、前者の人間だとしても称賛は欲しいんだ、とフィーネは思う。というかあるに越したことは無い。

 フィーネの言った言葉はこの場に来た時点では嘘だったが、現時点では本当だ。ロジーネが主催している集まりでよかった。まずは一人、フィーネが貴族だと知っている人がいるとわかったのだから。



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